Minakami Room

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「若者よ、ちゃんと失敗しているか」……渋谷の不愉快な広告のことを考える

「若者よ、ちゃんと失敗しているか」

こんにちは、Mistirです。

この不愉快な文字列は何? その答えは

gossip1.net

ここにあります。
まあ炎上商法でしょうね。クッソ不愉快な文章を書いた方が、当たり障りない正論を書くよりも注目されるわけで。
だから僕がここで「この文字列」について語ることで、この広告の片棒をかつぐことになるのですが、ぶっちゃけ別にそれでも構わないかなぁって感じなので、このまま僕は書きたいこと書きます。

まずそもそも、「失敗する」って動詞に「ちゃんと」って副詞が付くのか、とか。
誰がその「ちゃんと」っていう副詞の正当性を語りうるの?とか。
色々言いたいことはあるんですが、僕程度の人間が100の言葉を語るよりも、一人の「巨人」が語る「失敗」の話をした方がいいと思う。
 
「巨人」とは?
吉本隆明である。

改めて調べてみてびっくりした。え、お亡くなりになってから3年経ってるの?本気で1年くらいかと思ってた……

「え、嘘、死んだの?嘘、え?」って思ったことを覚えている。
何か歴史が一つ節目を迎えたような、そんな感覚。
一人の偉大な思想家が、この世を去った。

そして3年が経ったわけだ。


吉本隆明の語りを糸井重里がまとめた書籍である『悪人正機』という本には、「『挫折』ってなんだ?」という一節がある。
「失敗」と「挫折」、ニュアンスは違うかもしれないが、まぁ今回は同じと考えていいだろう。
その一節は、以下のように始まるーー。

まあ、挫折を知らないからダメだって言われても、どうすることもできないわけだからね。挫折なんて、しないならしなくていいですよね。というかできないですからね。

 

なんつーか、これが全てである。僕が注釈を加える必要など何もない。

そういう説教をする上司とか先輩とかがいたら、ただ、いい加減に聞き流してりゃいいんです。だって、そう言われても、それ以上のこと、例えば「わかりました。これから挫折してみます」ってことを言えるわけじゃないし、言ったほうだって「じゃあ、ここへ行って、こうして挫折してこい」って紹介することもできないんだしさ。言ってるだけ、聞いてるだけってことで、いいんです。

 

快刀乱麻、という言葉が似合う物言いだ。
だけど、本当に面白いのはここから。

挫折については、これで終わりなんだけど、僕自身が挫折をしたかってことについては、まあ、ひとつだけ、これだけはとんでもなく別ものだぞっていう経験があります。
戦争が終わった時です。

 
氏は「原因が全く分からないのに、涙が止まらなかった」という。自分がここにいること、それさえもおかしいのではないか。失恋でも落第でも、どこかに原因は捉えられるが、こればかりはもう全く捉えられなかった、と。
その結果、60年安保のような大規模な闘争の最中でも、どこか「醒めていた」そうだ。

この話を聞いた後、この画像を見てみる。

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そうすると、何か「違って」見える。
別に吉本隆明の文章をひとつ読んだところで、賢くなった気はするけれど、賢くなるわけがない。吉本隆明が凄いのであって、僕は何も凄くない。僕は僕のまま。でも……何か、「違って」見える。切ないとも、愚かしいとも言い切れない不思議な気持ちが胸にじわり、と広がる。

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「渋谷は挑戦の街」だそうだ。

……。正直、これだけのことを紹介してから僕が語ることなんて何も無いんだけれど。

少しだけ、せっかくのブログなので僕の話をしよう。
最近、「自分の責任は何も無いのに」「挫折を味わうような出来事」があった。

まあ、いわば家族の問題である。
それはあっさり解決したのだけれど、「その問題」が浮上したとき、かつてない怒りを覚えた。なんでだよ、俺何も悪くねえだろ、と。なんていうか、上手く説明できないけどその頃の僕の家庭は「通常想定されていない」状況だった。そのことを考えると、間接的に色んな人に「お前の家族はふつうじゃないよ」って言われてるような気分になって、何やらもうやり場のない怒りに苛まれた。

多分よくある話。
だけど、これまでの人生で僕はそういった経験があまり無かったらしい。

「失敗」しても、なんというか、自分の責任ならば失敗と思わない。
例えば、僕は大学入試前期日程で落ちてるんだけど、あの学力だったら落ちて当然だったから、「失敗」とはとても思えない。「失敗」という言葉に失礼。でもまぁ、「ちっちゃな出来事」ではないよね。うん。

だったら、僕の「失敗」ってのは何かっつーと「折りたたみ傘忘れた」とかそういうことになるんだろうけど。でも何かそれは「失敗」じゃない気がする。

「自分の責任は何も無いのに」「挫折を味わうような出来事」。いや、むしろ……
「自分の責任は何も無い『から』」「挫折を味わうような出来事」。
でも、それは挫折なの?失敗なの?

「ちゃんとした失敗」、あるいは「ちゃんとした挫折」。考えてるとアホらしくなってきた。

とにかく、挫折なんて、しようと思ってもできないんですから、それについて何か言われても、気にすることはないですよ。

 多分、吉本隆明の言うこれが全てなのだろう。

さて、この広告がターゲットとしている「就活生」に少しだけ言っておきたい。
面接で「挫折経験」を聞かれるかもしれない。それはまぁ、面接っていうのは儀礼的な部分もあるから、しゃーない。

だけどさ。「若者よ、ちゃんと失敗しているか」って嬉々として言っちゃうような人間になっちゃダメだよ、絶対に。「若者よ、ちゃんと失敗しているか」って言葉に強烈な違和感を覚えるっていう、そういう精神は大事にしないといけないよ。
僕も若造、エラソーなことは何も言えないけどさ。
この考え方は、多分間違ってないと、そう思うんだ。


ではまた次の記事で。