Minakami Room

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YouTubeのコメントだけを見て満足するタイプのオタク

 

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↑の記事を書いてから5年が経った。
今も何かに囚われ続けている自分の心を吐き出したくなった。

中学生〜高校生の頃、「俺だけが知っている凄いもの」に、強くこだわっていた。
「俺だけが知っている凄いもの」が、世間にそこまで知られてない。
それが心底許せなかった。

……「中学生〜高校生の頃」?
……違うな、今も変わらない。

でも変化したことがある。
「俺だけが知っている凄いもの」なんて、そうそうないんだって気づいたってことだ。
あと、それから、時代も変わった。

「この思いを伝えたい」

中学生の頃、あと高校生になってから。
世界はつまらなかった。
流行のものはつまらなかった。
サブカル野郎と笑うなら、オタクと笑うなら笑えばいい。好きなだけ笑え。

だけどそんな世界で、アニメは、漫画は、救いだった。
根っからのオタクだから、そういったものに縋っていたのだと思う。
それでいて変な正義感もあったから、それが日の目を見ていないことが許せなかった。

例えば10年前に音ゲーマーだった人たちは、こう思っていた人も多いのではないだろうか?
「流行の音楽よりも、音ゲーに入ってる曲のほうがよっぽど良いじゃねえか」と。
視野狭窄に過ぎるけれど、それを咎める人が、咎められる人が、咎めた人がどこにいただろうか。

……僕がブログを書いていた気持ちの一つはそこにある。
だから『鬼滅の刃』についてもアニメ化前から良さを発していたし

 

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最近もClariSについての良さを発している……

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そうだ、変わっていない。
俺は俺が良いと思ったものを、発信する!
俺だけが分かる良さを伝えていく!
それは決して無意味じゃない!!

……だが。
俺は……本当に。
本当に、純粋に、ただ。
良さを広めたいだけなのか?

ただ。
縋りたいだけ、なんじゃないか。
何に?
……言葉にするのが難しいけれど……強いて言うなら……共同の意思、に。

ここでようやくタイトルの「YouTubeのコメントだけを見て満足するタイプのオタク」に言及する。
言うまでもない。
それは僕のことである。

「俺」の、「俺」だけの情動

一時期、「YouTubeのコメントだけを見て満足するタイプのオタク」になっていた。今はYouTubeすらあまり見ない。
冷静に考えるとあまり面白くないなーと思うようになってしまったからだ。それでもちまちま見ちゃうんだけど。

「YouTubeのコメントだけを見て満足するタイプのオタク」とは何か?
要するに、「みんなが思っていること」に触れられれば、そこに共感してしまえば、もうそれだけで十分、みたいな気持ちなのである。
これがさっき使った「共同の意思」という言葉が示そうとしているものだ。
「共同幻想」だとちょっとニュアンスが違うのでオリジナルの言葉にした。

Twitterをボケーッと眺めるのも、ニコ動の動画本編よりコメントが気になる気持ちもこれに近い。
虚無的な安心感を生んでくれるコンテンツだ。

この「共同の意思」と、「虚無的な安心感」。
どうも「自分が面白いと思ったものが、世間で面白いと認識されていなければ嫌」という気持ちと、何やら地続きであるような気がしている。

本来、物語というものは、アニメや映画は、俺の、この、俺だけの情動を揺り動かしてくれれば、それで十分のはずなのだ。
けれどそれがどう受け入れられているか、それが気になってしまう。

……いや、それ自体は不健全ではない。
好きなモノはその感想や批評も含めて取り込みたい、その気持ちを否定することは僕にはできない。

だけど……
「俺の、この、俺だけの情動」。
それについて考えたとき……思う。

薄くなってないか、最近。
本来、自分の中だけにあるべき情動が。
誰かのための情動に、かすめ取られていないか。

広めたいのか、わかって欲しいのか

時代は変わった。
「俺だけが知っている凄いもの」なんてそうそう存在しない。
平然と「ドスケベ条例」がトレンド入りする時代だ。
否、そんな時代になる前から、「俺だけが知っている」なんて考え方、とてもおこがましいものだったのだと思う。
それでも、「俺が良いものを良いと主張すること」が無意味だったとは思わない。
思いたくない。

……だが一方で。
自分が何かを最近語りたくない、面倒くさい、そう思うのは、そんな時代のせいかと思っていた。
それでも語りたいことがたまにある。
それは何故か。
自分の中にある「これを広めたい」という強い衝動の残滓か。それとも誰かに理解してもらうことで「虚無的な安心感」を得たいからか。それとも、その2つは不可分なのか。

……わからないけれど。
今、自分は強く取り戻したいと思っている。
「俺の、この、俺だけの情動」を。

「YouTubeのコメントだけを見て満足するタイプのオタク」、言い換えると「俺の、この、俺だけの情動」を失ったオタクではダメなのだ。

俺の感動、俺だけの情動、俺の衝動。
……それがない人生は、辛い。

……「誰も分からなくても、俺は分かっているよ」。
もしかしたら、僕は誰かに対してそう言いたかっただけなのかもしれない。

あー、過去イチで論点がとっ散らかってる。
真っ当に向き合うと終わらねえよ、こんなテーマ。

アニメと映画1000本ノックしてきます。