MistiRoom

それでも、何かを語るのだ

単純に生きられない

こんにちは、Mistirです。

あー……
昔に戻りてえ。

じゃなくて。
厳密に言えば、今の状況を知った上で、昔に戻りたい。


 

昔、というか、高校の頃までのお話だ。
今思うと、エライ残虐な世界で生きてきたなあ、と思う。

高校は他にも色々な要素があるけど、今思うと、「単純」だった。
テストの点さえ取っておけばいい。
物凄く乱暴に言ってしまえばそうだ。

いや、ホントウのことを言えばそれは間違いだ。
高校時代ほど、複雑な時代はない。高校時代ほど、あらゆるものごとがカオスに見える時代はない。
それは確かだ。

だけど、悩んだら「テストの点さえ取っておけばいい」。

今思うと。
今、この時点から振り返って考えてみると。

変な話だ。
テストの点さえ取っておけば、人生の多様性が根本的に変わってくるのだから。

勉強のスキルって、確かに人生のあらゆるところで役に立つんだけど、そこまで極端に普遍的なものかというと、そうでもない気がしている。
でも。
それでも、東京大学に入れるほどの勉強のスキルを持った人間(=テストで点が取れる人間)と、そうじゃない人間では、後の人生の「多様性」に根本的に影響してくる。
分かりやすく言えば、東大に入っとけば後で色々選びやすくなる。
単純な話だ。

でも、昔から「勉強だけ出来るだけじゃ社会で使えない」みたいなことを言う人は一定数いて、それを戯言だって流すこともできるんだけど、一面的には確実にそれは正しい気がしている。

テストだとか、学力だとか、そういった……
単純な世界で戦うこと。
そのスキルは、社会では問われない。
いかに複雑なものを相手にして、いかに複雑なものの中から自分で自分に「何で点を取りたいか」を問い続けること、それができること。
そういったことが求められる。

ややこしい言い回しをしたけど、なんというか。
社会は、どうも僕にとって、もやっとしていて、複雑すぎる。

世界は単純だ、とアドラー心理学は言っている。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 ホントウだろうか。

世界を複雑に見ているのは、僕自身の問題なのかもしれない。
でも、時折本当に面倒になる。

誰か、僕にテストを与えてくれ。
100点満点のテストで、70点以上を取れば十分だと、僕に言ってくれ。
と、たまにそういったことを言いたくなる。

まあ、分かってはいるのだ。
大学時代以降は、テストを用意するのが自分になる。それだけの話なのだ。

でも。
世の中には、自分に50点以上をどうしても与えられない人間もいるのだ。
向上心が高い?ノン、そんな良いもんじゃない。

ただ、道が見えなくて、基準が見えないだけだ。
僕の100点は一体、なんなんだ?

アドラー心理学的に言えば、「ここに生きてる」だけで100点。
読めばわかるけど、それが「ナンバーワンにならなくてもいい元々特別な……」的思想から来ているものではないことがわかる。

でもなぁ。
そんな単純な話か?

……ここまで考えて分からなくなる。
僕は結局、どっちを望んでるんだ?
単純な世界か、複雑な世界か。
どっちで生きたいんだ?
理屈では、単純な世界を望んでるハズ、なんだけどさ。

……と、まあ。
ぼーっと考えてたことを、せっかくなので言葉に残しときました。

こんな面倒くさいことをわざわざ考えてた理由は。


さっき見てた『亜人ちゃんは語りたい』の8話がテスト回だったからなんですけどね。
やっぱ、僕は自分で自分の人生を複雑にしてる気がするな……

ではまた次の記事で。
お読み頂き、ありがとうございました。