Minakami Room

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「この服全然ダメ」「女の子だって男の子のために頑張ってる」→謝罪!?Ranzukiの炎上を面白く分析する

どうも「お前のためを思って」が究極に嫌いなMistirです。

いやー、良い感じに燃えてるみたいですね、この件。

nlab.itmedia.co.jp

この件、丁寧に考えれば考えるほど「オモシロい」。
「冷静に分析する」とは言いませんが、せっかくなので面白く分析してみましょう。

まず、この件の流れをざっとまとめよう。

・ある雑誌が女子の「デート服」に対して、モデルに批判させる記事を掲載
女の子だって男の子のためにちゃんと考えて服選んだりしてるのに酷い」というツイートが8万回RTされる
(引用とかも含めてツイッター上でどう少なく見積もっても20万人以上が読んだってことになる。スゲエな……)

・出版社が謝罪
【追記】
すみません、これ完全に僕の認識ミスです。
モデルさんは謝ってたけど、公式サイトがアクセス不能になっただけだったんですね……申し訳ないです。
【追記ここまで】

・モデルはやんわりと編集者のせいにする

こういう流れ。
シンプルだね。

元になったツイートはこちら。

最初見たとき、こう思った。
ーー論理的に考えましてね、「男の子のためにちゃんと考えてるか」なんて全く関係ないんですよ。「貴方のために頑張りました?」その言葉、「相手のことを考えてさえいれば自分は批判されずに済む」、その思考が非常に暴力的になるシーンを想像できないのだろうか。
僕は昔からずっと「他人の為を思う」なんて「自分勝手の極致」だと言い続けてるんです。

mistclast.hatenablog.com

本当にこれだから……
まったくもう、これだから論理的に語り得ない人間というのは暴力的であり、そう、知性が欠如しているのである。

言い過ぎだと?言い過ぎなわけがない。万一僕の言い分に誤りがあり、言い過ぎだと確信できたら前言撤回の上激辛ペヤングを一気に食ってやる。

とか考えながらツイートに添付された画像を見ました。

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……。

ごめんなさい激辛ペヤング一気に食いました。

腹が……なんだこの胃の違和感は。
単純に今日の晩飯が激辛ペヤングだっただけの話だけど。

とりあえず知性の欠如云々は撤回いたします。
いや、何が言いたいって……
だって僕でさえちょっと見ててツライもん、これ。

さて。茶番はこれくらいにして、

ここからは「論理と感情の敵対」っていうテーマで、分離して「僕がこういう思考に至った理由」を語ろうかなと思う。

1.恋人にこう言われたら?

まず、この画像の破壊力の何が大きいって「デートに来たら」っていう前提であることだ。つまり、このモデルたちは「仮想の恋人」なのである。
そういうシチュエーションじゃなくても、芸能人やアイドルは一種の「仮想の恋人」だ。この誌面は否応なしに「恋人にこう言われる」という可能性、現実をリアルに突き付けてくる。

つまるところ、「ただの服装批判」ではないのだ。

しかも酷く辛辣。
「鏡見た?」は流石にひどすぎるやろ……男相手でも言っちゃダメだぞこれw
しかも、「スカートのシワ」は僕の素人目で見ても重箱の隅的なこともポイントが高いね。

現実の恋人がこういうことを言ってきたら、問答無用でゴミの日に捨てれば良い。
そもそもこういうモノの言い方をする時点でコミュニケーションになってないのだから、それは別の問題なのである。

……。
……別の、問題?
ん?
……ここまでの僕の話、ズレてきてないか!?

2.論理
この記事を読んで、いかに女性が傷つくか。これは僕でさえ察しがつくというのが僕の「本音」だ。

感情として、分かる。

だが……何度考えても、「発端のツイート」はズレてる。
「男の子のためにちゃんと考えて服を選んでる」のに「こう言われるのは酷い」は全く導けないのだ。
卑俗な例えになってしまうが、毎日損失しか出さない社会人が上司に叱られたとして「私だって頑張ってるんだ!」って言ったとしたらどうでしょう。
明らかに間違ってますよね。
「君が頑張ってるかどうかは関係ない」って上司なら言うでしょう。
まあその上司の指導力不足かもしれないのですが、またそれは別問題。

だから、厳密に言えばこの「論理」は全く正しくない。
憶測だけど8万回もリツイートされたのは、この「論理」に違和感があった人も多かったためじゃないのかな。

でも、次のように考えたとしたらどうだろう?

3.論理の補足

「男の子のために頑張ってるのに、『ここまで酷く言われるというのは』酷い!」だとしたら?

この場合、一気に「違和感」が薄れる。
何故か?

問題点が「発言の尖り方」に絞られたからだ。


もう少し分かりやすく書き換えてみよう。
「私は貴方のことを日々考えて頑張っている」→(にも関わらず)「私の服をダサいというのは酷い」。

こう書くと違和感を覚える人は非常に多いだろう。
だけど。

「私は貴方のことを日々考えて頑張っている」→(にも関わらず)「そんなに酷い言い方で私を非難するのは酷い」
これだと非常に「脱臭」される。

何故だろう?

後者も、厳密に言えば……というか、論理的に言えば確実に間違ってる。
「私は頑張っている」から「貴方は私に優しい言葉を使う必然性がある」は導けないからだ。
だけど、「私は頑張っている」から「貴方は私の服装がダサくてもそれを指摘するべきではない」が導けないことと比較すると、非常に直感に反してる。

ここで、非常に興味深い僕らの心理が浮かび上がる。

4.「優しくすれば優しい言葉をもらえる」という幻想
もはやここまで来ると「本題」とは一切関係ない話になってくるのだが、この炎上の件で最も面白いテーマを追求するとここに収束するんじゃないか、というのが僕の考え方だ。

様々な心理学、倫理学を紐解くまでもなく、
「私は貴方に優しくする。だから貴方は私に気を使うべきだ」という言葉が「暴力的」なのは分かるだろう。
とりわけドライな現代人ってそういう発想、スゲー嫌いなんじゃないかな。
みんな嫌いでしょ?連帯主義的なそれ。
少なくとも僕は「嫌い」で、「嫌いだと認識して」ます。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

何故この発想がダメかっつーと、この発想って最終的に「私は優しくされて当然」「そうしない貴方は酷い」って発想に至って、さらに言えば「私は報われて当然」が導き出されちゃうんだよね。
そうなると、「人に優しくされるために私は人に優しくする」になる。
この発想の何が怖いって、「優しさを返されるという見返りがない限り私は頑張らない」になっちゃうのよ。最終的には。
だから僕は「努力したら(他者に)報われる(べきだ)」っていう発想を嫌悪してる。

はずなのに。


何が面白いって
「日々努力してるのにそんな言い方は酷い」という「語り方」だと、その「嫌悪感」が滅茶苦茶薄くなるのだ!

これは僕だけじゃなくて、あらゆる人がいかに「日常的な思考の型」に囚われちゃってるかっていうそういう問題なんじゃないかな。

何故脱臭されるかっつーと、やっぱり僕らが無意識的に「そうだ」と、「そうであってほしい」って考えてるからだと思う。
普段から息を吸う用に考えてることを「疑う」ことってなかなかないわけです。
でも、そういうところに「罠」があったりする。
で、すっかり「罠」にハマった僕らは「そういった連帯主義の押し付けは最悪だ」と言った同じ口で「こんなに優しくしてるのに酷い」って言っちゃったりする。

人間的っていうのは、多分そういうことなんだろう。
悪いことかもしれないし、自然なことでもあるのかもしれない。
少なくとも、ことさらに批判するとうっかりその穴にハマっちゃうことは容易に想像がつく。
少なくとも「知性の欠如だ」とか言ったらダメなわけです。
ホントにね。僕、言いかねないからね。

この点に気付かせてくれたこの一件は、非常に僕にとって有意義なものでした。


さて、あとは個人の感想を感覚的に言うと……

こういったさ、「ボロクソにファッションを批判する」っていう記事が「ボロクソに批判される」っていうの、不毛だなぁと思う。
これは「論理」じゃない。「感覚」だ。
そりゃあさ。ボロクソに言ったんだからボロクソに言われることもあるだろう。
だけど、「ボロクソに言うな!」を繰り返して、「ボロクソに誰も言わない」綺麗な世界がやってきてさ……
息苦しくねえか、それはって思っちゃう。
なんとなくだけどやるせないなぁ。

もっとも、今回の件は「モデルさんが」言ったから生々しかった、とか言うのもあるのかもしれない。
ドン小西とか、或いはおすぎとピーコの毒舌なら認められるみたいなところ、あるじゃん?
そもそも浮世離れしたような人がボロクソに言うなら、その言葉も浮世離れしてる、みたいな。
だから別に僕が息苦しく思う必要はもしかすると何もないのかもしれないね。

……おいそこの君。「テメーはモデルよりじゃなくてキワモノ寄りだから安心しろやwww」とか思ったんじゃないか。
……その通りなので、やっぱり息苦しくはないか、うん。


ああ、一応この件の続きである「事後処理」に関しては、語りません。
モデルさんが「編集のせいにした」感じの「事後処理」。
興味が無いので。
……いや、嘘です。実はこの「事後処理」、結構面白く考えることは出来る。それこそ思想チックな話を絡めて。「僕らが彼らに求めるのは何か?」「彼らの正解は何?」こう考えると面白いんだ。結構。

でも、わりとシリアスな話になっちゃうからやめときます。
それこそもっと「一般的な」テーマになりそうだし。

お読みいただきありがとうございました。
今回は僕も書きながら色々発見できて実に面白かった。

ではまた次の記事でお会いしましょう!
ああ、お腹が……