Minakami Room

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fhána 『Cipher』の凄さを語りたい

fhána4年ぶりの4thアルバム、『Cipher』が発売された。

このアルバム、事実を指摘すると新曲はあまり多くない。
にも関わらず断言できる。
とんでもないマスターピースであると。
このアルバムの存在は「偉業」と言っても良いと。

語らせて欲しい。

アルバムについて語るなら、全曲について語るのがスジではあるとは思うのだが、今回はこのアルバムを「偉業」の域まで高めているラスト3(4)曲のことについて語りたい。

ここに書いた通り、アルバム発表前から、僕は確実に『僕を見つけて』『Ethos』からのオリジナルエンディング曲しかあり得ないと思っていたのだ。(上記ツイート、佐藤純一氏に捕捉されてるが、同意頂けてるかどうかは別にして……)

それが当たって我が意を得たり、とニヤリとした一方で、「この流れに耐えうるオリジナル曲」の想像が全くつかずにいた。
その結果は……
さて、始めよう。

僕を見つけて

2019年08月07日発売。TVアニメ『ナカノヒトゲノム【実況中】』ED主題歌。

アニソンとしてのキャッチーさ、荘厳な美しさ、アウトロの狂気一歩手前の展開と沈痛な叫びのようなボーカル、全てを兼ね備えた重い重い一曲。
これ一曲だけで十分に「重い」曲だ。


だが、この曲の発表の少し前、あまりにも痛ましい事件があった。

 

ja.wikipedia.org


自分のこととして捉えるには、重すぎる。
他人のこととして捉えるには、痛ましすぎる。
あまりにも辛い事件だった。

京都アニメーション小林さんちのメイドラゴン』OP『青空のラプソディ』はfhánaの大ヒット作だ。
fhánaにとって、この事件が軽い意味で済むはずがない。


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fhánaは、京アニ事件で整理できない僕たちの心に対する1つのアンサーとして、『僕を見つけて』を捧げてくれた。
「全てのクリエイターと その作品を愛する全ての人たちに この曲を捧げます」の言葉を添えて。

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かくして『僕を見つけて』は、fhánaの曲の中でもあまりにも重い意味を持つ一曲になった。
なお筆者は友人と飲みながらこのライブ映像を見て涙が止まらずエライことになった経験がある。飲みながら見ちゃダメ。

なお、fhánaは『小林さんちのメイドラゴン』二期であり、京都アニメーション復活の凱歌でもある『小林さんちのメイドラゴンS』でも当然のように大名曲『 愛のシュプリーム!』を提供している。
正直なところ僕は発表後しばらくこの曲が聴けなかった。思い入れが複雑過ぎたのだ。
そして聴いた。

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悲劇を忘れるでもなく、引きずられるでもなく、否定するでもなく。
それでいて、無理せず。一期『青空のラプソディ』の明るさのまま。
そして。

いつか想像もつかないことで
立ち止まることもあるだろう
そんな時思い出して君の中に確かにある光

涙は代償なんかじゃない

筆者はこれ書きながら、発売から一年近く経っている現在進行系でアホみたいに泣いている。
それが全ての答えだった。

なお、当然この『愛のシュプリーム!』も『Cipher』に収録されている。

閑話休題
『僕を見つけて』の話に戻る。

こんなにも重い一曲、アルバムのED曲はこれでええんでないか?と思う人もいるかもしれない。
だが、多分多くのfhánaのファンはそうは思わなかったことだろう。
理由の1つ目は、この曲が持つ意味があまりにも重すぎて、この曲をエンディングに持ってくるとアルバムの意味自体が固定されてしまうことだ。

fhana.jp

まさに世界が加速し、パラダイムシフトの真っ只中である2019〜2022年をリアルタイムに記録した時代のドキュメントとなっている。

時代のドキュメント、という思想にもそぐわない。

そういったメタな話だけではなく、2つ目の理由として……

fhánaというグループは、過去へ我々を留めてくれる『僕を見つけて』の先に、コロナに覆われた世界で、悲痛さをも受け入れながら、未来を切り拓くためのとある曲を、僕たちに届けてくれていたからだ。

それがこの曲。

Ethos

壊れそうな世界で 何度も闇を灯そう

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なんかもう「アニソン歌手だからこういう歌を歌うべき」とか、そういった偏見が無意味であることはもちろん大前提なのだが、それにしたってどんなアニソン歌手にも、どんなロック・スターにも、どんな演歌歌手にも、そう簡単に歌いきれないようなスケールの曲だと思う。この曲。
最初に聴いたときの感想が「神話やん……」だった。いや、神話やんこれ……

厳密には『僕を見つけて』と『Ethos』の間に『Choir Caravan with fhanamily』というインタールードが入る。
これは『Ethos』の別バージョンである『Ethos Choir caravan feat. fhánamily』のイントロ部分にあたる。

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fhánaのファンから募集したコーラスをフィーチャーしたバージョンで、通常の『Ethos』のサビ部分のバックコーラスとしても使われている部分なのだが……

いや、このコーラスのサビとの調和、あまりに良すぎんか?それを単体でインタールードに使う発想も含めて……
……良すぎんか……?

……。

ただの限界オタクになりかけているので、戻る。

『Ethos』という曲は、先程引用した

パラダイムシフトの真っ只中である2019〜2022年をリアルタイムに記録した時代のドキュメント

という思想にもマッチする。それくらいに偉大な曲だ。

だが一方……なんとなく、fhánaがそれで納得するわけはない、という信頼、悪い言い方をすると「勝手な期待」があった。
『愛のシュプリーム!』であれだけ完璧なものをご提供されてしまうと、さらに欲しくなってしまうのである。

だが、可能なのか?
『僕を見つけて』、『Ethos』を受けて、アルバムを総括する、なんならこの4年間を総括する、そんな曲。
無理じゃないか?

何が見えるのか。
恐れの中、最後の一曲を聴いた。

……「そう来たかぁ……」それが、筆者の感想だった。

Zero

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太っ腹なことに公式で配信されているのだが、可能であればアルバムの流れ、少なくともさっきの2(3)曲の流れの後で聴いてほしい。

正直、前2曲ほど壮大な曲ではない。
だが……
ああ、そうか、と。

これは『僕を見つけて』『Ethos』という、ハードルの高すぎる曲をこれまでに出してきたfhánaによる、「宣言」なのだと。
何か分かってしまう曲なのだ。
理由を説明するのは難しい。

だが、少し暗すぎるくらいの歌詞と、針の穴のような小さな小さな光を何倍にも増幅するような、ある種ミスマッチなくらいに強い強いサビで、分かる。

旅を続ける (また)ゼロに戻っても 何度も何度も闇に火を灯す

この音楽理論とか何も分からなくてもfhánaだってあまりにも分かりすぎるコード進行の部分」あたりで、分かる。

あまりにも爽やかに力強い

I go back to the zero

で、分かる。
全てが分かる。

『僕を見つけて』『Ethos』は、fhánaワールドに連れて行ってくれる曲だった。
『Zero』では、なんというか……

今後も突き進む、何度でも突き進む「fhánaワールド」に、何度でもついて来てくれ、と。そう言われているのだと、分かるのだ。

もちろんこれは僕の思い入れによる、あまりにも自己に寄せた、自分勝手な解釈なのかもしれない。
だからfhánaのファンの方々は、この解釈に同意できなければ、忘れて頂いて構わない。

だが、僕は。そう解釈した以上。こう言わざるを得ないーー

「一生ついて行きます」と。


ありがとうfhána、引き続きよろしくお願いいたします。

余談

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Q. これだけ偉大な曲を産み続ける佐藤純一ってどんな人?
A. ↑のMVで妙に気が抜けるダンスをしてる人

オチもついたので終わります。ではまた。