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"僕の足に絡んだ蔦は あの日蒔いた種だった" 吉井和哉『Island』より

「好きなものと向き合うこと 今だって怖いことだけど」

あらかじめ断っておくが、今回はかつてないほど抽象的というか、曖昧な話になる。

音ゲーの話

僕のブログは基本的に脈絡がなく話が飛ぶ。
だが適当なところで統合するのでご安心頂きたい。

幼稚園から中学の頃までエレクトーンをやっていた。
中学の頃、諸事情でやめた。
やめた直後、悪い友達の誘いで音楽ゲームに出会ってしまった。

ポップンミュージック
2022年の段階で15年以上もの歴史を持つ古株音楽ゲームだ。
僕が中学の時点でシリーズは15作も出ていた。

僕はある曲に出会ってしまった。
そして人生を大きく変えられることになる。

*1


初めて観たときはあまりの馬鹿馬鹿しさに笑った。
再度観て、曲の凄まじさに気付いてしまった。

「世界が終わった後に壊れたラジオから流れる音楽」をイメージして作られた曲。
狂気的なピアノは、一時的な落ち着きを経て、最高潮に達した狂気と美の戦争のようなセッションへ向かう(1:30〜)。
そして濁流のようなピアノは最後の最後まで続く。

ゲームとしての難しさは、この曲を正確にゲームの譜面として再現した結果に過ぎない。恐ろしいのはこの曲そのものだった。
そして、この曲はあまりにも中学二年生の僕に刺さってしまったのだ。

そこから僕はこの曲のクリアを目指すことになるのだが……
この頃から、僕はなんというか、「狂信者」のようになってしまったように思う。

色々ありすぎて語れないのだが、「恐ろしい難易度のもの、それをクリアすることは過程も含め総合的に芸術」という今に至るまで続く思想は、確実にこの曲から生じている。

そして、「こんな素晴らしい曲、とにかく世界に広めねえと!!!!」と思う気持ちもあった。今もある。*2


が……それよりも。何よりも。

語れない、のだ。

廃墟の話

僕は廃墟フェチである。廃墟を見るとき、そこに残された生活の痕跡をみるとき、こう……心に郷愁と寂寞感と愛が混ざったような何かが来る。
上述した『neu』という曲を聴いているときも、そうだ。

これは多分、「好き」という感情なのだろう。
けれどそれを前にしたとき、僕はいつも戸惑ってしまうのだ。

アイドルの話

僕はアイドルを好きにならないようにしている。
ClariSは好きだが、意地でも「ガチ恋」しないようにしている。
音楽が好きなだけだ。

どうしてもこう思ってしまうのだ。
「惚れちゃったとき、相手に彼氏とかいたら、惨めにならないか?」と。

……いや、分かっている。
分かっているんだ。
この発想の方がよっぽど惨めだ。
割り切って楽しんでいる人の方がよっぽど良い。

けれど、「自分が狂うほどに恋い焦がれているもの」に、「自分よりも誰よりも近いところにいる人」が存在すると考えると、多分僕は嫉妬で自分の身を焼いてしまう。
その範囲において「アイドルに彼氏がいたときに炎上」という現象が理解できる。
……まあ、同時に僕の理性の部分は
「恋愛禁止とかしょーもないな、向こうには向こうの人生があるんだから」
「好きな相手が幸せならそれがベストじゃないの」
「第一アイドルとして向き合うのと、人間として/恋人として向き合うのって全然違うでしょ」
とも言っているんだけど……
理性と感情は必ずしも合致するものではない。
むしろ合致する方が稀である。

『群青』

筆者がこれまで書いてきたものの中でも最も脈絡のない文章になってしまったが……
要は、筆者は「好きなもの」との距離感、付き合い方が、割と特殊なのだ。

多分、「真っ当に好きなもの」が無いわけではないのだが、「ガチ恋対象」と「それ以外の欲求(食欲性欲睡眠欲アルコール欲承認欲求その他諸々)」に全振りしがちなんだと思う。
いや、あるいは「好きなもの」を前にしたら、古の腐女子のように尊みが爆発(暴発)して、それでいて上手く発散できないというか……

……俺はどうしたら良いんだろう?
多分、それをなんとか上手く消化する一つの手段として、こうやって文章を書いているのだと思う。
消化しきれている気はしないが。

ところで、漫画『ブルーピリオド』では主人公: 矢口が自分の好きなことが「絵を描くこと」だと気付き、狭き門である東京藝術大学の現役合格を目指す。

良いなぁ、と思う。
まあ……この作品は「好き」に対しそこまで素直な作品ではないのだが……(特に7巻以降)

今更だが、この記事のタイトルはYOASOBIの『群青』の歌詞から拝借した。


www.youtube.com

『ブルーピリオド』の世界をインスパイアして描かれたこの曲のことを、僕は多分それなりに「好き」なのだと思う。
だけど一方、「好きって厄介だなぁ」としょっちゅう思う。

「綺麗」に昇華・結実する「好き」なんて、そうそう無い。
大事なことだからもう一度言う。
「綺麗」に昇華・結実する「好き」なんて、そうそう無いのだ。

中島義道の以下の言葉に僕は深く同意する。

各人に、何か好きなことがかならず一つはあるはずだ、というのは大嘘です。その好きなこととは万引きや売春であってはいけないのですから、社会的に評価される、できれば職業と結びつくことでなければならないのですから、じつはきわめて制限されている。*3

まあ万引きや売春に比べれば僕の「好き」は極めて真っ当だ。
だが、だからどうしたという話でもある。

「水上です!好きなことは偉大なるwacが作ったneuです!良いからお前らあの狂気と秩序をギリギリのラインで兼ね備えたピアノを聴け!!!」とでも自己紹介しろと言うのだろうか。
そんなことは言えんのでもう少し社会的な自己紹介をする。
そして僕は僕が嫌いになる。
ただ、「好きなものはそれこそ万引きであろうが売春であろうが、自分の中に秘めてりゃいいだろう。むしろなんでいきなり自己紹介の話になった?」という反論もあるだろう。
真っ当だ。

だが僕の「好き」との向き合い方は、なんというか……
そういう話じゃないのである。

To be, or not to be, that is the question. 

「生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ」
こう訳されることもあるシェイクスピアハムレット』の名言だが、ここではこう訳したい。

「このままで良いのか、良くないのか。それが問題だ」

結局、過去の感情であれ、今の感情であれ、「好き」が爆発しそうであれ、それを否定する必要は全く無いのだが、「ああ、俺は"neu"という曲に囚われているんだなぁ」と思ったところで、それ自体に特に意味はないのである。

好きなものは、死ぬときに「ああ、出会えて良かったな」と。
「これに出会えて、良い人生だったな」と。
そう思えれば、それで良いのかもしれない。

そもそも「そんな向き合うな!やるべきことをやれよ!」が、今の僕に向けられて然るべき言葉なのかもしれない。
筋トレも勉強もできてないしなぁ……今日も酒を飲もうかな……

でも、なんなんだろうか。このモヤモヤは。
綺麗にまとめすぎている気がする。

本当になんなんだろう。
もしかすると、僕は。
「好き」が俺を何者かにしてくれると、どこかで信じているのだろうか。
それとも、この世の軽い「好き」を僕は薙ぎ払いたいのか?
そもそも……俺は「何」が「好き」なんだ?
実は「何」も「好きじゃない」のでは?

あー難しい。本当に難しい。
この先には何も無い気がしている。

……うん。今日は少し法律の勉強して酒を飲もう。
だって僕は「法律の勉強」が、「嫌いじゃない」、あるいはそれなりに「好き」だから。

……でも。
この「好き」は。
"neu" に向けられた「好き」と比べると。
とてもくすんだ色をしている……

それでも、僕は、あるいはあなたは、……進むしかないのだ。多分。


……また会おう(雑にまとめる)!!

 

*1:音楽ゲームのプレイ動画は著作権的には「お目溢し」を受けているだけなので、ニコニコ動画から貼り付けることは必ずしも完全なシロとは言えないことは把握の上、当事者から批判が出た場合は措置を取らせていただきます。

*2:おそらく作曲したwac氏はそれを考えていない。氏の唯一のオリジナルアルバムである『音楽』に収録されているこの曲を聴けば分かる。「なぜこの展開にしたのか」が、氏の発表してきた曲について知識が無いと分からない作りになっているのだ。他方、それを聴けば氏にとって特別な一曲であることが痛いほどに分かるようになっている。

 

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*3:いつ読んだ言葉か思い出せなくて調べてみたら『私の嫌いな10の言葉』だった。孫引きで恐縮だが、今手元になかったのでこれで許してほしい。

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