MistiRoom

自由であること、語ること。

僕らはイキリオタクとして生きていく

こんにちは、あけましておめでとうございます。
Mistirです。

昨年から「イキリオタク」っていう言葉がよく聞かれるようになってきた。
まぁ旬はかなり短く、既に「死語」の雰囲気さえも漂っているけれど。

ふと新年、独りでいろいろなことを考えていると、この「イキリオタク」って言葉が物凄く味わい深く、そして……
僕という人間そのものにも深く関係する言葉なんじゃないかと思ってきた。

今年最初の更新だからこそ宣言しようと思う。
僕は「イキリオタクとして」生きていこうと。

 

 

イキリオタクは何故生まれるのか

dic.nicovideo.jp

例えば「俺オタクだけど彼女いる」みたいなのは典型的な「イキリオタク構文」として扱われるわけだけど、なんというか。
僕はそういうことをTwitterやらネットに書いちゃう奴らの気持ちが、痛いほどよくわかる。

結局そういうことをなんで書いちゃうかって、「中高生時代のスクールカーストの感覚を引きずってるから」だっていうのが僕の仮説だ。
スクールカーストっていうのは確かに普遍的に存在してるもので、オタクはその中では低い方に位置するってのは一種の定説だ。

matome.naver.jp

もちろん、10年前と比べるとはるかに(スクールカーストを前提とした文脈での)「オタクの地位」みたいなものは確実に向上していると思う。
それでもなお、どうしても「コンプレックス」みたいなものが抜けない人間は多いんじゃないか。



そう。

……僕、みたいに。



そのコンプレックスみたいなものを抱えた状態で、かつそのコンプレックスを「克服した」とアピールすること≒低層のカーストに属しながら俺はコンプレックスを感じる必要のない立場だったとアピールすること≒「俺オタクだけど彼女いる」ってアピールしちゃう気持ち、僕は痛いほどよく分かる。

なぜならそれは、「典型的な、言葉通りの『コンプレックス(複雑に絡み合った感情)』」だから。

悲しいことに、そのコンプレックスは「克服した」「僕にはコンプレックスはない」なんて、そうやってアピールすればするほど、どんどん深まっていく。
その「コンプレックスを苦労の果てに克服した」という認識があれば、尚更だ。

本質的にそのコンプレックスを「克服する」ことが出来るとしたら、コンプレックスを抱く暇も、コンプレックスの克服を主張する暇もないほどに「忘れること」。
それしか方法はないだろう。
だけど、それはとても難しい。
忘れようとすると忘れられない。それこそが人間らしさだ。

逆に「もう僕はコンプレックスを忘れきった!」なんて言うヤツがいたとしたら、そいつは多分コンプレックスに相当囚われている。
解説するまでもなく、なんとなく理解してもらえると思う。

もう一つ言えば、「イキリオタクが鬱陶しい」≒「リア充アピールするオタクが鬱陶しい」とすれば、それはもう典型的な「コンプレックス」だ。

……なんだか、仏教思想みたいになってきた。
「俺はもう人と自分を比べるのをやめた!」なんて言うヤツがいたら、そいつこそ人と自分を比べてるのだ、みたいな話。

結局、どんなオタクも、オタクを自覚するならば全員程度の差こそあれ「イキリオタクとしてコンプレックスを抱えてるんじゃないか」って僕は考えてる。
あまりにも極論というか、この理屈って無敵過ぎて嫌いなんだけどね。
……「俺はそんなコンプレックス無いです」って主張する人がいたら、それさえもコンプレックス扱い出来ちゃうから、この理屈は「反証可能性」がない。
だからまぁ個人の感想程度に聞いてくれれば嬉しい。

少なくとも、そういったコンプレックスを抱えてる「自分がオタク気質だと思ってる人」がたくさんいること自体はそれほど大きな間違いじゃないと思ってる。

ってことで、そんな「俺ら」はどうやって生きていこうか。

居直れ!もうブレブレブレブレブレまくって震えてるのわかんねぇようにしてやれ

www.kasi-time.com

一生涯付き合うコンプレックスなら、受け入れてしまえばいい。
避けられないなら正面突破だ。
少なくとも僕はそうやって生きていこうと決めた。

結局、苦い過去も、成功体験もそう簡単に断ち切れるものではないのだ。
僕のコンプレックスも、君のコンプレックスも濃い。
でもまぁ、今は頑張って生きてる。

そうやって生きるしかないのだろう。その中で「社会的に多少マトモ」になったような錯覚を得ながら、僕らはコンプレックスを抱えていた過去をいつかは忘れるのかもしれない。あるいは「コンプレックスを抱えているにも関わらず『それを克服した』自分を誇る」≒「コンプレックスの性質の変化」を抱えて生きていくのかもしれない。

そうやって、みんな己の中に「イキリオタク」を抱えて生きていくのだ。
多分それは、きっと、普遍的なことなのだ。

そんなこんなで頑張って生きていきますので、今年もMistirをよろしくお願いします。

ではまた次の記事で。