Minakami Room

旅を続ける。考える。自由である。生きている。

追いかけることに、疲れた

こんにちは、Mistirです。

Twitterをやめた。

続けて、毎日チェックしていたニュースサイトの巡回をやめた。
ジャンププラスで更新される漫画を毎日追いかけることもやめた。


家に帰ったあとの楽しみだったニコ動、YouTubeの巡回もやめるようになった。

毎週きっちり読んでいた少年ジャンプもだんだん面倒くさくなった。

シンプルライフを得た僕は、とてもハッピー。












とは言えず。










不安だけが、残った。


そんな僕の話をしよう。

 

なんでこんな追いかけないといけないんだ

ニュースサイトの巡回までは意図的にやめた。

Twitterに関しては「ヤバい、このままだと無限に時間使っちまう」「ヤバい、このままだと悪意に染まっちまう」みたいなヤバみはずっと感じていた。
それできっちりとやめたのが去年10月あたりのことだ。

だが、スキマ時間があるとついアプリを開いて片っ端から眺めてしまう癖は治っていなかった。ニュースアプリとかWeb漫画のアプリとか。
「これなんの意味もねえな」と感じるようになり、勢いで削除した。

結局、自分がなんでそうリアルタイムで片っ端から「情報」を追いかけていたのかというと、端的に言えば依存症だったのだと思う。
その上で「なぜ依存症になるのか」っていう根元にあったのは……

「不安」


なのだろう。

毎日新しく提供されるコンテンツや情報を追いかけていないと、不安。そういった感情は大なり小なり誰にでもあるものだと思う。

そもそも「すっげー楽しみ!!!」だから追いかけるのは良いと思う。
今も毎週『異種族レビュアーズ』の配信は滅茶苦茶楽しみにしている。

でも、それほど楽しみってわけでもないのに毎週毎日何かに追い立てられるのは……
……冷静に考えるとおかしくないか?
それ、何が楽しいんだ?

そう。
今の僕のようにシンプルライフでハッピーになれば良いのである。






……と、言えればどれだけ良かったか。
結論を言えば、「うっすら膜を張ったような不安」が下手すると以前より目立つようになった。

「うっすら膜を張ったような不安」。
これが理解できない人は、きっと幸せな人だ。

僕は高校の頃あたりからずっとそれに苛まれてきて、かつそれとの戦いだけに人生を費やしてきたように思う。

……明確にそれを自覚したのはごく最近のことで、明文化できるようになったのは上にあるようにいろいろな「惰性の習慣」をやめた結果ではあるから、その意味で「惰性の習慣」をやめたことに意味はあった。

それはさておき。

「うっすら膜を張ったような不安」。
これがあると、博物館に行こうが水族館に行こうが何をしようが集中できなくなる。
なんだか目の前のことに集中できなくなるのだ。

言葉にすれば「本当にこんなことをしていて良いのか?」という感じ。
理屈では「本当にこんなことをしていて良い」ってことは分かっている。

分かってはいるんだけど……なんだ?この不安は。正体の無いこの不安は。
いや、正体無いって分かっとるやんけ!!!!
分かっとるんや……

つまり無意味なのである。

無意味だけれど、……無意味なのだけれど。
確かなことがある。

この無意味な不安は、明確に消える瞬間がある。

セックスしてるときと、酒を飲んでいるとき。

次点で筋トレしてるとき。
その次に、バイクに乗って遠くに行ってるとき。
ただバイクはここ数年で乗りすぎて「不安を消すこと」に関してはあまり効力を持たなくなった。それにセックスも最近やってねえよ。うるせえ。

結果としてセックス、酒、筋トレによってのみ不安を解消する負の存在(ある意味男の中の男) が生まれた。

言うまでもないが筋トレはまぁ良いとして、残りふたつは依存しやすい行為の筆頭である。
結局のところ、僕の人生は不安と依存との戦いなのである。

この状態は、実感として極めてヤバい。
何もかもが面倒になる。
面倒だけど、上記3つはなんとかできるっていう変な生物が出来上がる。

この状態を迂闊に「鬱」だとかそういう言葉で表現して良いのかは分からないけれど、少なくともそれと同じくらいヤバい状態であることは間違いない。
僕の実感として……ではあるけれど。


図書館に行こう

で。
時間は今日に飛ぶのだけれど、重い腰を上げて図書館に行ってきた。
電子書籍オタクになっていたことや、スマホ依存に近い状態になっていたことでひどく敬遠していたのだけれど、今の「何も追いかけない、何も追いかける気にならない」状況には必要なものと思われたのだ。

行ったら行ったで、大量の本に圧倒されて憂鬱になった。
そして次に怒りが生じた。なぜたった一つの図書館でも300年じゃ読み切れないくらいの本があるのに、インターネットコンテンツたちは有象無象のエンターテインメントを提供してくるのか。
埋もれさせることだけが望みなのか。

何もかもが埋もれる世界で、僕はどうやって自分と、自分の好きなものと、自分の時間と、……そういった本来大事なはずのものごとを見つけ出せば良いのだ。

とりあえず2, 3冊、アンチ自己啓発系の本を手に取る。せっかくだから小説も借りよう。直木賞作家の西加奈子の本、読みたかったから借りるか。ん?志茂田景樹『SEXするバカ、させるバカ』……俺のことバカにしてんのか!?借りよう。あ、冲方丁も好きだったなそう言えば。借りよう。ん?これ前観れなかったあの映画の原作か。借りよう。

……そうこうしているうちに8冊も借りてしまった。

……なんだかんだ。
無理矢理にでも、見つけることはできる……もんだね。
これだけいっぱい本があったとしても。

多分、そうやって僕は自分を「治していく」ことしかできないのだろうなぁ。しんどいなぁ。時間がかかるなぁ。

人生は短い。だけど本来、5年、10年という時間は、不安だけ抱えて過ごすにはあまりにも長いのだ。

「人生は短い」「10年はあっという間」……それだけ「呟いて」無為に過ごすくらいなら、少しは抵抗したい。
できれば不安に駆動されてではなく、何かもっと……幸福な原動力に駆動されて。

それができるのはいつになるのか分からない。
でも、まぁ多分悪い方向には行ってないのだろう。今はそう信じる他に道はない。

余談

疲れやすく、やる気がなくて、憂鬱で、依存症傾向。
そんな人間としては割とヤバい僕だが、仕事だけは何故かそれなりに上手くいっている。ベストだとは思わないけれど、人生の他の領域より悩みは少ない。

というのも。
「うっすら膜を張ったような不安を常に抱えている」というのは、システムエンジニアとして究極の適正なのではないか、と最近思うのだ。

不安やら懸念点やらを片っ端から洗い出して、片っ端から対応する。
そもそも、少しでもそういう気質が無いとエンジニアなんていう仕事は多分続かない気がする。

その点では僕はラッキーではあった。
だから僕と似たような悩みを抱えてるならエンジニアになればいいよ (雑なまとめ)

お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事で。