Minakami Room

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穏やかに生きたい

『鬼滅の刃』が好きだった。
実はブームの前から推していた。

mistclast.hatenablog.com

ブームの圧が強すぎて、少しついていけなくなってるけれど。

『鬼滅の刃』を読むと、「人は穏やかに生きていくのが一番」という作者の思想が見えるのは、僕だけではないだろう。
ブーム絶頂で連載を切り上げ、メディアへの露出も一切好まない吾峠呼世晴先生がその思想を実践しているように見える……というのは穿ち過ぎだろうか。

読んでない人にも説明すると、主人公の炭治郎は鬼になってしまった妹を元に戻すために苛烈な鬼殺しの宿命を負うことになる。
作中の登場人物も各々の理由で戦うのだが、鬼のいない世界、あえて軽く言ってしまえば「平和」を求めて、鬼の親玉からも「異常者集団」扱いされるような苛烈な自己犠牲の精神で鬼と戦う。

「穏やかに生きたい」。
仕事でどん底に近い経験をしたこともあり、最近その思想が強くなっているのを感じる。
そんな中、ふと昔のことを思い出した。

自称進学校の合宿にて

僕が入学した高校は、自虐的に言えばいわゆる「自称進学校」というやつだった。
だからそれなりに勉強はハードだった。

入学後、3-4日程だがひたすら勉強する合宿があった。
これがもう、とても辛かったことを覚えている。

その高校では、入学時、自分は上から数えて10位付近だったように記憶している。
入学後のテスト結果がそんな感じだった。
だから少なくともその高校においては勉強はできる方だった。

だが、僕にとって高校数学Iの「因数分解のたすき掛け」の概念はとにかく難しく、ヒーヒー言ってたのだった。
隣りにいたちょっと賢いやつはさらっと理解していた。
ヒー。

そして思った。
「中学の頃、頑張って勉強して良い高校に行って、高校に行ったらまた頑張って勉強する必要がある。これもう一生終わらないんじゃね?なんのために頑張ってるんだ?頑張れば頑張るほど余計にしんどくなるだけじゃねえか」
と。

高校時代の僕に言いたい。

 


大正解☆

我ながらなかなかの洞察力。その通りなのだ。ぐうの音も出ない。
「穏やかに生きるために頑張る」は、ある意味では矛盾なのだ。

だが、一つ例外があった。
色々ブチ抜いてしまうことだ。

ブチ抜けると一種の平穏が得られる

さて。
ヒーヒー言いながら頑張ってたら、なぜか模試で1位を取りまくってしまい、京大を目指すようになった。
どうも自分は模試に強いタイプだったらしい。

そしてノイローゼ手前になるまで、否、一度本当にノイローゼになるまで勉強したのだが、結果として……
高校の勉強は全てショボくなった。
少なくとも普段の授業でヒーヒー言うことはほぼなくなった。

「その集団でブチ抜けてしまえばいい」。
穏やかに生きるために穏やかさを捨てる。
脳筋戦法であり、鬼殺隊並に苛烈な発想だ。
マゾヒスティックですらある。

だがまぁ、なんか……さすがに……
そういう生き方、ちょっと疲れた。

平穏は心のなかにしかない

鬼殺隊の如き精神力で苛烈に自己研鑽を積み上げていけば、まあ食いっぱぐれることはなくなるだろう。
IT系の仕事についてから、一応資格は6つくらい取ってる。
でもそれって何かが間違ってる気がする。
(まぁそれは今ITに対する興味と自信を喪失気味だからっていうのもあるけれど)

結局、仕事ができなくなったり、食いっぱぐれるリスクなんて常にあるもので、「それが絶対にない状況を探し続ける」のは青い鳥を探すようなものだ。
「リスクのない平穏な暮らし」なんていうありえないものを追い求めるくらいなら、「リスクはあるけれど心は平穏」っていうところを追い求める方が良いだろう。

結局、心が全て、主観世界が全てっていうことになる。

そりゃあとても極端に悪い環境からはさっさと逃げるべきだけれど、ある程度まともな環境を見つけたら、あとは自分の心の方を変えていかないと、一生「青い鳥」を探すようになってしまうのではないか。
必要なのはどこでも生きていける力ではなく、どこでも生きていける心なのではないか。

……とは言っても、なぁ。
やっぱり、何かここではないどこかに、自分みたいな不器用で(あえてはっきり言ってしまえば)繊細に過ぎる人間が穏やかに生きていくための方法と空間があるんじゃないか、と期待してしまうのです。
それはまだ見つかってないだけなんじゃないか、と。

……さて、と。司法試験の勉強の現実逃避終わり。
勉強するか。
……俺、本当に弁護士になりたいのかな……穏やかな人生とは……