Minakami Room

旅を続ける。考える。自由である。生きている。

結局、生きるには力がいるのだ

魔王「力が欲しいか」
ワイ「どの組織にも依存せず手取り20万稼げる力ください」
魔王「……お前、それは欲求高いぞ」

ども、あけましておめでとうございます。
Mistirです。

最近、色々なことがあった。

そのとき、徹底的に、頭が擦り切れるほど「自分が何をしたいのか」を考えた。

その結果。

「何もしたくない」

と気付いた。

 



でも、ネガティブな意味じゃない。
なんというか、「前向きに何もしたくない」のだ。

……言ってる意味がわからないと思うが、少し聞いて欲しい。

「何もしたくない」。
これは別に、才能も無く、努力もせず、そのくせ与えられるものに不平を言って、努力する人間の足しか引っ張れないような奴なので、目を瞑ってどっか隅っこに挟まって、口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きていたいっていう意味じゃない。

rocketnews24.com

まあ、なんというか、僕のブログを長いこと読んでくれている方は知ってると思うんだけど、僕はなかなかの社会不適合者でひねくれものだ。
だけど、何もかもに絶望しきってるわけでもない。

常に何もかもに絶望するのは、不合理でしんどい。
だから、合理的な帰結として、僕はこの世に心底絶望することはない。
……なんていうと、少々格好つけ過ぎだけど。

まあとにかく、「何もしたくないが、それでも行動していたい」のだ。

さて、ここまで曖昧に使ってきた「何もしたくない」という言葉を詳しく説明しよう。

「何もしたくない」というのは、概ね次のような意味だ。

・細かく指図されたくない
・他人に気を使いたくない(煩雑な人間関係から遠ざかりたい)
・飽きたらすぐ辞めたい
・嫌なことに対して嫌と言いたい

こういった条件を満たす範囲で、「好き勝手に行動していたい」

……こういったことは社会人としては我慢することが当たり前過ぎて、逆に見逃してしまう。この欲求を堂々と掲げると「いやそれは大人なら我慢して当然だよ」と言われてしまうだろう。

でも。
冷静に考えてみよう。
とっても冷静に考えてみよう。
「上に挙げたような欲求は、不自然か?」と。

不自然じゃないはずだ。
そして、上に上げたような欲求を心の底から切望する人たちはーー

僕の見立てでは、今後大いに増えることだろう。

さて。
結局のところ、この「何もしたくない」(=don't want to do anything.) は、言い換えれば結局……
「自由でありたい」(=want to be free.) っていうことだ。

不思議なことだ。
「する」ことに着目しすぎると、どう「ありたい」かがなかなか見えてこなかったりする。逆もまた然り。

世間は「どうしたいか」を常に問いかけてくる。
就活もそうだ。
「お前は何がしたいんだ」そればっかりだ。

今なら言える。
「何もしたくない」。
だけど、「自由でありたい」。

そう分かっただけでも、自分にとっては大いなる前進だったりする。

……さて、ここからが本題。
「じゃあ結局、自由であるためには何が必要か?」

……昔から、物凄く上手い絵を描きながら、休憩時間にも絵を描いているようなイラストレーターさんが羨ましくて仕方がなかった。
絵が上手いことが羨ましいわけじゃない。羨ましいという権利は、僕にはない。
だけど、何か羨ましくて仕方がなかった。

あの人達は、武器があった。力があった。
この世界を生き抜くだけの力があった。
しかも、それがきっちりと体に馴染んでいた。
それが羨ましくて仕方なかった。

更にこの世には、ただ絵が上手いだけじゃなくて芸人としてやっていけそうな人もいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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反則だ。

 

 

 

 

二本も剣を持っているなんて。
生まれたときから手に生えてたみたいに馴染んでるじゃないか。
完全なる対称を描いているじゃないか。

……力を持った人が、この世には存在する。
自由に生きるために足る力を。

「努力をしたから力を得た?」
そう判断するのは楽だけど、一種の思考停止だ。
例えば絵はわかりやすい。きっちり努力したから上手い、単純だ。

だけど。
どうやら事実として、世の中には僕よりも圧倒的に社会に上手く馴染み、それを苦としない人たちがいるらしい。
かつ、彼らはそれを不断の努力によって成し遂げているわけじゃないらしい。

……もしかしたら見えてないトコロで努力しているのかもしれないけど、それはそれ。

とにかく、「努力したから力を得られる」とは必ずしも限らないようだ。

さて。
じゃあどうする?僕はどうする?僕らはどうする?
社会に適合できない人間は、力を得るしかないのだ。
そうしないと、死んだように生きるしか道は残されない。
あるいは、無理をして組織に溶け込むことで、なんとか日々生きていくためのカネを稼ぐしかない。

なんにせよ。

結局、生きるには力がいるのだ。


その力は、その負担は昔と比べて大きなものになっているのだろうか?
それとも、今の時代は案外チャンスが多いのだろうか?

わからない。
まあいい。とにかく……
生きるためには力が必要だって認識して、力を追い求めながら生きることができるってのは、逆説的にだけど一種の希望でもある。

僕は社会に押しつぶされないために、必死で力を身に着けようと思う。
新年の抱負に代えて。

ってことで、みなさんあけましておめでとうございます。
今年もよろしくね。

ではまた次の記事で。

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