MistiRoom

旅することと語ること。自由であること。

炎上した立命館大学の論文を「冷静に」整理する

こんにちは、Mistirです。

凄く話題になった立命館大学の論文。

www.excite.co.jp

流れは

  1. 立命館大学の学生が人工知能学会全国大会で発表した『ドメインにより意味が変化する単語に着目した猥褻な表現のフィルタリング』が公開される
  2. その論文には、Pixivに投稿されていた一般の方のアダルト二次創作小説が10作ほど「引用」され、分析対象となっていた
  3. それらの「引用」された表現は「猥雑な」「有害」表現として扱われていた
  4. 「引用」された一般の方は、次々と公開されていた小説を非公開に

という感じです。

……最初、僕は「こんなアホな話語るまでもない」と思っていた。
「こんな明らかにアウトなこと、僕がわざわざ語るまでもない」と。

だけど。
批判の流れを見ていると、問題がこじれすぎていて正しい方向に向かっていないものが散見される。
「ちょっとその批判は危ういぞ!?」というものがいくつかあった。

まぁそもそも発端となった論文が、ストラックアウトで言えば3枚抜きどころか9枚抜きくらいしてるくらいの問題のデパートなので、仕方ないと言えば仕方ない。
※この例え、今通じるのだろうか……

が、放置するのも良くないと思うので、よく語られているこの論文の問題点について冷静に整理しようと思う。

全体の流れは省略して、一つ一つ語りたい。
予備知識の無い方は、一度他のサイト等で調べておいて頂きたい。

丁寧に語ろうとしたら話が長くなってしまった。ごめんね。
ゆっくり読んでね。

 

 

1.「引用」について

よく見かけられた批判として、

分析対象の場合、引用には当たらない

 というものがあった。

が。正直この理屈は……危うい。

僕は文学部卒なのだけれど、例えば
「絵画に描かれている星の数や位置から、絵画が描かれた場所と時間を特定する(あるいは本物の風景が描かれたものなのか、フィクションなのか特定する)」
という研究を聞いたときは「凄いな」と思ったことを覚えている。

何が言いたいって、いわゆる「文学部」でも、定量的な研究はされているということだ。というか、頻出する表現から傾向を探るような研究はザラ。

先程の例では絵画を例として挙げたが、僕みたいな生粋のテクスト(書かれたモノ)分析を専門としていた者にとっての「分析対象」は何か?
当然、「書かれたモノ」、つまり「作品」に他ならない。

例えば僕は筒井康隆のファンなんだけど、僕が筒井康隆の研究が専門だったとして……
筒井康隆の作品から性器を暗喩した表現を全部抜き出して、「引用」して、分析する、……

論文の質は別として、恐らく何の問題にもならないと思われる。

その点で、「分析対象は引用とは別」という発想は少し人文学的には危うい。

「分析対象は引用には当たらない」という発想の根拠としては、社会学の研究倫理が詳しいだろう。

www.gakkai.ne.jp

第3条〔プライバシーの保護と人権の尊重〕社会調査を実施するにあたって、また社会調査に関する教育を行うにあたって、会員は、調査対象者のプライバシーの保護と人権の尊重に最大限留意しなければならない。

これは「人が調査の対象だった」場合の話。
引用、とはやや別の話だ。

だが。
そもそも、だ。
ここまではあくまでも「分析対象は引用にならない」という批判に対する反論。
件の論文での小説の扱いは「引用」なのか?という議論はまだしていないことにご注意頂きたい。

そもそも、「引用」ってなんだろう?

ここで問題を「再認識」する必要が出てくる。
「引用」って、なんだ。

1−2.「引用」の違和感

著作権法の第32条を読んでみよう。

著作権法

第三十二条  公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

これ、なかなかに面白い。

そもそも、だ。
Pixivに投稿された一般の方の二次創作小説は、「公表された著作物」に当たるのだろうか?

法解釈の問題はあるが、相当グレーなのではないだろうか。

そもそも、該当の小説は

  1. 「Pixivユーザーとしてログインしないと見られない」
  2. 「R18作品としてゾーニングされている」

という2つの「制約」が設けられている。
この制約を仕掛けられた上での公開は「公表された」に該当するのだろうか。

2に関しては……R18だからといって引用の対象としてはいけない、というのは少々分が悪いだろう。
例えば、R18の作品を研究した人文学的研究は存在する。
※心当たりはあるんだけど、「引用した」のか、「作者に許可を取った上で載せてるのか」確証は取れないので、ここでは挙げないでおく


だが。
もう一方が、怪しい。

  1. 「Pixivユーザーとしてログインしないと見られない」

これは、「Pixivユーザーのために限定公開している」ことと同義だからだ。
例えばニコニコ動画ならニコニコ動画会員でなくても閲覧できるし、TwitterTwitterアカウントが無くても閲覧できる。
僕もこのブログにツイートを「引用」することは多いが、それはTwitterAPIを利用した、Twitterが認めた方法によるものだ。

が、Pixivのアダルト小説はログインしないと全文は読めないはずだ。

これを「公表されたもの」として扱うのは……少々、無理がある気がする。

例えば、歌舞伎町の会員制バーで「エロポエム大会」が開かれていたとして、その作品が「バーの中で」公開されていたとして、「会員になった人が」自分の論文に『引用する』のは……さすがに変だと思うだろう。
それとよく似ている。「公」の範囲をどこまでと認めるか、そういう問題だ。

この点でたまに見られた

Pixivの規約違反だろう

という指摘は、ある種正しいと言える。
「公表された」の範囲に加えないと解釈したならば、そもそも引用要件は満たしていない。Pixivの規約を見て、アウト。

だが、「公表された」の範疇に加えると解釈したならば?
先程の批判に対して見られた批判、

Pixivの規約よりも法の引用に関わる定義の方が優先されるに決まっている

という批判は、間違っていない。
確かに、「引用」ならば規制できない。

結局この点は、「公表された」という言葉の解釈の問題なのだ。


この点は「グレー」として保留しておこう。

【追記】
「『登録されていないと読めない論文や雑誌は公開情報に当たらない』という話になってしまわないか」というご指摘を受けた。そこでようやく、この問題が難しすぎることに気づいた。
例えば雑誌や論文を読む際に登録制のサイトでしか読めないとするなら、その目的は「ゾーニング」や「公開範囲の限定」とは少し「違う」だろう。でも、その「違い」を厳密に考えて法解釈に適用するのは凄く難しい。
この問題は、僕の想像を超えているのかもしれない。

はてなブックマークで頂いたコメント。

論文ではなくて学会発表の予稿。査読は元々無い。著作権法の通例の解釈では、特定多数への公開は公表として扱われるから、「Pixivユーザーのために限定公開」は公表だよ。http://www.bunka.go.jp/chosakuken/naruhodo/outline/4.3.html

確かに、完全に様々なメディアの扱い通り「論文」として扱ってたけど、厳密に定義するなら「予稿」として扱うほうが適切かもしれない。

d.hatena.ne.jp

※ただ、「予稿」と「論文」を厳密に区別するアカデミックな文書が見つからなかったことと、「立命館大学 論文」で検索すると当件がヒットするのに対し、「立命館大学 予稿」で検索してもこの件はヒットしないので、この言葉の使い分けは少し保留させてください。


もう一点、貼られたリンク先を読んでみた。

著作権なるほど質問箱

)「公衆」とは?
 「公衆」とは、「不特定の人」又は「特定多数の人」を意味します。相手が「ひとりの人」であっても、「誰でも対象となる」ような場合は、「不特定の人」に当たりますので、公衆向けになります。

 例えば、「上映」について言うと、1人しか入れない電話ボックス程度の大きさの箱の中でビデオを上映している場合、「1回に入れるのは1人だが、順番を待って100円払えば誰でも入れる」というときは「公衆向けに上映した」ことになります。 また、「送信」について言えば、ファックス送信などの場合、1回の送信は「1人向け」ですが、「申込みがあれば『誰にでも』送信する」というサービスを行うと「公衆向けに送信した」ことになります(これを自動的に行っているのがサーバーなどの自動公衆送信装置)。

 さらに、1つしかない複製物を「譲渡」「貸与」するような場合、「特定の1人」に対して、「あなたに見て(聞いて)欲しいのです」と言って渡す場合は「公衆」向けとはなりませんが、「誰か欲しい人はいませんか?」と言って希望した人に渡した場合は、「不特定の人」=「公衆」向けということになります。

 「特定多数の人」を「公衆」に含めているのは、「会員のみが対象なので、不特定の人向けではない」という脱法行為を防ぐためです。何人以上が「多数」かはケースによって異なると思われますが、一般には「50人を超えれば多数」と言われています。

 「不特定」でも「特定多数」でもない人は「特定少数の人」ですが、例えば「電話で話しているときに歌を歌う」とか「子どもたちが両親の前で劇をする」といった場合がこれに当たり、こうした場合には著作権は働きません。

※赤字は筆者による

……なるほど、これは完全に僕の誤りだったと言っていいだろう。
このサイトはどうやら判例を基準にまとめているようなので、この基準が正しいならば、確実に今回の一件は引用要件としては「シロ」だ。ここは完全に訂正します。

つまり、さっきの例え話
歌舞伎町の会員制バーで「エロポエム大会」が開かれていたとして、その作品が「バーの中で」公開されていたとして、「会員になった人が」自分の論文に『引用する』
は、アリだということだ。
誰もやらないだけで。

考えれば考えるほどこの件は難しいのだけれど、あるまとめを見かけて不意に腑に落ちた。

togetter.com


そうか、これ「新概念」として解釈したほうが良いのか、と。

結論としては、引用に関しては「法的にシロ」と解釈される可能性が極めて高そうです

【追記終わり】

さて、グレーに1点が入った。
ここからが面白い。

ここから「黒」にしか点が入らない。
問題は点の入れ方の問題だ。
点の入れ方を誤ってはならない。先に進もう。

2.「有害な表現」?

イラストレーターの未識魚氏のツイートを「引用」しよう。

 「有害な表現」として、「引用」対象を扱っていた。

そもそも、「有害な表現」を定義せず議論するのは、未識魚氏のツイートにある通り……理解に苦しむ。

「有害」というのは客観的な表現だ。
「嫌い」よりもなお強い。

客観的というのは、「評価可能」という意味だ。
誰から見ても「有害」と評価可能でなければ、「有害だ」という表現は使ってはいけない。

ましてこの時代に「有害な表現」とはそもそもなんなんだ。
定義もせず議論ができるわけがない。
これだけでも批判に値する。

僕の経験だが、「笑い、ユーモア」を大学二回生の頃のゼミで扱おうとしたことがある。未熟だった僕は「その『笑い』ってベルクソン的な意味?」と先生に指摘されて、何も言えなかった。言葉は厳密に語られねば、研究じゃない。

2−2.「有害な表現」の対象を、小説に適用?

創作物である小説に対して「有害な表現」とよく言えたものだと心底思う。
議論に値しない。
チャタレイ夫人の恋人』裁判の時代じゃないんだから……

チャタレー事件 - Wikipedia

バタイユでも読みなさい。 

エロティシズム (ちくま学芸文庫)

エロティシズム (ちくま学芸文庫)

 

 

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

 

 

blog.chakuriki.net

ちなみに僕の専門はバタイユでした(完全な余談)。

まぁ念のため。
創作物である小説を「有害」っていう「客観的表現」で断じるのは、「表現の自由」に対する結構な挑戦です。まぁ挑戦するのもまた「表現の自由」だけど、論文でしなさんな。

……さらにその先の問題の方が大きいっていうのが驚くべきことだけど。

2−2−2.「有害な表現」の対象を、小説に適用した上で、しかもその小説が「公表」されているかどうかグレーの「ゾーニングされた会員サイト」の一般の方の作品に向けられている?

タイトルが長くなってしまった。

【追記】
ここからは引用にあたるか否かが「グレー」という前提で話しているので、その前提が否定された今、結論部分までの論理が怪しい。
記事はそのまま残すので、ここから「引用要件は『満たしている』」という前提で最後までお読みいただきたい。
【追記ここまで】

だが、まさにこの「三重」の罪が犯されている。
「公表」されているかどうか「グレー」というのは非常に難しい問題で、解釈次第ではPixivに投稿された小説の投稿者の方に対する学術的な扱いは、どちらかと言えば「社会学の研究倫理」の領域で捉えたほうが良い気がしている。

www.gakkai.ne.jp

第3条〔プライバシーの保護と人権の尊重〕社会調査を実施するにあたって、また社会調査に関する教育を行うにあたって、会員は、調査対象者のプライバシーの保護と人権の尊重に最大限留意しなければならない。

「これは『人が調査の対象だった』場合の話。
引用、とはやや別の話だ」

と先程述べたけれど、そもそも「引用」に当たるかどうかグレーである以上、「人が調査の対象だった場合」のルールを適用した方が良いだろう。

また、その解釈を適用した場合、

第5条〔ハラスメントの禁止〕会員は、セクシャル・ハラスメントやアカデミック・ハラスメントなど、ハラスメントにあたる行為をしてはならない。

こっちも危うい。
ハラスメント自体非常に定義が曖昧だけれど、範囲を限定して公開していた作品をハンドルネーム付きで「その目的と外れた」場で公開されるというのは、「ハラスメント」と解釈されても不思議ではない。

もちろん、「解釈」の問題もあるから難しいのだが……

そもそも
そもそも、だ。


そもそも、媒体が論文であれブログであれ、間接的であれ直接的であれ、引用要件を満たしたのであれ、そうでないのであれ、「お前の表現は有害だ」と断言したのだから、これは名誉毀損に近い(法解釈次第)し、しかもその文書が「学会」というフォーマルな場でフォーマルな形式で、晒し上げられた。
同じような表現をされている方やその方のファンが危機を覚えるのは当然だ。


【追記】
結論が「引用であれそうでないものであれ」同じであることには間違いないのだが、それが「名誉毀損にあたるか否かの法解釈」はこれまた難しい、と慎重に考えるようになった。

こちらの件も、「新概念:引用ハラスメント」の文脈で解釈したほうがスマートなのかもしれない。
togetter.com【追記ここまで】


……なんか、このブログも唐突に結論を出してしまった気がする……
だって、最大の問題は明らかにこの点だから。

が、もう少しだけ語ろう。

3.そもそも論文としてレベルが低い

先程の「有害」という言葉が厳密に定義されていない、という問題は別にしても、この論文のレベルの低さはよく「抱き合わせ」で批判されている。

これで批判されるのはちょっと可愛そうな気がする。
おそらくこのレベルの論文は山ほどあるのだろうけれど……
よく上がっている批判なので、一応挙げておいた。この点はノーコメント。
問題はなるべく細かく切り分けたい。

京大の安岡先生がボロクソに批判されているので、参考程度に。

srad.jp

4.公開されていた小説が非公開にされてしまった

この点を挙げて「実害が出ている」と批判されている方もいるが、それは少々危険なのでその点は指摘したかった。
と言うのも……

「実害が出るようなものはアウト」という論理は、色んな物を縛ることが出来る。車も、包丁も、バイクもアウトになってしまう。
ここは徹底して、「間違っていたからこそ、実害が出た」と解釈しておいた方がまだ安全だ。その点だけ指摘しておきたかった。
※実を言うと後者の理屈もあまりスマートじゃないのだが……

5.まとめ

そろそろ結論に入りたいけど……
言いたいことは、あまり多くない。

これ、論文書いた人より査読者、指導した方が悪いよ。
完全に仕事してない。

どうも、何かしらの奇跡が起こって「通ってしまった」としか思えない。

凄く雑な例えだけど、ヘイト系のまとめサイトが何らかの形で未加工のまま論文として発表されてしまったような話だ。
本来、あり得ないことが起こってしまった。

研究倫理としてグレーだし、研究内容としてもダメ。
普通通さないはずなんだけど、何かが起こってしまったのだろう……。
【追記】
「予稿」にせよ、「チェックが通らない」ことはあり得ないと思われるのだが……
【追記ここまで】

結果として、研究倫理の議論と研究内容としての議論がごちゃ混ぜになって、エライことになってたように見受けられた。
なるべく分離して語ることがこの記事の意図だった。
達成できてたら良いのだけれど……

気付いたら5000字を超えてしまいました。
そろそろ終わります。

お読み頂き、ありがとうございました。
ではまた次の記事で。