MistiRoom

旅することと、語ること。自由であること。

パリピ孔明のOPを完全に理解した

観てますか?パリピ孔明

paripikoumei-anime.com


僕の感想は「出来が良すぎてちょっと引く」です。

誰が観ても絶対に面白いぞ、って断言できるアニメってなかなか無い。
でもこれはそうとしか言いようがない。

そして中毒性のあるOPですよ。


www.youtube.com


いやもう完璧すぎて。
で、何度か観てる間に「完璧さ」がロジックとして「理解」り始めてきて。
世田介くんになってしまった。

 

(引用は10巻41話)

そしてOPとシンクロしすぎてちょっと泣いた。
この世でパリピ孔明のOPで泣くやつ僕だけだと思う。

これは言語化しておかねば、という使命感に駆られたため書こうと思う。
なお、画像は基本的に公式OP動画のスクリーンショットによる。

七変化孔明からのタイトルロゴがドーン!

まず、三国志っぽいイントロ音、オリジナル感ある孔明。(0秒)


からのテンポに合わせて七変化孔明
実は7どころではない。
数えると11变化していた。

からのクラブ。

からのタイトルロゴがドーン!に合わせて「チキチキバンバン♪」

お分かり頂けただろうか。
ここまで12秒だ。

12秒で、作品の要約が完全に終わっているのだ。
作品のコンセプトの根幹部分はもう少なくとも十分伝わっている。

もうここまでくると侍だ。
それもめっちゃ強いやつ。
一騎打ちで絶対負けないやつ。
七人の侍で構えだけで「もう勝負はついてる」って第三者の侍に言われてたやつ。あいつだよもう。
このOPのパワーに勝てるやついるの?
僕は無理。まずここでぶっ飛ばされる。

初見だと「なんだこれw」が勝つけれど、少し冷静になると明らかにオリジナルソングじゃないなこれと判断がつく。
そして連鎖的に気付く。
「あ、これクラブカルチャーのインスパイアというか、先人へのリスペクトというか、このOP自体がクラブカルチャーの上にあるんだ……」と。
僕はクラブカルチャーそのものには詳しくない*1ので深入りはしないが、素人目線でもそう感じたので、精通している人なら感涙モノなのだろう。

主人公は二人なんだぜ

クラブのライトに埋もれる感じでのEIKOやっと登場(やっとと言いつつ17秒)、からのモンタージュ風演出。
この演出にも専門的な名前があるかもしれないが知るかそんなもん。

とりあえず意図的な情報過多。
緩急の妙。
作品の要約を頭にインストールさせたところで、最高潮のままさらにドバッと情報を流し込まれる感じ。

……たまらない。
まさに「はじめからクライマックス」。


そして25秒、情報過多から一転、一気に引く!!!!


……シンプルだ。
誰がどう見ても分かる。
そう、ここで描かれているのは。
「夜の街を怪しいダンスをしながらこちらへゆっくり近づいてくる孔明だ。




……。





「夜の街を怪しいダンスをしながらこちらへゆっくり近づいてくる孔明」!?

……

「夜の街を怪しいダンスをしながらこちらへゆっくり近づいてくる孔明」!?

多分この世にこれまで存在しなかった日本語がここに存在している。
冷静に考えよう。

意味が分からない。
情報も少ないように見えて異常に多い。

だけどクライマックスを食らった直後なので、我々はもう、「夜の街を怪しいダンスをしながらこちらへゆっくり近づいてくる孔明をそういうものなんだと受け入れてしまう。
そして作品のコンセプトとも完全に一致しているのだ。
ああ、もうそういうアニメなんだな。
……いや、でもなんだこれ?
「夜の街を怪しいダンスをしながらこちらへゆっくり近づいてくる孔明が出てくるアニメなんだな。
納得だわ。うん。
……なんだこれ?

書いてて思ったけど『ダンベル何キロ持てる?』並みの筋肉アニメだと思う。
しかもこっちは計算して殴ってくるタイプの知性を兼ね備えたゴリラ。
知性を兼ね備えた……
……知性……

……これも孔明の罠!?
もう誰がバカで誰が頭良いのか分からなくなってきた。
もう踊ろう!チキチキバンバン♪

次。

運転孔明とボンネットに乗るヒロインEIKO

オサレ。小休止。
そして夜の街を怪しいダンスをしながらこちらへゆっくり近づいてくるEIKO

屋根に移動するEIKO

運転孔明

もうこの時点でこのアニメが「孔明EIKOのバディもの」ということもバッチリ伝わる。
あとEIKOがとにかく可愛いってことも伝わる。
ヤバい。

「今ひとつ売れない歌手」って設定だけど、ここまで魅力的だと「明らかに現実だと巨乳なのに貧乳扱いされてるアニメキャラ」と同じ匂いを感じる。

閑話休題

で、満を持してのシンクロダンス。
「バディもの」感がグイグイ強調される。

まだまだ要素はあるぜ

中華風孔明。……中華風孔明って何?


ちゃんと三国志要素もあるよってことをきっちりアピール。抜け目ない。EIKO可愛い。
そして過去の中国(蜀?)を歩くEIKOと日本を歩く孔明でバッチリ対比。

そして……

ごめん、わからん!!!完全に理解してなかった!!!!嘘だった!!!!何これ!!!!!

忘れよう。
いや、大事なのは次よ次。

増えたよ!!!!

いや、でもここマジでこのOPの真骨頂。
考えてみてください。

「OPが盛り上がってるところで夜の街を怪しいダンスをしながらこちらへゆっくり近づいてくる人たち」が悪い人たちなわけがないんです。
現実で見かけたら通報しましょう。

昨今のトレンド「悪い人は極力少なく」をしっかり伝えてます。
良い人がいっぱい出てくるギャグ作品が昨今の長いトレンドなんです*2
鬱展開に怯える必要もないんです。*3

かーらーのー……

そこはかとなくエモいカットをドーン!!!!!!

意味不明スタートからの!エモい!ドーン!パーリーピーポー!!!!!!YEAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAH!!!!!!!!!!!

最高だぜえええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!
(チキチキバンバン♪)

ま"だ増"え"た"ああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ””!!!!!!!!!!!!
(チキチキバンバン♪)

でもやっぱり……

主役はこの二人なんだよな……
あれ?俺たち何年前からこのアニメ観てたっけ?

そして真のクライマックス……














 

なんか出たんだが!!!!!!????!?!?!?!?!

そこはかとなく作画が雑ななんかが出たんだが!!!!????!???


……なんだろう、冷静に考えたら負けな気がする。
……あれ?どこから???ん?
冷静だった瞬間ってあったっけ?



デン!!!!!!!!!!

 

終わりに

こんな記事になるはずじゃなかったんだけどな……
疲れてるのかもしれない、休みます。*4

*1:とんかつDJアゲ太郎の原作を愛する程度

*2:水上調べ

*3:原作既読組ではないけど……裏切らない……よね?嫌だよそんなの……

*4:気づいてないオマージュとか多分いっぱいあるんだろうな……

fhána 『Cipher』の凄さを語りたい

fhána4年ぶりの4thアルバム、『Cipher』が発売された。

このアルバム、事実を指摘すると新曲はあまり多くない。
にも関わらず断言できる。
とんでもないマスターピースであると。
このアルバムの存在は「偉業」と言っても良いと。

語らせて欲しい。

アルバムについて語るなら、全曲について語るのがスジではあるとは思うのだが、今回はこのアルバムを「偉業」の域まで高めているラスト3(4)曲のことについて語りたい。

ここに書いた通り、アルバム発表前から、僕は確実に『僕を見つけて』『Ethos』からのオリジナルエンディング曲しかあり得ないと思っていたのだ。(上記ツイート、佐藤純一氏に捕捉されてるが、同意頂けてるかどうかは別にして……)

それが当たって我が意を得たり、とニヤリとした一方で、「この流れに耐えうるオリジナル曲」の想像が全くつかずにいた。
その結果は……
さて、始めよう。

僕を見つけて

2019年08月07日発売。TVアニメ『ナカノヒトゲノム【実況中】』ED主題歌。

アニソンとしてのキャッチーさ、荘厳な美しさ、アウトロの狂気一歩手前の展開と沈痛な叫びのようなボーカル、全てを兼ね備えた重い重い一曲。
これ一曲だけで十分に「重い」曲だ。


だが、この曲の発表の少し前、あまりにも痛ましい事件があった。

 

ja.wikipedia.org


自分のこととして捉えるには、重すぎる。
他人のこととして捉えるには、痛ましすぎる。
あまりにも辛い事件だった。

京都アニメーション小林さんちのメイドラゴン』OP『青空のラプソディ』はfhánaの大ヒット作だ。
fhánaにとって、この事件が軽い意味で済むはずがない。


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fhánaは、京アニ事件で整理できない僕たちの心に対する1つのアンサーとして、『僕を見つけて』を捧げてくれた。
「全てのクリエイターと その作品を愛する全ての人たちに この曲を捧げます」の言葉を添えて。

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かくして『僕を見つけて』は、fhánaの曲の中でもあまりにも重い意味を持つ一曲になった。
なお筆者は友人と飲みながらこのライブ映像を見て涙が止まらずエライことになった経験がある。飲みながら見ちゃダメ。

なお、fhánaは『小林さんちのメイドラゴン』二期であり、京都アニメーション復活の凱歌でもある『小林さんちのメイドラゴンS』でも当然のように大名曲『 愛のシュプリーム!』を提供している。
正直なところ僕は発表後しばらくこの曲が聴けなかった。思い入れが複雑過ぎたのだ。
そして聴いた。

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悲劇を忘れるでもなく、引きずられるでもなく、否定するでもなく。
それでいて、無理せず。一期『青空のラプソディ』の明るさのまま。
そして。

いつか想像もつかないことで
立ち止まることもあるだろう
そんな時思い出して君の中に確かにある光

涙は代償なんかじゃない

筆者はこれ書きながら、発売から一年近く経っている現在進行系でアホみたいに泣いている。
それが全ての答えだった。

なお、当然この『愛のシュプリーム!』も『Cipher』に収録されている。

閑話休題
『僕を見つけて』の話に戻る。

こんなにも重い一曲、アルバムのED曲はこれでええんでないか?と思う人もいるかもしれない。
だが、多分多くのfhánaのファンはそうは思わなかったことだろう。
理由の1つ目は、この曲が持つ意味があまりにも重すぎて、この曲をエンディングに持ってくるとアルバムの意味自体が固定されてしまうことだ。

fhana.jp

まさに世界が加速し、パラダイムシフトの真っ只中である2019〜2022年をリアルタイムに記録した時代のドキュメントとなっている。

時代のドキュメント、という思想にもそぐわない。

そういったメタな話だけではなく、2つ目の理由として……

fhánaというグループは、過去へ我々を留めてくれる『僕を見つけて』の先に、コロナに覆われた世界で、悲痛さをも受け入れながら、未来を切り拓くためのとある曲を、僕たちに届けてくれていたからだ。

それがこの曲。

Ethos

壊れそうな世界で 何度も闇を灯そう

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なんかもう「アニソン歌手だからこういう歌を歌うべき」とか、そういった偏見が無意味であることはもちろん大前提なのだが、それにしたってどんなアニソン歌手にも、どんなロック・スターにも、どんな演歌歌手にも、そう簡単に歌いきれないようなスケールの曲だと思う。この曲。
最初に聴いたときの感想が「神話やん……」だった。いや、神話やんこれ……

厳密には『僕を見つけて』と『Ethos』の間に『Choir Caravan with fhanamily』というインタールードが入る。
これは『Ethos』の別バージョンである『Ethos Choir caravan feat. fhánamily』のイントロ部分にあたる。

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fhánaのファンから募集したコーラスをフィーチャーしたバージョンで、通常の『Ethos』のサビ部分のバックコーラスとしても使われている部分なのだが……

いや、このコーラスのサビとの調和、あまりに良すぎんか?それを単体でインタールードに使う発想も含めて……
……良すぎんか……?

……。

ただの限界オタクになりかけているので、戻る。

『Ethos』という曲は、先程引用した

パラダイムシフトの真っ只中である2019〜2022年をリアルタイムに記録した時代のドキュメント

という思想にもマッチする。それくらいに偉大な曲だ。

だが一方……なんとなく、fhánaがそれで納得するわけはない、という信頼、悪い言い方をすると「勝手な期待」があった。
『愛のシュプリーム!』であれだけ完璧なものをご提供されてしまうと、さらに欲しくなってしまうのである。

だが、可能なのか?
『僕を見つけて』、『Ethos』を受けて、アルバムを総括する、なんならこの4年間を総括する、そんな曲。
無理じゃないか?

何が見えるのか。
恐れの中、最後の一曲を聴いた。

……「そう来たかぁ……」それが、筆者の感想だった。

Zero

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太っ腹なことに公式で配信されているのだが、可能であればアルバムの流れ、少なくともさっきの2(3)曲の流れの後で聴いてほしい。

正直、前2曲ほど壮大な曲ではない。
だが……
ああ、そうか、と。

これは『僕を見つけて』『Ethos』という、ハードルの高すぎる曲をこれまでに出してきたfhánaによる、「宣言」なのだと。
何か分かってしまう曲なのだ。
理由を説明するのは難しい。

だが、少し暗すぎるくらいの歌詞と、針の穴のような小さな小さな光を何倍にも増幅するような、ある種ミスマッチなくらいに強い強いサビで、分かる。

旅を続ける (また)ゼロに戻っても 何度も何度も闇に火を灯す

この音楽理論とか何も分からなくてもfhánaだってあまりにも分かりすぎるコード進行の部分」あたりで、分かる。

あまりにも爽やかに力強い

I go back to the zero

で、分かる。
全てが分かる。

『僕を見つけて』『Ethos』は、fhánaワールドに連れて行ってくれる曲だった。
『Zero』では、なんというか……

今後も突き進む、何度でも突き進む「fhánaワールド」に、何度でもついて来てくれ、と。そう言われているのだと、分かるのだ。

もちろんこれは僕の思い入れによる、あまりにも自己に寄せた、自分勝手な解釈なのかもしれない。
だからfhánaのファンの方々は、この解釈に同意できなければ、忘れて頂いて構わない。

だが、僕は。そう解釈した以上。こう言わざるを得ないーー

「一生ついて行きます」と。


ありがとうfhána、引き続きよろしくお願いいたします。

余談

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Q. これだけ偉大な曲を産み続ける佐藤純一ってどんな人?
A. ↑のMVで妙に気が抜けるダンスをしてる人

オチもついたので終わります。ではまた。

ほしいものが、ほしいわ。

親友が最近、自殺した。

それをネタにしてアフィリエイト広告まで貼ってブログを書くというのは……なんだかなぁと思わないでもないのだけれど、まぁ僕はあいつに散々振り回されたので、これくらいやってもバチは当たらんだろう。
それを責めてくるやつがいたら「君は何の権利で僕を責めてるんだ?僕やあいつの何を知ってるんだ?」って言えばいいだけだし。
ということで書こうと思う。
それではハイ、アフィリエイト広告。


話が変わるが……
高校の頃、僕は、ガラケーニコニコ動画にアクセスしては、変な動画を観たり公式配信の変なアニメを観たりしていた。
画質はガビガビである。

ガラケーにMP3を突っ込んだり、それだと明らかに音質が悪いからウォークマンを買ったりした。アニソンのCDはレンタルショップでも置いてる店と置いてない店がある。割と頑張って探す必要があった。
ニコ動にハマりすぎないように、あとライトノベルとかも読んだりしながら退屈な日々を過ごしていた。

時は過ぎ、2022年。
だいたいのことはスマホタブレットでできるようになった。
映画も配信されている、アニメも配信されている。それも超高画質、激安。
アニソンもストリーミングで聴き放題。聴けない曲の方が珍しい。
「なんかスマホタブレットがあればもう一生幸せに生きていけるんじゃね?」っていう気がしてくる。せっせと働く必要なんて、もうないだろ。
酒飲むにしたって、別に超高級ワインを望むわけじゃなければ、金銭的には別に大した支出にならない趣味だ。
ニコ動でアル中カラカラ、あるいはTVerやアマプラで相席食堂でも観ながら酒を飲めば明日も頑張れる。
……そうやって、日々を過ごす。
それで理屈の上では十分幸せなはずだ。

……言っておいてなんだが、「理論上の幸福」なんて、そんなバカバカしいものはない。それで幸せでいられる人は、多分、強い人なんだと思う。

僕は弱い。だからそんな日常がどうも苦しい。
「ほしいものが、ほしいわ。」と思ってしまう。
これは糸井重里が1988年に西武百貨店のポスターに寄せたキャッチコピーだ。
バブルの時代の物質的な充足の果て、その先の「本質的なもの」を追い求めた秀逸なキャッチコピーだと思う。「本質的なもの」なんていうものが本当にあったのかどうかは別にして。

時は2022年、1988年から35年近く経過して……
今、日本が経済的に良い状況で、物質的に充足しているか、というと非常に微妙だ。
微妙なんだけど……
「面白いものを気軽に」という意味であれば、バブル時代以上なんじゃないか?と思わなくもない。
スマホタブレットがあれば大体揃う」のだ。

にも関わらず、この閉塞感はなんだ?
いや、「にも関わらず」じゃない。
「だからこそ」なのか。

僕の親友だった男は、VTuberが好きだった。僕と同じだ。
僕と同じく、酒を飲みながら変な動画を観るのが好きだった。ずっと酒を飲んでいた。
最期はひたすら飲んで、スッカラカンで死んでしまった。

ここで念のため書いておくが、僕は、あいつの気持ちが分かる、なんて言わない。
この文章の目的は、あいつの気持ちの、生き方の分析ではない。
僕の気持ちの、僕の生き方の分析だ。

僕は半年前、色々あり司法試験(予備試験)の勉強を始めた。
ほしいものがほしかったのだ。
もっとも、これは後付けの理由ではあるのだけれど。

本来なら「これでいい」はずだ。
「欲しい物」をまた追いかける人生がそこから始まったのだから。けれど、何かモヤモヤしたものがずっと拭えない。
それは僕自身の生き方に対するモヤモヤだろうか、あいつの死に対するものだろうか。
よくわからない。
まぁ多分、そんな難しいものじゃなく、ただ勉強したくねーだけだろうな。
でも本当に心から欲しかったらこんな悩みは抱かないか。
うーん。

そんな歯切れの悪い日々を過ごしていると、最近人に会うたびに「元気ないね」と言われることに、少し自分でも危機感を覚えてきた。
僕はタナトフォビアなので絶対に自分で死を選ぶことは無いが、なんかこのままだとマズいと思い、しばらく休んでいた筋トレを再開した。
やはり運動すると気分が良い。
気分が良い一方、ハードトレーニングのあと全く勉強する気が起きず、落ち込んだりもする。

……話が変わるが。
スマホタブレットがあれば十分」「だからこそ」人は幸せになれない、という仮説がもし有効なら、もう叩き割っちまったほうが良いのではないかとたまに思うことがある。
知識に、情報に、欲しい物に「餓えて」なければ、そのために奮起するのは難しい。
何かに奮起できない日々は、少しずつ身体を蝕んでいく。

色々満たされた日々だからこそ、それをぶっ壊す何かが必要なのかもなぁ、と思う。
……一応繰り返すが、僕は自分の人生をぶっ壊す気はないことは念押ししておく。

そうして僕は「さて、どうするか」といつもの台詞を吐き、3歩進んで3歩下がり、たまに4歩進む生活を進めていくのだ。
それしかできない。それで良い。
それで許してくれよ、頼むから。

ではまたどこかで。

Kyashがまだまだ使えるこれだけの理由

相次ぐ還元率の改悪やら何やらでボロクソ言われて久しいKyashだが、「むしろKyash使わない理由教えてくれ」というレベルのヘビーユーザーなので、少し語りたい。

www.kyash.co

いきなりポイ活ブログみたいになってしまうが、これはKyashが大幅な還元率の低下その他理由に伴い、過剰に貶められているという実感に起因した一種の判官びいきだ。
……まぁ、還元率の低下ペースエグくてさすがにどうよ?と思うのは間違いないのだが、Google Mapで☆1.9はサービスの便利さに比してさすがに度が過ぎている。

ということでKyashがまだまだ使える理由、それもあまり他のブログで書かれていない観点から書き連ねたい。
なお、この件はプロモーションではない。
……ということを証明するため、招待ページのリンクはこの記事ではシェアしないでおく。少々もったいないけど。

ここから書き連ねる条件を満たす他の手段があるならむしろ教えていただきたい。

事実上最高還元率のデビットカードとして使える

低下してしまったものの、未だに銀行から入金した場合1%。
これはまだまだかなりの高水準だ。
まぁ1.2%以上の還元率のクレカもあるため、それと比べると見劣りするのは分かる。だがプリペイドカードとしては最高水準に位置し続けている。
また、手元のアプリから銀行を紐付けて即時入金できるので、事実上デビットカードのような感覚で使うことができるし、後述するがデビットカードを紐付けておけば還元率は下がるものの完全にデビットカードとして使うこともできる。
なお贔屓の理由として個人的にクレジットカードをあまり使いたくなく、基本的にデビットカード(プリペイドカード)を使いたいというメンタルがあることは認めておきたい。

MoneyForword, MoneyTreeと気持ちよく連携できる

例えばSuicaでは、利用後の履歴に「物販」としか記載されないし、住信SBIネット銀行デビットカードは利用後連携しても店舗名が取得できない。
Kyashだと店舗名を正確に取得してくれる。
SONY銀行のデビットカードも店舗名は取得できるが、「Visaデビット ***** (店舗名)」のように記載されるため、自動分類の邪魔になったことを記憶している。
PayPayなんかは未だに連携できない。
比べるとよくやっていると思う。

デビットカードQuicPayとして使えるようになる

Apple Pay (QuicPay) として使えるデビットカードは少ない。Kyashに紐付ければ事実上全てのデビットカードQuicPayとして使えるようになる(はず、例外はあるかも)。*1

手元で即時ロックできる

一度カードを紛失してしまったことがある。アプリから即時利用ロックできたのでそれほど焦らなかった。心当たりのある居酒屋から無事回収でき、その後のロック解除も一瞬だった。
また、デビットカードをリンクしておけば紛失した際のリスクが高いデビットカードを持ち運ばなくて済み、さらに0.2%とはいえ還元も受けられる。使わない理由がない。*2

アプリのUIが良い

地味に秀逸なUIだと思う。よく出来てる。

まとめ

……ということで、「問い合わせ対応が遅い」等の問題は色々あるようだが、今のところ発行手数料の900円は十分に回収している。
あまりに激しい還元率の変更で「それってどうなのよ」感も覚えたものだが、なんやかんや元は取ったし、ここまでで並べた条件を満たしてくれる代替手段にもたどり着いていない。

ということで、Kyashの汚名返上のため書かせて頂いた。いわばちょっとした恩返しだ。

ではまた。

*1:なお、この方法についてQuicPayプロキシという秀逸な呼び方をしている人を見かけた

*2:もっとも、Kyashの不正補償より各デビットカードの不正補償の方が信頼できる、と言われてしまうとそれには反論できないので、各々の思うセキュリティリスク対策から選んで頂きたい。

「幸せザッピング」をやめる、という提案

ツーリング先で散策しすぎて帰れなくなり、ビジネスホテルに泊まることにした。
郊外だ。

太い国道。でっかいラーメンショップ。マクドナルド。ラウンドワン。
そして、……大きなリサイクルショップ

ラーメンを食べたあと、なんとなく懐かしさを感じ、リサイクルショップに立ち寄る。
入店したら走馬灯の用に思い出が蘇る。
地元そのままの光景だった。
東京にはない光景だ。地価の問題だろう。

この手のリサイクルショップは地方都市、ド田舎というには都会、都会というにはあまりにも田舎、国道がインフラの大動脈であるような場所に多々存在している。
イメージしにくい人は「中古の品を中心としたヴィレッジ・ヴァンガード」と例えるとわかりやすいかもしれない。

酒という手段を手に入れる前、僕はこの手のリサイクルショップに幾度となく救われてきた。もはや宗教施設だったと言っても過言ではない。
煮詰まったとき、悩んだとき、特に意味はなく。
幾度となく脚を運んだ。

「なにか面白いものはないかな」と。
そう明確に認識していたかどうかは別にして、「何か」を探していたのだ。
ヴィレッジ・ヴァンガードも同じ理由でよく通っていたが、この手のリサイクルショップに世話になった回数はその比ではなかった。

そして面白い漫画やら、1-2世代前のゲーム機やら、そういったものを何度も買った。
実際に「面白いもの」は、「何か」はあったわけだ。
そして今……ビジホに帰る前の僕は、ゲームの列を見ながら、思う。

ここから始まった自分の癖は、今も治ってなかったんだな、と。

幸せザッピング

幸せザッピング、という言葉を聞いたことがない人は多いだろう。
当然だ。
今僕が作った言葉なのだから。

類義語は「青い鳥症候群」だ。
だが、「青い鳥症候群」はもっとなんというか、慢性的に「より良いもの、幸福を探し続けてしまう」状態のイメージだ。
僕が定義する「幸せザッピング」は、「何か面白いものはないかなと、ときには死んだ目で、あるいは『面白いものなんて別にないんだけどな』と予想しながら、それでも探すことをやめられない」状態のことをイメージしている。
「ザッピング」はテレビのチャンネルを変えまくることを呼ぶが、別にテレビに限る必要はない。

……自分が幾度となく救われてきたリサイクルショップを悪く言いたくはないから弁明すると、リサイクルショップでの「幸せザッピング」は店内にいる間だけだし、当時の自分にはまだ「ゲームか何かを買って楽しもう」という気持ちが残っていた。
多くの客も目的が仮にないにせよ、「面白いゲームあるかな」くらいの気持ちを持っている人がほとんどだろう。

だから大きな問題は引き起こさない。
パチンコやら酒やらと比べると健全過ぎるくらいだと思っている。

今僕が問題だなぁと思ってるのが、いわばスマホやらネットやらが媒体となっている「幸せザッピング」だ。

少し前、鬱に近い状態でYouTubeを「幸せザッピング」していた自分が、リサイクルショップに逃げ込んでいた当時の自分を、何倍も酷くした状態だと気づいてしまったのだ。

「スマホ依存やらネット依存の話?もう聞き飽きたよ」という方もいると思う。
もう少しだけ話を聞いてほしい。

「幸せザッピング」と資本主義

テレビにとって「ザッピングされること」はマイナスだろう。
特別な理由がない限り、自チャンネルに留めたいという意図で番組は作られているはずだ。

だが、今流行のサービスを思い出してほしい。
Twitter, YouTube, TikTok...

「自サイト内で」という条件はあるものの、「次から次へと新しいコンテンツを、極めて短いテンポでサジェストされ続ける」ものばかりだ。

これらについて詳しく語るつもりはないけれど、資本主義的な理由からそういった仕組みになっていることは、語るまでもない。
詳しくは「デジタル・ミニマリスト」でも読んでほしい。

要は、現代の資本主義を前提にすると、コンテンツ・プロバイダー側からすると「幸せザッピング」してもらう方が都合がいいわけだ。

さて、その結果何が引き起こされるか。
はっきり書いてしまうが、「不幸」だと僕は思っている。

なぜ不幸になるのか

科学的に説明しようとすると色々可能だ。
「人間は選択肢が多ければ多いほど不幸になる」とか、「得られるものの質に対して失う時間が釣り合っていない」とか。
でも、この一文を考えてみるだけで十分だと思う。

「スマホで『幸せザッピング』していたとき、幸せだったか?それとも、死んだ目をしていたか?」

「いや俺は幸せなんだが!?」という人は結構いるかもしれないし、そういった人は引き続きライフスタイルを変えてもらう必要はないと思う。
だが、僕と似ている人には心当たりがあるのではないだろうか。

真の幸福

こんな大それたことを書いてしまうのは憚られるけれど、こちらもはっきりと書いてしまうと、真の幸福は「没頭と忘我」なのだと思う。

松岡修造は趣味の映画を観るときとんでもなく集中していて、家族にも話しかけないよう頼むらしい。

news.livedoor.com

 

昔この話を聞いたとき「また極端な……」と思ったものだが、確かに2時間集中するというのは(現代的なものに慣れてしまった、ということを考慮するしないに関わらず) 本当に難しい。
これくらいやらないと、真の楽しみには至れないんじゃないか、と最近良く思う。

「幸せザッピングに『没頭』するのはどうなの?」と思われるかもしれない。
これは僕の考え方に過ぎないが、「幸せザッピング」をしている状態というのは、「没頭や忘我」ではなく「心ここにあらず」だと思う。


マインドフルネスが最近流行っているが、アレは「心を『今ここ』に取り戻すための技術」だ。

マインドフルな状態を最高の幸せと定義するならば、逆説的に言えば、「心ここにあらず」は最大の不幸と言えるだろう。
目の前の映画や、あるいはゲームでも漫画でも良い、全力で集中していることは一般的にも「心ここにあらず」とは表現しない。
だが、「幸せザッピング」は往々にして「心ここにあらず」を引き起こしているように思う。

結論

何度も言うが、「幸せザッピング」をしている自分を別に不幸だと思わない人、そもそもピンと来ない人は、こんな記事今すぐ忘れてもらって構わない。
だが少しでも心当たりがある人は、「幸せザッピング」をやめる、という提案に乗ってみてはいかがだろうか。

最後に。

全開の胸
全開の声
全開の素手で
感じることだけが全て
感じたことが全て


www.youtube.com

大事なことは全部『深夜高速』で歌われている。

というか僕が書きたいことも僕の人生も全部「深夜高速」に入ってると気付いたのが最近である。
今後僕のブログ、深夜高速投げっぱなしオチ増えると思う。

ではまた。

 

YouTubeのコメントだけを見て満足するタイプのオタク

 

mistclast.hatenablog.com

↑の記事を書いてから5年が経った。
今も何かに囚われ続けている自分の心を吐き出したくなった。

中学生〜高校生の頃、「俺だけが知っている凄いもの」に、強くこだわっていた。
「俺だけが知っている凄いもの」が、世間にそこまで知られてない。
それが心底許せなかった。

……「中学生〜高校生の頃」?
……違うな、今も変わらない。

でも変化したことがある。
「俺だけが知っている凄いもの」なんて、そうそうないんだって気づいたってことだ。
あと、それから、時代も変わった。

「この思いを伝えたい」

中学生の頃、あと高校生になってから。
世界はつまらなかった。
流行のものはつまらなかった。
サブカル野郎と笑うなら、オタクと笑うなら笑えばいい。好きなだけ笑え。

だけどそんな世界で、アニメは、漫画は、救いだった。
根っからのオタクだから、そういったものに縋っていたのだと思う。
それでいて変な正義感もあったから、それが日の目を見ていないことが許せなかった。

例えば10年前に音ゲーマーだった人たちは、こう思っていた人も多いのではないだろうか?
「流行の音楽よりも、音ゲーに入ってる曲のほうがよっぽど良いじゃねえか」と。
視野狭窄に過ぎるけれど、それを咎める人が、咎められる人が、咎めた人がどこにいただろうか。

……僕がブログを書いていた気持ちの一つはそこにある。
だから『鬼滅の刃』についてもアニメ化前から良さを発していたし

 

mistclast.hatenablog.com

最近もClariSについての良さを発している……

mistclast.hatenablog.com

そうだ、変わっていない。
俺は俺が良いと思ったものを、発信する!
俺だけが分かる良さを伝えていく!
それは決して無意味じゃない!!

……だが。
俺は……本当に。
本当に、純粋に、ただ。
良さを広めたいだけなのか?

ただ。
縋りたいだけ、なんじゃないか。
何に?
……言葉にするのが難しいけれど……強いて言うなら……共同の意思、に。

ここでようやくタイトルの「YouTubeのコメントだけを見て満足するタイプのオタク」に言及する。
言うまでもない。
それは僕のことである。

「俺」の、「俺」だけの情動

一時期、「YouTubeのコメントだけを見て満足するタイプのオタク」になっていた。今はYouTubeすらあまり見ない。
冷静に考えるとあまり面白くないなーと思うようになってしまったからだ。それでもちまちま見ちゃうんだけど。

「YouTubeのコメントだけを見て満足するタイプのオタク」とは何か?
要するに、「みんなが思っていること」に触れられれば、そこに共感してしまえば、もうそれだけで十分、みたいな気持ちなのである。
これがさっき使った「共同の意思」という言葉が示そうとしているものだ。
「共同幻想」だとちょっとニュアンスが違うのでオリジナルの言葉にした。

Twitterをボケーッと眺めるのも、ニコ動の動画本編よりコメントが気になる気持ちもこれに近い。
虚無的な安心感を生んでくれるコンテンツだ。

この「共同の意思」と、「虚無的な安心感」。
どうも「自分が面白いと思ったものが、世間で面白いと認識されていなければ嫌」という気持ちと、何やら地続きであるような気がしている。

本来、物語というものは、アニメや映画は、俺の、この、俺だけの情動を揺り動かしてくれれば、それで十分のはずなのだ。
けれどそれがどう受け入れられているか、それが気になってしまう。

……いや、それ自体は不健全ではない。
好きなモノはその感想や批評も含めて取り込みたい、その気持ちを否定することは僕にはできない。

だけど……
「俺の、この、俺だけの情動」。
それについて考えたとき……思う。

薄くなってないか、最近。
本来、自分の中だけにあるべき情動が。
誰かのための情動に、かすめ取られていないか。

広めたいのか、わかって欲しいのか

時代は変わった。
「俺だけが知っている凄いもの」なんてそうそう存在しない。
平然と「ドスケベ条例」がトレンド入りする時代だ。
否、そんな時代になる前から、「俺だけが知っている」なんて考え方、とてもおこがましいものだったのだと思う。
それでも、「俺が良いものを良いと主張すること」が無意味だったとは思わない。
思いたくない。

……だが一方で。
自分が何かを最近語りたくない、面倒くさい、そう思うのは、そんな時代のせいかと思っていた。
それでも語りたいことがたまにある。
それは何故か。
自分の中にある「これを広めたい」という強い衝動の残滓か。それとも誰かに理解してもらうことで「虚無的な安心感」を得たいからか。それとも、その2つは不可分なのか。

……わからないけれど。
今、自分は強く取り戻したいと思っている。
「俺の、この、俺だけの情動」を。

「YouTubeのコメントだけを見て満足するタイプのオタク」、言い換えると「俺の、この、俺だけの情動」を失ったオタクではダメなのだ。

俺の感動、俺だけの情動、俺の衝動。
……それがない人生は、辛い。

……「誰も分からなくても、俺は分かっているよ」。
もしかしたら、僕は誰かに対してそう言いたかっただけなのかもしれない。

あー、過去イチで論点がとっ散らかってる。
真っ当に向き合うと終わらねえよ、こんなテーマ。

アニメと映画1000本ノックしてきます。

 

iPad mini 6に最適なカバンを選ぶ

こちらの記事の続きです。

mistclast.hatenablog.com

メッセンジャーバッグに、iPad miniと、財布と、スマホだけ詰め込んで、電車で少し遠くに行く。カフェでスッと取り出して読書に使う。

この用途を実現すべく、そのためだけのカバンを求め、アマゾンの奥地……ではなく東急ハンズに向かった。

そしてこれを買う

ポーター(吉田カバン) のスモーキー ショルダーバッグである。
サイズ感はこんな感じ。

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エクセレント。
iPad mini6のためにあるようなカバンじゃないか。

一つ大きめのサイズもあったのだけれど……

主役であるiPad mini6に合わせたサイズにしておいた。
もう少し大きめのサイズのカバンも持っているので、それを使うようなシチュエーションの場合今回買ったカバンごと突っ込めば良い、というのもある。

Smart folioを買わずこちらを買って良かった。
大散財だけど、これからはこのカバンに雑にiPad mini6を突っ込んで身軽に動きたい。

……終わりである。
だがこれではあまりに淡白なので少し気持ちの悪いこだわりを語ろうと思う。

プロダクトと色気

僕がモノを選ぶとき、一番こだわりを懐くのは色気である。
まあただ色気なんてものは定量的に語れないので何も言っていないに等しい。
「このプロダクトからは色気を感じる」というのは「このプロダクトが好みだ」と実質同義だ。

個人的にポーター(吉田カバン)のスモーキーとか、主力ラインからズレた商品群には代えがたい色気を覚えるんだよな……

少し分析的に考えると、色気というのはヴィンテージ感 * 使っていて磨かれそう感なのかなぁ、という気がする。
革製品とかも好きだし。

今後はお気に入りのトレンチコートで、このカバンだけ身体に引っ掛けて、電車で意味のない旅になど出てみたいところである。
コロナも終りが見えてきた。
……と、言って良いのかどうか分からないが、あえてそう表現しよう。
次の世界が楽しみだ。