Minakami Room

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映画『バクマン。』を観て、怒りながら泣いた話

こんにちは、Mistirです。

この記事では映画『バクマン。』をまだ観てない人向けに(ほんの僅かに)語って、その後でもう観た人向けに語ろうと思います。
ネタバレ対策改行もするから、安心して読めるよ!

結論から言えば、最高の映画でした。
最高に面白かった。
以下、映画を観た直後の僕のツイートです。

 僕、観終わった後半端ない怒りが湧いてきたんです。

面白かったのに。
すっげー面白かったのに。
まあ、そのことも含めてお話しますね。

さて、まずは観てない人向けに語りましょうか。

まだ観てない人よ、早く観よう!

さて。
色々語ろうと思ったけど……観てない人向けには、実はあまり言うことがない。

例えば、このブログで語られているように……

blog.goo.ne.jp

原作の「気持ち悪さ」が全くなく、徹底的にスタイリッシュだ。
スタイリッシュで、エンターテイメントとして非常にまとまっている。

サカナクションの音楽が、まず非常に素晴らしい。
映画のありとあらゆる場所に挿入され、僕らの気持ちを盛り上げてくれる。
スピード感あふれる演出も加わって、映画と一緒にハイになれること請け合いだ。

配役も実に良い。
原作は、「インテリ系の理屈っぽい眼鏡くん」「ジャンプによく出てくる感じのあまりぱっとしない外見のヤツ」の二人組主人公だ。

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だが、映画版は……

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童顔眼鏡の神木隆之介と、時折目つきに狂気を潜ませる佐藤健のコンビだ。

このコンビが、非常に良い。

原作のメガネ君の「インテリっぽさからくる嫌らしさ」みたいなのが一切ない。
神木隆之介の演技からは良い意味での「オタクっぽさ」がにじみ出ていて、そこに原作メガネ君の「人を見下す感じ」が全く無いのである。

一方、佐藤健「狂気一歩手前の熱い視線」が凄く良い。
「自分をトコトン追い込んででも野望を狙う上昇志向」に全く違和感がない。

この二人がどんどん上昇していくサクセス・ストーリーでもありながら、同時に「陰」もある。
「努力・友情・勝利」でありながら、それだけでは済まないエンタメとしての「深さ」も備えている。

ああ、もどかしい!
早く観よう!
終わり!

……無理っす。
ネタバレ無しで語ろうとすることがこんなにツライとは思わなかった。
引用したブログの人、すげぇよ。
僕には真似できねえよ。

だから……これくらいにしておきます。
さて、思いっきりここからはネタバレ込みで語りますよ。僕が怒った理由を。
改行した後語りますね。

































知ってたのに泣いた


僕、原作の『バクマン。』、嫌い……というかあまり好きになれなかったんですよね。
いや、熱いんですけどなんか……ね。

その感情については先程引用したブログで語られてるように「痛いから」っていうのがあるんだろう。

まあその感情はさておいて。

一応ある程度知ってて、同時に展開も知ってるわけです。
だから途中である程度先が分かるんです。

分かったんです。
分かったのに……分かったのに。
ボロッボロ泣きました。

シュージンが「邪道で勝つ、それが俺たちの博打だろ?」って言うシーンで。
自然に涙が出て、多分ここで泣いてる人映画館に他にいないから……ぶっちゃけすげー気を使った。

ここで僕が泣いちゃったのは……
そうだ、そういった熱さが自分にもあったんだ、って。
そう思い出したからなんですよ。

任天堂の岩田社長が言ってたらしいんですけど、
「苦労してる人は、苦労を苦労と思わない人に絶対に勝てない」って。
世の中には苦労を苦労と思わない人たちがいる。
何かに対して楽しんで取り組める人たち。
そういった人たちを、世間は「天才」と呼ぶ。
(実は昨日思いつきで以下の記事にも似たようなことを書いたのですが、実はこの『バクマン。』の記事のほうが先に書いてました)

mistclast.hatenablog.com

 天才と「真っ向から」戦っても、絶対に勝てない。
奴らは楽しんでるから。


だから僕は、邪道で勝つ。
苦労を苦労と思わないための苦労ならいくらでもやってやる。
……ああ、そういったことを高校の頃ずっと考えてたなぁって。いつからそういった「歪んだ熱さ」、失ったのかなって思って。

そういう熱さが蘇ってきて、なんか自分自身やら色々なものに怒りながら泣いちゃったんです。
いや、どう考えてもそういうシーンじゃねえだろって思いながら。
ハタから見るとアホですね。

とにかく、そういった色んな要因も含めて……あるいは自分の要因を含めなくても、このシーンがこの映画の中で最も好きなシーン。
王道に勝つために、王道を「諦める」。
僕の好きなこの本のテーマとも重なってますね。

 いい本ですよ。この本。


さて、映画の話に戻ります。
この『バクマン。』って、原作(実はそんなに深く読んでませんが)からしてものすっごく多重的な構造で、その構造をもちろん映画も引き継いでるんですね。

「努力型(まぁぶっちゃけ普通に色々と恵まれてるんですが)の主人公が天才のライバルに努力・友情・勝利で勝つ」っていう「王道」を、「普通にやっても勝てないから別ルートで勝つ」っていう「邪道」で描き、しかもその「舞台」は「漫画」っていう凄くメタなテーマ、言い換えれば「邪道」

この作品自体が存在すること(そしてウケること)が、「王道相手に邪道が王道的な内容で勝てる」ことを突き付けてくるわけです。
実際「最近の実写化作品の中じゃダントツで面白かった」っていう評判が後を絶ちませんよね。
純粋な「オモシロさ」という、映画で最も「王道」な土俵で勝負に勝っちゃってるんです、この映画は。

……ああ、ややこしい。

要するに、この作品自体がウケることが、この作品で語られてるテーマを間接的に肯定してるっていう、なんというか……完全無欠なことしてるんですよ。
なんと邪道って素晴らしい!

そうだ僕も邪道で生きよう!
そして王道の奴らに勝とう!

と、言いたいトコロですが……
主人公は最後結局、負けちゃいます。
でもそれは凄く正しくて。
あんな方法で無茶苦茶して、無茶苦茶の果てに手に入れたものが「純粋な強者」に「継続的に」勝てるわけがないんです。
いや、違うな……
「継続的に勝つ」というより、「継続的に負けない」って言ったほうがいいかも。

新妻エイジの立ち位置は凄く絶妙で、ずっと二位をキープしてる。
これが何を意味するかって、「最強」だってことなんです。
「勝つこと」は難しくないんです。
「勝ち続けること」は圧倒的に、難しい。

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

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 物語の最後、一瞬の煌めきを放って負けた主人公たちのラストシーン。

今後の夢や希望を全部黒板に書いて終わりますよね。
これからは高校も卒業して、たっぷりある時間を利用しながら、いくらでもある「描きたいもの」を描いていく……
そこに「邪道」は存在しない。

だから、どんどん彼らは新妻エイジに近づくのだろう。
彼らは一度「打ち切り」という形で「負けた」。だけどまだ全然「負けてない」のだ。

……羨ましいなぁ、彼らが。

そういった余韻を秘めて映画は最高のエンディングを迎えます。

www.youtube.com


実は僕、サカナクションのファンなんだけど、この曲はなんというか……
サカナクションの新境地だなぁ、って心から思った。

最近……歌詞も曲も初期に比べてシュールになってないか?
みたいな不安が結構あったんだけど、この曲はサカナクションらしい歌詞の深さを保ったまま、とてもエモーショナルでキャッチーだ。
ああ、良い曲作りやがって!

……何度考えても、絶対に続編は作らないでほしい。
これから彼らがどうなるのか、それは頼むから語らないでほしい。

彼らが成功するのも、失敗するのも……どうでもいい。
こんな心底羨ましくなるような爽やかなエンディングを、「具体性」で潰さないでくれ!

……この記事によると。

bakuman-eiga.com


続編は考えてないけど、売れたら創っちゃう可能性もあるらしいですね。
じゃあ頼む、売れるな!!!!

なんて流石に無茶苦茶ですが。

……さて。

ここまではエモーショナルに語りましたが、一箇所「非常に分析の余地があるなこれ」と思った点があったので、その点をちょっとだけ冷静に分析しますね。

この映画の中で多分賛否両論なヒロイン、亜豆さんの扱いです。

小松菜奈 - Wikipedia


なんというか、影のある美人さんですね。
原作の「いかにも美少女」って感じじゃない。

で、この人ドライですげー良いですよね。

「待てない。先に行ってる」。
この言葉の多重性。
「先に行ってるけど、追いつくのを待ってる」なのか。
「先でどうなってるかは分からない」なのか。

比較的現実的な「人間」なんですよね。彼女は。

原作のヒロインは正直……うーん、って感じです。
少し「中学生男子の理想とする女の子過ぎる」っつーか。
そもそも「ミソジニー女性嫌悪)的だ」っていう批判がある作品ですし。

togetter.com


映画の亜豆さんは「中学生男子の理想」じゃないですよね、明らかに。
自分の夢と男だと、(とりあえずっていう前置き付きだけど)「夢」を取るわけで。
僕はこっちの方がよっぽど好感持てます。

で、一番面白いのはラストなんですよ。

打ち切られた『この世は金と知恵』の最後のコマに「ずっと待ってる」って言わせましたよね。
ああ、ここホント上手い!って思いました。

アレは本当に色々解釈できる。
主人公たちがもう「現実」じゃなくて、漫画の世界に行っちゃったっていう解釈がまずひとつ。
もう「亜豆」っていう現実の女の子から離れて、記憶に残る綺麗な言葉を自分の漫画のキャラに言わせて、「もう俺はこれから漫画の世界で生きるんだ」っていう決意をあのコマから読み取ることができる。

まったく反対に、「あの女の子=亜豆本人」っていう説も取れる。
亜豆の心情と女の子は映画内で、思考の流れが一致している。
主人公は亜豆の心をしっかりと解ってるから。
だから、多分現実の亜豆も「ずっと待ってる」んだ。先に行ってるだけで。……そういう解釈もできる。

あるいは、あの「ずっと待ってる」をもっともっと広いものに適用した考え方。
「ずっと待ってる」のは本当にヒロインだけ?実は新妻エイジにも「ずっと待ってますよ」と「天才の領域で」ニヤニヤしながら待ってるかもしれない。

色々と考えられますね。
これくらいにしときます。

エンタメ的な映画で、それほど深く「分析の余地のある」映画ではありません。
でも痛々しくない程度にサブカル的なスタイリッシュ感もあって、熱さも何もかもがあって。

あー贅沢な映画だったなー。
絶対に家でブルーレイでもう一度見よう。

さて、以下余談を。
どうでもいいですが、このブログも実は「邪道」の意識でやってます。
「ブログの王道ってなんやねん」っていう話ではありますが、色々と実験的なことをやってます。
別にブログ界の頂点に立つつもりはありませんが、改めて「邪道」を貫く覚悟ができてきました。
そう考えると、相当この映画に影響されちゃってますね。

影響をガッと与えてくる映画。
やっぱりそういう映画って名作なんだろなーって思います。

……だんだん締めどころがわからなくなってきたので、今回の記事はこれくらいで。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた次の記事で!