Minakami Room

旅を続ける。考える。自由である。生きている。

このブログのこと、僕のこと

こんにちは。
初めての方、はじめまして。
いつもお読み頂いている方、ありがとうございます。

Mistirと申します。

このブログに興味を持っていただきありがとうございます。
結論を言えばこのブログは「筆者Mistirが好きなように思ったことを書くブログ」なのですが、好き勝手書きすぎてひどく乱雑なブログになってしまいました。

ということで、一度このブログのことと筆者のことを紹介させてください。

 

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呪われて生きてたことに気付いて、それが解けて、別の呪いに気付いた話

こんにちは、Mistirです。

僕は東京で働くエンジニアなのだが、たまに何もかもを投げ出したくなるときがある。
技術屋としてあまり前向きにやれてる気はしていないし、たまに何もかも投げ出したくなる。
そうでなくても半年ほど前から引きずっている女性関係のトラウマと、モテなさを拗らせすぎて僕の心は痛み続けていた。
おまけに急性腸炎で身体もボロボロだった。

そんなとき、僕はとりあえず伊豆半島までバイクで行くことにしている。
明確な理由があるわけではないのだが、「いつここに引っ越して、ここでやり直してもいい」と思うため……といえば一番分かり易いだろうか。

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ということで今週末、やっと回復してきた身体を引きずって伊豆半島までツーリングに行ってきたのだが、思わぬ収穫があった。
自分の中にあった大きな呪いに気付いた。ある呪いは解け、また別の呪いに気付いた。
今回はそんなお話。実は伊豆半島自体はほぼ関係ない。

 

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格好良いオトナになりたい

こんにちは、Mistirです。

ずっと、格好良いオトナっていうよりも格好良い人間、格好良い男っていうのは自分の好きなことを自信持ってやってる、ブレない男のことだと思っていた。
周囲の目も気にせず、自分を貫く存在。
僕はずっとそうやって生きてきた。

あるかないかも分からないような周囲の目を気にして考え方を曲げたり、自分を偽ったり。そんなものは愚か者の行為だと思っていた。
そんな「格好悪い」生き方は許容できなかった。

そんな自分の信念に従って生きてきたつもりだった。
それは決して、間違った道ではなかった。

だけど、その道のどこかで僕は何かを間違ったのだと思う。
どこかでそのスタイルは僕を苦しませはじめた。

「僕よりも、好きなことに熱中している人が羨ましい」
「僕よりも、ブレない生き方をしている人が妬ましい」
手段と目的が入れ替わっていた。
悔しかった。
最終的には、あらゆるものが許せなくなった。

結果として、僕は。
とても格好悪いオトナになっていた。
あるいは僕は、オトナでさえなかった。
ただただ醜いひとつの存在だった。
何もかもが中途半端だった。

だから今思う。
格好良いオトナになりたい。
格好良くなりたい。
誰からも認められる、そんなことは言わない。
だからせめて。

自分だけは認められる、格好良いオトナになりたい。

……急性腸炎を発症してゴールデンウィークが11連休になってしまった。
熱は下がったけどまだ腹が痛む。
そんな中、ずっとこんなことばかり考えていた。
それだけの話です。

お読み頂き、ありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。

 

吾輩は陰キャである

吾輩は陰キャである。
名前をMistirという。

どこでこうなったのか頓(とん)と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でわんわん泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。
しかもあとで聞くとそれは陽キャという人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この陽キャというのは時折吾輩を嘲笑うが基本同一種族のみで完結しており、吾輩に干渉しないことのほうが多い。だが吾輩を含む我々陰キャは同一種族のみで完結しているようで微妙に完結しておらず、かの陽キャらの生態を眺め見て「我らはこうはならぬ」という醜悪で贋作に他ならぬ決心を抱き、その実羨望に満たされながら血涙を流すのだ。

ーーMistir『吾輩は陰キャである』より引用

www.asahi.com


茶番ここまで。
もうやりたいこと終わったのであとはおまけです。

 

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『宇宙よりも遠い場所』が僕らに残してくれたもの

こんにちは、Mistirです。

「生きていてよかった」
そんな夜を探していると、フラワーカンパニーズは『深夜高速』で歌った。

www.youtube.com


「生きていてよかった」。そう心から思える作品に出会えることは稀だ。

僕らはいつも、何かの作品に対してクソだのなんだのと、時には貶し、時には絶賛しながら、たくさんの作品を消費している。
多分前期アニメで最も話題になった作品は『ポプテピピック』で、意図的に練り上げられた、洗練された「クソ」に対し、半ば呆れながらも僕らは賛辞を送った。

でも。
『ポプテピピック』の流行の裏で、……視聴者の大半が絶賛した、「怪物のような」作品が放送されていた。

僕はその作品があまりにも面白いと人づてに聞いたから、最終話が放送される頃にまとめて観た。

全話見て、僕はーー
言葉を、完全に失った。
毎話毎話、気付いたら僕は涙を流していた。
4話あたりから量を増していく涙は、12話で僕に過呼吸を起こさせ、最終話で僕は笑いながら泣いていた。
実際問題12話は「ボクサーのジャブを食らってると思ってたら急に両手両足を日本刀で叩き斬られた」ような強さがあった。

「この作品に出会わせてくれてありがとう」と、感謝の気持ちで満たされるような作品。「生きていてよかった」と、そう思わせてくれるような作品。

その作品の名はーー

yorimoi.com

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『宇宙よりも遠い場所』だ。

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胸が熱い。まだその感覚が抜けきらない。

正直、これほどの作品に対して「言葉を尽くす」ことに意味があるのかと……
そんなことを言われても仕方がないほどの大傑作だと思っている。

それに、既に先人たちが素晴らしい批評を残してくれている。

xckb.hatenablog.com


だけど……
語らなければならないのだ。
それが僕にとっての……この作品に対する、向き合い方なのだ。

長い夜になる。
僕は1話から改めて『宇宙よりも遠い場所』を観ながら、少しずつ、少しずつこの作品を語ろうと思う。

さぁ、語ろう。
淀んだ水は、流れなければならないのだから。

※!この記事は最終話までのネタバレを含むので、必ず最終話まで観てからお読みください。

 

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「潜在的差別主義者」を「正しさ(あるいはポリコレ棒)」でぶん殴って一体どうなるの?

こんにちは、Mistirです。

話題になっている記事がある。

yuhka-uno.hatenablog.com


以前話題になった記事

withnews.jp

に対する(概ね批判的な)批評なのだけれど、この記事が結構絶賛されている。
筆者の宇野ゆうか氏のことを僕はよく知らないのだけれど、この記事に関しては確かに「正しい」と思う。

そう、とても「正しい」。

だけど、同時にとても「危険」だ。
もっと言えば「マイナスが大きすぎる」。

この記事が語っていることは「正しい」、故にそれを批判する僕も大いに批判されるかもしれない。
けれど、これは絶対に語らなければならないと思った。
「正しさ」を目的とすると、結果が良いものになるとは限らない。

……できれば上の2つの記事を先に読んでから、この記事をお読み頂けると嬉しいです。
※この記事には何度も「正しい」という言葉が出てきますが、意図的に多義性を含ませています。「(少なくとも一見して)筋が通っている、あるいはそれ以上のエビデンスが含まれている」という程度の緩い定義で読み替えてください。場合によっては「(自分にとっての)正しい」の意味で使っていることもありますが、ご了承ください。

 

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情報に溺れず、情報を探すということ

SNSから離れています。

mistclast.hatenablog.com


そして、なんというかできればニュースも見たくないです。
もう僕は政治に触れたくないです。多分お気持ち分かってくれる人も多いと思う。


そして最近、僕は
『宇宙よりも遠い場所』の第一話を見ました。

yorimoi.com
なんなんですかこれは。
一話から空気感だけで泣いちゃうやつじゃないですか。
ああもう語りたい。既に語りたい。

……悔しいのが。
このアニメを僕が見るきっかけになったのが、……離れる前にTwitterで話題だったことを思い出したからなのだ。

つまり、今後はこのような情報は得られない、ということだ。

ああ。
……できれば。
寝てるときとかに脳内に直接
「聞こえますかMistir……観るのです……宇宙よりも遠い場所を観るのです……」
って女神が語りかけてくれないだろうか。
Wi-Fiも高速化してるんだし、それくらいできるだろう。

どうしたらいいんだ。

「誰か僕に情報をくれ」と叫びたいところだけれど……
……これだけだと、新手の乞食ですね。うん。「情報乞食」。新しいジャンルだ。

とまぁ今色々模索してますっていう、それだけの話です。
終わり。

 

「僕は変人だ」、それはいつしか呪いとなった

「自分は変人だ」と言う奴は変人じゃない。
とても有名なテーゼであり、しかも高確率で当たる。

「私変人って言われるんです~」と、その定型文を定型文のまま語る人はあまりお目にかかったことがないが、それに近しいことを言う人がホンモノの「変人」であると思ったことは基本的にない。
近頃それに近しいことを言っていた人がいたが、
「ああ、君はその性質が『変』とされるコミュニティで生きてきたんだね。羨ましくもあり、同時に羨ましくなくもある」
と、微笑ましいような歯がゆいような、複雑な気持ちを抱いた。
もちろんそれを口に出さない程度の節度は弁えていた。

僕も基本的に、上に掲げたテーゼ……
「自分は変人だ」と言う奴は変人じゃない、というテーゼを信じているけれど……
それでも、たまに思うことがある。

あらゆる人から、あらゆる表現で。
「お前は変人だ」と言われ続け。
そして「まぁ、そうなんだろう」と認めた僕が。
今更「僕は普通だよ」と主張できるだろうか?と。

むしろ「僕は変人だ」と、声帯を使ってあえてそう主張しなくても。
僕は頭の先から足の先まで全身で、相手の五感全てに訴えているのではないか、と。
「僕は変人なんです、分かってください」と。


そして僕はいつしか探し始めた。
僕のことを理解してくれる人を。
そして、幸運なことにたまに「理解してくれる人」あるいは「それに準ずる人」は現れてくれた。
だけど僕がそれを幸せに感じることはあまりなかった。

何故だろう。
僕は考えた。最近はSNSから離れ、なるべく世間の情報を遮断している。
色々と本を読んで、考えた。

そして気付いた。
……いつの間にか、僕にとって「変」であることはただの呪いとなっていた。
呪いであり、同時に……
つまらない言い訳だった。

 

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Twitterよりテレビの方がマシだったのかもしれない

こんにちは、Mistirです。

Twitter依存です。
長いこと気付いていたけれど、何度やめようとしても戻っていた。

結局のところ、「Twitterが自分にとってクリティカルに有害である」ってことに気付いてなかったのかもしれない。
でも今は、確信に近い。

タイトルは非常に逆説的で、僕はテレビを持っていないし、基本的に信用していない。
だが……今なら思うのだ。

真実を知るというレイヤーで、テレビがもう有効性に欠けるという確信は未だに揺らいでいない。

だが。

幸せになるというレイヤーで、インターネットがどうしようもない存在であるという事実。最近はそのことを確信し始めているのだ。
少なくとも、僕のような存在にとっては。

 

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