Minakami Room

旅を続ける。考える。自由である。生きている。

アナログ手帳かデジタル手帳かという議論に、ちょっと違う方向から切り込んでみる。

ども、Mistirです。

アナログでタスク管理すべきかデジタルでタスク管理すべきかって悩みますよね。
ググれば腐るほど出てきます。

僕も死ぬほど悩みました。
そしてしばらくデジタルに統一してたんですが……新生活を期に、というか4月を期にアナログに戻そうと思います。
かなーり変わった思考を経て、アナログに戻すことを決意したので、その次第をご報告しようと思います。

いやー、理屈だと全部iPadに統一しちゃうのが楽なんですよ。
僕、「荷物が少ないこと」が大好きな人間なんです。
荷物が多いことを望む人なんていないと思いますが、僕はそれがちょっと極端というか。
だから電子書籍とか大好きなんですね。本持ち運ばなくて良くなりますもん。

荷物を減らす……この観点から考えると、全部スマホ、あるいはタブレットに統一するのが良いのです。
ついでに言えば、電子書籍を開く際やメールをチェックする際など、iPadを開く機会はとても多いですよね。
だから、iPadに統一しちゃえば、タスクの管理や目的の管理もし易いんじゃないか、と。

なんつーか、ある意味ロマンでもありますよね。
これ一つで全部管理する、みたいなのって。

とにかく、スマホとPC間の同期とかそういうことも考えると、「どう考えてもデジタルが合理的」なんです。
そのために「デジタルでちょっとだけ不便な一覧性の少なさやパッとページを開けないことは我慢すべき」なのです……と。
ここまで考えて、僕に電流が走りました。

iPadが……
デジタルツールが……
僕に制約を課している!


一気に発想がここで転換しました。

何故モノのために、僕の自由が制約されなきゃならないんだ!?

いや、びっくりしました。

モノをヒトは使うべきだけど、合わせるべきじゃない。
いや、そりゃもちろん世の中の「モノ」に合わせる必要があるときもあるかもしれないよ?
でもさ、手帳とか、そういう最も自分に接するモノに合わせて、特にデジタルのツールに合わせて自由が制約されちゃ駄目だと思う。というか、思った。

そんなわけで、久しぶりに紙の手帳使うかぁ、とそう思いました。

で、久々に一日一ページ手帳を使おうと思った。
一時期はほぼ日手帳を、その次にEDiTを使っていた。
でも、なんというか一日一ページ手帳の「無理矢理書くことを考える感」が嫌になって使うのやめたのです。
この辺り、主にほぼ日手帳が形成してきた「一日一ページ手帳の『ある種宗教的な』側面」を知らない人にはピンと来ないかもしれない。
まぁなんというか、「一日一ページ手帳」ってどうしてもクリエイティブ的な、そういう話に繋がっちゃうみたいなんですよね。
そうするとどうしてもそこにファンのコミュニティみたいなのができちゃうみたいで。
良くも悪くも、そこには「たかが手帳」では済まされないような、ちょっと重い信仰みたいなものが生まれているのを感じる。面白いことに、一日一ページ手帳の代表格、ほぼ日手帳、EDiT、それからちょっと例外だけどモレスキンの三種類には、「それ専用のガイドブック」ってのがある。これ、結構不思議なコトじゃない?ある手帳専用のガイドブックなんて。色んな人の使い方を載せてるんだよね。しかも、それが結構面白い。
……これ、手帳詳しく無い人からすると「何言ってんの?」ってなりそうだね。そもそも手帳詳しいってなんだよ。

閑話休題


今考えると、「書くことを増やすために、多少無理矢理でも日常を充実させる」っていう考え方、悪くないと思えてきた。
多分、無理矢理そういった「ブースト」かけないとどうしても日常って過ぎ去っていくもんなんじゃないか、と。そう思えてきた。
ってことで久しぶりにほぼ日手帳やEDiTの利用例を見てる。やっぱデジタル手帳には無い面白さがある。

この記事はアナログ手帳にすべきかデジタル手帳にすべきかって議論に関して、僕個人のアナログ贔屓(普段は超絶デジタル贔屓)な視点から語ったけど、結局好きな方使えばいいってのが結論になる。
もし「モノのために自由が失われてる」とそう思った瞬間、それは間違ってんじゃねーかっていう、そういう話でした。

ではまた次の記事で。
あ、デジタルの記録媒体も結構使ってるので、使い分けがもっと安定したらまた具体的な使い分けやデジタル、アナログのメリットについて書かせていただくかもしれません。