MistiRoom

"僕の足に絡んだ蔦は あの日蒔いた種だった" 吉井和哉『Island』より

あらゆるものを、なんとなく愛する

僕には好きなものが特にない。
食欲と睡眠欲と性欲とアルコール欲があるだけだ。
そんなことを思っていた。

あるいは、自分は「好きなもの」との距離感がおかしい。
そういったことばかり考えていた。

mistclast.hatenablog.com

未だにそう思う。
僕は「好きなもの」との距離感がちょっとおかしい。
でも、それは「好きなものが無い」とは、なんかちょっと違う気がしてきた。

(『ブルーピリオド』1巻 2話より)

このページを見たとき、「ちょっと齧っただけで『好き』とは良いご身分だな!」と思ったことを記憶している。*1
なぜこんなひねくれたことを思うのか?

過去を思う

魚が好きだった。金魚が好きだった。釣りが好きになった。ゲームも好きになった。教育学部を目指した。文学部に入った。ドイツ哲学を学ぼうとした。ドイツ語を学んだ。フランス文学を学んだ。漫研に入った。絵を学んだ。ITを仕事にした。独立までした。バイクを好きになった。

僕の人生は「好き」に彩られている。
けれど僕はそれを肯定できなかった。
なんとなく、「何も好きになれなかったヤツ」の人生にも見えるからだ。
どっちが正しいのか?
それを考える前に、ひとつヒントがある。

モンハンを思う

モンスターハンター』というゲームがある。

知らない人はほぼいないだろう。
知らない人は「モンスター」を「ハント」するゲームだと思えばいい。

僕はモンスターハンターポータブル2ndの時代からプレイしている。

ところで、このモンスターハンター(以下モンハン)というゲームには、「太刀」という武器がある。
かつてのモンハンではそこまで多様な技があるわけではなく、でっかいモンスター相手に……
縦斬り!
突き!
切り上げ!
縦斬り!
適宜回避!
縦斬り!
……の延々ループで戦っていた。
この戦略を「古典的竹槍戦法」と名付けよう。
もしかしたら僕が知らなかっただけで、もっと色々な技術があったのかもしれないが、とにかくこの古典的竹槍戦法に毛が生えたような戦法だけで戦ってきた。*2

1年ほど前、当時最新作だった『モンスターハンター ライズ』もなんとなく買った。
そしてこの古典的竹槍戦法で戦ってみた。
勝てた。

なんか楽しくなって調べてみる。
どうも今作の太刀は「カウンター」が非常に強く、「必須」であるらしい。

面倒くさくなった僕はしばらくモンハンから離れた。
(事象1)

その後、「カウンター」が面倒くさかった僕はスラッシュアックスに乗り換えた。
オンライン*3は面倒だったので延々一人でやっていた。
どうもオンラインに迂闊な弱い装備で入ると「地雷」認定されてしまうらしい。
ネットで読んだ。
ゲームでまで僕は人に気を使いたくないのである。

リアルの知人に「今作は参加要請だけして戦ってたら勝手に入ってきてくれるから楽だよ」と言われ、そこからオンラインを始めてみた。
普通に楽しかった。
(事象2)

どういうこと??

まず、事象1について。
別に「古典的竹槍戦法」で延々やっても良かったのだ。けれど、「もっと良い方法がある」「これを知っていなければ」みたいに考えてしまうと、急にそれは「義務感」の形になって襲ってくる。
「義務感」は「面倒くささ」に転嫁する。
それが耐え難かった。

次に事象2について。
別にそうそう簡単に「地雷認定」などはされないし、そもそもみんながみんな「完璧な」前提で挑まないといけないとするなら、それはもはやゲームではない。
そもそも「地雷認定」されたところでそれを認知する手段はない。

いざやってみると確かに僕はプレイが下手くそでよく死ぬのだが、周りも死ぬのでどっこいどっこいだし、もちろん死なずに終わることも多々あった。

僕は事前になまじっか情報を仕入れていたため、過剰にハードルを設定していた。
「過剰なハードル」を超えねばという感情は「義務感」となり、それは「面倒くささ」に転嫁する。

けれど、どちらも「義務感」も空想、妄想の類に過ぎないのである。

なら、自らの「好き」を阻害する要因とは、「妄想の義務感」であると結論づけて良いのだろうか。確かにそれは結構大きそうだ。
けれど、本当にそれは「妄想」と片付けていいのか?

「勝つ」こと

短距離走が好きな人がいる。
でも、「延々自分の記録とだけ戦える人」はなかなか少ないと思う。
「誰かに勝つ」という経験一切抜きに楽しめる人も、いるにはいるだろうが、少ないのではないか?

多くの短距離走者は「誰かに勝つ」ことも含めて「好き」と言っているのではないか?

だとすると、「もう何も努力せず余裕で常に勝てる」っていう奇特な人以外は、「好き」を維持するのに苦労するのは、当然なんじゃないか?
……と。
こう思う一方。
全く逆に、こう言う人もいる。

「○○で成功するためには、そのための苦労では折れない程度の才能がないと無理」と。

あと、僕は割と上手くIT業界に馴染んでる方だと思うのだが、こんなことを言う人もいる。
「何も言われなくてもプログラミングしてるくらいの人じゃないとIT業界は無理」と。

……んー?
だったら、何も好きじゃない僕は何にもなれないんですかね?(怒り)
はー??
僕IT業界で結構上手く生き延びてるんですけどー!?

もういいや、何もかも嫌いになってきた。
YouTubeでも観よ。

「苦労して」「勝つ」ことを目的にするなら、「好き」と言っちゃ駄目なのか?

今更だが、『ブルーピリオド』は高2で初めて絵に目覚めた主人公が、東大よりも難しいと言われる東京藝術大学を目指す物語だ。
過酷な受験模様が描かれる。

そもそも、よく考えると……
否、全く考えなくても分かる。

それが苦労しねえわけがない。

英語の勉強もそうだ。
幾ら英語が好きでも、英検1級を苦労せず取れるわけがない。
法学もそう。
苦労せず司法試験に合格できるわけがない。

だったら、それらに「挑んだ」者は、あるいは「挑みきれなかった」者は、「諦めた」者は、「好き」を語る資格が無いのか?
「苦労しない」何か、例えばYouTubeを眺めること以外、「好き」って言っちゃ駄目なのか?

そんな馬鹿な話があって良い訳がない。
苦労することもある、心が折れることもある、どうでもよくなることもある。
それでも「好き」と言っていいのだ。
だがそもそも、なぜこんなに「苦しい」のか?
そもそも俺は長々と語って何が言いたいのか?

愛されたいと願ってしまった


www.youtube.com

あなたに逢えた それだけでよかった
世界に光が満ちた
夢で逢えるだけでよかったのに
愛されたいと願ってしまった
世界が表情を変えた

これなんだよ。
本当にこれなんだよ。

絵、描き始めたら藝大に挑みたくなる。
走り始めたら、誰より速く走りたくなる。
法を学んだら司法試験に挑みたくなる。

それは「不純」じゃないんだ。
挑みたくなること、そこからインセンティブを得たくなること。
言い換えると、「応答」を得たくなること。
それは「愛されたいと願うこと」に他ならないのだ。

だが「愛されたい」と願うと、世界が表情を変える。
苦労が、苦痛が、渇望が、あるいは面倒くささが身を焼いてくる。
そういったものを与えないもの……酒とか、セックスとか、睡眠とか、そういったものだけが「好き」なのではないかと、自分を疑い始める。

結論を述べよう。
僕が「自分には好きなものが何もない」と思っていた理由。
それは「知りすぎたから」だと思う。
モンハンの「事象1」「事象2」の理由も、ここに収束する。

「愛されたいと願ってしまう」と……
「世界が表情を変える」ことを、あまりにも知りすぎてしまったからなのだと思う。

それでも、愛していい

「愛されたいと願ってしまった」ら、……
抽象的な書き方をせず言うと。
東京藝術大学に受かりたいと思ってしまったら」
「司法試験に受かりたいと思ってしまったら」
「小説家になりたいと思ってしまったら」
「プロのプログラマになりたいと思ってしまったら」
世界は表情を変える。
けれど、「愛されたいと願ってしまった」ことが間違っているわけがない。
「愛されたいと願う」資格が無いヤツなんて、どこにもいない。
まして、スタート地点の「あなたに会えたそれだけで良かった」と思うことが間違いだなんて、そんなことがあるわけがない。

世界が表情を変えることに恐れをなして逃げようが、「好き」の価値は本来変わらないはずなのだ。

強い人が多すぎる

確証を持って言えるのだが、僕の「自分は何も好きなものがないのではないか?」と考えてしまう、この考え方は極端ではない。
仮に極端であったにせよ、絶対に多くの人に同意頂けるものであると思っている。

理由は簡単だ。

ここのところ、「世界が表情を変えた」としても、捻じ曲げてしまうくらい力のある人、あるいは「それだけの力があるべきだ」と言っているように見える人が、異常に多く見えるからだ。

先程述べた「○○で成功するためには、そのための苦労では折れない程度の才能がないと無理」と言う人の正体だ。*4

でも人間なんて本来そうそう強いはずがない。
「世界が表情を変える」ことに耐えられる人なんて、そう多くない。

絵が好きで東京藝術大学を受験する人は山程いる。落ちる人も山程いる。
落ちる人はあまり表に出てこない。
だから、ただ「好き」であるためだけでも「強く」ある必要があるように錯覚する。

けれど。
何度でも言う。
「愛されたいと願ってしまった」ことが間違っているわけがない。
むしろそれは「好き」になってしまったことの、反射的必然性とすら言えるのだと思っている。

だから僕は

僕は、多分色々なものが「好き」なのだと思う。
けれど「好き」になりきれない自分を責めてきた。
でも本当は「世界が表情を変えた」ことに耐えられないだけなのだ。

結局のところ、こういうことだ。

(ブルーピリオド 3巻11話)

大事なことはだいたい全部ブルーピリオドに書いてある。

ただ、それでも……
「愛されたいと願う」自分を、否定するまではないのかなと思えてきた。

だとすると。
自分は「何も好きになれない」だなんて、思う必要はない。

確かに僕は他人が嫌いだ。
特に何かを押し付けてくるヤツが嫌いだ。
拘束してくるヤツも大嫌いだ。

けれど。

僕は、あらゆるものを、なんとなく、うっすらと、愛している。

それくらいは思っても……まぁ、いいのかなと。
そう思えてきたのだ。

みんなもその方が人生楽しいと思うよ。
それだけの話さ。

お読み頂きありがとうございました。
ではまた。

 

*1:感動しながら。

*2:モンハンP3rd, X等も持っていて、一応気刃斬りなどの技術は習得していたが、詳細は省略する

*3:複数人で一匹のモンスターと戦うやつ

*4:本人に本当にその力がある場合もあるし、ない場合もある。