Minakami Room

旅を続ける。考える。自由である。生きている。

楽に生きられない

「京大入ったら後の人生楽だろうなぁ」
そう思っていた。実際あのコスプレ卒業式写真を見たら、そう思うのも当然だろう。

mainichi.jp


高校生の頃、そんな思いから京都大学を目指すことにした。
今、当時の自分にこう言いたい。

「勉強ってやつはな、すればするほど楽になるんじゃない。すればするほど余計に勉強の必要性に追われるんだ」と。

「楽に生きるためには、不安も、恐怖も、不幸も麻痺させて、愚鈍で怠惰で無能な自分を受け入れるだけの鈍感な精神を手に入れるしかないんだよ」とも。

「そして、多分それはお前には無理だ。お前にそんな勇気はない」。
「自分を愚鈍で無能だと受け入れるだけの勇気は、お前にはないよ」。

……この言葉は、本当に今の僕が高校生の僕に語りかけているのだろうか?

それとも、今の僕が今の僕に語りかけているのだろうか。

楽に生きたい

楽に生きたい。心からそう思う。
誰かに命令されて必死こいて生きたくない。
その思いは、ここ数ヶ月でまた再発している。
まあ今、色々あって極めて自分に合わない仕事に巡り会ってしまったからなのだけれど。
幸いその仕事は10月で(ほぼ)終わりだが、結果的に自分の職業感に対して大いなるトラウマを抱くようになってしまった。

はっきり言ってしまえば、僕はITエンジニアでそれなりにゴリゴリやってきたのだが、ITが割と嫌いになってしまったのだ。

はっきりとした気持ちの沈み込みを感じていた。
「どう楽に生きるか」ばかり考えていた。

セミリタイア動画を見たり。


www.youtube.com


pha氏の本を読んだり。

大原扁理氏の本を読んだり。

移住について調べたり。

そして、そんな日々を繰り返した僕は。

司法試験の勉強を始めた。
今、2ヶ月で100時間ほど勉強し、1ヶ月50時間だと短すぎるなぁ、と勉強時間の増やし方を悩んでいるところである。

……どうしてこうなった。

楽しくない

楽に生きたい。その言葉に嘘はない。嘘はないはずなのだ。
だが、楽してると楽しくないのである。

……いや、これは違うなぁ。いかにも意識高い系ビジネスマンが言いそうで反吐が出る。

早めに仕事を切り上げて、仕事を忘れてストイックにゲームする。YouTubeを観る。映画を見る。酒を飲む。
これでいいのだ、と思う。

思うのだが……
……思い、きれないのである。
ぼんやりとした不安が自分を覆う。

それは僕がITエンジニアという基本的に勉強必須の世界に身を置いているからかもしれない。
だが、ITエンジニアは全員が勉強しないと生きていけないかと言えば、そうでもない。
高望みしないのであればそれなりにやっていける。
少なくとも、「5年勉強してないからクビ!」みたいなことにはそうそうならない。
まぁめっちゃしんどいことにはなるだろうけど。

……めっちゃしんどいことにはなるだろう。
……めっちゃしんどいことに。
なるだろう。

……僕は。
この、「予期不安」に、めっぽう弱い。

いや、予期不安に強い人なんてこの世にはいないのかもしれない。
それが生物の摂理だからだ。
現在の人類は、予測し、不安になることで外敵から食われなかった生き物たちの子孫であるという話を聞いたことがある。

結局、安心を得るためには不安を消すほど将来に備えるしかない。
だがそうすることで「今」は削られていく。
特に「ITエンジニアとして生存するためにITの勉強をする」のループには疲れた。
勉強しても勉強しても、楽にはならないのだ。
「キャリアアップ」は楽になることを意味しない。
今の位置に留まる辛さを取るか、キャリアを重ねる辛さを取るか、それだけの話だ。
どちらかを取れるだけマシだ。
自分のように、第三の選択肢に縋る人間もいるだろう。

今の自分に半隠居する勇気は無い。大型バイクのローンも残ってるし、バイクから降りる気はない。
あるいは仮に半隠居と言わずとも移住したとして、「どんな辛い仕事でも、どれだけ年収が下がっても、この場所で仕事ができるだけ十分なんです!」と言って辛酸を舐めるような生き方はしたくない。

地方で生きるのが楽ならばそうしている。
でも、本当は東京が一番僕みたいな人間にとっては楽なんじゃないか?という気もしているのだ。

そうして真剣に死ぬほど自己分析を繰り返した結果、なぜか司法試験の勉強を始めていた。
本当になんでだよ。

そんな自分に酔っている

結局のところ、そうやって苦しんでいる自分を愛してしまっているのかもしれない。
ネガティブでいることで誰かに優しくされることを望んでしまっているように。
いわゆる「疾病利得」というやつだ。

ごくシンプルに「リスクを恐れている」というのも否定できない。
楽しく生きるためには、リスクを気にしない精神が必要だ。
それを意識しているかどうかは別だが。

大原扁理氏のように「年収90万円でハッピーライフ」って、独立起業のリスクより大きなリスクを取る勇気が必要な気がする。
そんな恐ろしい選択肢はなかなか取れるもんじゃない。

……まぁ、心のどこかではそういったリスクを取って、(大原扁理氏を悪く言ってるわけではないが)途方もなくぶっ飛んだ選択を取りたいという気持ちも心にある。

それと比べると、司法試験の勉強を始めるなんてものは、いたって常識の範疇で、なんら不思議はない。
世に医者と弁護士のダブルライセンサーは100名程度いるらしい。医療の勉強と司法の勉強を並立させるのと、ITエンジニアとしての勉強と司法の勉強を並立させる難易度は、おそらく後者が圧倒的に低いだろう。

本当に嫌いなこと、本当に嫌なことは、人間できないようになっている。
それでもなんとなくやっているということは、何かそこに、それなりの理由があるものなのだろう。
……まぁその枠組みすら超えてしまって、仕事で精神を病んでしまう人も多々いるわけだけれど……

とは言いつつ

やっぱ移住してえなぁ。落ち着いたところで楽に生きたい。
だってダルいじゃん、生きるの。
忙しない流れに自分を置きたくない。
東京がやっぱり嫌いじゃないけど、嫌いだ。
仕事のストレスを取らなきゃ、という強迫観念じみた気持ちって、そもそも仕事のストレスが適度なら抱かなくていいわけでさ。

そういった悪いストレスから解放される、幻想みたいな仕事無いかなぁ。
それとも幻想と思い込んでるこの気持ちこそが幻想で、みんなそこまで追い込まれてないのか。
「幻想の中の田舎移住生活」みたいなのに憧れて、思い込みの中の田舎に移住するくらいなら、法律の勉強を選びたい。
結局どこまで幻想で、どこまで現実なのかなんて、リスク取らないと分からないんよね。

あー、なんていうか。
心底、本当に。
生きにくいなぁ。

……さ、勉強しよう。

ついでに

せっかくなので移住やお仕事のご紹介、募集してます。
諸事情ですぐには動けないですが。