Minakami Room

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あゝ、躁鬱

しばらく仏教がマイブームだった。

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飽きた。

いや、厳密には飽きてはいない。
けれどプライベートのトラブルだとか色々重なり、ちょっとした鬱状態に陥り、頭からブッダは離れていってしまったのである。
そもそも僕は仏教思想を面白いとは思ったが、修行僧でもなんでもない。ましてや悟りを開いたわけではない。
ブッダが離れて行ってしまうのも必然だ。

ということでここしばらくただの虚無虚無の実の虚無人間になっていた。
筆者は司法試験(予備試験)にチャレンジしていたが、ここ半年は勉強をやめてはいない、けれど勉強してるともいえないといった微妙な距離感をキープしていた。
間違いなく言えるのが、このままではあと10年経ったところで合格はしないだろうな、ということだった。

そんな中、本屋でこんな本を見つけた。

読むとあまりにも自分のことが書いてあって、一気に二周読んでしまった。
心当たりしかなかった。

筆者は双極性障害、いわゆる躁鬱病の診断を受けたわけではないのだが、少なくともその傾向があると自覚はしている。
高校の頃3つ兼部して生徒会長やりながら4時間睡眠で大学受験に挑んでノイローゼになったあたりからその傾向は自覚していた。
ガーッとやる。そしてガーッと何もできなくなる。

社会人になってバイクにハマったときには、バイクで長距離を走ることだけが幸せだと思い込んでいた。お盆休みに3500km走ったこともある。
思えば司法試験なんざ始めたのも躁の産物だったのだろう。

ここのところは逆に「何もできない」時期が続いていた。
現実のトラブルだとか、逆にやや単調さが続いている仕事と変わらない日々に精神がすり減っていたらしい。
職場(フルリモート)の環境はとても良い。
それどころかフリーランスなのでフルタイムで働いてすらいない。
にも関わらず、精神は摩耗していく。

『躁鬱大学』の内容は全部引用したいところなのだが、それはただの転載なので、ごく一部引用したい。

躁鬱人にとって重要なのは「なにをやるのか」ではありません。そうではなく「どれだけ多彩か」ってことだけです。

『躁鬱大学』p.85

「『この道一筋』は身に合いません」
 もうこれは頭に入りましたね。浅く広く行きていきましょう。浅く広く生きていることに自信を持ちましょう。

同上 p.183

思えば、ここ1-2年は生活を狭く狭くしていた。人と会うことも減らし、SNSもやめて内に内にこもっていた。
いわば自己充足できる人間を目指していた。

だから『こづかい万歳』などという自己充足した人まみれの漫画などにハマっていたのかもしれない。

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『躁鬱大学』を読んで色々と悟ってしまった。
この道一筋、自分自身で何かを見つけるなんてことは自分には無理なんだろうなぁ、と。

思えば仕事が上手く行っていた……というより、勢い任せでなんとか頑張れていた頃は、積極的に他人に振り回されていた気がする。
自由主義者で個人主義者だから他者に抑圧されるのは大嫌いなのだが、他人に頼られたり思わぬチャンスを与えてもらうことが嫌いというわけではなく、交流会やら飲み会やらに積極的に参加していた。

ここのところ、あまりそういったことに意味を感じられなくなり、人との交流が著しく減っていた。
そして先述した通り、SNSには色々失望してアカウントを削除していた。

さて。
急に話が変わるが、先日、久々にキャンプに行った。
SNS……具体的には旧TwitterことXのメインアカウントは削除したのだが、厳密には連絡用のアカウント(フォロワー、フォローともに1人)が残っていたため、たまにトレンドを見たり、このブログの反応を見るために残していた。
このブログもしょっちゅう更新していた頃に比べると反応が随分減ってしまった。それともXの仕様変更のせいだろうか?……いや、単純にこれだけ更新頻度が減ってXもやめたのだから当然だろう、自業自得だ。

それでもたまに見ると、過去の記事に反応を頂けていたりする。
よく反応を頂いているのがこの記事だ。

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久々にキャンプ場で読み返してみた。
そしたらすっげぇ泣いてしまった。
30代がボロ泣きである。
自分の文章でボロボロに泣いてしまった。

どこに消えたんだ。
この情熱は、どこに消えたんだ!?
どこにあったんだ!?

今の自分が抜け殻のようになってしまっていることが、本当に悲しくて悲しくて、どうしようもなくなってしまった。
……まあそれでも、キャンプに行くくらいの元気はギリギリあったわけだし、今も情熱は形を変えて残っているのかもしれない。
それでも、何か自分の根本的な変化を感じざるを得ず、キャンプ場で涙が止まらなかった。
なお平日でキャンプ場は空いていたし、声を出さないように泣いていたので、あまり他のキャンパーに迷惑はかけていないはずである。念のため。

しかし……
情熱というか、何かしら喪失した熱のようなものを取り戻すためには、今の腑抜けた自分には少し時間がかかりそうだ。
内に内に向かってもダメなことは重々理解した。
もう他者に頼るしか無い無力感を覚えている。
誰か僕を救ってくれないか。

SNSをやり直してみようか。
でもTwitterはもう死んじゃったしな……たまにしかログインしないけれど十分わかる。イーロン買収前、「Twitterなんてスラムだよ」と思ってた。今はもうスラム通り越して地獄じゃないか。


まぁ……
躁鬱大学履修生として、無価値なことを色々やってみるしかないか。

気分屋が基本気質ですから、「気分屋的生き方をすると気分が安定する」という法則を大切にしましょう。コツはまずくだらない事を遊び半分でやることです。価値の無い事、無駄なことから始めましょう。そうすれば中途で止めてもがっくり来ません。価値あることをしてしまうと、しんどくなった時に途中でやめられなくなるから、損です。逆に無駄なことをどんどんやるのは、治療に役立つから無駄ではありません。気ままに散歩するとか、買わなくても良いから百円ショップに行ってみる、とかを薦めます。多様な刺激を脳に送り込む事になるから、それが躁鬱病の人の脳に良いのです。昼休みにB級グルメを食べに行きましょう。自分の気持ちが動いたものにフッと手を出す、これが大事です。通勤のコースを変えてみる、途中で道草してコーヒーを飲む、とかをしてみましょう。コーヒーの入れ方とかデザートの作り方とか、そういうことの薀蓄が増えるだけでプラスです。「この道一筋」というのは躁鬱病の人には似合いません。フアン・ファンと生きて、日々目先を変えるのがよろしい。多彩で幾分賑やかな時を送るようにしてください。生活を万華鏡のようにしてください。平穏と充実は両立します。

 

『躁鬱大学』サブテキストである『神田橋語録』より

https://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdf


さて。
余談だが、ChatGPTくんにも少し聞いてみた。



……。
賢いなぁ。

ではまた。(強引な締め方)