Minakami Room

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【ISIS関連デモ】敵を作らないこと、誰からも関心を持たれず死んでいくこと。

はいこんにちは、Mistirです。
タイトルめちゃくちゃ悩んだ結果、ちょっとわかりにくくなりました。
この記事はISIS関連のデモ批判のような、そうでもないような変な記事です。

 

僕にできることは、ちょっと変わった視点から変なことを言うことだけです。たとえそれが的はずれだったとしても……ね。

さて、今日取り扱いたいのはこの記事です。


「NO WAR」「武力はいらない」200人が首相官邸前に集まり沈黙デモ(画像)

 

これさ、凄く面白い。
大体の批判はもう「されちゃってる」からさ、もうこのデモに対して僕が批判する気はないんだ。大体言いたいことはこの記事をツイッターで検索すると、みんなが言ってくれてる。そんなことを僕が今更言ったって仕方ない。

 

僕が今回「語りたい」のは、この記事の中にあるこの言葉。

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「敵を作らない外交こそが日本人を守る」

これって凄まじい言葉じゃない?

まずは政治的視点からこの言葉について考えてみよう。確かに、「敵を作らなければ」「日本は守られる」。うん、清潔でさえある考え方だ。
でも、これって「守られる」のは「日本人」だけだよね?

 

たとえ日本にとってISISが「敵ではなかった」としても、ISISは(日本人以外の)人質を取り続け、虐殺をやめない。


つまりさ、この言葉……「敵を作らない外交こそが日本人を守る」ってさ、日本のことしか考えてないんだよね。
なんか……保守よりも保守的な考え方だよなって思う。一応、こういうデモする人たちって「左翼」って分類されがちじゃん? ホントこの分類って意味ないね。

僕の考え方からすると、日本がそういった「ISISに対して無関心でいる」って立ち位置を極めるのってもうこの時代には不可能で、結局は……あえて僕の嫌いな言葉を使うと……「国際社会の一員として」ISISに対処する必要があると思ってる。
というか、世界は(欧米諸国は)ISISに対する無関心を日本に許してくれないだろう、多分。「勝手にそっちで解決してクダサーイ」ってどう考えても無責任だろう。鎖国しろと?


……アレ?この「国際社会の一員として」って「右翼的な」考え方なんだろうか??
こうやって「敵を作らない外交こそが日本人を守る」って言葉を批判してる僕は、「右翼的な」考え方の持ち主なんだろうか?
とかグダグダと考えながら、僕はニヤニヤしてます。実を言うと(そして何度も言うように)「国際社会の一員として」って考え方も嫌いだし、一国民である僕が「世界の中での日本の責任」とか考えるより、明日の暮らしのほうが大切だ。こういうことは真剣に考えただけ損だね。

「結局お前の思想はどこにあるねん!!」って聞かれそうだけど、このブログで僕は自分の思想をあまり表明したくない。相手を否定して頭ごなしにぶっ潰すくらいの覚悟が無いと政治的批判って埋もれちゃうんだよね。「どっちの意見も分かる」なんて言ってたらどっちからも叩かれちゃう。

 

だから僕はニヤニヤするだけ。意志は明確に選挙の票で表明しまーす(まあこういうこと言うのが一番敵作ったりするんだけど)。
……バレバレだけど、このデモに対しては「アホとちゃうか」と思ってます。バレバレだけど。

さて……ここからもう少し考えたいのは「敵を作らない外交こそが日本人を守る」っていう言葉の奥深さについてです。ここからは政治的思想抜きに色々考えてみたい。

 

この言葉をもっとみみっちい個人の領域に変換してみて、「敵を作らない態度こそが私を守る」と言い換えてみるといかがでしょうか。
敵を作らなければ、「私」は安全なのでしょうか?

僕は高校の頃から中島義道という哲学者が大好きで、氏は多数本を出してるんだけど、どんな人かっつーと「敵を作る達人」なんですね。「敵の作り方」が非常に「上手い」。
最近『怒る技術』という本を再読しています。電子版が安かったので……
というか、中島義道の何を読んで何を読まなかったのかほとんど忘れちゃってるのでもしかしたら初めて読む本かもしれない。

で、氏が『怒る技術』って本で何を書いてるかっつーと「世の中にいかに怒ることが下手くそな人がいるか、怒ることを『悪』と思い込んだ上で怒る自分を責めながらも心の奥底にドス黒い恨みをつのらせてる人がいるか」って話なんですね。で、「上手い怒り方」とか「怒りの上手な利用方法」とかそういうことを書いてる本。

 

さて、僕が何を言いたいか(だんだん僕自身にも分からなくなってきたぞ)。
要は、「敵を作らない外交こそが日本人を守る」って言葉を掲げてる(作った)その人に「敵はいないのか?」ってことです。

 

ここにいるわ!私が敵よ!

 

……って、まあ半分冗談で半分本気で。もちろん彼らとアサルトライフルで撃ち合おうとは全く思わない。彼らが「敵」であるとしても、それはみみっちい「敵」だ。彼らが相手にしているのは「政敵」であり「国家としての敵」なのだろう。だからたとえ僕が「敵」になろうとも、「この程度のちっちゃなみみっちい敵は敵ではないし、争いも起こっていない」と考えるのかもしれない。それはそれで正しい考え方だ。

 

でもねぇ……たとえ「個人」の話にしても「国家」の話にしてもこの「敵を一切作らない」って態度って、一番敵作る態度じゃんって思っちゃうのよ。

 

 

 

あ、ところでさ、僕って東大卒なんすよ。
全国模試も100位以内はよく入ってたけど、1位は最後まで取れなかったなぁ。

 

 

 

 

嘘です。

 

……って、なんでこんなこと急に言ったかというとさ、さっきの言葉って誰かを攻撃したわけでもない、いわばただの「事実の羅列」じゃん?いや、事実じゃないんだけどそれはそうとして。

 

それでもさ、さっきの言葉だけで結構な数の「敵」を作れると思うのよ。

 

これが非常に大事なことでさ。国家間でも結構これってよくあることじゃん。っていうか「一枚の絵が」「人の命を奪う争いに発展した」って記憶に新しい話でしょ?
同様に、僕のさっきの言葉はそれだけで「敵」を作り得た。

 

というか僕の文章だけでイラッと来てる人いるでしょ?

まあミサワでも見て落ち着いて下さい。

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: 地獄のミサワの「女に惚れさす名言集」

地獄のミサワ先生、ごめんなさい。

 

さて、話を元に戻すと、僕の思想としては中島義道氏と同じく「怒りは利用するもの」っていうこと、そしてついでに言えば「敵は勝手にできるもの」ってことなんだよね。

 

最近流行のアドラー心理学でも「感情は道具だ」って明言してるじゃん?詳細は「嫌われる勇気」に書いてるけどさ。

 

敵は勝手にできる。極端な話、「性格が良い」ってだけでもできる。僕は色々極端なことをとりあえず「言う」ことが多いから、多分敵も多い。

でもまぁ、その方がいいのだ。もちろん自分から敵を作ろうと思ってるわけじゃない。だけどさ、できちゃうものは仕方ない。受け入れるしかない。

そんなことよりも「誰からも何の感心も持たれない(=敵も見方もいない)」状況の方が、怖い。
敵がいないってことは、味方もいないってことだ。まあ当たり前の話だな。
味方がいるってことは、敵がいるってことだ。
ほら、この写真を見てよ!

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たくさんの味方が集い、敵と戦ってるステキな写真だ!

 

さて、そろそろ結論を書きましょう。

「敵を作らない外交こそが日本人を守る」

「敵を作らない態度こそが私を守る」

って言葉は、よくよく考えてみるべき価値のある言葉です。
でも僕はどんどん「書く」ことで敵を増やしていくことでしょう。何もしなけりゃ「敵」は確かに生まれない。でも、何もしなけりゃ誰も気にしてくれなくなる。

 

まあ味方がいてくれるほうが嬉しいのは間違いないので……
みんな、僕の味方になってくれ!!

 

さて、今回の記事はここまで。ではまた次の記事で。