Minakami Room

旅を続ける。考える。自由である。生きている。

祖母の話

こんにちは、Mistirです。

前回、「今後はバイク中心に好きなこと書きたい」とか言っといてなんだけど。
近況に絡めて少し話がしたくなってしまった。
忘れた頃に夢に出てくる祖母の話だ。
また夢に出てきた。

祖母の話

僕の家庭環境は少々複雑なので厳密に話すのは難しいのだけれど、高校まで僕は祖父母と同じ家で過ごしていた。
大学受験で半分ノイローゼみたいになっていた僕は祖父とひどく仲違いし、好きだった祖母にも大いに迷惑をかけてしまった。
祖父は知らないうちに鬼籍に入ってしまっていたらしい。
悲しかったけれど、相手の過ちを許し、相手の過ちを責めすぎる自分を省みるにはあの頃の自分は若すぎた。

一方の祖母は、僕が大学の頃に脳梗塞にかかってしまい、会話ができなくなってしまった。
もともと足が悪く歩けなかったところに重ねがけの不幸だった。
大学の頃、老人ホームに預けられていた祖母と一度会ったけれど、僕を見て何かを言いたそうで何も言えない、それだけしか分からなかった。

社会人になってから僕は東京に上京したので、祖母の世話は親に任せきりだった。

一年ほど前、親に無理を言って祖母にまた会わせてもらった。
親はあまり僕を祖母に会わせたくないようだった。僕に気を使っているのかもしれない。僕もなるべく親のことは詮索しないようにしている。

祖母は相変わらずだった。
僕をかろうじて認識しているようで、涙を流した。
僕は、ありがとう、ごめん、ありがとう、と、そんなことしか言えなかった。
ありがとうと言いたくなかったけれど、いつが最期になるのか分からないから、全て言わなければならないと、そんな義務感が僕にそう言わせた。
心からそう思っていたのだ。本当に申し訳なかった。本当に感謝していた。

その後、もともとたまに見ていた、祖母が急に元気に話し始める夢の頻度は上がった。
目が覚めた瞬間、夢だったことに気付く。
どうしようもないのだ。本当に、どうしようもない。

そして今年、コロナがやってきた。
2月頃に友人の結婚式のため地元に帰ったが、当然のように老人ホームは面会謝絶になっていた。

4月、5月、6月。
緊急事態宣言で鬱々とした日々を過ごしながら、祖母の夢を見る機会が増えた。
元気に話している祖母。元気に歩いている祖母。何も疑わず喜ぶ僕。

目を覚まして泣きそうになる。

外出自粛程度で、何が憂鬱だ、何が不自由だ、あの人に比べたら……

そんなことを思いながらも、やはり退屈なものは退屈で、じゃあ祖母のために地元に帰るかと言えば帰らず、僕は僕で適当に生活している。

ただ、やりきれない。
一言で言うなら、やりきれない。
悲しい夢じゃない。嬉しい夢だから、なおさら叩き落されたときの辛さが大きい。

教訓など何もない。
ずっと祖母のことを考えているわけにもいかない。
でも、今の気持ちをどこかに書かないでおくには荷が重すぎる。

少し吐き出したかった。
どうにかするために、じゃない。忘れるために。
自分が救われるために。

……。
次は「前回のアレはなんだったんだ?」ってなるようなこと書こうと思います。
実はバカなので新しいバイクを買い、納車待ちです。
でも感染者数の増大に憂鬱な日々が続いてます。納車されても下手すると乗り回せないなこれ……

ではまた。

原点回帰したい

こんにちは、Mistirです。
お久しぶりです。

何度かバズり、結構たくさんの方に読者登録いただいていたこのブログですが、最近は全く更新もせず、読まれもせず……という状況でした。

なんというか、ブログなんだから書いたら読まれたい。
読まれるためにはSNSで周知したり、「バズる」ことを書いたり、まあ色々手段はある。けれどそこから距離を取りたかった。
じゃあ誰かたった一人、この世のどこかにいるかもしれない誰かのために何かを書けば良い?
……30も手前になるとそういうこと、できなくなるんよね。
否、それは歳を言い訳にしてるだけか。

でも昔みたいなテンションでモノを書けなくなったのは事実だ。
結果的に、何も書けなくなった。
……が。

リニューアル

単刀直入に言って、バイクブログ中心として続けるなら、書く意味あるかなという気がしてきた。
最近、僕の血肉を構成する要素のうちバイクの割合が著しく上がっている。
コロナショックでバイクに乗れず、結果的に濃度が上がっているのかもしれない。

どうせめったに更新しないんだ、何を書こうが自由だろう。
……と、思うんだけれども。
今後ガラッと書くことを変えるのならば、そう言っておくのはなんとなく義務のような気がした。まあ錯覚なんだろうけど。

このブログ、今回で最終回になるかもしれない。
まあその時はその時で許してください。

どうしてこうなった?

……ここまで書いて自己分析すると。
ブログ書けなくなったの……仕事と趣味が割と調子いいからなんだろうな。
仕事は運良くコロナの影響を受けにくい業界だったから、自分のことに集中できている。それなりにやりたいことができている。

このブログを一番頑張ってた頃は、本当に今思うと仕事が最悪の状況だった。最悪の状況の中で何かを探し続けているような、そんな日々だった。

思うに、書くことの原動力になる不満というものは、連鎖的に膨らむものなのだ。
世の中に不満があれば、政治にも不満が出てくる。
政治家に怒るなら。芸能人の不倫も許せなくなる。
芸能人の不倫が許せなくなったら、次はネット上の誰かの発言が腹立たしくなる。

それは不毛だけれど、同時にその不毛さこそを書くエネルギーにできる人はたくさんいる。それは例えば過去の僕だったのだと思う。

今は……怒りがあまりない。
コロナに対する怒りはある。だけどそれは一種の自然災害に対する感情だから、政治に感じる怒りとは性質が違う。

少なくとも、今の僕は「書くこと」に追い詰められていないのだ。
それはまさに「歳をとった」ということなのかもしれない。

それが良いことか、悪いことか。
それは……もう少し歳を重ねないと、判断できない。

少なくとも悪いことじゃないのだろうと、そう思いたいけれど。

一方で

タナトフォビア傾向は明確に強まっている。

mistclast.hatenablog.com

というか、この記事を書いた頃よりホリエモンに近づいている。
仕事やら趣味に没頭することで死を遠ざけようとしている。

この世界に執着したくなっているのだろう、多分。
「結局病んでるやんけ!」と言われてしまいそうだが、これに関しては幼稚園児だった頃からのものなのでどうしようもない。

……とはいえ。
「タナトフォビアライダーのバイク日記」みたいなブログにするつもりはない。癖が強すぎる。

まとめ

なんだかんだ元気です。多分。

お読みいただきありがとうございました。
ではまたどこかで。

 

他人を「許さない」というエンターテイメント

誰かを許さない人がいる。
誰かが失言をすると、その人が謝ったとしても、二度と日の目を見ないまでに追い詰められるべきだ、と「鬼」になる人がいる。

ここのところ僕はそれに触れて、たまらなく陰鬱になる。

そりゃ謝って済まないこともある。
僕も別に親を殺された人に「汝他人を許せ」なんて言わない。
許されてはならない悪もこの世に存在する。

だけど、そんな領域の話をしているわけじゃない。
舌禍なんて最たるもので、少なくとも「許されてはならない悪」という領域の話じゃない。

だけど、そういった領域の話に、「個人の怒り」を通り越して、「集団の怒り」を個人で受け持ってしまう人がいる。
そういった人たちは「大義」があるから、出口の無い怒りを「悪」と評価した相手にぶつけてしまう。

100人が聞いて概ね90人以上が「アウト」と思う発言をした人間に対して、その人が謝っても「許さない」と責め続ける行為は、「責められない」。

だって、「相手が悪い」から。
「誰がどう見ても悪いこと」を、そいつはしたから。

だけどさぁ……
それってもうおかしいと思うんだよ。

責めるなら、許すのもセットだろうと思う。
「許し」、言い換えると出口の存在し得ない責めなんてただの遊びで、もっと言うならただのイジメだ。
「お前が自分の認識する範囲から消えるまで俺はお前を許さない」なんて、それは許しじゃない。
ただの怒りに身を任せた断罪だよ。
もっとはっきり言うなら、エンタメだ。

それが成立する世の中がたまらなく嫌だ。

「これで終わり」「これで打ち止め」が必要だ。
それを想定せず人を断罪するなんて、やっぱり間違ってる。


もちろん、被害者が「鬼」になっても仕方ない事件もこの世にある。
大分県の竹田高校であった事件なんかは、ずっとずっと騒がれて然るべきだ。加害者がまだ何も言っていない。これだけの重大な事件であったにも関わらず、事件が闇に葬られている。

www.nikkei.com


でも、何度も言うけどそんな領域の話をしているわけじゃない。
鬼になんてならないほうが良いのだ。
なるべきじゃないのだ。
だけど僕には、進んで鬼になっている人が凄く増えているように見える。

うんざりする。
それを全部スルーできない自分自身にも。

書き殴りです。
ではまた。

 

コロナが連れてきた過去の日々

大学の頃を思い出す。

真面目に授業は受けていたし、成績もそれほど悪くはなかったけれど、熱心に勉強していたとは言い難い日々だった。

社会人になりたくなかった。
厳密に言えば、「普通の」社会人にはなりたくなかった。
贅沢な悩みだと言うのは分かっていたけれど多くの人が通る道だろうし、今でも考え方はそれほど変わっていない。

何か夢中になれるものを探して、ペンタブ買って絵を描いてみたりだとかカードゲームに手を出したりしてみたけれど、どちらも今ひとつモノにはならなかった。
特に絵は変なコンプレックスをこじらせながら中途半端に頑張ってはいたのだけれど、自分の才能の無さには薄々気づいてはいた。

そんな日々の中、ゲームも酒も、全部現実逃避に思えた。
ずっと、うっすら、焦っていた。
「自分は正しくないことをしている」。

大学4年になると単位も足りてしまって、睡眠がだんだん乱れ始めた。
ひどいときには目が覚めると夕方4時だった。
体内時計を戻そうとしても、どうしても戻らない。

そんな僕でも、結局なんだかんだで社会人になった。
社会人一年目の土日は何をやっていたか今ひとつ覚えていない。適当にゲームセンターに行ったり、誰かと飲んだり、そんな日々だったと思う。
焦りは相変わらずだった。

そして焦りを抱えた日々を繰り返したある日。

僕は、バイクに目覚めた。

埼玉に配属され、上京先の大田区から毎日2時間近くかけて通勤していた日々。
仕事帰りになんとなく立ち寄った五反田の書店でバイク雑誌が目に入ったのがきっかけだ。

そこからはあっという間だった。
1年で2万キロ近く走り、2年乗って買い替え、さらに3万キロ走り、また買い替え……

そうして晴れてさえいれば走る、そんな日々を繰り返し、有名なツーリングスポットはだいたい走ってしまった。
ライダーハウス、ゲストハウスも20以上巡っただろうか。どれくらい経験したか、もう覚えていない。
サーキットデビューもしてしまった。

……そして。

なんとなく、飽きてしまっていた。

バイクに根本的に飽きるということはあり得ない。
バイクに飽きたら、バイクに乗りながら考えれば良いのだ。
有名どころを走り尽くしたとしても、バイクに終わりはない。
どこにでも行ける。
知らないゲストハウス、地方の知らない小さな博物館、知らない小さな田舎の料理屋。知り尽くすには一生あっても足りない。

そして去年の冬が過ぎた。
春になったら行きたいところをいくつも決めていた。







そして、ヤツが来る。

 

今に在り、そして過去へ戻る

僕は一般論としての「人の密集したところは避けるべきだ」ということすらわざわざ口に出して言いたくない。
その一般論は極論、「人の密集したところや、人と常に接する職業で稼ぐビジネスモデルに従事している人たちは滅んで当然だ」という論理を内包している。
その上で一般論を言う人たちを悪く言いたいわけじゃない。
「絶対的な正しさがある」と思う人たち、あるいは「正しいことを言っていれば正しい」と無自覚に思う人たちを良く思わない……というかはっきり言って嫌いだというだけだ。

それでも、今構築されつつある倫理を念頭に置くと「バリバリ外出しろ!」とは言いにくいし、実際にそうは一切思わない。

結局、各々が各々の正義に従って行動すべきで、他人から反発を受けるような抑圧の押しつけは無意味だから避けるべきだという、中庸を嫌う人がとても怒りそうな結論に僕は至っている。
だがそれこそが紛れもなく、僕が至った結論なのだ。

その前提の上で、僕は明確に「ツーリングくらいやっても良い」と思っている。
立ち寄るのはコンビニとサービスエリア程度、人が密集している気配を感じたら速やかに去る、……を心がけていれば、事実としてリスクは近所のスーパーに行くより低いだろう。

……ただ、なぁ。
「そういった人の密集を現実的に避けられるのか」という問題は捨てきれないし、それ以前に……

そんなカリッカリの制限のもとで走っても、楽しくないんだよなぁ……

ゲストハウスにも行けない、地方の小さな博物館にも行けない。小さな田舎の料理屋でご飯を食べることもできない。

それなら首都高でも走ってどこにも立ち寄らず帰れば良い。
事故のリスクを別にしてノーリスクどころかゼロリスクだ。

ただ……それはただただ、面倒くさい。

結果として、僕はここまでの考え方を全て抜きにして、ここ最近はツーリングに出かけていない。
というより土日の朝、あまりにも眠くて眠くて、とても朝起きて走ろうという気にならないのだ。

だから土日は昼ごろまで寝て、適当にゲームして、酒飲んで寝てを繰り返している。

結果として……
僕は過去に戻った。
過去の、最も焦っていた、最もどうしようもない日々を、今僕は繰り返している。
そして、そんな日々は。
結果的に、鉤括弧付きの「正しい」日々なのだ。
反吐が出るほどに、正しい。

僕が抜け出したかったその日々は、僕の手元に舞い戻り……
そして今の社会 (いわゆる一般論) によって、肯定される生き方になった。
これはなんだ?
喜べば良いのか?

……まぁ。
そもそも、「正しくない日々」をバイクによって脱したという認識そのものが錯覚だったのかもしれない。
そもそも日々やら人生やらの本質はそこまで変わっていない……

……などと言うと言葉としてはキレイだけど、なぁ。

事実として生き方が変わったというのは間違っていないだろう。
変わった、というか戻った、というか……

結果的に、最近は在宅で仕事、YouTube、ゲーム、YouTubeYouTube麻雀、酒、仕事YouTube、ゲーム、麻雀、酒、YouTubeYouTube仕事YouTube、酒酒YouTubeたまにニコ動みたいな日々だ。
VTuberの雑談流しながらゴリゴリにプログラムを書いている。
それで一切ペースは落ちていないどころか、仕事が退屈じゃなくなった分、むしろ効率的になった。
これに関しては皮肉なことに、唯一この状況で「不幸中の幸い」と言えることだけれど、それ以外に関しては……
割と、どうしようもない。

だが。
そんな日々が、限りなく「正しい」のだ。
気が狂いそうになりながら、同時に……
自分の中で「正しくなかった」日々が「正しい」ものになった感覚を味わっている。

自分の中で「正しい」日々が「正しくない」ものになったこの感覚。
「正しくない」日々が「正しい」ものになったこの感覚。
それは多分戦後を生き抜いた日本人がみんな経験した気持ちなんだろうなぁ、と一種の新鮮さは覚えている。

この日々の後、「正しい」ことと「正しくない」ことは何か、頭が擦り切れるくらい考えた人たちは、絶対に絶対に強くなる。
人として強くなる。
それを成長と言って良いかはわからない。
それでも、確実に強くなる。

「正しい」ことと「正しくない」ことについて馬鹿みたいに考えることは、鉤括弧付きではなく、本当に、正しい。そのはずだ。

決して片方に流れてはならない。
幸いなことに、(そして悲しいことに)、それを考える時間だけはある……

もう少し、過去と現在を身体で味わおう。
やむなく、だけどね。

お読み頂きありがとうございました。ではまた。

 

鈴木このみ『アルカテイル』を聴いてオタクはオタクの夏に帰れ

どこかの誰かが言っていた。
『secret base 〜君がくれたもの〜』を聴くと、存在しない夏の記憶が蘇ると。

(原曲配信してないのでClariS版です)

www.youtube.com

どこの誰かが言ったか覚えてない。
そもそも本当にsecret baseだったかも定かではない。
もっと言えば音楽ですらなかった可能性もある。

けれど、なんとなく言いたいことは分かる。
否、なんとなくどころか。
……途方もなく、分かる。

そもそも、日本人の500%は「夏の思い出」という概念に弱いのだ。
それはもう大体のゲームにおける火属性のキャラの弱点が水属性であるように、大体の日本人に「夏の思い出」という概念は刺さるのだ。
ソースは僕だ。
文句あるか。

さて。

Apple musicでいろいろな曲を仕事しながら流し聴きしていると、「……ん?」となることがある。
もう一度聴いてみる。
「……これ、凄い曲じゃね?」
もう一度聴いてみる。
「いや、もう一度聴いてみるまでもなく……とんでもねえ曲じゃね?」

そんな一曲。

www.youtube.com


鈴木このみ『アルカテイル』、PCゲーム『Summer Pockets』OP。

後になって『CLANNAD』等で有名なKeyのゲームのOPだと知って、心から納得感を覚えた。
ピースがはまった、というか。

残念ながら、筆者はギャルゲーにはあまり詳しくない。
だがそんな筆者ですらKeyのことくらいは必修科目として知っている。
おそらく、こんな記事を読んでくれている画面の前のおまいら(死語を通り越し化石である) でも名前は知っているだろう。

とにかく、だ。
細かいことはいい、『アルカテイル』を聴いてみてくれ。

これは……
存在しない夏の思い出じゃない。
「存在した夏の思い出」そのものだ。

……。
大丈夫。
僕は記憶障害ではない。
ついに現実の辛さに耐えきれず、ギャルゲーの世界に心が囚われ、ありもしない過去を作り出したわけではない。

でも、伝わるはずなんだ。
これは「オタクの知っているオタクの夏」なんだ。
わかるだろうか?

あの頃は良かった

勘違いしないで頂きたい。
僕は「あの頃は良かった」などと言う奴が嫌いだ。
大抵の思い出と過去なんて、それこそ記憶の機能によって美しく飾られているだけのクソなのだ。

そう、クソなのだ。

……そんなクソな日々の中で、僕らはオタクになってしまったのだ。
多少なりとも救われていたのだ。
救われきれなかったとしても。

これは持論なんだけれど、僕はオタクというのはどこか後ろめたさを抱えているべきものだと思っている。
これはだいぶ前に書いた記事で、今ではまた状況が変わっているし時代の認識に浅い点があるけれど、思考の本筋は変わっていない。

mistclast.hatenablog.com

後ろめたさのないオタク趣味など、恥じらいのないエロスのようなものだ。
もちろん他人に趣味を公言するな、という意味ではない。
ただ、やっぱりどれだけアニメなり美少女ゲームなりがパブリシティを得ようとも、どこかしら「俺だけの救い」であってほしいという気持ちがある。
余談だが、某女性VTuberと某男性VTuberが公認カップリングみたいになってて、ファンも全員それを受け入れてて、良いとか悪いとか以前に「すげぇな……」と時代の変化を感じたのは少し前の話。

閑話休題。

上の『さよなら絶望先生』の記事で、『Fate』について「2007年時点で中学生にとってはよくわからない存在だった」と書いたら過激派のオタクから

「2007年で既に有名だったんですがぁ!!!???浅い人間ですねぇコポポポゥwwwwwww(要約)」

と罵られてしまった。
原文は上の記事のコメントにそのまま残っているが、なんというか「浅い人間」という罵倒があまりにも味わい深く素晴らしい。100点です。

それはさておき、僕が言いたかったのは「今だと中学生でFGOやってるやつらなんてザラにいるけれど、当時中学生でリアルタイムでFateを知っていたのはそれと比べると多めに見積もっても遥かに限られるのは間違いない」ということだ。
僕の想像よりは多いのかもしれないけれどさ。……深夜アニメ見てた中学生とか、ギャルゲーに没頭していたやつとか。あるいは単純にPS2の新作ゲーム追っかけてたやつとか。

でも。
実際の総数は重要じゃない。
問題は、「マイノリティ寄りの趣味を持っている」と当人が感じているかどうかなのだ。
2007年時点で「俺はギャルゲー大好きだしギャルゲーはマジョリティ寄りの趣味だぜ」と言い張る中学生はいたかもしれないけれど、そんな剛の者の話は知らん。

要するに、少なくとも僕は中学生の頃、Fate(もちろんPS2版です) やっててスゲー背徳感というか、「俺だけのもの」感があったことを覚えてるぜ、ってことだ。
今そんな感情持ってFGOやってる人は少ないんじゃないか?

そんな思い出を持ってるやつは……
救われてたんだよ。絶対に。

いくら日常がクソでも。
否、クソであればクソであるだけ。

日常を逆光の中に埋め尽くす、オタクコンテンツたちは、輝いていたんだよ。

ああ、逆光は身体を黒く埋め尽くす。

www.youtube.com

http://j-lyric.net/artist/a04d013/l021e75.html

日常が闇だとして、それを照らす光もまた、日常の一部だった。

そんな闇を今のオタクは感じていない、などと言うつもりはない。
オタクにはオタクそれぞれの闇があり、光がある。
けれど、抱えている後ろめたさだとか、そういったものの総量が闇と光を明確に映し出すのは間違いないと思っている。
この闇は感じていることが幸福であり、同時に不幸でもある。


……。
さて。お聞きください。
鈴木このみ、『アルカテイル』

www.youtube.com

なんというかマトモな曲の解説一切してないんだけど、十分伝わると思う。
否、伝わる人に伝わればいい。

この曲を聴けば、「帰れ」るのだ。
少なくとも僕は「帰れ」た。

そりゃ一番手っ取り早いのは過去の曲そのものを聴くことなんだろうけどさ。
『もってけ! セーラーふく』聴いてもいいし、『鳥の詩』聴いてもいいし、『アンインストール』聴いてもいい。世代がずれてたらゴメン。
でも、世代が合ってるとか合ってないとか、そういう問題じゃない。
そうじゃないんだ。

何故かこの2年前の歌に、「あの過去の夏」が全部詰まっていた。
少なくとも僕はそう感じてしまったのだ。
それだけの話なのだ。

終わりに

なんかもうすぐ完全版出るみたいですね。買おうかな……

key.visualarts.gr.jp

 Switch版は発売中。悩ましい。

Summer Pockets - Switch

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お読み頂きありがとうございました。
ではまた。

 

やっぱり、「責めるな」は間違っていない

こんにちは、Mistirです。

「いよいよ本格的に世の中ヤバいな」感が漂って久しいけど、それすらも通り越してもう大体の人があきらめモードに入ってきた気もする。
下手に外出すると死ぬ世界を描いたデス・ストランディングは好評発売中で、Mistirもプレイ中です。

【PS4】DEATH STRANDING

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でも個人的には龍が如く7を猛プッシュします。ゲームに久々に泣かされました。 

龍が如く7 光と闇の行方 - PS4

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  • 発売日: 2020/01/16
  • メディア: Video Game
 

それはさておき、少し前糸井重里さんと為末大さんが炎上していた。

note.com

個人的に為末サンが炎上したのは分かる。
糸井サンに関してははっきり言ってこれで炎上って無茶苦茶だなぁと思ったが、同時に神戸のクリスマスツリーの件でやらかしていたし、その経緯も含めたら仕方ないなぁという気もする。

www.j-cast.com

……けれど、やっぱり、おかしい。
「責めるな、じぶんのことをしろ」……「金持ちのお前が言うなよ!」って僻みは (正当かどうかは別にして)分からなくもないけれど、政権擁護してるってのはやっぱりエクストリームすぎる。

そういったもやもや感が、最近明確な言葉になった。
「明確な敵」と、「明確な敵を断罪してくれる人」を求めている人が、ガッと増えてしまっているのだ、と。
ずっと感じていたことだったけれど、より露骨になってしまった。

誰かが「責める」と、スッキリする?

上の結論に至る過程で読んだ記事が、次に紹介するふたつの記事だ。

www.cyzo.com

強い言葉で政治を批判する梅沢富美男と坂上忍が支持を上げているということについて。

「(政治家たちは)お殿様気分でいるんだったらいればいい! じゃあ下々に一回降りてきてどんな生活をしているのか、どんな暮らしをしているのか、テメエの目でちゃんと見ろ」と語気を強め、「手あげた人に10万円くれるって失礼じゃないですか」「あんたたちの給料は俺たちの税金ですよ。それをあんた自分の金みたいに言って」と猛烈に批判、司会の宮根誠司も止められないほどヒートアップした。

……。
子供向け番組の劇中劇でももうちょっとベタじゃない話するぞ……。


記事の中にあったこの解説に同意したい。

だけど実はこの人たち、特段に強い政治信条があるわけじゃないと思います。梅沢さんも坂上さんも単純に『怒り』を売り物にして稼ぐ人なんですよ。右も左も関係なく、自身の“粗暴なキャラクター”を最大限に生かし、ただ『怒ることができる方向』に向いて意見を述べてるだけ。

繰り返すけれど、僕は断じて「政治を批判するな」などと言うつもりはない。
だけど……なぁ。
いくらなんでも言ってることがベタすぎるというか……なんというか……。
その怒りの果てに何があるのか、さっぱりわからない。

……まぁただ、気持ちだけならなんとか分かるんだ。
今、もう世の中は理屈じゃない。
要するに、「子供向け番組の劇中劇でももうちょっとベタじゃない話するぞ」なんていう僕のツッコミなどより、明確な「悪」を「断罪」してくれるヒーローが求められているのだ。

手のひらを返すようだけれど、実のところ、梅沢サンがその役割を担ってくれている分には「まぁいっか」とも思う。
家に待機してテレビ観るくらいしかすることがない人も増えているだろうし、そういったガス抜きって必要になっているのだろう。

ただ。
もう一本。こっちのほうがヤバい。
筆者はかつてイタリアでワインを飲みながら日本人の生産性の低さを嘆いた内田樹先生です。

blog.tatsuru.com

日本はパンデミックの対応にははっきり失敗したと言ってよいと思います。
(中略)

―― なぜ日本は失敗したのですか。

内田 為政者が無能だったということに尽きます。

ああ、もう……本当に……この人とは……合わない。
僕はこの人のせいで「現代思想」という界隈周辺を嫌いになったと言っても過言じゃない。

気持ちは分かるけど、その断言じゃ何も解決しないよ。
それは何も語っていないのと同じだ。
アンタが率先してそれをやってどうするんだ。

ここでスッと僕の心に
「責めるな、じぶんのことをしろ」
という言葉が浮かんだ。

何度も何度も断っておくけど、「政府を責めるな」なんて言ってるわけじゃない。
だけどもうこの書き方なんか見てると「政権批判」とかじゃなくて、もう「仮想敵批判」と「空想」じゃない?それって。
スッキリする以外意味のない断罪を、創作ならともかく、現実のレイヤーでやってどうする?
しかも、

それはこのような人物を7年間も政権の座にとどめておいたわれわれの責任です。

とか言ってるけど、その「断罪」が向こう見ずで極端すぎたことから反発を招いた可能性が1%でもあるとか、全く思わないの?本気で?

梅沢サンが「断罪」やってる分には一種のエンターテイメントだから構わないのだけれど、なんていうかな……一応内田サンってアカデミック寄りの人っていう扱い受けてるよね?

これは僕の持論なんだけど、アカデミックって純粋に人に役立つものを科学やら研究やらで発見する、っていう側面もあれば、「世に迎合せず真理を追いかける」っていう側面もあると思ってる。
クサい言い方かもしれないけれど、世に迎合した学問なんかクソ食らえだとすら思う。
世に役立つものに意味がないと言っているのではない。
真理よりも特定集団の気持ちを高揚させることに意識が向いた時点で何かが腐り落ちる、と言ってるだけだ。

だからアカデミック界隈の人間が、世の潮流に対して「承認を与える」ようなことを言っているのを見ると……

心の底から気持ち悪い。

じゃあ、僕が言うしかないじゃないか。

責めるな

「お前も内田樹のこと責めてない?」っていうツッコミは至極真っ当だと思う。
だけど僕は「この潮流の全責任は内田樹にある」なんて言ってない。
ただ言ったことに対して「それはおかしい」って言ってるだけだ。

「責めるな」は僕の解釈で言い換えると、「スッキリするために怒るな!」ということを言っているに過ぎない。
「下々に降りてこい」も、「全て為政者が悪い」も、少なくとも僕には「スッキリする」以上の意味を感じ取れない。

僕がこの潮流について語ることは、少なからず意味があると信じた。
スッキリするためだけに怒っている人、たくさんいるだろう。
あえて断言するけど、それは無意味なんだ。
単純に不毛だろう。

そう語ることには意味があると信じた。
だから書いた。
そんな僕の意見を批判するのは自由だし、無意味だとも思わない。

さて。
……例を出した2つが政権に対する批判への批判になってしまったので、あくまでも僕は政治のことを問題にしたいわけじゃないというために、もう一つだけ参考記事を貼ろう。

togetter.com

ここでまとめられている糸井サンへの反応が全て。

僕が言いたいことは実際一つだけだ。
こうなる前に、自分だけでも、抗わなければならない。

……もちろん、これを引用すること自体に「責め」が内在してしまうというか、やっぱりどう言葉を尽くそうとも「責めるな」が自己言及的批判であることは自覚の上で書いている。
それでも、どうしてもこの「潮流」が、それこそ内田樹が批判する政府なんかよりも圧倒的に「ヤバいもの」に感じたのだ。
アカデミックな立場の人間ですらこの潮流に迎合するのなら、僕が宣言する。


誰かが言わなければならない。
疫病に抗えないなら、せめてこの潮流にだけは抗わなければならない、と。
この潮流に乗らず、じぶんのことをしよう、と。

世界は停滞しているようで動いている。
「怒る」なら、同時に、「抗う」べきだと思う。
逆張りクソ野郎呼ばわりされても構わない。

この「潮流」に気付かないうちに飲まれちゃダメだ。
抗わなければ。
その後は……やっぱり、耐えるしかないのだけれどね。

お読み頂きありがとうございました。
ではまたお会いしましょう。

 

fhánaについて熱く語ろう

こんにちは、Mistirです。

僕が音楽を語ると、過剰に熱が入ってしまう自覚がある。
今までその過剰な熱の餌食になってきたのはClariS吉井和哉だった。

mistclast.hatenablog.commistclast.hatenablog.com

mistclast.hatenablog.com

そして今、3組目の被害者となろうとしているのが……

fhánaだ。

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fhana.jp

fhánaの何に惚れているのか。
例えば今まで、僕がClariSを好きな理由は「可愛さの中に潜む薄幸さ加減と異様なレトロ感」、吉井和哉を好きな理由は「自分自身に語りかけているような切実さ」だった。

fhánaの魅力を一言で表すと、こうだ。
「全てを覆い尽くす旋律と歌声」
その意味を、fhánaを代表する3曲を主軸にして今から語らせて欲しい。

1. 青空のラプソディ


fhána / 青空のラプソディ - MUSIC VIDEO

君と出会い世界は 花束に溢れた

『小林さんちのメイドラゴン』OP曲。
正直、これを一曲目には挙げたくない。

これは例えば……「筒井康隆の代表作は?」の回答に『時をかける少女』を挙げるようなもので、代表作ではあるのだけれど、「最もその作者らしいか」と言えば決してど真ん中とは言えないという、そんな作品だからだ。

だけどこの曲をどうしても冒頭に持って来たかった。
残り2曲を語るために、どうしても1曲目は「豪速球であり、変化球である」この曲を語らなければならなかった。

シンプルに僕はこういう「底抜けに明るいのにちょっとだけ影があって、でもその影すら音楽が飲み込んでる」っていう曲に弱い。
途方もなく、弱い。
アニソンでこれに該当するのは他にtryseilの『adrenaline!!!』が思い浮かぶのだけれど……


TrySail 『adrenaline!!!』-Music Video YouTube EDIT ver.-


fhánaに関しては、最初に「全てを覆い尽くす旋律と歌声」と表現したように、「旋律と歌声が、こちらに有無を言わせてこない」という、そういった凄みがあるのだ。

……とはいえ。
『青空のラプソディ』だけ聞いていても、それは分からないと思う。
僕も最初聴いたとき「あ、この曲好きだなぁ」とは思ったけれど、それほどハマり込んだわけではなかった。

残り2曲を聴いた後に『青空のラプソディ』に戻って貰えれば、言いたいことが伝わると思う。

2. 僕を見つけて


fhána「僕を見つけて」(TVアニメ『ナカノヒトゲノム【実況中】』エンディング・テーマ)MUSIC VIDEO

今君から離れて旅立とう

壮大なストリングスに、2分間のアウトロを除き驚くほどギミックも小細工もない、信じられないほど王道、ド直球のバラード。
初めて聴いたときの感想は率直に「この曲に耐えうるアニメ存在するのか……!?」だった。
タイアップの『ナカノヒトゲノム』は観ねばと思いつつ観られていない……

さて。
腐っても僕、Mistirはブロガーであり、それでいてブログの目的とは、一言で言えば手練手管を下し、語彙を総動員した上で「何かを語る」ことだ。
上に引用した過去記事では吉井和哉について1万数千字で語っている。

その上で、言いたい。

……こんなええ曲、ある!?」と。
もうただただ、途方もなく、良い曲。
凄い曲。

「語りきれないほど良い曲」なんていう言葉をレビューで使っても良いものだろうか?

否、ダメだと思う。

それでも。
何を語ろうと、この音楽には勝てない。
それって語り手の敗北でしょ?と思われるかもしれないが……
この曲には負けていい。
本望だ。

「とんでもないギミック」だとか「バックグラウンド」、あるいは「技工」で惹きつけてくる曲が、僕は大好きだ。
それこそ過去記事で語ったClariSの『summer delay』はそんな曲だった。

mistclast.hatenablog.com

だけどこの曲に関しては、例えばfhánaというアーティストについて知っている必要も、考える必要すらもない。

ただただ、小細工も何もない美しさの旋律で、誰も否定できない純粋な「レクイエム」を歌い上げている、その事実に戦慄するだけでいい。

アウトロの超展開も、この曲以外では絶対にできないだろう。
旋律や歌声の美しさが展開に全く負けてないというか……
アウトロに込められる怒涛のエモーションの総量が、きっちりそれまでの展開と釣り合っている。

さて。
これほど絶賛して最後に一体何を紹介しようと言うのだろう?
予め断っておくけれど、「ベスト3」を紹介したいわけではない。
3位、2位、1位という順番ではないということだ。
純粋な「良い曲」の圧の大きさで言うならば『僕を見つけて』が最大かもしれない。

だけど、fhánaというアーティストに畏敬の念を抱くきっかけとなり、未だにその影響から逃れきれないこの曲を最後に置かないわけにはいかなかった。


3. 星屑のインターリュード 


fhána「星屑のインターリュード」 (TVアニメ『天体のメソッド』ED主題歌) MUSIC VIDEO

interlude 君は踊る 舞台に花びらが舞い
ああそしていつかそれぞれの 幕を引き旅立つ

「天体のメソッド」ED曲。
『僕を見つけて』が「こんなええ曲、ある!?」だとすると、この曲は……

「こんな綺麗な曲ある……?」だ。

一度聴いた後、歌詞だけ読んでみて欲しい。
結構不穏なのだ。

これはタイアップしている『天体のメソッド』に沿った内容と言えばそれまでなのだけれど、注目すべきはそこよりも……

旋律と歌声の美しさが、不穏を全て希望に変えていることだ。
少なくとも僕は今までこんなアニソンに出会ったことはなかった。

現代風のストリングス、少しレトロな進行、エモーショナルな歌声……
シンプルに好きな要素が勢揃いだったと言えばそれまでなのだけれど、この曲にはそれ以上の何かを感じた。
言葉の先にある音楽の凄みに、音楽とその音楽の中にある言葉だけでたどり着いている……

未だに怖い。

いつか終わりの日が来る そう感じさせるよ

……なんていう歌詞を、こんな美しさに乗せられては……
音楽の前の言葉の無力さを感じずにはいられない。

だけど同時に……
それは、決して不快なものではない。

終わりに

僕が音楽を語ると褒め殺しみたいになってしまう……とたまに言われるのだけれど、凄い音楽に対して手を変え品を変え「凄い」と語ることに、僕は一切罪悪感を覚えない。

僕の絶賛など、本当に良い音楽の前には無力だと知っているからだ。
そして僕はその無力を、喜んで受け入れる。
それが音楽に対する敬意ともなるから。
ただ、僕の言葉によって音楽の魅力が半分も伝わらないのだけは残念でならない。

だから、僕が貼ったYouTubeのリンクから聴いてみて欲しい。
そして僕の言葉なんかどうでもいいと、そう思って欲しい。
半分も魅力を伝えきれていないと、そう感じて欲しい。

それくらいの力を音楽にブチ込んでくるアーティスト……
それが、僕の知るfhánaというグループだ。

お読み頂きありがとうございました。
ではまた。

 

何かを書くために、勇気と元気が必要だ

こんにちは、Mistirです。
全然更新してませんでしたが、生きてます。

……いやね、もう頭パンクしそうなんですよ。
今、日本中の誰だってそうだと思う。

そんな中、僕にできることは語ることだけ。
……でも、「じゃあなにか語る」って、そんな簡単に物事進まない。
何か語ろうと思った。だけど、何一つまとまらない。

これがもし5年前なら、さ。
これ、凄くバズった記事なんだけど……

mistclast.hatenablog.com

どうもこんにちは。
風刺大好き、表現の過激派リベラルのMistirです。 

こんなこともう恥ずかしくて書けねえよ……

歳なのかなぁ。

第一、Mistirってなんだよ。
30歳近い男の筆名としてそれはどうなんだ?
……今更変えるのも思いつかないけどさ。

まぁ「表現の過激派リベラル」は極端だとしても、「何もかもがバカバカしい」というか、「この世のあらゆることが単なる儀式に見えてしまう」っていう、一種の虚無主義とはずっと戦ってる。
コロナ騒動以前から。

……勇気が、必要だ。
語る勇気と、ダサくある勇気。
自分のことを「表現の過激派リベラル」とか臆面もなく言っちゃう勇気……。
それから元気。

誰かに勇気を与える前に、自分に勇気がほしい。
そんなことを考えながら、少しずつでもまたブログを書いていきたいと思ってます。

バイクのこととか、もう死語になりつつあるけど、サブカル的なこととか。
考えてることとか。
唐突かもしれないけれど、いろんなことを語らせてください。
僕自身の治療に、今しばらくお付き合いください。
Mistirはここにいます。

遠からずお会いしましょう。
ではまた。

 

 

 

追いかけることに、疲れた

こんにちは、Mistirです。

Twitterをやめた。

続けて、毎日チェックしていたニュースサイトの巡回をやめた。
ジャンププラスで更新される漫画を毎日追いかけることもやめた。


家に帰ったあとの楽しみだったニコ動、YouTubeの巡回もやめるようになった。

毎週きっちり読んでいた少年ジャンプもだんだん面倒くさくなった。

シンプルライフを得た僕は、とてもハッピー。












とは言えず。










不安だけが、残った。


そんな僕の話をしよう。

 

なんでこんな追いかけないといけないんだ

ニュースサイトの巡回までは意図的にやめた。

Twitterに関しては「ヤバい、このままだと無限に時間使っちまう」「ヤバい、このままだと悪意に染まっちまう」みたいなヤバみはずっと感じていた。
それできっちりとやめたのが去年10月あたりのことだ。

だが、スキマ時間があるとついアプリを開いて片っ端から眺めてしまう癖は治っていなかった。ニュースアプリとかWeb漫画のアプリとか。
「これなんの意味もねえな」と感じるようになり、勢いで削除した。

結局、自分がなんでそうリアルタイムで片っ端から「情報」を追いかけていたのかというと、端的に言えば依存症だったのだと思う。
その上で「なぜ依存症になるのか」っていう根元にあったのは……

「不安」


なのだろう。

毎日新しく提供されるコンテンツや情報を追いかけていないと、不安。そういった感情は大なり小なり誰にでもあるものだと思う。

そもそも「すっげー楽しみ!!!」だから追いかけるのは良いと思う。
今も毎週『異種族レビュアーズ』の配信は滅茶苦茶楽しみにしている。

でも、それほど楽しみってわけでもないのに毎週毎日何かに追い立てられるのは……
……冷静に考えるとおかしくないか?
それ、何が楽しいんだ?

そう。
今の僕のようにシンプルライフでハッピーになれば良いのである。






……と、言えればどれだけ良かったか。
結論を言えば、「うっすら膜を張ったような不安」が下手すると以前より目立つようになった。

「うっすら膜を張ったような不安」。
これが理解できない人は、きっと幸せな人だ。

僕は高校の頃あたりからずっとそれに苛まれてきて、かつそれとの戦いだけに人生を費やしてきたように思う。

……明確にそれを自覚したのはごく最近のことで、明文化できるようになったのは上にあるようにいろいろな「惰性の習慣」をやめた結果ではあるから、その意味で「惰性の習慣」をやめたことに意味はあった。

それはさておき。

「うっすら膜を張ったような不安」。
これがあると、博物館に行こうが水族館に行こうが何をしようが集中できなくなる。
なんだか目の前のことに集中できなくなるのだ。

言葉にすれば「本当にこんなことをしていて良いのか?」という感じ。
理屈では「本当にこんなことをしていて良い」ってことは分かっている。

分かってはいるんだけど……なんだ?この不安は。正体の無いこの不安は。
いや、正体無いって分かっとるやんけ!!!!
分かっとるんや……

つまり無意味なのである。

無意味だけれど、……無意味なのだけれど。
確かなことがある。

この無意味な不安は、明確に消える瞬間がある。

セックスしてるときと、酒を飲んでいるとき。

次点で筋トレしてるとき。
その次に、バイクに乗って遠くに行ってるとき。
ただバイクはここ数年で乗りすぎて「不安を消すこと」に関してはあまり効力を持たなくなった。それにセックスも最近やってねえよ。うるせえ。

結果としてセックス、酒、筋トレによってのみ不安を解消する負の存在(ある意味男の中の男) が生まれた。

言うまでもないが筋トレはまぁ良いとして、残りふたつは依存しやすい行為の筆頭である。
結局のところ、僕の人生は不安と依存との戦いなのである。

この状態は、実感として極めてヤバい。
何もかもが面倒になる。
面倒だけど、上記3つはなんとかできるっていう変な生物が出来上がる。

この状態を迂闊に「鬱」だとかそういう言葉で表現して良いのかは分からないけれど、少なくともそれと同じくらいヤバい状態であることは間違いない。
僕の実感として……ではあるけれど。


図書館に行こう

で。
時間は今日に飛ぶのだけれど、重い腰を上げて図書館に行ってきた。
電子書籍オタクになっていたことや、スマホ依存に近い状態になっていたことでひどく敬遠していたのだけれど、今の「何も追いかけない、何も追いかける気にならない」状況には必要なものと思われたのだ。

行ったら行ったで、大量の本に圧倒されて憂鬱になった。
そして次に怒りが生じた。なぜたった一つの図書館でも300年じゃ読み切れないくらいの本があるのに、インターネットコンテンツたちは有象無象のエンターテインメントを提供してくるのか。
埋もれさせることだけが望みなのか。

何もかもが埋もれる世界で、僕はどうやって自分と、自分の好きなものと、自分の時間と、……そういった本来大事なはずのものごとを見つけ出せば良いのだ。

とりあえず2, 3冊、アンチ自己啓発系の本を手に取る。せっかくだから小説も借りよう。直木賞作家の西加奈子の本、読みたかったから借りるか。ん?志茂田景樹『SEXするバカ、させるバカ』……俺のことバカにしてんのか!?借りよう。あ、冲方丁も好きだったなそう言えば。借りよう。ん?これ前観れなかったあの映画の原作か。借りよう。

……そうこうしているうちに8冊も借りてしまった。

……なんだかんだ。
無理矢理にでも、見つけることはできる……もんだね。
これだけいっぱい本があったとしても。

多分、そうやって僕は自分を「治していく」ことしかできないのだろうなぁ。しんどいなぁ。時間がかかるなぁ。

人生は短い。だけど本来、5年、10年という時間は、不安だけ抱えて過ごすにはあまりにも長いのだ。

「人生は短い」「10年はあっという間」……それだけ「呟いて」無為に過ごすくらいなら、少しは抵抗したい。
できれば不安に駆動されてではなく、何かもっと……幸福な原動力に駆動されて。

それができるのはいつになるのか分からない。
でも、まぁ多分悪い方向には行ってないのだろう。今はそう信じる他に道はない。

余談

疲れやすく、やる気がなくて、憂鬱で、依存症傾向。
そんな人間としては割とヤバい僕だが、仕事だけは何故かそれなりに上手くいっている。ベストだとは思わないけれど、人生の他の領域より悩みは少ない。

というのも。
「うっすら膜を張ったような不安を常に抱えている」というのは、システムエンジニアとして究極の適正なのではないか、と最近思うのだ。

不安やら懸念点やらを片っ端から洗い出して、片っ端から対応する。
そもそも、少しでもそういう気質が無いとエンジニアなんていう仕事は多分続かない気がする。

その点では僕はラッキーではあった。
だから僕と似たような悩みを抱えてるならエンジニアになればいいよ (雑なまとめ)

お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事で。

 

探求の最果てに辿り着いた究極の減量メシを教える

今日は良い気分だ、お前らに良いことを教えてやろう。

俺はこれまで、炭水化物脂質タンパク質をベストバランスで摂取するためのメシを追求してきた。

例えば筋トレしてる人間には常識の『沼』。
何?沼を知らない?仕方ないな、動画を見るといい。


究極の減量食「沼」を大公開!

 
これは意外と美味い。
だが「意外と」の域を出ず、毎日食べるにはやはり少し辛い。

そんな俺が辿り着いた減量メシがある。
圧倒的到達地点。聖域。そこで聖杯を俺は見つけたんだ。
注がれていたのはタンパク質だったってわけさ。

俺はただただお前にそれを教えたくなったんだ。

 まず、フードプロセッサーを買う。
せいぜい数千円だ。


そこにキャベツを適当にブチ込むんだ。1/8程度でいい。
千切りなんかやってられないだろ。
俺たちには時間がないんだ。
人生は短い。

そこにな、を2個ブチ込む。
ツナ缶も1缶ブチ込む。
全部フードプロセッサーにブチ込んでしまえ。

これでタンパク質はおおよそ22gだ。
お前に栄養の知識があるなら、もうこの時点で畏れ多さにひれ伏して、地面と挨拶してる頃だろうさ。
このタンパク質を前にして、頭を上げていられるとしたら、そいつは神をも恐れぬ人間だろうさ。

さて。頭を気合で上げて、別の容器で40g程度のオートミールと、150mlの水を混ぜてチンする。 

40gのオートミールを計量するのが面倒くさい?
計量カップで100cc程度でだいたい40g前後だ。細かいことはどうでもいい。

オートミールはそもそも低糖質の上に、血糖値を上げにくいし腹持ちが良く食物繊維まみれっていう神の食べ物だ。
欠点は米と比べるとクソまずいってことだ。
工夫したら美味いが、唐揚げと白飯のマリアージュに叶うわけがない。
メリケンサックをつけたメイウェザーに素手のお前が挑むようなものだな。

だが、安心しろ。
この食い方の場合、そんな欠点はどうせ忘れる。
素手のお前でも銃を持った狩人と同じくらいの力になる。

で、チンしたオートミールをさっきのフードプロセッサーで混ぜた物体にブチ込んで、混ぜる。
ぐるぐると混ぜる。

この際、筋トレしてるお前はカッテージチーズを混ぜてもいい。
カッテージチーズはチーズのくせに脂質が低くタンパク質が大量に入っている、これまた神の食べ物だ。
そして少量のキムチを入れる。

さぁ、その後はオリーブオイルを薄く引いたテフロンのフライパンで焼くんだ。
減量するならちゃんとしたフライパンは必須だぞ。
油が少なくて済むからな。
無駄な油は取りたくないだろう?
無駄に年を取りたくないのと同じさ。せっかくなら美しく年老いたいじゃないか。

この辺りがおすすめだ。 

エバークック フライパン 26cm ガス火専用 レッド 1年保証 ドウシシャ
 

で、後は両面3-4分くらい適当に焼けばいいだろう。
焼けてなければもう一回焼け。
何度でもやり直せる。人生と同じさ。
何?焦げた?苦い思い出もまた人生さ。

そしてできた物体に、青のりと鰹節、それからポン酢をかけて食え。

何?ソースじゃないのかって?
オートミールの糖質はせいぜい20-30gなんだが、お好み焼きにどっさりかかるくらいのソースをかけると、なんとソースだけで下手すると30-40gくらいいっちゃうんだ。
普段は「調味料の糖質なんか誤差の範囲だ!」と言ってる俺だが、さすがにそれは真冬にベッドに入った後喉が渇いて冷蔵庫まで歩くのと同じくらいもったいない。

さあ、これが完成品だ。

f:id:Mistclast:20200121235633j:plain


こいつの成分は、だいたい糖質が30g前後, タンパク質が30g前後, 脂質が15g前後といったところだろう。

既に恐ろしい、素晴らしい成分だ。
だが、こいつの本領は成分そのものじゃない。

まず、減量メシとして異常に美味くて食いやすいこと。オートミールはお好み焼きにするとフワフワになって豆腐みたいになるんだ。だからポン酢で食べたら美味いに決まっている。
わさびをつけてもいい。珍味みたいになる。

そして減量中に摂取しにくい食物繊維が、梅雨の時期のある日のお前の睡眠時間と同じくらい大量に摂取できること。

そして、何より。
気付いただろう。
無限の拡張性に。
俺は今回こいつに刻んだオクラを入れた。美味かった。
刻んだって言っても、フードプロセッサーに突っ込んだだけだ。
俺は面倒くさがりなもんでな。お前と同じだ。

キムチもな、実はノリで入れたんだ。美味かった。
タンパク質がもっと欲しいならもう一個卵を入れてもいいし、鶏むね肉のひき肉を入れてもいい。ツナ缶も2缶入れちゃ駄目だなんて誰も言わない。
野菜が足りないなら人参を入れろ。

お前の生き方と同じく自由だ。
そしてお前の未来と同じく無限の可能性がある。

俺は止めたが、ソースをかけてもいいし、豚肉を引いて普通のお好み焼きにしてもいいんだ。
人には悪をなす自由意志があるんだ。
これはお前の意志の問題なんだよ。そうだろ?

この料理を試してみるのも試さないのも、お前の意志の問題なんだよ。

言いたいことは言った。
ちなみに俺はシラフでこれを書いている。
普通に上がったテンションだけで書ききったんだ。
それくらいの革命的だったんだよ。わかれよ。革命デュアリズムなんだよ。

かつて読んだこのブログに影響されたことは否定しない。

goldhead.hatenablog.com


お前らもちゃんと野菜食えよ。
タンパク質も摂取しろ。健康に生きろよ。

またな。