Minakami Room

旅を続ける。考える。自由である。生きている。

僕は落合陽一 (的な価値観)と戦うことにした

こんにちは、Mistirです。

いやー……
怒ってます。
僕は今、怒っています。

戦わないといけない。
誰と?
落合陽一氏 (以下敬称略)と。

といっても、落合陽一を敵視するわけじゃない。
……彼の著書を読んで、僕や、あるいは僕に近い人間が「防波堤」にならないといけないと感じたのだ。
言い換えると一種のセーフティネット。

僕は彼の為すことに全面賛成できないまでも、興味深く見てはいた。
この記事でも落合陽一について語っている。

mistclast.hatenablog.com

だが、言葉にならない違和感を覚えていた。
それが彼の著書を読んで言葉として結実した。
結果的に、氏の主張と対比した上での僕の「生存戦略」みたいなものが見つかったように思う。

そのことについて、少しだけ語ろう。

 

『日本再興戦略』という本のこと

きっかけは、氏の『日本再興戦略』がKindle Unlimitedで無料配信されたことだった。
もともと興味のあった本だったから、これを期にと読んでみたのだ。

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

 断っておくけれど、僕はもともと「日本の再興」などにあまり興味はない。
だけど……
その手法というか、技術論的なもの、あるいはロードマップが示せるとするならば、それ自体には大いに興味がある。
このあたりの僕のスタンスについては、なかなかややこしいのだけれど、お時間があれば過去記事を読んで頂けると嬉しい。

mistclast.hatenablog.com

閑話休題。

で、その内容を全体的に語るとするならば、「全面賛同はできないが、一理ある点も多い」という歯切れの悪い感想になる。
この本について全体像を事細かに語るつもりはない。
もっと言えば、後述するがこの本は読破できていない。できなかった。

その理由は……
どうしても看過、承諾できない、強烈な……はっきり言って「悪臭を放つ」点があったからだ。
その点について語りたい。

発端は、氏が「士農工商」について語る一節だ。

要約すると「金が金を生み出す」非実体経済("商")ではなく、「技術やモノが金を生み出す」実態的な経済("農"や"工")が重んじられるべきだ、……という、まぁはっきり言って当たり障りのないことを言っている。
氏はやたら回りくどい・噛み砕かない言い方をする傾向があるが、まぁそれは僕も似たようなものなのでそこは別にどうでもいい。

その文脈で「拝金主義」について批判しているのだけれど、これがちょっとひどい。

出版社の設定によりコピペができないから手作業で引用しよう。

 もうひとつ、トレンディードラマに代表されるマスメディアがもたらした害悪があります。それは、拝金主義です。今の日本は拝金主義すぎます。
 結婚相手を選ぶときに、頻繁に最初に出てくる条件は年収ですが、これは拝金主義でしかありません。今の日本は、拝金主義がインストールされすぎていて、もはや気にならなくなってきています。
 僕もお金の話をよくするのですが、それは「お金はたかがツール」だと思っているからです。家に帰ってきて電気をつける、という「電気」くらいに、ビジネスや研究にとってのお金を考えています。しかし、世間にはお金が神様だと思っている人が多すぎます。それはマスメディアのせいです。
 しかも地上波をつければ、「だれだれの家は豪邸なんですね。10億円ですか。庶民には買えませんね」といった内容の番組がしょっちゅう放映されています。あれを海外で見たら、「なんて低俗なんだろう」と思いますが、日本ではそのような番組が結構あります。
 大学生が、好きでもないのに、メガバンクなどの金融機関に就職したがる理由の一つも、お金が重要だと思っているからです。
 しかしながら、お金からお金を生み出す職業が、一番金を稼げる(=価値がある)と考えるということ自体が間違っているのです。制度や発明など生産性のあることは何もしてませんし、社会に富を生み出していません。それなのに、金融機関に行きたがる若者が多いのは、マスメディアで洗脳されているからです。ドラマの中に出てくる主人公が銀行で働いている設定だったりするのは、マスメディアで報じられる金持ちへの憧れがあるのでしょう。

『日本再興戦略』位置38%付近より引用 青字・赤字・太字での強調はMistirによる

青字のところは後で詳しく語りたいからよく覚えておいてほしい。
まず問題は赤字のところだ。
ちょっとわかりにくい場合、ここは軽く読み飛ばして頂いても問題ないです。

まず、「お金からお金を生み出す職業」、つまり金融業をはじめとした非実態的経済……わかりやすいのが利息で稼ぐモデル。
こういったモデルが「稼げると考える」ことと「価値があると考える」ことをイコールで結んでいるけど……これは全くの別物でしょう。

現状の資本主義において「大金を回せば細かい金が生まれる」ってのは概ね事実で、100億円から100万円を生み出すのは、1000円から100万円を生み出すよりはるかに容易いことはもうほとんど常識みたいなものだ。

かといって、それを「価値がある」と考えることはまったくもって別問題だろう。
事実は事実として認めて、「だがそれは本来良いことではない」という議論に進めるのなら分かる。
それは『ナニワ金融道』の青木雄二が人生を賭けて主張した資本主義批判に通ずる。

ゼニの幸福論 (impress QuickBooks)

ゼニの幸福論 (impress QuickBooks)

 

もしこの「非実体経済」が純粋に「価値のあるものだ」と無自覚に考えて銀行への就職を考える大学生がいるなら、僕も落合陽一と同様に「そりゃあもうちょっと考えたほうがいいよ」って言うと思う。

だが、これだけ資本主義が膨らんだ以上「金を扱う技術」は無視するには余りある「実態的な」技術だ。
もしも適正があるならば一生追い求める価値はあるだろう。
万一テクノロジーが個人の仕事を淘汰する変革が世界に起きるとしても、そうそう資本主義という強大なシステムは弱らないだろうし。

その観点……「金の扱いそのものが立派な技術」という観点が抜けているのは、まぁある程度仕方ない。そこまで語ると収拾がつかないから語らなかった、と好意的に解釈できる。

が。

皆さん。

……「稼ぎたい」という欲望を持つ人々についての語り方に、著しい想像力の欠如を感じないだろうか?

感じるとするならば……多分、僕と境遇が近い人なのかもしれない。

感じないとするならば……もう少し先を読んでみよう。

この後、「舌の根も乾かぬうちに」という言葉がふさわしい程度のページ数の後、彼はこう語る。
文脈は……なんのことはない、彼自身が利用する「テクノロジーの実例」を語っているだけだ。

 僕も昔はよくコンビニに行きましたが今はあまり行かなくなりました。僕は高度の高いところに住むのが好きなので、自宅がマンションの高層階にあります。マンションのすぐ近くにはコンビニがあるのですが、最近ではエレベーターでの上下移動が面倒くさいので、アマゾンの「Prime Now」で宅配してもらうようになりました。
『日本再興戦略』位置44%付近より引用 赤字・太字での強調はMistirによる

  今でも僕は、都内ではタクシーでしか移動しませんが、タクシー代は大体月に20万円くらいです。タクシーを使うことで時間を捻出していて、車中ではずっと仕事をするか仮眠しています。そう考えると、1日2時間を捻出でき、単純計算で月に3日分くらい人より長いことになります。労働時間に換算すると5日くらい人より長いことになります。それで1日4万円くらいの仕事ができるなら採算に合います。
『日本再興戦略』位置52%付近より引用 赤字・太字での強調はMistirによる

 

 

 

…………

 

 

 

……………………

 

…………………………………………

 

 

……はぁ………。


僕はこのあたりでこの本をいくら読もうとも目が滑るようになって……強いて言えば、最初から異様な脚注の多さや語彙の選択のせいで目が滑る本だったのだが、そのレベルではない……はっきり言って。

強い目眩を覚えて、この本を読むことを打ち切った。

そして確信した。

彼の言う「日本再興戦略」が成功し、何かしらの形で……それこそ「日本の実体経済」なのか、「共同幻想としての日本」なのかわからないが、とにかく「日本」が「再興」したとしよう。

上位数%のエリートたち、金を稼げる方々が、大量の死骸の上で高らかに笑う未来が、極めて明確に、見えた。

いや、僕もさ。
正直「個人主義者」を自覚してるからさ。別にいいんだよ。
東大卒業するような人間は、東大卒業したにふさわしい金を稼いで、東大卒業したにふさわしい贅沢な暮らしをするべきだ。
金があるならモリモリ使うべきだ。
タクシーに月20万?自家用ジェットでも全然構わない。

だけどさぁ。
……だけどさぁ。
いくらなんでも、それ「稼ぐための戦略を取ろうとした人間を拝金主義と批判した直後に」言う?

ここで目眩覚えないとしたらさ、それは……
必死こいて稼ごうとしてる数多の人間に対しての想像力が、著しく欠如してるでしょ。
さらに言えば、この人、この本の中で既に「日本人は教育の格差についての不平等に意識が低い」的な批判もしてるからね。

……もう滅茶苦茶や……

もう一度繰り返すが、僕は「個人主義者」であり、「努力して稼いだ人間が贅沢な暮らしをすること」は「当然そうあるべき」と考えている。
もっと言えば「文句ばっかり言って現状打破のためのロードマップを(「描けない」ではなく)『描こうともしない』」人が優位に立つ世の中であってはならないとさえ考えている。
このことについては難しい自己責任論に踏み込むことになるから、今はあまり深く語りたくないが、以上のような考え方を抱いていることは少なくとも間違いない。

でも。
それでも。
彼……落合陽一が描く世界は。

僕は、嫌だ。

ノー、だ。
それだけは明確に言える。

自分語りをするのもなんだけど、ちょっと僕自信の境遇を話しておこう。

僕は8歳の頃両親が離婚して、築100年近くの、便所が外(もちろんボットン便所)で、風呂には時折ナメクジが出没するような祖父母の家に引っ越した。


その家は、土地開発の煽りで潰された。


それとは別に、母が別の所に家を借りた。


その家は、土地開発の煽りで潰された。


……まぁ要するに、結構な貧乏だったわけである。

……そんな家で育てられた僕は「金を稼いでやる!」と一念発起し、勉強に励んだ……
わけではなく、「金よりも思想だ!」と哲学や文学の道に突き進んだ。ただし、「某京都の国立大学卒業すれば食いっぱぐれないだろう」という邪念付きで。

僕が「とにかく金を稼いでやる!」という思想に行き着かなかったのは、高校時代、文学やライトノベル的価値観に入り込みすぎたせいもあるが、今思うとそれよりも何よりも……

「そもそも、自分が稼いでいるビジョンが見えなかったから」
だと、今になって思う。

自分が稼ぐビジョンが見えない人間が取る選択肢は、まぁ幾つもあるだろうが、わかりやすいところだと……

「稼ぐことを諦める」か、「とりあえず稼げる道を取る」か。

僕は「焦り」みたいなものがあったから「自分に技術を付与しないといけない」と考えてエンジニアに進むことにした……まあ言ってみれば「プランC」を取ったが、「とりあえず稼ぐために大手企業に就職する」は、全然間違っていない選択肢だと今になって思う。
中小企業の優位性と大企業の優位性は、やっぱりそれなりの差がある。

で、そういう「稼げる」生き方を選ぶことを批判するのってさ、まぁ一部「拝金主義的な価値観に染まりすぎてる」人もいるとは思うんだけど……
それでも、落合陽一の文脈では少なくとも、どうしても現実が見えてないように思える。
「年収 地方別 中央値」とかで検索するともう凄まじいよ?氏は検索したことがあるのだろうか。

さて。
ここまで書いた内容でだいたいお察し頂けたと思うけど、僕は結構な田舎出身で、それも何度か転校を繰り返したこともあり、色んな人……まぁ色んなガキを見てきた。
そのガキも、今や社会人になって色々な人生を送っている。

その多様性を知ってるから、と言うべきかどうかわからないけど。
とにかく、いくらなんでも落合陽一の議論は雑……粗雑すぎるし、はっきり言って……


想像力が著しく欠如してると言わざるを得ない。

想像力のこと

想像力。

僕はこの輪郭のないものをずっとずっと大事だと言い続けている。

「想像力があるとはどういうことか」を語るのは猛烈に難しいけれど、「想像力がないとはどういうことか」を語るのは比較的簡単だ。

例えば「稼ごうとする」動機に目を向けず、稼ごうとする理由をひとまとめにすること。
例えば「10億円の豪邸」がテレビでウケる理由を「低俗」だけで片付けること。

……まぁ、ぶっちゃけこれに関しては僕も「低俗」だと思わないでもない。
けれどもう少し考えようよ、ここは。

話が急に変わるけれど……
滅茶苦茶変わるけれど。

以前東京湾アクアライン(東京と千葉を繋ぐ海上の高速道路) が20周年を記念して、アニメのポスターを作っていた。
記念して海ほたる(日本唯一の海上サービスエリア)では大々的にキャンペーンをやっていた。
公式サイトが完全に死んでいたので、クリエイターの方のサイトを引用しよう。

www.sankyo-fever.jp

どんなポスターだったかはリンク先で見てほしいのだけれど、なんというか「君の名は」っぽさが凄い。凄すぎる。

そしてアニメでのプロモーションも行っていたのだけれど……

www.youtube.com

公開から1年強が経過した2019年1月現在、再生数が2000回弱である。

 
……ちなみに、僕はこのアニメを最後まで見れていない。

辛いんです。
めっちゃ恥ずかしくなるんです、このアニメ見てると。
もうこの記事のタイトル『僕は落合陽一と戦うことにした』じゃなくて『アクアラインのアニメが見てて恥ずかしくなる件www』とかでも良かったかもしれないが……それは本題ではなく。

なんでわざわざこのコト書いたかって言うと、例の「『君の名は』っぽいアニメのポスター」を海ほたるで見たときに結構衝撃を受けたんですよ。

ああ、もしかすると。
アニメっていう「非現実」が。
例えばポスターに美人の人気アイドルを起用するといった「半分現実」よりも……

よっぽど、「現実味がある」んじゃないかって。

まぁ実際、企画者としては「アニメの流行に乗っただけ」とかそういうレベルだったのかもしれない。
だけどこのときに得た「非現実」が「現実」よりよほど「現実味がある」という現象は、決して違和感のある話ではないだろう。

わかりやすい話、この僕が撮った写真を見て……

f:id:Mistclast:20190125010159j:plain

「ゲームみたい」と言うのと同じレベルの話だ。

ゲームの方が現実よりも現実的。
これはゲーマーなら全然違和感のない考え方だろう。

ちなみにこの写真はゲームでも何でもなく、僕がiPhoneで撮った群馬県である。

……

さ、話を戻そう。
僕が「10億円の豪邸」を話題にする人たちの気持ちに「想像力」を働かせる意義を指摘した理由、なんとなく察して頂けたのではないだろうか。

そりゃ、「低俗」の一言で片付けてもいいよ。
だけどここには本当に重要な問題が眠っていると僕は指摘する。

つまりさ。

マンションの高層階に住む……とかさ。
移動をタクシーに集約する……とかさ。
そういったことをするために必要な「可処分所得を数百万円ほど増やす」ことよりも。
10億円の豪邸について考えるほうがよほど「現実に密接になった」人たちの気持ちに、もうちょっと想像力あってもいいんじゃねーの?と僕は言いたいのだ。

『日本再興戦略』を語るのはいいけどさ。

それよりも僕は思うのだ。
「誰もが、可処分所得を金を使いたいときに数百万円単位で上げるための現実的な話ができる世の中にしようよ」と。

それが難しいなら、せめて。
「誰もが、可処分所得を上げることにヒーヒー言わなくても、せめて今の生き方は辛くない、今の生き方は理想的だって言える世の中にしようよ」と。

何が言いたいって、僕は一億の死骸の上に日本を再興なぞして欲しくなくてさ。

一億の個人が「ロールモデルを得る」ことが必要だと思ってるんですよ。
「ロールモデル」って言葉は、「多種多様な生き方があるのはわかった上で、ある程度ざっくばらんに『こう生きたら幸せになったり収入が上がったりするよね』っていうロードマップみたいなもの」というイメージで使っている。

「拝金主義」っていうロールモデルがよろしくない……あるいは崩壊しつつある、っていうのはそうかもしれない。
だけど、そこで「選ばれしエリート層だけが選びうる」ロールモデルだけ提示して、それにしがみつけなかった人間が振り落とされるディストピアに対して、僕は「やめろ」って言わざるを得ないんですよ。

だから僕は叫ぶ。
「まずはロールモデルだ。俺のロールモデルは何だと問い続けろ」と。
「やりたいこととか生きがいとか後に放っておいていいから、とにもかくにもロールモデルだ」と。
極論、「とにかく酒飲んでエロいことができればいい」も立派なロールモデルだ。
仮でもいいからとにかく作る。

多分、この発言でさえ「結構な人数を振り落とす」考え方だと思う。
けど、落合陽一の語る世界・戦略よりよほどマシだ。
このことはあまり書きたくなかったけど批判一辺倒になるのも嫌だから書いた。
(「戦うことにした」とまで書いちゃってるわけだし……)

とにかく僕は戦う……言い換えると、「ノー」と言うことにした。
だって、落合陽一的な価値観と、それに賛同する人たちが会社で権力を持ち出すのって多分もうすぐなんだよ。
絶対誰かが明示的にノー、って言わなきゃいけないじゃん。


ノー、の言い方は色々あって、「年収200万で気楽に過ごそうぜ!」でも「東京で消耗せず高知で生きようぜ!」でも、「筋肉万歳!」でも良いんだけどさ。

あるいは、僕みたいに「うるせぇ!バイクを用意しろ!」でも良いんだけどさ。

とにかく、ノーって言わなきゃ駄目だよ、これは。

落合陽一サン、あなたの言うことは一理あるかもしれない。
しかもエネルギッシュだ。
だからあなたはあなたの正しさを貫いて、日本を押し上げてくれ。

だが、僕はノー、と言う。

これも一つの事実だ。

ファジーな言い方だけど、そういうスタンスです。
多分落合陽一的な考え方も絶対必要だしね。異常なエネルギー、推進力って想像力を犠牲にしないと生まれないものも多いだろうし。

言い訳

……お気づきかもしれない。
僕が落合陽一にこだわる理由は……

もしかすると、僕も落合陽一のサイドにいたのかもしれない、とたまに思うからだ。

……いや、もちろん「若くで大出世して、博士論文も書いて、国際的に活躍して」……とかそういう話じゃなくて。落合陽一の経歴に関しては純粋にスゲーな、と思っているが、そういう話じゃなくて。

……なんというか、「共同体として頑張ろう!」「共同体として上を目指そう!」的なエネルギッシュさ、そこに希望を抱ける神経が……僕には正直、理解できないのだ。

だから会社も辞めちまったわけだし。

個人としての野望は、まぁなくはない。
むしろ色々ある方だと思う。

だが、そこから演繹的に共同体とか、日本とか、そういったものを考える……
なんだかよくわからなくなってくる。

まぁそれは、単純に僕がそれほど稼いでいないせいかもしれない。
バイクに乗り過ぎて万年金欠だ。

だが、それはそれとしても……
どうもエネルギッシュに「個人の外」を考えられる人たちのことを、よく理解できないでいる。

個人を救うことが共同体の救いにつながる、というのは分かる。
……なぜ個人の前に共同体を扱えるんだ?
それがリーダーシップ、というものなのか?
それほどに共同体は、価値あるものなのか……?

なんてことを考えていると。
前向きに共同体を推進する発想を堂々と……滔々と?語れる落合陽一という人間が、時折自分のアナザーサイドであるような感覚に陥るのだ。

「こういった価値観に『馴染む』大人になっていた可能性もあったのかな……」

分かっている。
それはただの屈折したノスタルジーで……

僕はただ……僕の生き方を貫くだけだ。

さ、金稼いでZX-14R買うぞ。
約160万円だ。

f:id:Mistclast:20190125014021j:plain

なお今のバイクのローンが3年ほど残っている。
先は長い……

お読みいただき、ありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。

 

『バーチャルさんはみている』が最高のクソアニメだった(褒め言葉)

for i in range(0,100) : #ループここから

 
こんにちは、Mistirです。

発表から放送まで異様に早かったこちらのアニメ。

f:id:Mistclast:20190111174702p:plain


『バーチャルさんはみている』

観てみました。


うん。
……これはひどい。

これはひどいぞ。
ひどい。

僕はそこまでディープなVTuberファンではない。

が、ちょこちょことVTuberの動画は観ていたので、全くの無知というわけでもない。

首絞めハム太郎VTuberの登場時は、インパクトの強さに圧されてフォロワーになったりしてはいたが……

mistclast.hatenablog.com


それでも最近はVTuberの動画よりも筋肉動画とバイク動画ばかり流す日々だった。
最近一押しYouTuberはなかやまきんに君さんである。


【必見】バルクアップ、ダイエットに絶対おすすめの食事を紹介します。なかやまきんに君が毎日食べるのはコレです。

 

閑話休題。

なかやまきんに君さんの話は置いといて、バーチャルさんの話に戻ろう。

……
語るまでもない。

明らかな、企画の練り込みと時間の不足。

ファンの目線として見ると、身内ノリが強すぎて共感性羞恥的な……否、微妙に意味が違うんだけど……とにかく形容しがたい妙な物恥ずかしさを覚え。

ファンでないただのアニメ愛好家の目線として見ると、置いてけぼりっぷりに頭を抱える。

冒頭に一瞬だけ主要登場人物(VTuber)の紹介はあるけれど、あってないに等しい。
紹介されないVTuberも淡々と、そして次々と登場し、一方で背景の説明は全く無い。

統一された世界観もなく、……コント番組として観るにしても、不安だけが募る。

なんか黒髪の制服着たキャラがプロ並みの身体の張り方で笑いを取っているのはよくわかる。まぁ僕もともと好きなんですけどね、委員長


これはもはや放送事故だ。

少し前に別記事でご報告したのだけれど、僕は現在個人事業主開業の準備中で、日々勉強に忙しい半分ニートとか言うな

mistclast.hatenablog.com


アニメに煩わされている場合じゃない。
勉強しなければ。
さぁ、早く『Webを支える技術 -HTTP、URL、HTML、そしてREST-』でRESTfulなWeb APIの概要を頭に叩き込んでおこう。

Webを支える技術 -HTTP、URI、HTML、そしてREST (WEB+DB PRESS plus)

Webを支える技術 -HTTP、URI、HTML、そしてREST (WEB+DB PRESS plus)

 

……
しかし。

僕は静かな空間だと勉強できないタイプである。

……何かアニメでも流すか。
前期のグリッドマン、まだ全話観てないけど、あれは流さずプロジェクターに投影してじっくり観たいんだよなぁ。

今期アニメ、新しいの開拓するなら前期のアニメゆっくり観てからにしたいなぁ。

……何、流そうかな。

 


#冒頭に戻る
#ループここまで





……あれ?
俺、なんでこんなアニメ何度も観てるんだ!?

……そうだ。
僕は。
アニメ愛好家であり。
にわかVTuberファンだ。

だが。

それ以前に。
それよりもっと前に。

クソアニメ愛好家だった。
 

mistclast.hatenablog.com 

mistclast.hatenablog.com

 

前置き終わり。

 

クソアニメとして観ると面白い

結構このアニメ、神クソアニメ力高いと思う。

dic.nicovideo.jp

基本的に考えたら負けなアニメだし。
いや、今後無駄に考察要素とかブチ込んできそうで怖いけど。

ニコ動のコメント見てると「ポプテピピック思い出した」っていうコメントが多いんだけど、ぶっちゃけその類のコンテンツだよね。
ヴィレッジヴァンガードで延々流れてる謎の映像みたいな。

つまりですね。

このアニメを流しながら作業することで家がヴィレッジヴァンガードになるんですよ。
そういうアニメです。多分そういうことです。

ぶっちゃけイキリ豆が飛んでくるところ死ぬほど笑ったし(これは僕がイキリ豆を知っていたからだけど)、地味に面白いところも結構ある。

流して何も考えずに観るならこんなに良いアニメはない。
置いてけぼりすぎて不安が募るのは事実だけど、3回ほど観てるとだんだん気にならなくなってくる。こういうもんなんだ、と。

と、そういうアレな目線で観るのも良いかもしれないけど……
これじゃただただ貶してるように受け止められてしまうかもしれないので、一応釈明しておきたい。

褒める気も貶す気もあまりない

実のところ、このコンテンツについて褒める気も貶す気も個人的にはありません。
世にでるのが明らかに尚早だった気はするけど、深く考え出すと「地上波でVTuberをどう扱うか?」みたいな話になってきそうで、それはちょっと避けたい。

まぁ例えば、ガワの可愛い黒髪芸人某VTuberが水戸納豆とコラボしたっていうAbemaTVの動画なんだけど……


【事故】月ノ美兎、納豆をかき混ぜた瞬間…

納豆のゆるキャラ"ねば~る君"の芸人顔負けなキャラの良さもあり、バラエティとして普通に滅茶苦茶面白かった。
というか本当にこのガワの可愛い芸人トーク力すげぇな……


このレベルのモノを作れや!
……というのは楽だけど、そこまでバラエティ番組に寄せられて良いのか、というのも悩ましいし。そもそもそんな予算があるのか?って話だし。

端的に言って『バーチャルさんはみている』第一話の印象だと、……本当に第一話の印象だと。

「怪電波」

この三文字に尽きるんだけど。

それでも、ごく普通のアニメみたいにオリジナルストーリー演じられてもシラケるし、……もしかすると、この「フリースタイル・どこまで台本かよくわからない謎のコント」的進行は、一種の最適解……なのかも、しれない。

それともう一つ。
経験上、この手のアニメは後半選別された視聴者しか残らないから、最終的には高評価だけが残るんだよね。
逆に深い傷跡を残すアニメって第一話や序盤の印象が後半の印象と比べて良すぎたりするし。
止まるんじゃねえぞ……

VTuberの大ファンの目線からしても、本当に全くVTuberに興味がない層からしても賛否両論あるとは思う。
でもまぁ、僕はとりあえずしばらく追いかけようかなぁ。

割と純粋に次回を楽しみにしている自分がいるのは間違いないです。

本当にこのノリで突っ切るなら、悪評は3話くらいで収まりそうな気がする。
本当にこのノリで突っ切れるなら、だけど。

このまま甘えず最後まで怪電波を垂れ流して欲しい。
……まぁ雑にキャラが死んだりすることはないだろうし、そこは安心していいかな……

お読みいただき、ありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。

 

2019年:落合陽一の見る世界、そしてDWUの茶番、あるいは共同幻想の再構築

こんにちは、Mistirです。
あけおめ!

前回、そこはかとない最終回感を出してしまいましたが

mistclast.hatenablog.com

だんだん書きたくなってきたので書くことにしました。

タイトルは堅苦しいけど、堅苦しいことを言うつもりは全く無いのでキャラメルフラペチーノでも用意してテキトーにお読みください。

とは言いつつ、参照記事も全部参照してると30分くらいかかるので、是非お時間をとってお読みください。お願いしますマジで。

……。

発端は、こんな記事を読んだことだった。

ken-horimoto.com

ちょっと時間はかかるけど、滅茶苦茶面白いので是非お読み頂きたい。
というかこの記事をお読み頂かないとこの先に語ることが無意味になるので本当にお願いします。

要約してくれ、って言われてもこの内容を要約するのは無理だ……

……。


お読み頂けました?

この記事に対して、茂木健一郎氏が「理数系の素養がある人は日頃もっと難しい議論をしてるから理解できる」的なことを発言している。

lineblog.me

……まぁそれも一理あるかもしれないが……

はっきり言って、WEEKLY OCHIAIで語られていることに関しては最初のブログが指摘するように「意味不明なコントになっている」っていうのは正しいと思う。
落合陽一さん(以下敬称略)、多分連想した片っ端から発言してる。発言してその中で考えて、また発言してる。一種の自由連想法的発話。
天才型の人間は結構こういう話し方をして常人を置いていく場合がある。

で、僕も同じ
†天才型†
なので、理解できるわけである。
という冗談はさておき、実は落合陽一の指摘する話は「何言ってるのこの人?」で流すべき話でもなく、ベラボーに面白い話なのだ。
落合陽一の議論を分かるか否か、っていうのは「似たようなことを考えているか否か」に過ぎないと思う。たまたま僕は似たようなことを考えていたってだけだ。ただ、アプローチは明確に違う。

実際のところ、落合陽一がここで語ろうとしているのは思いっきり社会学とか人文学系列の議論だ。人文学軽視のこの時代に、落合陽一の議論はかなり重大なものだと僕は考えている。

……だからこそ、「理数系の素養云々」で臆面もなく「吸収」するのは、なんていうか……人文学を学んだ人間として、ちょっと遺憾の意である。
……といったような、ちょっとした怒りを込めた記事だと思ってください。

キーワードは「茶番」、そして「共同幻想」。
少し長くなりそうですが、是非ともお付き合いください。

 

この世界を生きること、そして「茶番」

唐突にも程があるが、こちらの動画をご覧頂きたい。


DWU VS 発達障害者作家借金玉【#023】


落合陽一の議論を解説するためにVTuberの動画を引用するのは僕くらいかもしれないが、冗談抜きに非常に重要な動画なんです。

解説すると、最近全然ディープなネタを取り扱わなくなった自称「深層webのお嬢様」であるDWU(ディープウェブアンダーグラウンド)と、下記書籍の著者である借金玉氏の対談だ。

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術

 

こちらの本は僕も読んだのだけれど、かなり面白い。

DWUに関して言えば、動画は割と面白く見ているのだけれど、たまに余りにも世間や世界に対する感度……冒頭の動画の場合、発達障害に対する「感度」のようなものが浅すぎて……ちょっと勘弁してくれよと思うことがある。
特に引用した動画はひどくて、コメント欄でもかなり多方向から指摘されている通りだ。が、それも含めて最近「ディープウェブどころか浅瀬の存在」と愛されている(??)かなり不思議な存在でもある。

で、明確に議論の食い違いが起こっているのは「茶番」という言葉の食い違いだ。

これは動画を観て頂ければ分かるのだけれど、本当に……明確に……途方もなく……食い違っている。
面白いくらい食い違っているのに、そこにほとんど突っ込まないという地獄のような対談が発生している。

はっきり言って対談としては失敗パターンと言っていいようなモノなのだが、DWUのキャラクター性を考えると一概にそうは言えないので複雑なところである。
さしずめ「怪文書」の映像版、「怪奇映像」と言ったところか……
……言い過ぎか。

おそらくDWUの認識する「茶番」は割と一般的な文脈での「茶番」……つまり、ほぼ悪口に近い意味で認識していると思う。
「無意味(悪口)」「無駄(悪口)」と同じような意味で認識しているのだろう。

一方、借金玉氏のいう「茶番」は大幅に広い意味で、マイナスのニュアンスもプラスのニュアンスもどちらも包括している。

「社会を営む上での儀式・儀礼的なもの全般」を茶番と捉えているフシがある。
僕個人が思いついた限りだと、

  • エンターテイメント全般
  • 会社での年功序列、体育会系のふるまい
  • 就職活動
  • マナー
  • 「死にたい」という言葉
  • 「死にたい」という言葉を発した人を慰めること

……などなど。
借金玉氏のブログにもヒントがある。

menhera.jp

無限に存在する「儀式的なもの」「儀礼的なもの」全てを包括した概念として「茶番」という言葉を使っていると僕は認識している。
それでもイメージがつきにくい方は、先程の動画のコメント欄を見て頂きたい。

借金玉氏が指摘する「茶番」は、氏が「大事にしましょう」と言うように、
「とりあえず守っていれば生きやすい」
ものでもあり、……同時に、一部の人間には「極めて鬱陶しい」ものでもある。
例えば「上司の判子の隣に判子を押すときはおじぎの角度にしましょう」みたいなのは、一般的な意味でも「茶番」だし、「守っていれば生きやすい」の領分を超えている。
そのレベルであれば色んな人が「おかしい」と思うが、さらに敏感な感度の人がいる。
例えば、「会社の会議、9割くらい無駄じゃね?」とか思い始めたら多分、僕だったり借金玉氏だったりの仲間入りである。

さて。
そろそろもう一つのキーワードが立ち上がってくる。

「茶番」という言葉はDWUのように、「マイナスでしか捉えられない」という人がいる(というか、DWUの場合理解を根本的に拒絶しているような気がする……)

まぁ実際のところ「全て茶番に見える」と言ったような表現を悪口と認識しないのは、さっき使った表現をもう一度使うとすると「同じことを考えている人間だけ」ということになると思う。
そういう意味なら、僕はただ借金玉氏と「同じようなことを日頃から考えている」だけ、ということになるだろう。

「茶番」という言葉は誰もが一度は聞いたことがある言葉だし、比較的認識も共有しやすい言葉だと思う。
……動画では全く共有できていなかったが。

それでも、人文学的なタームを取り入れた上で言い換えてみるとどうなるだろう?

……もうお分かりでしょう。
この記事のタイトルにある通り……

「共同幻想」である。

共同幻想について

「共同幻想」。
この言葉は吉本隆明の『共同幻想論』で示された概念だ。 

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

改訂新版 共同幻想論 (角川ソフィア文庫)

 

この本、もうめっちゃくっちゃものっすごっく難しい。 
ここでの議論に関してはWikipediaレベルの認識で構わない。
僕も大して認識ができていると思えないし……

ja.wikipedia.org

共同幻想 

個人と他者との公的な関係。国家法律企業経済株式組合がこれに当たる。また、宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。

「国家は幻想である」。
「法律は幻想である」。
ここで「確かにそうかもしれない」と考えるか、「いや、あるじゃん!日本ここにあるじゃん!」と考えるか。
僕は前者をこそ、オーバーだけれど「人文学的素養」と呼ぶ。

もちろん後者の認識の人を「素養がない」というわけではない。
もし後者の認識の人は、とりあえずこう考えて欲しい。

「国家は幻想である」よりも、「法律は幻想である」を考えるほうがわかりやすい。

例えば、
A.「10リットル流血すると人は死ぬ」
B.「コンビニで雑誌を盗むと窃盗罪で逮捕される」
どちらも「事実」ではありそうだけれど、この2つだと、議論の粒度というか「事実のレベル」が違うのは分かるだろう。

Aは生物学的、Bは法律の話。
それも正解なのだけれど、Aはそもそも「人が共同で取り決めた具体的な何か」に起因しない自然発生的なもので、Bは「人が共同で取り決めた具体的な何か」に起因するものだ。
かなり「浅瀬」な議論で申し訳ないのだけれど、端的に言って後者を「幻想」、それも「共同された幻想」と解釈することをここで「共有」できただろうか。

……この「共有」もまた、ある種の「共同幻想」の醸成だ。

さて。
B.「コンビニで雑誌を盗むと窃盗罪で逮捕される」
というルールの世界で生きている人間……抽象化すると、「共同幻想を営む『いわゆる』人間のことを」、ちょっと嫌味な言い方をするなら"人文学的素養のある人"は、「『カギカッコ付きの』」と表現することが多い。
 ……しかしまぁよくシラフで「素養のある」とかいう表現使えるな……もう二度と使いたくない。皮肉で使ってたけどもう使わない。

さて、ここまでで皆さんは「同じことを考えたことのある」人間になったわけだ。
ということで最初の記事を読み返してみましょう。


共同幻想2.0

ken-horimoto.com

結論を言えば。
多分、落合陽一は「共同幻想2.0」を構築したい、あるいは構築された未来を夢見ているのだと思う。


例えばアメリカは聖書に手をついて大統領が宣誓する。これはもうものすごくわかりやすく、強い「共同幻想」だ。

宗教はある種、最強の共同幻想だ。
僕は勝手に共同幻想が「抑止する共同幻想」と「推進する共同幻想」の2パターンがあると整理している。
例えば法律は前者に属し、「意識高い系ビジネス書」は後者に属する。
宗教は素晴らしいことに、両方兼ねている。

言い方を変えると、宗教は強固な「フレームワーク」だ。
「宗教的な考え方を遵守していれば楽に生きられる」。
実際はそう簡単にはいかないだろうが、少なくともある程度以上の道筋を示してくれるのが「宗教」という共同幻想だ。
※文脈的に「宗教」=「共同幻想」=「茶番」が導けてしまうが、この記事に宗教批判の意図は一切ない。それはここまで読んで頂いた方であればご理解頂けるだろう。

その点、日本には強固なフレームワークが……
共同幻想が、ない。
本当に、全くと言っていいほど無いのだ。

というか厳密に言えば……
……日本は共同幻想をことごとくブッ潰されてる。

岸田秀は『ものぐさ精神分析』で日本人の精神性がペリーの強制的な開国によって分裂病(現代で言うところの統合失調症)的に分離された、と指摘した。
だが、そこまで遡らずとも終戦後から現代までも波が激しすぎて……
「一体日本人という国民は、何を信じて生きてきたんだ?」
とも言いたくなってしまう。

終戦後は「復興」が共同幻想だったということでいいだろう。
高度経済成長時代とバブル期は「経済成長」だろうか?この二者だと微妙に幻想の強度と中身が違っていたと思われるが。
で、バブル崩壊以降は……ガチで何もなかったんじゃないだろうか?

否、何か「信ずるもの」……例えば、「ITが世界を変えてゆく」といった「希望の共同幻想」が醸成されかけたところで……
2011年、津波が流してしまったんだった。

ここは東浩紀が現在進行系で悩んでいるようで、氏の著書を読んでいると「震災前と震災以降で書けることが変わってしまった」「震災前だけにできたノリがあった」ことを痛々しく感じていることがよくわかる。

そんな日本で、落合陽一は例えば……自然が培ってきたもの、例えば「サバの模様」を産んできた地球46億年の叡智を、ブロックチェーンであるとかAIであるとか、そういった「大きな技術」で再現する。
それが「信ずるもの」……「神」として機能する。
それらが日本あるいは日本国民を「推進する」。
概ね、そういったことに強い希望を抱いている……あるいは。
自らの手で推進しようと思っているのだと、僕は推測する。

そして、そんな落合陽一に対して僕が思うことは……

前向きな諦め

僕は今後、日本にアメリカで言うところの「聖書に手をつく」といったような「強固な共同幻想」ができることには、あまり期待していない。
AIがいくら発達しても、ブロックチェーンがいくら理解されても、共同幻想にはなり得ないと思う。
「日本人という国民性」なんて語りたくないけれど、それでも日本は多分「共同幻想を抱く」ことは苦手なんじゃないかなぁ、と薄々思っている。
「AIが仕事を奪う」とかさ。なんというか「負の共同幻想」は得意なイメージだけど。

ただ、ぶっちゃけると日本国民、あるいは落合陽一ファンのエリート層がどういった共同幻想に突き進むか、なんていうのは……
僕にとっては割とどうでも良くて。

厳密に言えば、僕自信がその「共同幻想」に属することはないだろうと言うだけの話なのかもしれない。

借金玉氏は「茶番」に能動的に乗っかることを推奨しているが、僕は可能な限り離れて個人として気楽に生きる方法を模索している。
まぁそれでも最低限「茶番」は必要ではあるけれど。

これは極論なんだけれど、例えば上司が明らかにおかしい決断をしようとしていて「いや、ねーわ」と言わないことも守るべき「茶番」の一種だ。
「茶番」と思いつつも「上司殿、あなたの頭は大丈夫ですか?」と言わねばならない。
……勿論冗談です。冗談ですよ?真似しないでね?

と、まぁそのレベルの最低限の「茶番」を守りつつ、本当にしょうもない「茶番」からは距離をとって自分のために費やしたほうが良いじゃん、と真剣に思う。

「共同幻想からなるべく脱するという共同幻想」とでも名付けようか。
「それ、共同幻想じゃなくて自己幻想じゃね?」と思われそうでもあるが、なんとなくこの発想は共同幻想と言って良い気がする。

なんとなく、ここ最近「個人として前に進みましょう」「確かなものを確かに掴みましょう」みたいな考え方が共同幻想化してる気がするんだよね。

何の話をしてるかって?

































 

mistclast.hatenablog.com

いや、筋トレブームって明らかに「共同幻想の消失(それも2011年以降の明示的消失)」と、「ネットが推し進めた個人主義」が一種の転換を起こして生み出した新しい「共同幻想」じゃん?マジで。
あとミニマリズムとかもそうだし。

mistclast.hatenablog.com

 どっちも共通してるのは、「やればやるだけ確実に成果が見える」 ≒ 「脱:一般的な(ネガティブな)意味合いでの『茶番』」。

そういう生き方って結局何なの?
ただの個人主義?
違うと思うんだよなぁ……

っていうのを、こんな感じで発信していく「茶番」に生きること。

まぁ、それくらいなら僕でもできるかもしれない。

それはそれとして、落合陽一の議論、期待するところは今後もフォローしていきたい。
取り入れられるものは全部取り入れないとね。

改めまして、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

最近Twitterアカウント消しちゃったので、広める手段がなくなりました。
もし面白かったらシェアして頂けると嬉しいです。
【追記】
結局、更新報告用アカウントは残すことにしました。
今後も細々更新して細々広告することにいたします。
【追記ここまで】

お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。

 

後ろ向きに、前を向いて、自由に生きる

こんにちは、Mistirです。


「これから僕らはどう生きる?」


正解のない問いだけれど、考えて、考えて、考えて、26年間考え続けた結果、僕は
「自由であるか、自由のような風味の何かを摂取し続けられるなら、それだけでいい」
っていう結論に至りました。

正直、最近ブログを書こうとしては消して……を繰り返していた。
どんな言葉も滑っていくというか、どんなことを書こうとしても自分と離れている気がした。

それは多分、上にある答えに辿り着いてしまったからなのかもしれない。

僕は自由であればいい。
それ以上のものにも、それ以下のものにも興味がない。
けれど逆に言えば、全ての価値基準を自由に置く程度には、自由に向き合っているつもりだ。

だから僕の思う「自由に生きる」ことについて語って
"MistiRoom"というブログを……
「第一部完」としようかな、と思う。

とりあえず区切るだけで、辞めるとは言わないけどね。

 

このブログのこと

このブログには自分のことについて好き勝手に書き散らしていたけれど、結局それは僕の「悪あがきの記録」だったのだと思う。

どうすればいいか分からない。
だから足掻く。

そんなことばかり繰り返していた。

足掻かずにどこかの価値観に自分を落とし込もうとしても、どんな価値観も僕にフィットしてくれない。

退廃的な価値観が嫌いだ。何もかもに嫌悪感を撒き散らして、あらゆるものを批判する。冷静な議論を投げ捨てた感情論も、完璧な何かが存在することを前提とした理想論も嫌いだ。

前向きな価値観が嫌いだ。まるで人類が皆この世界を推し進める……アップデートするために存在していて、バカではない一部のエネルギッシュな人たちが世界を作る「べき」であり、その世界に属する「べき」であるかのような、そんな同調圧力が嫌いだ。

退いた価値観が嫌いだ。もう金持ちになることも諦めて、年収300万円もあれば人は豊かに幸せに生きられるんだよ、っていう思考が嫌いだ。

僕は酒を飲むとたまに口癖のように言っていた。
「本質的に僕は、寝ることと食べることとエロいことにしか興味がない。ついでに言えば、あとは酒と金」と。
唯一バイクは例外的なものである。
欲望を通り越してライフスタイルそのものというか。

鬱陶しかった。
僕の中に何かしら高潔な欲望が眠っていると、誰かに期待されることも自分に期待することも鬱陶しかった。

それでも僕がブログを書いていたのは、「自分のことをわかってほしい」という何かしらの欲求があったから……なのかもしれない。

けれどいつの間にかその欲求が薄らいでいた。
「俺は凄いやつだ」と叫びたい気持ちも、いかに自分が不幸な人生を送ってきたか主張したい気持ちも、どちらも消えていた。

それは多分。
今、自分が目的に即して生きるために何をすればいいか。
それがだんだん分かってきてしまったからだと思う。

生き方のこと

2018年12月、僕は会社に退職願を提出した。
厳密に言えば有給の後辞めるから、2019年1月末で退職となる。
2月からはフリーランスとして活動する予定だ。

「自由が好きだからフリーランス!」と、そう安直に発想したわけではない。
第一、フリーランスになれば正社員にはなかったあらゆる面倒事がのしかかってくることくらいよく理解している。
理解した上で、それら全てを自分で背負ってみたかった。
2年半前から独立は第一候補として検討していた。
行ったり来たりしつつも、ずっと変わらなかった。

ここで詳細にフリーランスになった理由を語るつもりはない。
けれど、とにかく会社組織の色々な点が自分に合わなかったのは間違いない。

仕事はスムーズに見つかった。
とりあえずご飯は食べて行けそうだけれど、今後は契約が切られないように全力で自分を磨いていく必要がある。

会社員だった頃は、正直そこまでの自己研鑽の必要性を感じなかった。
その都度その都度できる全力でカバーしていた実感があった。
今後は極論、死ぬか生きるかの話になる。
少なくとも自分はそう認識している。

……正直、猛烈に不安なんだけれど、同時に。
やっと今まで噛み合わなかった人生に少しだけ筋道が見えたような感覚を得ている。

「噛み合わない」。
それは自分の人生に対するキーワードだったのかもしれない。

京都の某大学に落ちて、そのまま哲学を学ぼうとしたけれど、なぜか色々なことがあってフランス文学を専攻することに決めて、その後何故かIT系エンジニアになってしまった。

自分の中では一貫した理由を後で説明することはできるのだけれど、どうも後付感が否めない。

きっと京都の某大学に落ちた時点で……否、京都の某大学を受けようと決めた時点で、自分の生き方を支える歯車に致命的なズレが生じてしまったのだと思う。

小学生の頃から、僕はずっと水族館で働きたかった。
昔から魚が大好きで、ずっと魚の図鑑ばかり読んでたような人間だった。
その頃の経験は、ブログにも役立っている。

mistclast.hatenablog.com

けれど僕は文系に進んだ。

理由はその頃極端に読書に傾倒していたことが大きいけれど、もう一つ。

「自分が文系に進んだらほぼほぼ敵がいないから」
という実利的な理由でもあった。
「文系科目で当然のように稼ぎ、数学でダメ押しする」という「戦略」が自分には容易に想像できたのだ。
その戦略は功を奏した。

今思うと、あの頃から「自分が水族館で一生働くこと」は真剣に想像できていなかった……想像しないようにしていたし、そこから「自分の将来が想像できない方向」ばかり選んでいたように思う。

それがやっと今、収束したような気がしている。
徹頭徹尾「戦略的」だったが、やっと戦略のための戦略ではなく、生きるための戦略を今後は選べるような気がしている。

「噛み合った」人生を送る人たちが羨ましかった。
そんなもの幻想だとは分かっている。
けれど、それでも……
「噛み合った人生」という「幻想」を追い求めずにいられなかった。

今はどうだろう。
僕の人生は「噛み合って」いるのだろうか。
分からないけれど、少なくとも目指すべきところは明確になった。

そうなってくると……なんだか。
どんな文章を書いても、白々しい。
そんな感覚を覚えている。

自分の中に色々とモヤモヤしたものは残っているんだけれど、結局の所それは全て、「食と睡眠とエロと金、諸々背負い込んだ自由のため」に収束すると分かってしまったし、それを実現するためにやるべきことがおぼろげながら見えてきてしまった以上……
何を語ろうと途方もなく白々しい。

僕に高潔な欲望は何もない。
世界をアップデートしようと思わないし、世界を変えようとも思わない。
「まだ消耗してるの?」などと他人を煽りはしない。
革命のファンファーレを鳴らすこともない。
ブランド人間になるつもりは毛頭ない。

でも。
多分。きっと。
僕のことを、誰かに分かってもらえれば。
それで良かったのだ。

だが。
最後に残った「誰かに分かって欲しい」、そんな欲望さえ……なくなってきた。

それでも。
……誰かが、僕の何かに対して同意してくれると嬉しい。

mistclast.hatenablog.com

そんな気持ちが残っているから、明確に「ブログを辞める」と僕は言い切れないのだろう。

怪文書まとめ

どこに行きたいの、と。
そう、よく言われる。

週末は延々とバイクで走り、体を鍛え、昼食の時間は面倒くさいのでプロテインと完全食を混ぜた謎の物体で済ませる。
ミニマリズムに目覚め、ありとあらゆるものを捨てたがる。

そんな日々を送っていると、どうも何かを目掛けて突っ走っているように捉えられがちだ。

正直、自分でもよくわからない。
けれど止まっている場合ではないと思うから、とにかく走り続ける。
……それは「欲望」に駆動された結果なのかどうか、自分でもよくわからない。
ただ、自分を縛るあらゆる制約から自由になりたい。
自分の中のあらゆる弱さから自由になりたい。
その気持ちに偽りはない。

書き終わってから気付いたけれど、この記事は逆説的に「誰かに分かって欲しい」という密度の高い叫びになってしまった。
多分、僕はまだ何かを語りたいのだ。

それでも語れないとするならば。
それは自分の中に渦巻くものと、自分が取り入れてきたものの差異の大きさと言うか……

要するに、書くに値するほど自分の中で熟成させられていないのだ。
いろんなものが燻っていて、それぞれのものとしっかり向き合えていない。
今後は良質なインプットを増やして、自分と向き合う作業を続ける必要がありそうだ。

また語りたくなるときが来るまで、とりあえずインプットの量を絞って質を上げようと思う。
だからTwitterのアカウントは一度消すことにしました。
また語りたくなったら語ります。そのときはよろしくね。

【追記】
Twitterのタイムラインを眺めることを辞めた瞬間語りたいことが色々湧いてきましたが、更新しても報告できないことが滅茶苦茶辛いので、アカウントは復活させました。
ただ、フォローそのままにしてると確実にタイムライン眺めちゃうので、フォローは外すことにしました。ひどく勝手な運用ですが、モチベーションキープのためよろしくお願いいたします。
【追記ここまで】

お読みいただき、ありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。

 

ClariS 新アルバム "Fairy Party" 全曲レビュー

こんにちは、Mistirです。

最近ClariSにハマっている。
Apple Musicで全アルバムが配信されてるから一気に聴いてみたんだけど……
いや、こんなに度量が広くて深いアーティストだったとは。
正直恐れ入った。

アニソン歌手ってそれぞれ「色」を持ってる。
例えばAngelaなんかをどんなアーティストかって説明すると「圧倒的歌唱力と声量で世界観をとことん表現するアーティスト」だろうし、fripSideなんかは「清涼感ある歌声を正当進化した小室系サウンドに乗せて届けるアーティスト」ってことになるだろう。

ちなみにこの2アーティストがコラボしたときには情報量が渋滞してた。


angela×fripSide「僕は僕であって」Music Clip(short ver.)


【fripSide×angela】 「The end of escape」MV(試聴用ショート版)


だが、その点で語ろうとすると……

ClariSは、見えてこないのだ。
色がない。特定の色を持っていない。
全体として「懐かしい感じの曲を歌わせたら一級品」っていう特徴を持っているのは間違いないんだけど、王道アニソンから古臭いバラード、電波チックな曲まで、本当に幅広い。
もちろん、それが「無個性」を意味しているのかと言えば……違う。
決して違う。

ボーカル二人の声は癖があるわけではなく、にも関わらずどんな曲もフラットに歌い上げてくれる。
だから曲の良さが映える……

そういった曖昧模糊とした考えを抱いていたが、少し認識を改める必要が出てきたのは……
つい先日配信されたこのアルバム、

Fairy Party(完全生産限定盤)(グッズ付)

Fairy Party(完全生産限定盤)(グッズ付)

 

 "Fairy Party" を聴いてからだった

ということで全曲レビューします。

 

1.Overture

オープニングのインスト曲。
ハリーポッターのメインテーマにそこはかとなく似てるミステリアスな曲。

先行配信してた表題曲の"Fairy Party"(アルバムではエンディング曲) がミステリアスな雰囲気だったってこともあって、「今回はミステリアス路線なのか?」と思わせてくる。
……が、次の曲であっさりと打ち砕かれる。

……この時点では、このオープニング曲があくまでも「伏線」であることに気付く余地はない。
だがClariSのアルバムはいつも、ちょっと過剰なまでに曲順に演出を含ませてくるのだ。慎重に聴いていこう。

2.1/f

1曲目の予想を打ち砕く、ミステリアスの欠片もない優しい一曲。
ClariSに限らずアルバムを聴くときはいつも「このアルバムのリードナンバーはなんだろう?」と考えながら聴くんだけど、続く三曲が全てシングル収録曲であることから考えても、このアルバムオリジナル曲がリードナンバーといってもいいと思う。

……普通にとにかくストレートでいい曲だし、正直めっちゃ語りにくい……。

全曲レビュー、2曲目で折れそうである。

f:id:Mistclast:20181123182611j:plain

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックス)

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックス)

 

 まぁ無理して語る必要もないか(手のひら返し)。
というのも、後に出てくる "CheerS" もそうだけど、特に最近のClariSはたまに「ド直球の前向きな曲」を出してくる。
まぁだいぶ前の"Wake Up" の頃からちょくちょく出してた気もするけど、このアルバムに至っては先頭5曲分の2曲がストレート前向きソングである。

これは何の根拠もない話だけど、もしかすると……
それはメンバーの1人であるカレンの存在が大きいのかな、と思ったりする。
それが分かるのがもうちょっと後の曲なんだけど、そのときに改めてこの曲については語ることにしようか。

3.ヒトリゴト

皆さんご存知(??)アニメ『エロマンガ先生』のOP曲。

なんていうか、「ClariSのことはあまり知らないけど『俺妹』のOPのことは知ってる」人がイメージする「ClariSといえばこんな曲」そのままのイメージの曲なんじゃないかな。

そもそも『エロマンガ先生』自体が『俺妹』の作者の後継作品っていうこともあって、その辺りも露骨に意識して作られている一曲だと思う。

誤解を恐れず言うと、ClariSってちょっとチープな音や展開使ってる曲が多い。
でもそれは明らかに意図的で、俺らおっさんファンの心を掴んでるってのはあると思う。
要するに、ちょっと昔のアイドルっぽさが意図的に演出されてる。

この曲はそういった演出がフル活用だ。
全体的にどこか「ちょっと昔のアイドルソング」と「ちょっと昔のアニソン」感を引きずるAメロと、爽やかに駆け抜けるサビ。
……いいね……(語彙力不足)

4.SHIORI

アニメ『終物語』ED。

息の長い人気の『物語』シリーズだけど、もうファーストシーズンの『化物語』から10年弱になる。
……時の流れは残酷すぎる。

『化物語』EDの『君の知らない物語』は未だに語り継がれる名曲で、ClariSも実はカバーしてたりする。
で。
この曲 "SHIORI" は名曲『君の知らない物語』を彷彿とさせる一曲。

特にサビの疾走感と切なさ、キャッチーさは特筆モノだ。
物語シリーズそのもののプロデュースというべきかClariSのプロデュースというべきかわからないけど、世界観の作り込みが凄いなぁとしみじみ思わされてしまう。
さっきの『ヒトリゴト』もそうなんだけど、ClariSはオタクにとっての「懐かしさ」を強制的に呼び起こす魔法でも持ってるのかと言いたくなる。
それくらい自然に曲の節々にノスタルジーを練り込んでくるからたまらない。

5.CheerS

アニメ『はたらく細胞』ED。
怒涛のアニメタイアップ曲三曲目である。

もうどうしようもないくらいの、ド直球ストレート球速200km、って感じの応援ソング。CとSが大文字ってのは突っ込むだけ野暮ってもので、まさに「ClariSとしての応援ソング」ってことなんだろう。

それにしても……
冒頭の

君らしいペースで歩こうよ

の直後やサビの冒頭に壮大なシンバルの音入れちゃうあたりが良くも悪くもとてもClariSらしいw 
ClariS、アニソンタイアップする際は基本的に曲 (音)の情報量がめっちゃ多いんだよな……

で、ここまでがタイアップ曲である。
後半にもう一曲タイアップが混ざるが、ここまでで一曲一曲が情報量の塊みたいなタイアップ曲を全部放出して、ここからは「アルバムとしての曲」というカラーが強くなってくる。

話が逸れるが、これはアニソンに限らずどんなアーティストでもそうなんだけど、タイアップ曲はアルバムの最初の方に入っていることが多い。
それはタイアップ曲が気合い入れた一曲だから、っていうこともあるだろうけど、それ以上に「物語として完結しているから」ということもあるだろう。

アルバムはただの作品の羅列ではない。作品の並び順が、流れが、全て一つの物語の構成要素であり、閉じられた「テクスト」であり……作品だ。
そのことを前提としても、ClariSは他のアニソンアーティストと比べてもアルバムの構築にめちゃくちゃ気を使ってるタイプのアーティストだと思う。
この3曲はあまりにも「一曲で完結してる」曲だから、潔く(アルバム全体のリードナンバーである1/fの直後に) 3曲連続で並べたのではないか、としか思えない。
まぁ「本当の意図」なんて知らないけどね。
筆者の戯れとして読んで頂けると嬉しい。

閑話休題。

ある意味ここからがアルバムの本番。
そう僕は思う。

 

6.陽だまり

新メンバー(と言うにはもう4年経っている) カレンの初ソロ曲。
というか、ClariSの初ソロ曲。

正直に言おう。
はっきり言って「ソロ曲」って聞いた時、「え、それ意味ある……?」と思った。


ツインボーカルこそがClariSの魅力。
正直、ClariSは歌唱力が圧倒的にあるタイプのアーティストってわけでもないし、個性の塊って感じのアーティストって感じでもない。
わざわざソロで歌う意味は……?

ところがどっこい、である。
ソロで再発見してしまった。
ClariSというアーティストの底力を……!

さて。
今までClariSというアーティストを説明する時、「鼻にかかった声で歌うのがクララでちょっと大人っぽい声の方がカレン」と説明する必要があったが、このソロ曲のおかげでもうそんな必要はなくなった。

「『陽だまり』歌ってるめちゃくちゃ優しい声のお姉さんがカレンだよ!!!」である。

この人、こんな優しい声してたんだ……と。
聴き入ってしまった。

今まで聴いてたときには全く気付かなかった。
で、最近のストレートな応援ソング路線もなんとなく理解してしまった。

今まで "ClariS"というまとまりでしか考えていなかったけど、この二人の片方は「圧倒的な優しさ」だったんだな……と妙な納得感を抱いてしまったのだった。

……じゃあもうひとり、クララの方は?
……そろそろ白状しなければならない。このレビューは全曲レビューだ。
だが、実は。
一番語りたいのは、この3曲後にあるクララのソロ曲なのだ。
あまりにも衝撃が大きかった。

はやる気持ちを抑え、次の曲について語ろうか。

7.distance

さて、ここから怒涛のシリアス曲ラッシュだ。
急にアルバムの雰囲気が変わる。

それはそうと、この曲……
これいい……とてもいい……(数度目の語彙力低下)
2000年代初期を彷彿とさせる王道のバラード!!!
ああ、懐かしい、懐かしいぞこれ!!!!

そう、これぞClariSですよ。
タイアップしない曲は「タイアップしにくい曲」という立ち位置でガチッと固めてくる。
確かにあまりにも王道のバラード過ぎて……そして今のアニメに合わせるにはちょっと古典的すぎて、どうしても合わないと思う。
だがそれが曲として「手抜き」を意味しているかと言えば明確に違う。
そう、これだよこれ!!!!

そうだよ、こういう曲はカセットテープから流れているべきだ。
音質はあえて下げて聴いてもいいな……
……ここまでくるとちょっと変態か……

ああもう、サビもたまらないし、そこから「懐かしさ指数」みたいなのがさらに一段階アップするCメロが本当にクッソたまらない。
この曲は一押しだ。

8.パラレルワープ

不思議系かつシリアス爆発の一曲。
これもどことなく懐かしい。
さっきの"distance"とは少し違った懐かしさを覚える曲だ。

さっきのdistanceと続けて二曲、シリアスな雰囲気の曲が続く。
アルバム全体から見るとこの二曲は地味な印象が否めないが、完成度は言うまでもない。
そしてClariSはこういった「地味な曲」が一番中毒性がある。僕の持論だ。

しかし、通して聴くとまるでタイムトラベルしているかのように時空間を揺さぶってくるようなアルバム構成だ。
……それが意図的だと知るためには、実のところ12曲目まで聴き込む必要がある。

とりあえず次の曲に行こう。

9.Last Squall

先程少し触れた、クララのソロ曲。
そう、この曲こそ……
僕がこのアルバムで最も衝撃を受けた曲で、最も語りたかった曲だ。

びっくりした。
本当にびっくりした。

最初のシングル、"irony" を知っていると分かると思うのだけれど、あくまでも「素顔非公開、中学生の歌手」っていう側面ばかりが持ち上げられていて、歌唱力についてはあまり深く語られるような歌手ではなかったように記憶している。
もちろん「歌唱力が高い」というのは言われていたと思うけれど、それはあくまでも「中学生としては」という前置き付きだ。

例えば僕は鈴木このみというアーティストも好きなのだけれど、この人は本当に良くも悪くも「歌唱力」メインに注目されて来た人だ。


鈴木このみ「This game」PV(TVサイズ)


「歌唱力」。
それは漫画で言うところの「画力」であり、格闘家で言うところの「筋力」なのかもしれない。
高いほうが良いに決まっている。だが、それが全てではない。

ClariSの魅力について語るとき、一言目に「歌唱力」を持ってくる人はそういないだろう。
例えば初期の "irony"を今聞いてみると、歌い方は正直ちょっと野暮ったい。
もちろん、それは魅力がないことを決して意味しない。

……だが、ちょっとまってほしい。
……長々と語ったが、これは言い換えると。
「ClariSは歌唱力がメインの歌手じゃない」と言っているのと同じじゃないか?

認めたくないが、そうだ。
ClariSは最初から決して「下手なアーティスト」ではない。
だが同時に「歌唱力をウリにしたアーティスト」というわけでもない。
それは「大前提」のような認識でいた。

そんな僕に、突き付けられた。
「ClariSは圧倒的な歌唱力を持ったアーティストなんだ」、という事実を。

なんだよ……この表現力と色気。
……冷静に考えたら、もう10年近く歌手活動してるんだ、それくらいの歌唱力あって当たり前じゃないか。
でもここまでド直球に突き付けられるとびっくりする。

特に声と表現が発する色気がヤバイ。
本当にヤバイ。

「声がエロい」とか、そんな下卑た話じゃない。
それはこの曲を聴いた方であれば絶対に伝わると思う。
「色気」としか言いようのない何かが半端ないのだ。
そしてひたすらに……危うさを感じる。
否、危うさとは色気であり、色気とは危うさなのだ。

「色気」については無限に語りたい。が、余白が足りないので是非筒井康隆大先生の『創作の極意と掟』をお読み頂きたい。

創作の極意と掟 (講談社文庫)

創作の極意と掟 (講談社文庫)

 

たまに僕は色気について熱く語ることがあるのだが、大抵の場合危険人物扱いされる。
孤独である。

閑話休題。

……そう。
良くも悪くもクララという人とカレンという人は対極なんだ。
片方は圧倒的な優しさ、片方は圧倒的な色気と危うさ。

その二人が歌うから、ちょうど折衷したバランスの良い曲として僕らに届く。

でもこの曲に関してはそんな「バランスの良さ」はぶっ壊れてる。
そこにカレンがいないから。

なんとなくだが「開けてはいけない箱を開いた」ような気持ちになってしまった。

要約すると……
「すげーな」である(簡潔)

10.TRAVEL

「ClariSってたまにコッテコテの小室サウンド感ある懐かしい曲入れるよね枠」の一曲。
さっきの曲と比べて安心感が凄い。
ああそうそうこれこれ、これぞClariS。
なんやかんやこういう路線が安心するね!

サビ直後の交互に歌うパートはコッテコテ過ぎてもはやちょっと笑っちゃう。
前アルバムの"recall"はこれに増してコッテコテな一曲だったから是非聴いてみてね。
それにしても「小室サウンドリスペクト感ある曲」を聴くと、コナンのOPをどうしても思い出すのは愛内里菜の曲がこういったイメージばかりだったからだろうか……
『恋はスリル、ショック、サスペンス』とか、コナンのパラパラのイメージが強すぎるけど、あの時点で小室サウンドブームは終焉を迎えつつあったはずだから、当時でさえノスタルジック感ある曲だったんだよね……

それにしてもこういった「小室チックなサウンドの曲」をそのまま現代に持ってきて的確に歌い上げてしまうClariSには脱帽だ。
……ちょっとコッテコテすぎる気はするけどw

11.PRIMALove

ClariSはアルバム後半、忘れた頃に「タイアップっぽくないタイアップ曲」をアルバムにぶっ込んでくる。

前アルバムだとこの位置にタイアップ曲の"Gravity"が入っていた。
ClariSは"コネクト"が一番わかり易いんだけど、「熱苦しい、『いかにも』なアニソンをフラットに歌い上げる」のが得意なアーティストだ。
だが "Gravity" はちょっと特異で、アニソンっぽいのは間違いないんだけれど、その一方で終始クール。
全体的に派手さはないけれど、軽やかに最後まで駆け抜ける一曲だ。
結果的に妙に爽やかで、僕の大好きな一曲でもある。

で、この "PRIMALove" だが……
"Gravity" と同じく、アニメタイアップと思えないくらい良い意味で地味だ。
でも同時に「そうそう、ClariSってこういう普通に爽やかな曲がいいんだよ、聞き飽きない」と確信させてくれる一曲でもある。

……どう考えても "Last Squall" のショックを引きずっている。
いやー、ClariSってさ……
少なくとも僕にとってはなんだけど、アニソン歌手として「ちょっと近くにいてくれてる」感あるんですよ。
どんな曲聴いてても近寄りがたさがないというか、等身大と言うか。

僕はGARNiDELiAっていうアーティストも大好きなんだけど、このアーティストは対極で、「近寄りがたさ」みたいなものがすげーある。
多分、PV観て頂ければ一瞬で伝わると思う。


GARNiDELiA 『SPEED STAR』-YouTube EDIT ver.-

で、"Last Squall" にはそういった「近寄りがたさ」をすっげー感じるんですよ。
等身大でとっつきやすい、それでいてちょっとミステリアスなClariSっていうアーティストの枠を一瞬で……それこそ圧倒的な色気と危うさで暴力的に超えてきた感じ。

その一方で、"Last Squall" 以降の2曲、"TRAVEL" と "PRIMALove" は本当に「いつものClariS」で、……見放されて泣いてたら急に慰められたような気分になる、というのは言いすぎだろうか。
でもマジでそれくらいの安心感。

徹底的に計算を詰めて曲を配置している。
ゾクゾクするくらいだ。
……だが、まだまだこのアルバムは終わらない。

12.Time Tunnel

インスト曲。
……全14曲で12曲目に箸休めのインスト曲置くアルバムなんて始めて聞いたぞ!?

それもそのはず、この曲は明らかに「箸休め」じゃない。
"PRIMALove" で安心させられた心を急に背負投げしてくるようなタイミングだ。

そうだ、このアルバムはそもそも……
一曲目から「不穏」だったのだ!忘れてた!!!

そしてそのまま、「裏のリードナンバー」である"シニカルサスペンス"に突入だ!

13.シニカルサスペンス

「安心してるところ悪いな!」と背負投げされた直後に、満を持してやってくる一曲。
確かに曲としては超シリアスなんだけど……

いや、これは逆に安心するわ……
だってこの曲……
ド直球に歌謡曲なんやもん……
嘘やろ!?ってなるレベルの曲。

"Time Tunnel" からどんな不穏な曲が来るのかと思ったら、本当に「コッテコテ」という表現では足りないくらい「コッテコテ」の歌謡曲だった。
この曲はやべえよ……ClariSにはレトロチックな曲が多いってのは何度も指摘してるけど、この曲はそういう次元超えて完全に昭和歌謡じゃん……

歌詞、読んでほしい。

utaten.com

天才でしょこれ。
これが平成最後にアニソン歌手が歌う曲ですよ。

「昭和『風』の曲」とかじゃなくて、これもう一度言いますけど……
もはや昭和歌謡ですよw

サビ前の交互に歌い上げるところなんか、「平成も終わりかけてるときに、アニソン歌手がツインボーカルでそんな演出するか!?」とびっくりしてしまう。

ClariSはタイアップしない曲は「タイアップしにくい曲」という立ち位置でガチッと固めてくる、とさっき指摘したけど、この曲はいくらなんでもやり過ぎだ!!!(大絶賛)

途中の「待って」「置いてかないで」とか絶対に笑わせようとしてるでしょ……
でも嫌味が一切ないんだよな……

いやー、この曲は凄い。
もう「これでもか」ってほど歌謡曲の文脈がわかった人が、その文脈を余すところなくブチ込んだ一曲だと思う。

で、結果として……
中毒性がヤバイ。
このアルバムで一番中毒性の高い曲だと思う。

というかこういう曲歌っているときのカレンの声の優しさは、いとも容易く(もちろん良い意味での) 幸薄感に変貌する……
改めて、クララの声の色気と凄いバランスだなぁと思う。
こんなこともソロ曲聴かないと気付けなかったから、ソロ曲の存在は凄く大きい。

そして満を持して(こいつ常に満を持してんな)、エンディング曲だ。

ラストナンバー.Fairy Party

Mistir大辞典に
「アルバム表題曲がラストの一曲に来る場合、そのアルバムは確実に名盤だし、その曲も確実に名曲」
って書いてあるんだけど、その記載は今回も正しかったらしい。

"シニカルサスペンス" のミステリアスに見せかけて実はそうじゃない感じではなく、アルバムの締めに相応しい、まさに「ミステリアスな」一曲だ。

この曲のみ先行配信されていて、ヘビーローテションしながらアルバムのリリースを楽しみにしていた。
アルバム全体のエンディングでありながら、曲のテーマ通りまさに「深夜のパーティ」に誘ってくれるような、不思議な一曲だ。

暗く、明るく、シリアスでありながら可愛く。
超贅沢な一曲で……そして思い出す。

ああ、それは。
このアルバムそのものだった、と。
そう、このアルバムは"Fairy Party" 、この曲も"Fairy Party"。

この曲をアルバム化したものがこのアルバムだし、このアルバムを一曲にまとめるとこの曲になる。
……あー、満足感が凄い。
もう一度最初から聴こう……

まとめ

アルバムを買えー!!!!! 

 

Fairy Party(通常盤)

Fairy Party(通常盤)

 

 買わないなら音楽聴き放題サービスに入れー!!!!!!!
筆者はApple musicで聴いてるけどamazonのMusic Unlimitedでも無料だぞー!!!!!

www.amazon.co.jp

多分だけど他のサービスでも無料だぞー!!!!!


お読みいただき、ありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。

 

死んだら、負けだ

こんにちは、Mistirです。

炎上に口を出したくない。
そう日々言っているんだけど、我慢できなかった。

どうしても言わないといけない。
そう思ったのです。

 

続きを読む

『ゾンビランドサガ』が高度すぎる "やりたい放題" でたまらない

こんにちは、Mistirです。

久々に「やべぇ」アニメが出てしまった。

早々に女の子が陵辱される『ゴブリンスレイヤー』……

www.goblinslayer.jp

……も、相当に攻めてはいるのだが。
どちらかというと、これはこの世界におけるゴブリンの恐ろしさや残忍さを愚直に描いた、ある種極めて「マジメ」な表現とも言える。
それが視聴者に正しく伝わっているのか否か、それは別として。

一方で。
「全てが狂っている」と評される、あるアニメが出現してしまった。

そう。
それこそがまさに、今回語ろうとしている『ゾンビランドサガ』である。

zombielandsaga.com


まだ観ていない方は、可能ならば第一話を観て欲しい。

www.nicovideo.jp


嫌だ?断る?観る気が起きない?
……フッ、強情だなぁ。

安心して欲しい。
観た人も、まだ観ていない人も、この「完成された狂気の世界」へと僕が誘おうじゃないか。

その昔。
「狂人のフリをし続ける常人は、即ち狂人である」と……誰かが言った。

それと同じだ。
『ゾンビランドサガ』という作品は、極めて技巧的で、ある意味では極めて「尋常な」精神の上で組み立てられたものだ。

だが……

そこに込められる「緻密なる狂気」の「圧倒的純度」は、僕らに「果たして尋常とは一体何だったのか」を見失わせてくれる。


その世界観をラベリングすることが許されるなら、僕はこの作品を、こう呼ぼう。

「誠実なる狂気」と……!

ってことで語るよ。

 

続きを読む

検索できない場所へ、旅に出よう【後編】

こんにちは、Mistirです。

今回は前回の続きです。

mistclast.hatenablog.com

決して検索ではたどり着き得ない場所のお話。
今回はちょっと重めのお話と、ちょっとしたブログの告知的な何かです。

 

続きを読む

検索できない場所へ、旅に出よう【前編】

こんにちは、Mistirです。

最近東浩紀の『弱いつながり 検索ワードを探す旅』を読んだ。

弱いつながり 検索ワードを探す旅 (幻冬舎文庫)

弱いつながり 検索ワードを探す旅 (幻冬舎文庫)

 

東浩紀という人はなかなかに毀誉褒貶の激しい人で、僕自身も氏の行動を手放しで絶賛する気は無いのだけれど、この本は同意できることばかりだった。

曰く「ネットは弱い繋がりができやすい」というのは錯覚で、本当は「強い繋がりが良くも悪くもより強固になる空間である」と。
政治主張、社会問題に対する姿勢、確かにどんな例を思い出してみても、ネット上で生まれる一種の「スクラム」は(ある意味では現実のものよりも)強固になりやすい。

では今後の世界で重要になる「つながり」とは何か。
偶発性を生み、人生に広がりを持たせる「つながり」とは。
それはネットから離れた「リアルの空間を旅すること」にこそ存在する、と氏は指摘する。

そういったリアルの空間の偶発性の中で「検索ワード」を探すことが大事になってくる、と。
確かに「知らない概念は検索できない」。
まず「検索するためのワード」を自分の中に蓄積しておく。そこを起点にして、現実からも、ネットの世界からも広く「知る」ということができるようになる……

と、雑にご紹介しましたが、今日の本題はこの本そのものの紹介ではなく。
「確かにこの世界には……いや、それ以前にこの日本には、『検索では知り得ないもの』がたくさん眠っている」というお話です。

 

続きを読む

平成の終わりに、進化したネット依存について考え直してみる

こんにちは、Mistirです。

思いつきで一週間ほどTwitterとニコ動とYouTube、その他ネットサーフィンを断ってみた。

すると、色んなことが見えてきた。

 

続きを読む