読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

MistiRoom

それでも僕は何かを語るんだ。自分が納得するために。

寺田心が嫌われていることと、僕が思うこと

ども、Mistirです。

どうしても書きたくなったので、今話題(???)の寺田心(敬称略)という子役について思うことを語ってみたい。
あ、先に言っておきますがこの記事は寺田心を批判するものではありません。むしろある意味では「賞賛」さえする記事です。
知らない人は適当に動画でも探してみてください。youtubeにたくさんあるっぽいです。

さて。
実は僕はテレビをほぼ観ない人間なんだけど、たまたまTwitterで動画を見て、そこで初めて寺田心という存在を知った。
なんか酷い悪口付きの投稿だったが、そういった悪口を言われていることも納得してしまった。
僕は普段「嫌われている」という主語を曖昧にした物の言い方が「嫌い」なんだけど、調べてみると「あざとい」だの「嫌われている」だの「不気味」だの、「心に悪魔がいると加藤浩次に言われた」だの、色々と出てくる。
まぁ、とりあえずメインテーマではないので「寺田心が嫌われていること」の証明は保留します。
とりあえず、「何故それだけ負の方向性で話題になっちゃうのか?」ということに関して、僕が思うことをつらつらと書きたい。


まず、「あざとい」が結構言われてることだけど、それは寺田心が嫌われる理由にはならない気がする。
かの有名子役はあざとくないか、と言われたら、確実にあざといからだ。

f:id:Mistclast:20160106202330j:plain

topicks.jp

芦田愛菜は、あざといけれど寺田心と同質の「嫌気」は感じない。

……実は、もう僕の中で結論が出ているのだ。
何故寺田心は嫌われるのか?
それは、「不気味の谷にいるから」だ。

dic.nicovideo.jp

芦田愛菜は、演技がとても上手い。
※以下、「演技」というコトバはバラエティ番組での振る舞いなども含めたものとして解釈して下さい。


でも彼女が演じているのは子供じゃなくて、「アニメの中に出てくる子供」「漫画に出てくる子供」だと思う。
彼女の存在は、妙に虚構じみてる。
あたかも大人が創作の中で創りあげたようなイデアを、彼女はそのまま生き写しているかのようだ。
だから「子供らしいのに子供らしくなく、達観さえしてるように見える」。
「大人っぽく見える子供」とは一線を画した、絶妙なバランス感覚。
かつ、彼女自身そういった在り方に対して開き直ってるようにさえ見える。なんというか、カラッとしてるのだ

一方の寺田心。
あれは「可愛い子供のイデアそのもの」だ。
創作には登場しない、極めてリアルな「子供らしさ」をこってりと煮詰めた存在だ
そこには「妙なリアリティ」がある。
妙なリアリティを保持したまま、こってりこってりと煮詰められたそれは……
非常に、不気味だ。

ここからはかなり話がそれるが、実は僕は4年間、バイトで塾の先生をやっていた。
たくさんの小学生に接する。
……でも、僕は常に言い続けてきた。
子供が嫌いだ」と。
そりゃまあ勿論子供本人には言わないが。

少しややこしい言い方だが、教え子は大好きだった。
だが、「子供」という概念はずっと嫌いなのだ。
というより、僕は子供に恐怖している。

僕自身が「賢いガキ」だったから分かるのだが、子供は案外「子供らしからぬ」目線で世界を見てたりする。

子供は純粋だなんて大嘘だ。
もちろん純粋な要素もたくさんあるだろう。
だけど、賢い子供は本当に賢くて、世の中を「大人」よりもシャープに見てたりする。
だから僕はずっと「ただ勉強を知っているだけのガキ:Mistir」として子供たちとぶつかってきたつもりだ。
子供扱いした瞬間、僕らは絶対に飲まれる。
僕は子供たちのことをずっと恐れていた。

……何故この話を挟んだか。
もう、お分かりいただけるだろう。

芦田愛菜が「アニメキャラとしての子供」のイデアなら。
寺田心は、「恐ろしい子供」のイデアだ。
「君は全て知ってるんだろう?」と。そう言いたくなるような……

……と、まあさすがにここまで行くと大げさかもしれない。
だけど彼の頭の良さを否定する人はいないんじゃないかな。
明らかに彼は「判断力」でモノを語っているように見える。
少なくとも、結果として僕の目にはそう映っている。

彼はとてもとても演技が上手だ。
だけど、あまりに「巧すぎて」逆に不自然になっているのかもしれない。
彼はもっともっと「上手く」なると僕は思う。
だけど……この「ただ巧い」現状のその在り方が「ウケてる」とお偉方に判断されて、その方向で「伸ばされ」ちゃったら、と思うと……溜息が出る。

それに、この在り方は決して「健全」ではないと思う。

誰かが言っていた。
この世で最強の生物は「赤ん坊」だと。
誰も赤ん坊に牙を向けないから。
赤ん坊は「弱者」という牙を持っている。

この「弱者=強者」を徹底的に語るとオルテガとかニーチェの哲学的世界になるんだけど、まあそれは置いといて。

寺田心は、今「子供であること≒弱者であること」を武器にしているように見える。
はっきり言って、彼ほどの才能のある人間にそんな急場しのぎの武器を使って欲しくないのだ。
神木隆之介のように、絶妙な演義で映画オタクの心も掴むような役者になってほしい。
……などと思うのは、僕のエゴだろうか。



さて、以下は完全に余談です。
でも、ここからが一番書きたかったことです。

寺田心という「子供を演じる子供」を全力で「糾弾する」のは、大人なのだろうか。
ここで言う「糾弾する」は、「演技があざとい」とか、そういった批判のことじゃない。
例えば「死ね」とかそういった罵詈雑言のことだ。

僕は最初にも述べたように、寺田心(の演技)は好きじゃない。
ボロクソに言われる理由はよーくわかる。
でも、彼はプロだ。
「子供相手に批判してはいけない」なんていう考え方には少し違和感がある。
彼が「死ね!」と言われるなら、他の40代の芸能人が「死ね!」とボロクソに言われるのと全く同じ話なのだ。……まあ、相手が40代の芸能人であっても「死ね!」と言うべきではないって話題はさておき。

……でも、同時に「ホントに同じか?」とも思う。

僕は塾で働いてきた。
「大人を演じてきた」。
多分、僕の精神はまだまだ子供だ。だけど、まぁ給料をもらえる程度には「演技をしてきた」。
今もそうだ。今も「社会人のフリをしている」

幼稚園の頃、高校生が本当の大人に見えたものだった。
でも、高校生なんて大人じゃない。
大学似なってもそれは変わらない。
たとえ酒を飲んでいても、大人だなんて言えない。

だけど僕らは大人のフリをしている。
大人のフリをして、大人のフリをしながら「誰かが大人と呼んでいた抽象的な何者かに」変わってゆく。

……寺田心に罵詈雑言をぶつける人たちの年齢を僕は知らない。
小学生かもしれない。中学生かもしれない。もしかしたら、もっと上の年齢かもしれない。
それはまぁ、どうでもいい。
何が言いたいっていうと、そういった人(寺田心に限らず誰かに罵詈雑言をぶつける人)を見て、「彼らは日常を演じることに疲れたのだろうか?」という考えがふとよぎったのだ。

SNSもインターネットも、普段の演技を捨て去ろうと思えば好きなだけ捨てることができる。
「演技してない素の私」をさらけ出せる。

……でも、考えてみたい。
本当にそれは「素」なのだろうか。
僕にはとてもそうは思えない。

「素」というキャラクターというか、そういったものに自我が吸収されているだけのように見えるのだ。

演技に疲れ仮面を外したかと思ったら、その仮面の下は別の仮面だった。
そんなイメージが心によぎった。

「子供の演技をする寺田心」と「大人の演技ができなくなった、それでも何かの演技はやめられない僕ら」。
そういった関係性が、何かとても大きなこの世界そのものを表しているような気がしたのだ。
……なんて、あまりにもオーバーだろうか。


ま、オーバーならそれはそれでいいか、などと思いながら今回の記事はここまで。

お読みいただきありがとうございました。
ではまた次の記事で。

【スポンサーリンク】