Minakami Room

旅を続ける。考える。自由である。生きている。

『宇宙よりも遠い場所』が僕らに残してくれたもの

こんにちは、Mistirです。

「生きていてよかった」
そんな夜を探していると、フラワーカンパニーズは『深夜高速』で歌った。

www.youtube.com


「生きていてよかった」。そう心から思える作品に出会えることは稀だ。

僕らはいつも、何かの作品に対してクソだのなんだのと、時には貶し、時には絶賛しながら、たくさんの作品を消費している。
多分前期アニメで最も話題になった作品は『ポプテピピック』で、意図的に練り上げられた、洗練された「クソ」に対し、半ば呆れながらも僕らは賛辞を送った。

でも。
『ポプテピピック』の流行の裏で、……視聴者の大半が絶賛した、「怪物のような」作品が放送されていた。

僕はその作品があまりにも面白いと人づてに聞いたから、最終話が放送される頃にまとめて観た。

全話見て、僕はーー
言葉を、完全に失った。
毎話毎話、気付いたら僕は涙を流していた。
4話あたりから量を増していく涙は、12話で僕に過呼吸を起こさせ、最終話で僕は笑いながら泣いていた。
実際問題12話は「ボクサーのジャブを食らってると思ってたら急に両手両足を日本刀で叩き斬られた」ような強さがあった。

「この作品に出会わせてくれてありがとう」と、感謝の気持ちで満たされるような作品。「生きていてよかった」と、そう思わせてくれるような作品。

その作品の名はーー

yorimoi.com

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『宇宙よりも遠い場所』だ。

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胸が熱い。まだその感覚が抜けきらない。

正直、これほどの作品に対して「言葉を尽くす」ことに意味があるのかと……
そんなことを言われても仕方がないほどの大傑作だと思っている。

それに、既に先人たちが素晴らしい批評を残してくれている。

xckb.hatenablog.com


だけど……
語らなければならないのだ。
それが僕にとっての……この作品に対する、向き合い方なのだ。

長い夜になる。
僕は1話から改めて『宇宙よりも遠い場所』を観ながら、少しずつ、少しずつこの作品を語ろうと思う。

さぁ、語ろう。
淀んだ水は、流れなければならないのだから。

※!この記事は最終話までのネタバレを含むので、必ず最終話まで観てからお読みください。

 

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「潜在的差別主義者」を「正しさ(あるいはポリコレ棒)」でぶん殴って一体どうなるの?

こんにちは、Mistirです。

話題になっている記事がある。

yuhka-uno.hatenablog.com


以前話題になった記事

withnews.jp

に対する(概ね批判的な)批評なのだけれど、この記事が結構絶賛されている。
筆者の宇野ゆうか氏のことを僕はよく知らないのだけれど、この記事に関しては確かに「正しい」と思う。

そう、とても「正しい」。

だけど、同時にとても「危険」だ。
もっと言えば「マイナスが大きすぎる」。

この記事が語っていることは「正しい」、故にそれを批判する僕も大いに批判されるかもしれない。
けれど、これは絶対に語らなければならないと思った。
「正しさ」を目的とすると、結果が良いものになるとは限らない。

……できれば上の2つの記事を先に読んでから、この記事をお読み頂けると嬉しいです。
※この記事には何度も「正しい」という言葉が出てきますが、意図的に多義性を含ませています。「(少なくとも一見して)筋が通っている、あるいはそれ以上のエビデンスが含まれている」という程度の緩い定義で読み替えてください。場合によっては「(自分にとっての)正しい」の意味で使っていることもありますが、ご了承ください。

 

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情報に溺れず、情報を探すということ

SNSから離れています。

mistclast.hatenablog.com


そして、なんというかできればニュースも見たくないです。
もう僕は政治に触れたくないです。多分お気持ち分かってくれる人も多いと思う。


そして最近、僕は
『宇宙よりも遠い場所』の第一話を見ました。

yorimoi.com
なんなんですかこれは。
一話から空気感だけで泣いちゃうやつじゃないですか。
ああもう語りたい。既に語りたい。

……悔しいのが。
このアニメを僕が見るきっかけになったのが、……離れる前にTwitterで話題だったことを思い出したからなのだ。

つまり、今後はこのような情報は得られない、ということだ。

ああ。
……できれば。
寝てるときとかに脳内に直接
「聞こえますかMistir……観るのです……宇宙よりも遠い場所を観るのです……」
って女神が語りかけてくれないだろうか。
Wi-Fiも高速化してるんだし、それくらいできるだろう。

どうしたらいいんだ。

「誰か僕に情報をくれ」と叫びたいところだけれど……
……これだけだと、新手の乞食ですね。うん。「情報乞食」。新しいジャンルだ。

とまぁ今色々模索してますっていう、それだけの話です。
終わり。

 

「僕は変人だ」、それはいつしか呪いとなった

「自分は変人だ」と言う奴は変人じゃない。
とても有名なテーゼであり、しかも高確率で当たる。

「私変人って言われるんです~」と、その定型文を定型文のまま語る人はあまりお目にかかったことがないが、それに近しいことを言う人がホンモノの「変人」であると思ったことは基本的にない。
近頃それに近しいことを言っていた人がいたが、
「ああ、君はその性質が『変』とされるコミュニティで生きてきたんだね。羨ましくもあり、同時に羨ましくなくもある」
と、微笑ましいような歯がゆいような、複雑な気持ちを抱いた。
もちろんそれを口に出さない程度の節度は弁えていた。

僕も基本的に、上に掲げたテーゼ……
「自分は変人だ」と言う奴は変人じゃない、というテーゼを信じているけれど……
それでも、たまに思うことがある。

あらゆる人から、あらゆる表現で。
「お前は変人だ」と言われ続け。
そして「まぁ、そうなんだろう」と認めた僕が。
今更「僕は普通だよ」と主張できるだろうか?と。

むしろ「僕は変人だ」と、声帯を使ってあえてそう主張しなくても。
僕は頭の先から足の先まで全身で、相手の五感全てに訴えているのではないか、と。
「僕は変人なんです、分かってください」と。


そして僕はいつしか探し始めた。
僕のことを理解してくれる人を。
そして、幸運なことにたまに「理解してくれる人」あるいは「それに準ずる人」は現れてくれた。
だけど僕がそれを幸せに感じることはあまりなかった。

何故だろう。
僕は考えた。最近はSNSから離れ、なるべく世間の情報を遮断している。
色々と本を読んで、考えた。

そして気付いた。
……いつの間にか、僕にとって「変」であることはただの呪いとなっていた。
呪いであり、同時に……
つまらない言い訳だった。

 

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Twitterよりテレビの方がマシだったのかもしれない

こんにちは、Mistirです。

Twitter依存です。
長いこと気付いていたけれど、何度やめようとしても戻っていた。

結局のところ、「Twitterが自分にとってクリティカルに有害である」ってことに気付いてなかったのかもしれない。
でも今は、確信に近い。

タイトルは非常に逆説的で、僕はテレビを持っていないし、基本的に信用していない。
だが……今なら思うのだ。

真実を知るというレイヤーで、テレビがもう有効性に欠けるという確信は未だに揺らいでいない。

だが。

幸せになるというレイヤーで、インターネットがどうしようもない存在であるという事実。最近はそのことを確信し始めているのだ。
少なくとも、僕のような存在にとっては。

 

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「納車しました」は正しい日本語なのか

こんにちは、Mistirです。

僕はTwitterでバイクのオーナーさんをたくさんフォローしているのだけれど、どうやら車・バイク界隈でにわかに賑わっている話題があるようだ。

「納車しました」が正しい日本語なのか否か、という問題だ。

一部の過激派(?) は決してこの日本語を許さず、なんというか……
「納車警察」と言っても差し支えないような方々も存在する。

色々考えた結果、文法的にこの日本語は結構面白いってことが分かった。
ちょっとだけ語ろう。

 

 

「納車しました」を許さない人

僕が「納車した」について真剣に考えたのは、このツイートがきっかけだ。
引用しよう。

いわゆる「有名人」「言論人」以外のツイートを引用するのは、あたかも晒し上げるようで気が引けるので最後まで引用するか悩んだのだけれど、ご本人が

ここまで言ってるので「まぁいっか♪」という結論に至った。

僕は最初のツイートを読んで「納車しました」と言ってはいけない理由がサッパリ理解できなかった。
3回くらい読んで、なんとなく分かった。

結論から言えば、
"中丸 翼(本物)@納車しますよwww" 氏の指摘は、誤りである。
というより、ごく感覚的には理解されているのだと思うが、体系的に or 本質的に理解されてはいないのだと思う。
そのため異様な言葉足らずを生じている。

と、ここまで言うのであるからには根拠を示そう。

英語から考える

問題点は以下の通り。

1.「納車しました」を "車のオーナー" が言うのは正しいのか
2.「髪を切った」「家を建てた」は正しいのに、「納車した」が誤りと言えるのは何故か

この二点。
中丸 翼(本物)@納車しますよwww氏(以下ww氏) の指摘は主に2番を立証するものなのだけれど、これがまるっきり誤り……というか、著しい言葉不足 + 言葉の厳密性の著しい不足を生じている。
つまり、何も言っていないに等しい。

逆に言えば、一番の「『納車しました』を "車のオーナー" が言うのは正しいのか」に関しては「文法的、日本語的には不自然」と言えそうだ。
が、僕は「納車しました」とSNSユーザーが言うことについては必然的な理由があるように思っている。それは後々語ろう。

日本語の問題だけれど、早速英語から考えようと思う。
その方がこの件は明らかに理解しやすい。

SVOO、あるいはSVO1O2、あるいは第4文型と聞いてピンとくるだろうか?
僕は「人にモノを構文」と勝手に呼んでいた。
忘れていても問題ありません、例示しながら語ります。

例えば以下の例文

I will send a letter to you.

「私はあなたに手紙を送ります」ですね。

これを「人にモノを構文」で書き換えると以下の通りになる。

I will send you a letter.

意味は同じ。toを使わなくて済む。

この場合、SVO1(目的語1)O2(目的語2)で言えば、O1が"you" 、 O2が "a letter" となる。
O1は「人に」の部分、O2が「モノを」の部分だ。

で。

「髪を切る」をちょっと強引な言い方として
「私のために美容師が髪を切る」と言い換えようか。……強引だけど。

整理しよう。
この場合、

  • 主語:美容師
  • 「人に」:私
  • 「モノを」:髪

となる。

さて、次は「家を建てる」だ。

  • 主語:大工さん(?)
  • 「人に」:私
  • 「モノを」:家

ただ、日本語でこの2つの例の場合、「~に」の部分が強調されることはまずない。
もっと言えばこの2つは英訳したときに第4文型で書けない。

英語で訳すとすると、"to" ではなく "for" で訳すパターンだ。
大学受験を経た方は多分苦労したところだと思う。

SVOOをSVOに書き換えるとき、"一人でも成立しうる行為"はforを使い、"相手がいないと成立し得ない行為" はtoを使う。
あるいは「ある二人の間での伝達を伴う行為」にはtoを使う、と言ったほうが良いかもしれない。

例えば "buy" は以下のように使う。

I bought a car for you.(君のために車を買ったよ)

I bought you a car.(上に同じ)

買う、という行為そのものは一人でも出来る。
そのためforが使われるわけだ。

つまるところ、ww氏の言っている「家を建てるのは自分でもできる」というのは、

「家を建てるのは相手が存在していなくてもできる」

の誤りだ。
じゃあ逆に「相手が存在しなければできない行為」ってなんだろう?

例えばさっきの「送る」だが、送る人と送る相手が最低2人いなければ成立し得ない。
自分で自分に送ることも出来るが、その場合は普通明示される。

自分にプレゼントを送る

の「自分に」を省略すると、意味が通じなくなってしまう。


……で、だ。

「納車する」は、少なくとも辞書の意味だと上記「送る」などと同じ類の言葉で、「二人以上いないと本来成立しない」言葉なのだ。

簡単な話、「納品」で例えてみればいい。

Aさん「私にドラゴンの首飾りを納品してくれ」
Bさん「かしこまりました。すぐに納品いたします」
Aさん「やるやんけ。呟いたろっと……『ドラゴンの首飾り納品しました』っと」
Bさん「は?」

こう書くと、一部の人が「納車しました」という表現に嫌悪感を及ぼす理由がなんとなく伝わったのではないか。

つまるところ、

「二人以上必要な行為(英語で "to" を使う動詞で表される行為)」を表現する場合、toの後に来るものを主語にすることはできない


という、気づきにくいながらも当然な、強烈なルールが存在する。

「オバマ大統領がトランプ大統領に手紙を送った」場合、トランプ大統領がもし主語を消して「手紙を送った」とTwitterで呟いていたとしたら。
それは確かに違和感があるだろう。
もう一度言うが、このルールは結構強烈なのだ。

とはいえ

「納品しました」っていう言葉を日常会話で使う人が少ないように、「納車しました」も日常的に使う言葉ではない。「納品しました」よりも頻度は少ないだろう。

ツイッター上で大体の人は「納品」と異なるニュアンスで「納車」を使っていると僕は思っている。

つまるところ、
「私が『自分に』or『自分の車庫に』車を『納めました』」の意味で使っているのではないだろうか。

誤用と言えば誤用だけど、言葉はそもそも生き物。

見方を変えて、Twitterで「納車しました」という言葉が使われる経緯に思いを馳せてみよう。

「車を買いました」、……いつ手元に来るの?
「車を手に入れました」、……もしかして貰ったの?それと今手元にあるの?
「車を契約しました」、……いつから乗れるの?

……と、「車を契約し、かつ手元に来た」状態を表す的確な言葉が存在しないわけだ。
そう、「納車(された)」を除いては。

だが、車ファン・バイクファンのSNSユーザーにとって、愛車が手元に来たその瞬間をSNSで呟かないなんてことは……あり得ないよね。
そこで写真とともに添えられる一言が、

「納車しました」


となった。……特にエビデンスがあるわけではないけれど、決して的はずれな指摘ではないと思う。

つまりこの言葉はお祭り騒ぎの、最高の瞬間に添える一言なのだ。
間違いを指摘するのは結構だけど、その瞬間は笑顔で祝福してあげてほしいものだ。

ww氏には
「業界人であるならば業界を是非盛り上げて頂きたい」 
という期待、そして
「是非とも業界のイメージを上げて頂きたい」
という期待を誠に勝手ながらここに提示し、この記事はシメさせていただこう。

……あっ、忘れてた(棒読み)

バイク業界に貢献しよう。

お読み頂きありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。

 

偏差値だけが、僕をこの世界で承認してくれていた

こんにちは、Mistirです。

タイトルにあるようなロクでも無いことを考えていた。
書こうか書くまいか悩んでいたけれど、ある記事を読んで決心がついた。

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

僕は自分のことを「高学歴」って言っていいのかわからない。
というか、一応は世知も習得しているので、わざわざ自分のことを「高学歴」だなどと喧伝しない。
それに今となっては学歴について「特に意味はない」というような綺麗事を言うことも、「意味はある」とそれっぽいことを言うことも、自由自在にできる。

ただ、事実を語るならば。
僕が第一志望として受けた大学は京都大学だった。
もしここに受かっていたならば、まぁ高学歴と言っても差し支えないだろう。
結果的に入った大学がどうだったのか、……それは黙秘権ってことで。

ということでメンタリティとしては上にリンクした記事について「分かる」と言ってもいい程度の権利はあるのだと思う。
あるいは受かっていない以上、「よりいっそうタチの悪い何か」なのかもしれない。

……そう、「タチの悪い何か」だ。
上の記事の言葉を使うとするならば。
「若者」から「大人」になれず、「若者」のままでいることさえ拒み。
「タチの悪い何か」として生きざるを得なくなった、ある存在の話だ。

 

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結局、『おかあさんだから』に対する批判は「妥当」だったのか?

こんにちは、Mistirです。

最近物議を醸していた、絵本作家の "のぶみ" 氏作詞による『おかあさんだから』という作品。

www.huffingtonpost.jp

僕はなんとなく、「たまたまこの世に生まれたに過ぎない一曲」に対して深く突っ込むのもなぁ、と思って距離を置いていた(まあ多少はTwitterで触れてたけど)。

で。
そんなこんなあってのぶみ氏が謝罪したらしい。

www.j-cast.com


そんでもって。
かの炎上商法界の最弱キング、長谷川豊氏もまた言及していた。 

結論を言えば、この考え方は「間違っている」。でも一方で、言わんとしていることも分からないでもない。

この炎上問題は「表現の自由」について考えるためのモデルケースだったりする。
「表現の自由」を考えることは、「表現の不自由」を考えることでもある。

さあ、語ろうか。
僕らの世界は窮屈で不自由で、表現が駆逐された浅はかな世界なのか。それとも……

  

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僕らはイキリオタクとして生きていく

こんにちは、あけましておめでとうございます。
Mistirです。

昨年から「イキリオタク」っていう言葉がよく聞かれるようになってきた。
まぁ旬はかなり短く、既に「死語」の雰囲気さえも漂っているけれど。

ふと新年、独りでいろいろなことを考えていると、この「イキリオタク」って言葉が物凄く味わい深く、そして……
僕という人間そのものにも深く関係する言葉なんじゃないかと思ってきた。

今年最初の更新だからこそ宣言しようと思う。
僕は「イキリオタクとして」生きていこうと。

 

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