MistiRoom

"僕の足に絡んだ蔦は あの日蒔いた種だった" 吉井和哉『Island』より

冷笑に抗え

この「冷笑」はさすがにヤバい、と。
そう思うことがあった。

何のことかは言いたくない。
もう世の中の有象無象の事象に対してブログで批判する気は起きないからだ。
だから「ああ、あの件ね」と分かる人だけ分かって貰えればいい。

「冷笑」という一般的な事象について話したいと思う。

沖縄のこと

僕のバイブルである『こづかい万歳』を描いた吉本浩二先生の過去作に、アマプラオリジナルでドラマ化もされた『日本をゆっくり走ってみたよ』という作品がある。

「強くなって好きな女性に告白するために日本を一周する」という分かるような分からないような趣旨のノンフィクションなのだが、そんな趣旨にも関わらず性欲に負けて風俗に行くシーンがあり味わい深い作品である。
怪作『こづかい万歳』を描いている吉本先生らしい作品である。

その中の沖縄編にこんな話がある。

本当のことかどうかは分からない。
ただ、吉本先生がこの話を聞いたこと自体が事実であるという蓋然性はかなり高いと思っている。
理由は吉本浩二という漫画家がどう考えても政治を語るタイプではないからである。
こづかい万歳を公開されてコミックDaysで毎月単話購入し、かつ単行本も購入している僕だから分かる。
沖縄編のこのシーン以外で吉本先生の漫画に政治色を感じたことはない。

……というのは半分本気、半分冗談として。
別にこれが事実であろうが嘘であろうが、実のところどうでもいいのである。

大事なのは、「もしかしたら、そんなこともあるのかもしれない」ということだ。
「そんなことがある」のだとしたら、沖縄の人たちが基地のことで抗議することも理解できる。

そして、矛盾するようだが……
「もしかしたら、そんなことは一切ないのかもしれない」ということも大事だ。
もしかしたら吉本先生が脚色を加えているのかもしれない。
この夫婦の誤解なのかもしれない。
本当のところは、誰にも分からない。

そう、現地に住む人以外には。
あるいは、誰よりも学んだ人以外には。

「だから沖縄の外の人間は沖縄の問題に一切口を出すな」などと極端なことを、それこそまさに「沖縄の外から」言う気はない。
けれど、「知らずにとやかく言う」、特に「知らずに『冷笑』する」のは、さすがにどーなのよ、と思う。

「冷笑」の対義語

「冷笑」の対義語は何か?
僕は「悔しさ」だと思う。
この世のどんな辞書にもそうとは書いていない。
辞書に載っていることがこの世を定義するのではない。

そもそも、「これは僕の感想」に過ぎない。
これは僕のブログなのだから、僕は感想を語る。

「冷笑」の対義語たる「悔しさ」とは何か。

「冷笑」されることを悔しく思うこと。
それに抗うだけの知識が自分に無いことを悔しく思うこと。
「冷笑」する人たちが知識ではなく揚げ足取りに終止し、本質的な議論が進まないことを悔しく思うこと。
「冷笑」されている人たちを見て悔しく思うこと。

「冷笑」に唯一抗い得るのは、その気持ちだけなのだ。
そして、その感情は尊い。
僕はそう思う。

ところで、過去に自分を批判する人たちを「冷笑的な人たち」と切り捨ててしまい、炎上してしまった人がいる。
「冷笑」か「冷笑」じゃないか。
それはどう区別されるものなのだろうか?
これも辞書には載っていない。
だから自分で判断するしかない。

大事なのは、「何が冷笑か」じゃない。
大事なのは。
「自分が冷笑に陥らないこと」だ。
「冷笑に抗う」だけの知を欲することだ。
「冷笑に抗い」ながら、「冷笑に陥らない」ように、自分を俯瞰することだ。
そして悔しさを抱き続けることだ。

冷笑に、抗え。

「ツッコミ」に終止するな。

mistclast.hatenablog.com

それは僕にとって、生存戦略でもある。

お読み頂きありがとうございました。
ではまた。