Minakami Room

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僕はもう、政治を語りたくない

こんにちは、Mistirです。

最近の政治情勢はカオスだ。
色々と語りたくなる。

腹立たしいことがたくさんある。
許せなくなる。

でも。
僕はもう、語りたくなくなりました。
あまり意味が無いと気付いたから。

逆説的にだけど、「何故語りたくないのか」語るために、政治をある程度語る必要がある。

だから語らせてください。
僕が今思っていること。

そして何故、僕は政治を語りたくなくなったのかについて。

 

 

言葉が通じない

最近、Twitterなんかを見ていると「安倍政権支持派」と「アンチ安倍」が今日も元気にバトルしている。

……ように見える。
が、これはバトルのようでいてバトルになっていない。

「安倍政権支持派(保守)」と「アンチ安倍政権(リベラル)」の戦い……のように捉えられている方もいるが、はっきり言って、大半はそうではないと僕は考えている。

その実態は、旧来のリベラルと新しいリベラルが、全く違う論点をひたすら虚空に投げまくってるだけだ。

5年前までなら、「ネット右翼」「ネトウヨ」という言葉は有効だった。
今も「ネット上で活動する保守的思想を持っている人たち」はいる。
……でも。
決して多くない。
というより、減ってきている気がする。

あまり指摘する人がいないが……
はっきり言って。
最近だと、「安倍政権支持派」のほうが「日本嫌い」とまで行かないにせよ、「日本に諦めを持ちつつある」ように見える。
安倍政権を(消極的にでも)支持することと、日本企業固有の風土や、日本特有の風潮、文化を「嫌う」ことは全く矛盾しない。
というか、安倍政権支持層が率先して「日本バンザイ系の番組」や、「道徳の教科書の改定」なんかを批判していたようにさえ見える。

そしてもう一つ。
ブラック企業批判は、これまではリベラル、左派の役割だった。
なのに今、いわゆる「リベラル」の立場でブラック企業批判を全力で続けている印象のある集団があまりいない。
強いて言えば共産党なんかは全くブレなくひたすらブラック企業を批判している。
その点は非常に素晴らしいことだと思う。
……何?「安倍政権を打倒すればブラック企業がなくなる」ですって?
そんな超短絡的な考え方は民進党の方々だけで十分です。

話を戻すと。
安倍政権を支持することと、ブラック企業を産む企業文化や経営者を批判することは、全く矛盾しないのだ。
というより、「安倍政権の積極的経済政策は支持しつつ、ブラック企業への対処へそれほど積極的でない点は納得がいかない」という人もたくさんいるだろう。
何故それでも安倍政権を支持し続けるのか?と旧来のリベラルは言うが、簡単な話だ。
「積極的経済政策を推し勧めつつ、ブラック企業の殲滅もする」と宣言する野党の受け皿が存在しないからだ。

前置きが長くなったけど。
今の「安倍政権支持派」 vs 「アンチ安倍」のバトルって。

「さとり世代を含む悟り後のリベラル(悟り系リベラル)」 vs 「過去の幻想から抜けきれないリベラル」のバトルに過ぎないのだ。

前者は「ネトウヨ」呼ばわりされることもあるが、正直前者の「右翼」要素は死んでる場合が多い。強いて言えば前者は軍備に対して積極的な傾向があるけど、その程度だろうか。
以前なら「韓国人は~」みたいな韓国へのヘイトがネット上で多く見られたが、それらは消え失せた……とは言わないまでも、相当少なくなっている。
※仏像の件以降、ネットに限らず世間一般に韓国に対する悪印象が広まった印象があるが、それはまた別のお話。

じゃあどこにヘイトが向かっているかというと、バブル経済や高度経済成長を過ごした、企業で力を持っている、若者に理解の少ない老人世代」だ。
これは結構由々しき事態で、「老人」が仮想的になってしまっている。
最近よくそんな方向にTwitter上で話が向かいがちになっている印象を受ける。
まあごく一部の「旧来のリベラル」の方々がその傾向の諸悪の根源になりつつあるのだけれど、それはまた後でお話しましょう。

さて。
「安倍政権支持派」も「アンチ安倍」も両方リベラル。
そう僕が考えているのは何故か。

結局のところ、どっちも「権力」と戦っているのである。
向いている方向が、全く同じなのだ。

後者は言うまでもない。
中央政府」という「権力」を敵視している。
おそらく、それが知的に見られた時代もあったのだろう。いい時代だったのですね。

なら、前者は何を「権力」としているのか。
「マスコミ」と「野党」だ。

「悟り系リベラル」と言ったが、それはほとんど「アンチマスコミ」という一大思想と重なっていると考えている。
保守とかリベラルとか、もうそういった区別を超えて「アンチマスコミ」は一つの派閥として認めていいと思う。それくらい今、世界中で「マスコミ」という権力との戦いは熾烈を極めている。
「マスコミとの戦い」は語り始めるとキリがないから控えるが……

一方、「野党」をマスコミと並べたことにも理由がある。
もちろんこれは「野党とマスコミが結託している」などとそんな雑なことを語るためじゃない。
……最近の報道はあまりにも野党に優しい気がしているが、それはそれ。

蓮舫は特に顕著だったが、野党であればいかに理不尽な方法でも、いかにそれ以上に優先して議論すべき議題があっても、ひたすらに「疑惑を追求」できる空気が醸成されている。
それを「権力」と言わずして何になるのか。
まぁ「それが野党の役目だ」って言う人もいるのだろうが、特に民進党は度を越している。
野党の役目は政権の監視であって、抑止であって、打倒じゃない。
今は打倒しか考えていないようにしか見えない。
それを「権力」と呼ばずして何なのか。

……さあ。
この二者。
中央政府」こそが権力と考え、それを心底嫌う勢力と。
「マスコミと野党」こそが権力と考え、それを心底嫌う勢力が。
バトルしたらどうなるのか。


話が終わらないどころか、噛み合わないのだ。


言葉が、虚空に消えていく。

加計学園の件で国会中継ツイッターで実況されていたのを見たが、それがあまりにも衝撃的だった。
「支持している思想が違えば、見えているものが全く違う」のだ。

「安倍は逃げている。さすが前川さん」って言っている人と。
「前川の言っていることは何もわからない」と言っている人で、キレイに二分されていた。

気持ち悪かった。
というか、踏み込みたくなくなった。
急に冷めてしまった。

もう自分には「公平な(政治的)ものの見方」なんていうものは一切できないのだと確信した。
俯瞰が出来ない。
それぞれで見えているものが全く違うのだから。

結局、何を語ろうと、思想が違う相手には言葉が届かない。
絶対に届かない。
前提が共有されていないのだから。

政治についてツイッターで何かを語るとき。
それは、政治的に同じ思想を持つ相手に向けられる言葉か、政治的に異なる思想を持つ相手に向けられる言葉か、どちらかだ。
前者は同じ思想を持つ者たちの結託を強めるための言葉だ。意味はあるかもしれないが、僕はそんな言葉にあまり興味がない。
僕は、自分と理解を共有していない人にも届くように、言葉を紡ぎたい。
知っていることを再確認するよりも、新しいことについて考えたい。

だったら前者の言葉ではなく、後者の言葉にこそ意味があるということになるのだが……
後者は……まず、今の状況だと……届かない。
届かない言葉を届かない相手に紡いで、なんの意味があるんだ。

そんなこんなで政治について語ることは、本当に不毛だなと最近思ってしまった。

多分、「おっぱい」って呟いといたほうがマシだと思う。
おっぱい。

そしてもう一つ。
「批判しても無駄」っていうことを最近凄く感じた例が別にある。

批判は無駄?

最近、最悪な気持ちになったことがある。
このツイートを読んでほしい。

有名な「左派」で。
「安倍政権は史上最悪の政権」と言って憚らず。
「日本は脱成長すべきで、若者は貧乏なまま生きるべき」と語る、内田樹センセイのツイートだ。

僕はこれを見て、腸が煮えくり返るというか、あまりの若者世代への無理解と傲慢さに暗澹たる気持ちになった。

さっき「老年世代が仮想敵扱いされている」と書いた。僕はそんな単純化されたモノの見方には大反対だが、上野千鶴子氏、細川護煕元首相、内田樹センセイあたり……
つまり、「自分は金持ちなのに若者は成長するなと言う人ら」が、あまりにも「仮想敵たる老人そのもの」の言動で、頭が痛くなる。
さらに言えば、彼らを担ぎ上げる左派の人たちがいるのだ。信じられない。

最近も指摘されていたが、今の日本は……
「年収300万円が『人道的数字』になる」国だ。

若い世代は、必死だ。

togetter.com

別に何食べようが勝手だよ。
せめて黙っていてくれ。
ましてや「生産性が」とか、都合のいいときだけ語らないでくれ。
ホントに。ホントに黙ってろ。

ちなみに、「金持ちが嫉妬されているだけなのでは?」と思われる方もいるかもしれないが、それは明確に「ノー」だ。

高須院長という明確な反証がある。


まぁ。
希望があるとすれば、内田樹センセイみたいな「リベラル」を理路整然とボロクソに批判してくれている方もいることだろうか。

http://ironna.jp/article/6951

 

そして僕はと言うと。

「ああ、内田樹センセイみたいな人に何言っても無駄なんだな」
と思ってしまった。
もう一度言うが。
虚空に消える言葉を、僕は紡ぎたくない。

ここからが大事なんだけど。

内田樹センセイみたいな人にイライラする時間で、自分が高級フレンチ食べられるように努力するほうがマシだと思うようになった。
何言っても内田樹センセイみたいな人は変わらないんだから。
決して変わらない。

なんやかんや言いましたが

結局、僕に語れることはなんなんだろう。
僕が語って意味のあることは?
僕がして意味のあることは?
……と、すごく考えるようになった。

色々考えて。
政治は語らない方が、僕も読者さんも、みんな健康でいられると思うようになった。
もう見たくもない。
知りたくもない。
聞きたくもない。

今後も僕は自分の考えに基づいて投票には行くだろう。
だけど、もう積極的に何かを語ろうという気分にはならない。
……まあ、宮﨑駿が何度も映画を作りたくなるように、何度も政治を語りたくなるのかもしれないが……

語りたいことを。
語って意味のあることを語ろう。
語って意味のないことを語るなら、せめて好きなことを語ろう。
おっぱい!

お読み頂き、ありがとうございました。
ではまた次の記事でお会いしましょう。