MistiRoom

旅することと、語ること。自由であること。

やっぱり、「責めるな」は間違っていない

こんにちは、Mistirです。

「いよいよ本格的に世の中ヤバいな」感が漂って久しいけど、それすらも通り越してもう大体の人があきらめモードに入ってきた気もする。
下手に外出すると死ぬ世界を描いたデス・ストランディングは好評発売中で、Mistirもプレイ中です。

【PS4】DEATH STRANDING

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でも個人的には龍が如く7を猛プッシュします。ゲームに久々に泣かされました。 

龍が如く7 光と闇の行方 - PS4

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それはさておき、少し前糸井重里さんと為末大さんが炎上していた。

note.com

個人的に為末サンが炎上したのは分かる。
糸井サンに関してははっきり言ってこれで炎上って無茶苦茶だなぁと思ったが、同時に神戸のクリスマスツリーの件でやらかしていたし、その経緯も含めたら仕方ないなぁという気もする。

www.j-cast.com

……けれど、やっぱり、おかしい。
「責めるな、じぶんのことをしろ」……「金持ちのお前が言うなよ!」って僻みは (正当かどうかは別にして)分からなくもないけれど、政権擁護してるってのはやっぱりエクストリームすぎる。

そういったもやもや感が、最近明確な言葉になった。
「明確な敵」と、「明確な敵を断罪してくれる人」を求めている人が、ガッと増えてしまっているのだ、と。
ずっと感じていたことだったけれど、より露骨になってしまった。

誰かが「責める」と、スッキリする?

上の結論に至る過程で読んだ記事が、次に紹介するふたつの記事だ。

www.cyzo.com

強い言葉で政治を批判する梅沢富美男と坂上忍が支持を上げているということについて。

「(政治家たちは)お殿様気分でいるんだったらいればいい! じゃあ下々に一回降りてきてどんな生活をしているのか、どんな暮らしをしているのか、テメエの目でちゃんと見ろ」と語気を強め、「手あげた人に10万円くれるって失礼じゃないですか」「あんたたちの給料は俺たちの税金ですよ。それをあんた自分の金みたいに言って」と猛烈に批判、司会の宮根誠司も止められないほどヒートアップした。

……。
子供向け番組の劇中劇でももうちょっとベタじゃない話するぞ……。


記事の中にあったこの解説に同意したい。

だけど実はこの人たち、特段に強い政治信条があるわけじゃないと思います。梅沢さんも坂上さんも単純に『怒り』を売り物にして稼ぐ人なんですよ。右も左も関係なく、自身の“粗暴なキャラクター”を最大限に生かし、ただ『怒ることができる方向』に向いて意見を述べてるだけ。

繰り返すけれど、僕は断じて「政治を批判するな」などと言うつもりはない。
だけど……なぁ。
いくらなんでも言ってることがベタすぎるというか……なんというか……。
その怒りの果てに何があるのか、さっぱりわからない。

……まぁただ、気持ちだけならなんとか分かるんだ。
今、もう世の中は理屈じゃない。
要するに、「子供向け番組の劇中劇でももうちょっとベタじゃない話するぞ」なんていう僕のツッコミなどより、明確な「悪」を「断罪」してくれるヒーローが求められているのだ。

手のひらを返すようだけれど、実のところ、梅沢サンがその役割を担ってくれている分には「まぁいっか」とも思う。
家に待機してテレビ観るくらいしかすることがない人も増えているだろうし、そういったガス抜きって必要になっているのだろう。

ただ。
もう一本。こっちのほうがヤバい。
筆者はかつてイタリアでワインを飲みながら日本人の生産性の低さを嘆いた内田樹先生です。

blog.tatsuru.com

日本はパンデミックの対応にははっきり失敗したと言ってよいと思います。
(中略)

―― なぜ日本は失敗したのですか。

内田 為政者が無能だったということに尽きます。

ああ、もう……本当に……この人とは……合わない。
僕はこの人のせいで「現代思想」という界隈周辺を嫌いになったと言っても過言じゃない。

気持ちは分かるけど、その断言じゃ何も解決しないよ。
それは何も語っていないのと同じだ。
アンタが率先してそれをやってどうするんだ。

ここでスッと僕の心に
「責めるな、じぶんのことをしろ」
という言葉が浮かんだ。

何度も何度も断っておくけど、「政府を責めるな」なんて言ってるわけじゃない。
だけどもうこの書き方なんか見てると「政権批判」とかじゃなくて、もう「仮想敵批判」と「空想」じゃない?それって。
スッキリする以外意味のない断罪を、創作ならともかく、現実のレイヤーでやってどうする?
しかも、

それはこのような人物を7年間も政権の座にとどめておいたわれわれの責任です。

とか言ってるけど、その「断罪」が向こう見ずで極端すぎたことから反発を招いた可能性が1%でもあるとか、全く思わないの?本気で?

梅沢サンが「断罪」やってる分には一種のエンターテイメントだから構わないのだけれど、なんていうかな……一応内田サンってアカデミック寄りの人っていう扱い受けてるよね?

これは僕の持論なんだけど、アカデミックって純粋に人に役立つものを科学やら研究やらで発見する、っていう側面もあれば、「世に迎合せず真理を追いかける」っていう側面もあると思ってる。
クサい言い方かもしれないけれど、世に迎合した学問なんかクソ食らえだとすら思う。
世に役立つものに意味がないと言っているのではない。
真理よりも特定集団の気持ちを高揚させることに意識が向いた時点で何かが腐り落ちる、と言ってるだけだ。

だからアカデミック界隈の人間が、世の潮流に対して「承認を与える」ようなことを言っているのを見ると……

心の底から気持ち悪い。

じゃあ、僕が言うしかないじゃないか。

責めるな

「お前も内田樹のこと責めてない?」っていうツッコミは至極真っ当だと思う。
だけど僕は「この潮流の全責任は内田樹にある」なんて言ってない。
ただ言ったことに対して「それはおかしい」って言ってるだけだ。

「責めるな」は僕の解釈で言い換えると、「スッキリするために怒るな!」ということを言っているに過ぎない。
「下々に降りてこい」も、「全て為政者が悪い」も、少なくとも僕には「スッキリする」以上の意味を感じ取れない。

僕がこの潮流について語ることは、少なからず意味があると信じた。
スッキリするためだけに怒っている人、たくさんいるだろう。
あえて断言するけど、それは無意味なんだ。
単純に不毛だろう。

そう語ることには意味があると信じた。
だから書いた。
そんな僕の意見を批判するのは自由だし、無意味だとも思わない。

さて。
……例を出した2つが政権に対する批判への批判になってしまったので、あくまでも僕は政治のことを問題にしたいわけじゃないというために、もう一つだけ参考記事を貼ろう。

togetter.com

ここでまとめられている糸井サンへの反応が全て。

僕が言いたいことは実際一つだけだ。
こうなる前に、自分だけでも、抗わなければならない。

……もちろん、これを引用すること自体に「責め」が内在してしまうというか、やっぱりどう言葉を尽くそうとも「責めるな」が自己言及的批判であることは自覚の上で書いている。
それでも、どうしてもこの「潮流」が、それこそ内田樹が批判する政府なんかよりも圧倒的に「ヤバいもの」に感じたのだ。
アカデミックな立場の人間ですらこの潮流に迎合するのなら、僕が宣言する。


誰かが言わなければならない。
疫病に抗えないなら、せめてこの潮流にだけは抗わなければならない、と。
この潮流に乗らず、じぶんのことをしよう、と。

世界は停滞しているようで動いている。
「怒る」なら、同時に、「抗う」べきだと思う。
逆張りクソ野郎呼ばわりされても構わない。

この「潮流」に気付かないうちに飲まれちゃダメだ。
抗わなければ。
その後は……やっぱり、耐えるしかないのだけれどね。

お読み頂きありがとうございました。
ではまたお会いしましょう。

 

fhánaについて熱く語ろう

こんにちは、Mistirです。

僕が音楽を語ると、過剰に熱が入ってしまう自覚がある。
今までその過剰な熱の餌食になってきたのはClariS吉井和哉だった。

mistclast.hatenablog.commistclast.hatenablog.com

mistclast.hatenablog.com

そして今、3組目の被害者となろうとしているのが……

fhánaだ。

f:id:Mistclast:20200419235743p:plain

fhana.jp

fhánaの何に惚れているのか。
例えば今まで、僕がClariSを好きな理由は「可愛さの中に潜む薄幸さ加減と異様なレトロ感」、吉井和哉を好きな理由は「自分自身に語りかけているような切実さ」だった。

fhánaの魅力を一言で表すと、こうだ。
「全てを覆い尽くす旋律と歌声」
その意味を、fhánaを代表する3曲を主軸にして今から語らせて欲しい。

1. 青空のラプソディ


fhána / 青空のラプソディ - MUSIC VIDEO

君と出会い世界は 花束に溢れた

『小林さんちのメイドラゴン』OP曲。
正直、これを一曲目には挙げたくない。

これは例えば……「筒井康隆の代表作は?」の回答に『時をかける少女』を挙げるようなもので、代表作ではあるのだけれど、「最もその作者らしいか」と言えば決してど真ん中とは言えないという、そんな作品だからだ。

だけどこの曲をどうしても冒頭に持って来たかった。
残り2曲を語るために、どうしても1曲目は「豪速球であり、変化球である」この曲を語らなければならなかった。

シンプルに僕はこういう「底抜けに明るいのにちょっとだけ影があって、でもその影すら音楽が飲み込んでる」っていう曲に弱い。
途方もなく、弱い。
アニソンでこれに該当するのは他にtryseilの『adrenaline!!!』が思い浮かぶのだけれど……


TrySail 『adrenaline!!!』-Music Video YouTube EDIT ver.-


fhánaに関しては、最初に「全てを覆い尽くす旋律と歌声」と表現したように、「旋律と歌声が、こちらに有無を言わせてこない」という、そういった凄みがあるのだ。

……とはいえ。
『青空のラプソディ』だけ聞いていても、それは分からないと思う。
僕も最初聴いたとき「あ、この曲好きだなぁ」とは思ったけれど、それほどハマり込んだわけではなかった。

残り2曲を聴いた後に『青空のラプソディ』に戻って貰えれば、言いたいことが伝わると思う。

2. 僕を見つけて


fhána「僕を見つけて」(TVアニメ『ナカノヒトゲノム【実況中】』エンディング・テーマ)MUSIC VIDEO

今君から離れて旅立とう

壮大なストリングスに、2分間のアウトロを除き驚くほどギミックも小細工もない、信じられないほど王道、ド直球のバラード。
初めて聴いたときの感想は率直に「この曲に耐えうるアニメ存在するのか……!?」だった。
タイアップの『ナカノヒトゲノム』は観ねばと思いつつ観られていない……

さて。
腐っても僕、Mistirはブロガーであり、それでいてブログの目的とは、一言で言えば手練手管を下し、語彙を総動員した上で「何かを語る」ことだ。
上に引用した過去記事では吉井和哉について1万数千字で語っている。

その上で、言いたい。

……こんなええ曲、ある!?」と。
もうただただ、途方もなく、良い曲。
凄い曲。

「語りきれないほど良い曲」なんていう言葉をレビューで使っても良いものだろうか?

否、ダメだと思う。

それでも。
何を語ろうと、この音楽には勝てない。
それって語り手の敗北でしょ?と思われるかもしれないが……
この曲には負けていい。
本望だ。

「とんでもないギミック」だとか「バックグラウンド」、あるいは「技工」で惹きつけてくる曲が、僕は大好きだ。
それこそ過去記事で語ったClariSの『summer delay』はそんな曲だった。

mistclast.hatenablog.com

だけどこの曲に関しては、例えばfhánaというアーティストについて知っている必要も、考える必要すらもない。

ただただ、小細工も何もない美しさの旋律で、誰も否定できない純粋な「レクイエム」を歌い上げている、その事実に戦慄するだけでいい。

アウトロの超展開も、この曲以外では絶対にできないだろう。
旋律や歌声の美しさが展開に全く負けてないというか……
アウトロに込められる怒涛のエモーションの総量が、きっちりそれまでの展開と釣り合っている。

さて。
これほど絶賛して最後に一体何を紹介しようと言うのだろう?
予め断っておくけれど、「ベスト3」を紹介したいわけではない。
3位、2位、1位という順番ではないということだ。
純粋な「良い曲」の圧の大きさで言うならば『僕を見つけて』が最大かもしれない。

だけど、fhánaというアーティストに畏敬の念を抱くきっかけとなり、未だにその影響から逃れきれないこの曲を最後に置かないわけにはいかなかった。


3. 星屑のインターリュード 


fhána「星屑のインターリュード」 (TVアニメ『天体のメソッド』ED主題歌) MUSIC VIDEO

interlude 君は踊る 舞台に花びらが舞い
ああそしていつかそれぞれの 幕を引き旅立つ

「天体のメソッド」ED曲。
『僕を見つけて』が「こんなええ曲、ある!?」だとすると、この曲は……

「こんな綺麗な曲ある……?」だ。

一度聴いた後、歌詞だけ読んでみて欲しい。
結構不穏なのだ。

これはタイアップしている『天体のメソッド』に沿った内容と言えばそれまでなのだけれど、注目すべきはそこよりも……

旋律と歌声の美しさが、不穏を全て希望に変えていることだ。
少なくとも僕は今までこんなアニソンに出会ったことはなかった。

現代風のストリングス、少しレトロな進行、エモーショナルな歌声……
シンプルに好きな要素が勢揃いだったと言えばそれまでなのだけれど、この曲にはそれ以上の何かを感じた。
言葉の先にある音楽の凄みに、音楽とその音楽の中にある言葉だけでたどり着いている……

未だに怖い。

いつか終わりの日が来る そう感じさせるよ

……なんていう歌詞を、こんな美しさに乗せられては……
音楽の前の言葉の無力さを感じずにはいられない。

だけど同時に……
それは、決して不快なものではない。

終わりに

僕が音楽を語ると褒め殺しみたいになってしまう……とたまに言われるのだけれど、凄い音楽に対して手を変え品を変え「凄い」と語ることに、僕は一切罪悪感を覚えない。

僕の絶賛など、本当に良い音楽の前には無力だと知っているからだ。
そして僕はその無力を、喜んで受け入れる。
それが音楽に対する敬意ともなるから。
ただ、僕の言葉によって音楽の魅力が半分も伝わらないのだけは残念でならない。

だから、僕が貼ったYouTubeのリンクから聴いてみて欲しい。
そして僕の言葉なんかどうでもいいと、そう思って欲しい。
半分も魅力を伝えきれていないと、そう感じて欲しい。

それくらいの力を音楽にブチ込んでくるアーティスト……
それが、僕の知るfhánaというグループだ。

お読み頂きありがとうございました。
ではまた。

 

何かを書くために、勇気と元気が必要だ

こんにちは、Mistirです。
全然更新してませんでしたが、生きてます。

……いやね、もう頭パンクしそうなんですよ。
今、日本中の誰だってそうだと思う。

そんな中、僕にできることは語ることだけ。
……でも、「じゃあなにか語る」って、そんな簡単に物事進まない。
何か語ろうと思った。だけど、何一つまとまらない。

これがもし5年前なら、さ。
これ、凄くバズった記事なんだけど……

mistclast.hatenablog.com

どうもこんにちは。
風刺大好き、表現の過激派リベラルのMistirです。 

こんなこともう恥ずかしくて書けねえよ……

歳なのかなぁ。

第一、Mistirってなんだよ。
30歳近い男の筆名としてそれはどうなんだ?
……今更変えるのも思いつかないけどさ。

まぁ「表現の過激派リベラル」は極端だとしても、「何もかもがバカバカしい」というか、「この世のあらゆることが単なる儀式に見えてしまう」っていう、一種の虚無主義とはずっと戦ってる。
コロナ騒動以前から。

……勇気が、必要だ。
語る勇気と、ダサくある勇気。
自分のことを「表現の過激派リベラル」とか臆面もなく言っちゃう勇気……。
それから元気。

誰かに勇気を与える前に、自分に勇気がほしい。
そんなことを考えながら、少しずつでもまたブログを書いていきたいと思ってます。

バイクのこととか、もう死語になりつつあるけど、サブカル的なこととか。
考えてることとか。
唐突かもしれないけれど、いろんなことを語らせてください。
僕自身の治療に、今しばらくお付き合いください。
Mistirはここにいます。

遠からずお会いしましょう。
ではまた。

 

 

 

追いかけることに、疲れた

こんにちは、Mistirです。

Twitterをやめた。

続けて、毎日チェックしていたニュースサイトの巡回をやめた。
ジャンププラスで更新される漫画を毎日追いかけることもやめた。


家に帰ったあとの楽しみだったニコ動、YouTubeの巡回もやめるようになった。

毎週きっちり読んでいた少年ジャンプもだんだん面倒くさくなった。

シンプルライフを得た僕は、とてもハッピー。












とは言えず。










不安だけが、残った。


そんな僕の話をしよう。

 

なんでこんな追いかけないといけないんだ

ニュースサイトの巡回までは意図的にやめた。

Twitterに関しては「ヤバい、このままだと無限に時間使っちまう」「ヤバい、このままだと悪意に染まっちまう」みたいなヤバみはずっと感じていた。
それできっちりとやめたのが去年10月あたりのことだ。

だが、スキマ時間があるとついアプリを開いて片っ端から眺めてしまう癖は治っていなかった。ニュースアプリとかWeb漫画のアプリとか。
「これなんの意味もねえな」と感じるようになり、勢いで削除した。

結局、自分がなんでそうリアルタイムで片っ端から「情報」を追いかけていたのかというと、端的に言えば依存症だったのだと思う。
その上で「なぜ依存症になるのか」っていう根元にあったのは……

「不安」


なのだろう。

毎日新しく提供されるコンテンツや情報を追いかけていないと、不安。そういった感情は大なり小なり誰にでもあるものだと思う。

そもそも「すっげー楽しみ!!!」だから追いかけるのは良いと思う。
今も毎週『異種族レビュアーズ』の配信は滅茶苦茶楽しみにしている。

でも、それほど楽しみってわけでもないのに毎週毎日何かに追い立てられるのは……
……冷静に考えるとおかしくないか?
それ、何が楽しいんだ?

そう。
今の僕のようにシンプルライフでハッピーになれば良いのである。






……と、言えればどれだけ良かったか。
結論を言えば、「うっすら膜を張ったような不安」が下手すると以前より目立つようになった。

「うっすら膜を張ったような不安」。
これが理解できない人は、きっと幸せな人だ。

僕は高校の頃あたりからずっとそれに苛まれてきて、かつそれとの戦いだけに人生を費やしてきたように思う。

……明確にそれを自覚したのはごく最近のことで、明文化できるようになったのは上にあるようにいろいろな「惰性の習慣」をやめた結果ではあるから、その意味で「惰性の習慣」をやめたことに意味はあった。

それはさておき。

「うっすら膜を張ったような不安」。
これがあると、博物館に行こうが水族館に行こうが何をしようが集中できなくなる。
なんだか目の前のことに集中できなくなるのだ。

言葉にすれば「本当にこんなことをしていて良いのか?」という感じ。
理屈では「本当にこんなことをしていて良い」ってことは分かっている。

分かってはいるんだけど……なんだ?この不安は。正体の無いこの不安は。
いや、正体無いって分かっとるやんけ!!!!
分かっとるんや……

つまり無意味なのである。

無意味だけれど、……無意味なのだけれど。
確かなことがある。

この無意味な不安は、明確に消える瞬間がある。

セックスしてるときと、酒を飲んでいるとき。

次点で筋トレしてるとき。
その次に、バイクに乗って遠くに行ってるとき。
ただバイクはここ数年で乗りすぎて「不安を消すこと」に関してはあまり効力を持たなくなった。それにセックスも最近やってねえよ。うるせえ。

結果としてセックス、酒、筋トレによってのみ不安を解消する負の存在(ある意味男の中の男) が生まれた。

言うまでもないが筋トレはまぁ良いとして、残りふたつは依存しやすい行為の筆頭である。
結局のところ、僕の人生は不安と依存との戦いなのである。

この状態は、実感として極めてヤバい。
何もかもが面倒になる。
面倒だけど、上記3つはなんとかできるっていう変な生物が出来上がる。

この状態を迂闊に「鬱」だとかそういう言葉で表現して良いのかは分からないけれど、少なくともそれと同じくらいヤバい状態であることは間違いない。
僕の実感として……ではあるけれど。


図書館に行こう

で。
時間は今日に飛ぶのだけれど、重い腰を上げて図書館に行ってきた。
電子書籍オタクになっていたことや、スマホ依存に近い状態になっていたことでひどく敬遠していたのだけれど、今の「何も追いかけない、何も追いかける気にならない」状況には必要なものと思われたのだ。

行ったら行ったで、大量の本に圧倒されて憂鬱になった。
そして次に怒りが生じた。なぜたった一つの図書館でも300年じゃ読み切れないくらいの本があるのに、インターネットコンテンツたちは有象無象のエンターテインメントを提供してくるのか。
埋もれさせることだけが望みなのか。

何もかもが埋もれる世界で、僕はどうやって自分と、自分の好きなものと、自分の時間と、……そういった本来大事なはずのものごとを見つけ出せば良いのだ。

とりあえず2, 3冊、アンチ自己啓発系の本を手に取る。せっかくだから小説も借りよう。直木賞作家の西加奈子の本、読みたかったから借りるか。ん?志茂田景樹『SEXするバカ、させるバカ』……俺のことバカにしてんのか!?借りよう。あ、冲方丁も好きだったなそう言えば。借りよう。ん?これ前観れなかったあの映画の原作か。借りよう。

……そうこうしているうちに8冊も借りてしまった。

……なんだかんだ。
無理矢理にでも、見つけることはできる……もんだね。
これだけいっぱい本があったとしても。

多分、そうやって僕は自分を「治していく」ことしかできないのだろうなぁ。しんどいなぁ。時間がかかるなぁ。

人生は短い。だけど本来、5年、10年という時間は、不安だけ抱えて過ごすにはあまりにも長いのだ。

「人生は短い」「10年はあっという間」……それだけ「呟いて」無為に過ごすくらいなら、少しは抵抗したい。
できれば不安に駆動されてではなく、何かもっと……幸福な原動力に駆動されて。

それができるのはいつになるのか分からない。
でも、まぁ多分悪い方向には行ってないのだろう。今はそう信じる他に道はない。

余談

疲れやすく、やる気がなくて、憂鬱で、依存症傾向。
そんな人間としては割とヤバい僕だが、仕事だけは何故かそれなりに上手くいっている。ベストだとは思わないけれど、人生の他の領域より悩みは少ない。

というのも。
「うっすら膜を張ったような不安を常に抱えている」というのは、システムエンジニアとして究極の適正なのではないか、と最近思うのだ。

不安やら懸念点やらを片っ端から洗い出して、片っ端から対応する。
そもそも、少しでもそういう気質が無いとエンジニアなんていう仕事は多分続かない気がする。

その点では僕はラッキーではあった。
だから僕と似たような悩みを抱えてるならエンジニアになればいいよ (雑なまとめ)

お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事で。

 

探求の最果てに辿り着いた究極の減量メシを教える

今日は良い気分だ、お前らに良いことを教えてやろう。

俺はこれまで、炭水化物脂質タンパク質をベストバランスで摂取するためのメシを追求してきた。

例えば筋トレしてる人間には常識の『沼』。
何?沼を知らない?仕方ないな、動画を見るといい。


究極の減量食「沼」を大公開!

 
これは意外と美味い。
だが「意外と」の域を出ず、毎日食べるにはやはり少し辛い。

そんな俺が辿り着いた減量メシがある。
圧倒的到達地点。聖域。そこで聖杯を俺は見つけたんだ。
注がれていたのはタンパク質だったってわけさ。

俺はただただお前にそれを教えたくなったんだ。

 まず、フードプロセッサーを買う。
せいぜい数千円だ。


そこにキャベツを適当にブチ込むんだ。1/8程度でいい。
千切りなんかやってられないだろ。
俺たちには時間がないんだ。
人生は短い。

そこにな、を2個ブチ込む。
ツナ缶も1缶ブチ込む。
全部フードプロセッサーにブチ込んでしまえ。

これでタンパク質はおおよそ22gだ。
お前に栄養の知識があるなら、もうこの時点で畏れ多さにひれ伏して、地面と挨拶してる頃だろうさ。
このタンパク質を前にして、頭を上げていられるとしたら、そいつは神をも恐れぬ人間だろうさ。

さて。頭を気合で上げて、別の容器で40g程度のオートミールと、150mlの水を混ぜてチンする。 

40gのオートミールを計量するのが面倒くさい?
計量カップで100cc程度でだいたい40g前後だ。細かいことはどうでもいい。

オートミールはそもそも低糖質の上に、血糖値を上げにくいし腹持ちが良く食物繊維まみれっていう神の食べ物だ。
欠点は米と比べるとクソまずいってことだ。
工夫したら美味いが、唐揚げと白飯のマリアージュに叶うわけがない。
メリケンサックをつけたメイウェザーに素手のお前が挑むようなものだな。

だが、安心しろ。
この食い方の場合、そんな欠点はどうせ忘れる。
素手のお前でも銃を持った狩人と同じくらいの力になる。

で、チンしたオートミールをさっきのフードプロセッサーで混ぜた物体にブチ込んで、混ぜる。
ぐるぐると混ぜる。

この際、筋トレしてるお前はカッテージチーズを混ぜてもいい。
カッテージチーズはチーズのくせに脂質が低くタンパク質が大量に入っている、これまた神の食べ物だ。
そして少量のキムチを入れる。

さぁ、その後はオリーブオイルを薄く引いたテフロンのフライパンで焼くんだ。
減量するならちゃんとしたフライパンは必須だぞ。
油が少なくて済むからな。
無駄な油は取りたくないだろう?
無駄に年を取りたくないのと同じさ。せっかくなら美しく年老いたいじゃないか。

この辺りがおすすめだ。 

エバークック フライパン 26cm ガス火専用 レッド 1年保証 ドウシシャ
 

で、後は両面3-4分くらい適当に焼けばいいだろう。
焼けてなければもう一回焼け。
何度でもやり直せる。人生と同じさ。
何?焦げた?苦い思い出もまた人生さ。

そしてできた物体に、青のりと鰹節、それからポン酢をかけて食え。

何?ソースじゃないのかって?
オートミールの糖質はせいぜい20-30gなんだが、お好み焼きにどっさりかかるくらいのソースをかけると、なんとソースだけで下手すると30-40gくらいいっちゃうんだ。
普段は「調味料の糖質なんか誤差の範囲だ!」と言ってる俺だが、さすがにそれは真冬にベッドに入った後喉が渇いて冷蔵庫まで歩くのと同じくらいもったいない。

さあ、これが完成品だ。

f:id:Mistclast:20200121235633j:plain


こいつの成分は、だいたい糖質が30g前後, タンパク質が30g前後, 脂質が15g前後といったところだろう。

既に恐ろしい、素晴らしい成分だ。
だが、こいつの本領は成分そのものじゃない。

まず、減量メシとして異常に美味くて食いやすいこと。オートミールはお好み焼きにするとフワフワになって豆腐みたいになるんだ。だからポン酢で食べたら美味いに決まっている。
わさびをつけてもいい。珍味みたいになる。

そして減量中に摂取しにくい食物繊維が、梅雨の時期のある日のお前の睡眠時間と同じくらい大量に摂取できること。

そして、何より。
気付いただろう。
無限の拡張性に。
俺は今回こいつに刻んだオクラを入れた。美味かった。
刻んだって言っても、フードプロセッサーに突っ込んだだけだ。
俺は面倒くさがりなもんでな。お前と同じだ。

キムチもな、実はノリで入れたんだ。美味かった。
タンパク質がもっと欲しいならもう一個卵を入れてもいいし、鶏むね肉のひき肉を入れてもいい。ツナ缶も2缶入れちゃ駄目だなんて誰も言わない。
野菜が足りないなら人参を入れろ。

お前の生き方と同じく自由だ。
そしてお前の未来と同じく無限の可能性がある。

俺は止めたが、ソースをかけてもいいし、豚肉を引いて普通のお好み焼きにしてもいいんだ。
人には悪をなす自由意志があるんだ。
これはお前の意志の問題なんだよ。そうだろ?

この料理を試してみるのも試さないのも、お前の意志の問題なんだよ。

言いたいことは言った。
ちなみに俺はシラフでこれを書いている。
普通に上がったテンションだけで書ききったんだ。
それくらいの革命的だったんだよ。わかれよ。革命デュアリズムなんだよ。

かつて読んだこのブログに影響されたことは否定しない。

goldhead.hatenablog.com


お前らもちゃんと野菜食えよ。
タンパク質も摂取しろ。健康に生きろよ。

またな。

 

Twitterをやめてから2ヶ月で生じた変化について

こんにちは、Mistirです。

約2ヶ月前にTwitterをやめた。
これまでは「やめた」と言いつつ、なんやかんやアカウントは消さずに残していて、忘れた頃にしれっと戻ってくるということが多かったが、今回は完全にアカウントも消滅してしまった。

フォロワーさんは2000人近くいた。
もったいないという気持ちは正直あった。

それでもなお、やめることのメリットがTwitterを続けることのメリットを上回った、ということだ。

最大の変化

おそらく最大の変化が、有象無象が良くも悪くもどうでもよくなったことである。
もともとどうでもよかったのだが、なおさらどうでもよくなった。

個人的にTwitterの最大のデメリットが「この世のあらゆる不幸と不条理と不満が流れ込んでくる」ことだと思っていた。
そしてその認識は今も変わらない。

Twitterにおける「拡散される『問題』」は9割「不幸と不条理と不満」で出来上がっている。
……というのはさすがに極端かもしれないけれど、そういった要素のあるモノの方が圧倒的に拡散力があったのは間違いない。

あるいは、本当にどうでもいいこと。
比喩でもなんでもなく読んで10秒後に忘れているようなことばかりだった。

そんな有象無象に。なんだか、疲れてしまったのだ。

ちょっと昔は、さ。
僕だって思ってたよ。昔は。
例えば「アイツは残業してエラい」的なこと言ったかつて勤めていた会社の上の方の人に、「もっと勉強しろよ……」と思っていた。
言い換えると「Twitterくらい見ろよ」と正直思っていた。

さらに言い換えると、「Twitterでそれを言えばどうなるか」が一種の判断基準になっていた。

未だにそれは、必ずしも間違っている考え方とは言えないと思っている。
この表現が適切かどうかは別にして、自分が認識している範囲では、Twitterでの議論は「先鋭化された正当性がさらに濃縮されたような」ものばかりだった。

そして、他ならぬ僕自身もそれに加担してきたのだ。
自己言及的ではあるけれど、この記事もその一種であると言えなくもない。
何かを誰かに、特に大勢に向けて語るというのは、そういう性質をどうしても帯びる。それは仕方がないことだ。

それに、さっき述べたようにメタ視点として「これをTwitterで呟くとどうなる?」っていう発想は未だにアリだと思う。

でも、それは「全て」じゃない。

……少し議論が入り組んでしまったけれど……
もっと単純に言おうか。

思考の基準を「Twitterに決められている」というのは、間違っていると思う。

ある種それは、現代における「共同幻想」に従っているのと同じだったのかもしれない。
無宗教者であるが故に比較的輪郭の明確な「何か」に従っている、というような。

冒頭で、Twitterをやめたことによる最大の変化は「有象無象がどうでも良くなった」ことだと言った。

それは曖昧な「共同幻想に対する従属的意識」が消えた、ということでもある。
自分が従うべきものは、自分と、自分が愛するものだけだ。そうじゃないと生きててもったいないじゃないか。

Twitterをやめるべき人、やめなくて良い人

僕は明確に「Twitterをやめるべき人」だったのだと思う。
僕は自分が「芯の強い人間」だとは思っていなくて、むしろ「思い込む」ことで、あるいは「信じ切る」ことで自分の形を変えていくタイプの人間だと思っている。
要するに、影響されやすいのだ。

影響されやすいタイプは、Twitterやっちゃダメだ。
この世の中は、何か恐ろしく不条理でひどいところだと思っちゃうから。
「そこまで思ってねえよ!」って言う人がほとんどだと思う。

だけど何かを信じているとき、何かを信じている自分を客観的に見るのはとても難しい。無意識的に刷り込まれていないと言えるだろうか?

この世のあらゆる理不尽に「切れ味鋭い140文字」で切り込んでくれるTwitterに、無意識のうちに心の安寧を求めていなかっただろうか?
正しい。でも、それは僕の救いじゃない。

僕を笑う人は笑ってほしい。
僕を笑えない人は、Twitterから離れてみても良いかもしれない。
要するに、僕と同じタイプの人はSNSから離れたほうが良いんじゃないかと今は思っている。

万人がTwitterをやめるべきだとは思わない。
SNSは有害だ、という二元論的な世界観で僕は生きたくない。
ただ……やっぱり。

もう一度、確認する。
自分が従うべきものは、自分と、自分が愛するものだけだ。そうじゃないと生きててもったいないじゃないか。

発信について

で。
そんなこんなで、「発信すること」もしばらくどうでも良くなっていた。実のところそれは未だに変わらない。

だけど年末のやるせなさが、不安が、僕にこの文章を書かせた。
それはどこからやってきたものなのかよく分からない。

書くことに意味はないのかもしれない。
だけど漠然とした不安は、これまた「意味はないのかもしれない」ような漠然とした行為でしか解消できない。
の、かもしれない。

忘れた頃にまたお会いしましょう。
お読み頂きありがとうございました。

 

一度でいい、ダムに行こう

台風19号が大きな被害をもたらした中、八ッ場ダムの存在が話題になっている。

僕はよくバイクでダムに行くのだけれど、多分ダムに行かない人には何故わざわざ行くのかよくわからないと思う。

でも、台風の被害が落ち着いたら一度は行ってみて欲しい。
ダムに行く前と行った後では、モノの見方が変わる可能性すらある。

 

「ダムの存在」に思いを馳せる

ここで「ダムの役割が〜」なんていう教科書的な話をするつもりはまったくない。
必要ないのだ。

単純な話、何も知らずに行ってみればいい。
そこに答えがある。
これは比喩じゃない。

有名なダムなら、大抵無料で入れるちょっとしたダム博物館が併設されている。

例えば「ダムマニアが選ぶベストダム」として有名な宮ヶ瀬ダム

www.ktr.mlit.go.jp


都内から2時間程度で行くことができる。

ここには当然のようにちょっとした博物館が併設されている。

それから秩父にある浦山ダム

www.water.go.jp

ここは宮ヶ瀬ダムと比べて人が少ないから穴場といえば穴場だ。
せっかくの秩父だし、宿を取って観光がてら行ってみるのもいい。

「ダムの技術」に思いを馳せる

なぜそんな博物館は大抵無料なのだろう?
運営費もタダじゃないのに。

答えは色々あるだろうが、とりわけ重要なのは……
「ダムは悪者にされがち」
という事実だろう。
実際に悪者である、という側面も否定できないかもしれない。
最初に引用したツイートの通り、ダムは多くの住民の生活を奪った上で成り立っている、それはひとつの事実だ。

だからダム事業に関わる公共団体は情報を広めるために、結構な努力をしている。
知る人ぞ知る「ダムカード」もその一つだろう。

www.mlit.go.jp


ダムに行くとタダでクオリティの高いカードが貰える。
これ目当てにダムに行く人もいるくらいだ。

併設されている博物館に話を戻すと、展示をざっと見るくらいだと「ダムに使われている技術」を網羅して理解することはまず不可能だ。
それくらい色々な知識がダムには集約されている。
そもそも、ひとくちにダムといっても色々な種類があったりする。

damnet.or.jp


そういった博物館で、ざっくりとでいい。ざっくりと展示を眺めて、「なんだか凄いんだねぇ」くらいでいい。
ダムという漠然とした存在に詰め込まれている技術に、思いを馳せてほしい。


ちなみにこの浦山ダムのような大きなダムの場合、ダム内部に入れる場合がある。
ちょっとした探検の気分が味わえるからそれだけでも価値があるし、浦山ダムの場合ダム内部にも「水圧の強さを体感できる実験装置」みたいな面白い展示があって飽きない。


「人知れず役割を果たすダムと管理人」に思いを馳せる

僕は有名なダムだけじゃなく、遠くの山奥にある小さなダムにふらりと立ち寄ることもある。
目当てはダムカード……でもあるのだけれど、基本的にバイクに乗る人間という人種は、走ることができるのならば目的地はどこでもいいのである。

で、土日でも事務所に行けば大抵の場合ダムカードを配布してくれる。
……山奥の、誰もいないような場所にあるところにあるダム。
それすらも誰かが管理している。


ここにも「人」がいる。

都心に近く、災害に即して随時対応を迫られるようなダムなどはなおさら「人」が「技術」とずっと寄り添って運営していることは想像に難くない。

「歴史と物語」に思いを馳せる

奥多摩湖にある小河内ダム。
ここは建設で87人の死者が出て、今も慰霊碑が置かれている。

damnet.or.jp


「ダム工事」の物語で有名なのはやはり『黒部の太陽』だろう。 

黒部の太陽

黒部の太陽

 
黒部の太陽

黒部の太陽

 

 僕が個人的にノンフィクションとしておすすめしたいのが、『高熱隧道』だ。 

高熱隧道 (新潮文庫)

高熱隧道 (新潮文庫)

 

 単純に小説としてスリリングだ。

……何が言いたいか、というと。

ダム建設のための犠牲、なんて普段の日常で考える機会はない。
そこに住んでいた住民のことも、建設に従事した人々のことも。
……だから。

ダムに行って展示を見て、物語に触れて。
そのときだけでも、そこに紡がれた歴史に思いを馳せても良いんじゃないか、と思うのだ。

そこから初めて、ダムの功罪について客観的に考えられるようになるのだと僕は思う。

まとめ

台風19号で緊急放流が行われた際、「何故事前に放流しておかなかったんだ」という声を上げる人がいた。絶望的なことだけれど、某党の某議員までもがそういったことを言っていたようだ。

反論として「そもそも流入量と流出量は変わらない」と、そうやって反論することは簡単にできる。
知識の欠如。

だが、正直なところ(議員は論外にしても、一般人の場合)「知識」はそこまで大事じゃないと思っている。

大事なことは「実際に見た上で、思いを馳せる」ことだ。

実際にいくつかダムに行って、ダムを見た上でなら、「緊急放流の仕組み」みたいな具体的知識がなかったとしても、「ああ、それくらいなら嫌って言うほど考えているだろうな、だって最重要事項だもん」と演繹的に考えることができるはずなのだ。

だけど、それは一度も行ったことがないならば「そこに費やされたあらゆるコスト」や「それがもたらす結果」について具体的に思いを馳せることはどうしても難しいと思う。

だから行ってみるべき、というのが一つ。

……で、もう一つは。

ちょっとした「日常の外側」を見てみることをオススメしたい、という一人のライダーとしてのおせっかいだ。

展示に思いを馳せた後、ダム湖畔で缶コーヒーを飲みながら何も考えず景色を眺めるのが好きだ。
あの時間は、誰にも奪われない、自分だけの時間だ。
ここは「非日常」じゃない。
だけど「日常」でもない。
「日常の外にある日常」がここにはある。

僕もまだまだ色々行ってみたい。ダムカードもどんどん増えてるゾ。

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順番は適当にフォルダリングして集めてる。
「結構走ったな、俺」と思い出にひたることもできる、ライダーには良いグッズなのだ。

ちなみに僕は同じような理由で"灯台"も好きなのだが、それはまた別の機会にお話しよう。

ではまた。