Minakami Room

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『風立ちぬ』の「夢と狂気」を語る

こんにちは、Mistirです。

みなさん、『風立ちぬ』観ました?

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今更ですが、僕は観ました。
何故今更?

僕の大学時代からの友人にN君という男がいて、この男が相当な映画オタクなのだけれど、その分映画に関しては非常に信頼の置ける男であり、また時折僕と激論を交わしながら酒を飲む仲間である。
また、僕の映画の好みを熟知している。

そのN君が「絶対に観ろ」と断言する映画である。

これは観ざるを得ない。


で、観た結果。
「うん、最高の映画だった。だがお前が勧めるのが気に食わねえ!!!
となった。

ということで、一度『風立ちぬ』を観た人を対象に、『風立ちぬ』が表現していたものや、僕が何故N君にキレたのかを語ろう。
何故N君にキレたのか興味ない?まあまあそう言わずに。

なお、N君は
「ライムスター宇多丸の解説が滅茶苦茶良いからブログ書いてから聞け。聴いてから書くと引きずられるぞ!」って言ってるので、指示の通りあとで聞きます。
この記事では、まず未見の状態で語ります。
その後、ライムスター宇多丸氏の論評にもごくごく軽く言及したいと思います。
面白いでしょ?
だからこの記事の大分下の方にライムスター宇多丸氏の解説貼ってるので、そっちだけ聴きたい人は頑張ってスクロールしてね。


この記事はネタバレまみれなので、まだ観てない人は読まないでね。
以下ネタバレ対策改行。


























よし、これくらいで。
語ります。

まず導入の「少年時代」。
どう思いました?
僕はもう大分早い段階で、「あ、これ狂気だ」って思いました。
とはいえ「カプローニ伯爵との夢のシーン」が「狂ってる」のではありません。

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事前情報があったせいもあるでしょう。
この映画の結論やディテールは知らないけれど、設計者堀越二郎の話ってのは知ってて、なおかつその声が庵野秀明であることも知ってた。

まず、この段階で「狂気」を感じた人は「ああ、分かる」と思ってください。
「え、どういう意味?」と思った人は、徐々に説明するのでゆっくりと待っててください。

少年時代に抱く「夢」、言い換えればその人の「原点」。
それを叶える人は、あまりいない。

だけど、その「夢」は強烈であればあるほど、「呪い」としても機能し、人生の指針を良くも悪くも強固に決定づける。

僕はカプローニ伯爵との最初の対話を観ながら「あー、これそういう類のやつだ」って思って観ました。
純粋な「良い子」が済んだ目で見る「夢」。
僕はですね……それは綺麗だと思う反面、もうなんというか作品分析的な映画の観方しすぎてて、その時点で「あ、怖」ってなっちゃうんですよ。
(だからそういう観方が強制的にできなくなる映画は大好きです。悪魔の毒々モンスターとか、アニメだけど聖剣使いの禁呪詠唱とか)

 

さて。
場面は変わって大人パート。
声が庵野秀明に変わる瞬間ですね。

庵野秀明の声、僕は完璧だと思います。
理由も後述します。

女の子(菜穂子)と出会い、主題が回収されますね。
「風が立った。生きることを試みなければならない」。
風が巻き起こってる間は、二郎さんは生きねばならないわけです。
ここは非常に大切な点なのでよく覚えておいてください。
繰り返しますよ。
風が巻き起こってる間は、二郎さんは生きねばならないわけです。

で、地震のシーン。

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ここでも「こえぇ……」って思いながら観ていました。
地震が怖い?違います。
完璧な二郎さんの対応が怖いんです。
完璧だもん。二郎さんのキャラクターに完全性がより強固に付与されてる。
子供時代に見せた正義感も二郎さんの「完全性」を強調していた。アレでケンカも強いんだもんね。

地震のシーン。
あそこまで「動じない」人いますか?怪我人相手に完璧な処置をして、名前も告げず去っていく……
何故あそこまで次郎さんは「動じない」完璧な動きができるのでしょう?
彼は欲がないわけじゃないけれど、一つのモノ、つまり「飛行機の設計」という夢に対する情熱を除けばもう徹底的にドライですよね。
変な功名心を見せることはない。
だからって人間的に破綻してるわけじゃなく、正義の心はある程度有してるし、紳士的でもある。
僕はむしろその辺りが「怖い・狂気的だ」と解釈してしまうわけです。

……ん?
こんな主人公、どっかにいたぞ?

……あ。
あいつだ。
この主人公と非常に似たアニメの主人公。

アニメには詳しくない方もこの記事を読んでいらっしゃるでしょうから、詳しく解説します。
その主人公というのは、こいつです。

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Fate/stay nightシリーズ主人公、衛宮士郎。

……いや、僕もブログ書きながら気付いて、自分でもびっくりして鳥肌が立ってしまった。本当にそっくりだ。
「風立ちぬ 衛宮士郎」で検索しても出てこなかったから、この二人の共通性を語るのはこのブログが初めてかもしれない。

この主人公がどんな主人公なのか簡単に説明すると、
・幼少期に震災からたった一人救い出された結果、救出してくれた男の「生きててくれてありがとう」という言葉に呪われ、「正義の味方になりたい」という願望を異常なほどに強く抱く
・そのために自分自身を殺すことを厭わない
・自分が確実に死ぬという状況でも誰かが困ってると助けに行き、その挙句狂気的な目で「助けるのは当たり前だろ?」と言う
・ヒロインに「狂ってる」扱いされる
・一人救うために二人殺す必要がある際には「全員救う、当たり前だろ?」って言うタイプ(Fateという物語はその矛盾を語る物語でもあります)
・結果、原作ゲームのプレイヤーに滅茶苦茶嫌われる
・同時にファンも滅茶苦茶多い
・要は好き嫌いが猛烈に別れるタイプのキャラ
・なお筆者は好きで仕方ないくらい好き

以上です。
Fateという物語では、「夢を叶える=正義の味方になるための矛盾」を徹底的に追求していて、「それでも夢を追うのか?」がメインテーマになっているのだけれど……

『風立ちぬ』の二郎さんは、叶っちゃったんだ。
その夢が。
で、その叶った夢の代償をちょっとずつ払っていく、そういう話だったんだ……
だからこそ、僕は「狂気」を覚えた……

ハッ、書きながらトリップしてた!
本筋の解説に戻ります。

子供に食べ物を渡そうとして拒絶され、友人の本庄に説教(?)される二郎さん。
このシーン良いですよね。極めて素朴に戦争の矛盾、自分たちが莫大なカネを使って飛行機を追いかけられている事実が明確に示されるわけです。
でも……二郎さんの内面はあまり描写されません。
少なくとも確実なことは「こんな矛盾してるなら、俺飛行機作るのやめようかな……」とは絶対に、ぜーったいにならないことです。
あり得ませんね、そんなこと。
優先順位が明確なんですもん。
その構造に疑問は覚える。
だけど、それで終わり。
俺は飛行機を作るだけ。


別にこの部分を「狂気」というつもりはありません。
「狂気」を抱いてなくてもその程度の認識は当たり前だったでしょうから、「狂気」を抱いているならばそんな認識当然じゃん、ってことかも。
でも、このシーンは非常に大事。ラストまで引きずるシーンなんです。

さて、続けましょう。
色々ありますが、ちょっと途中を飛ばして菜穂子ちゃんとの恋愛事情に関して語りましょう。
……感想を色々と読んでると、「恋愛要素要らなくね?」っていう意見も多いですね。
うん、凄く分かる。分かるけど……
僕は「ある理由」から「要る」と断言します。
あ、感想はこの辺りをお読みください。2ch系のまとめ記事ですが、非常に良い感想がたくさん読めます。

anicobin.ldblog.jp

さて、菜穂子ちゃん。
うーん、良い子ですねぇ。良い子であるがゆえにこんな男に捕まっちゃダメなんですけど、同時にこんな男であるから惚れたんでしょうね。
この子供のような男に。
余談ですが、声を担当した庵野秀明氏の嫁さんは『風立ちぬ』を観て泣いたそうです。「なんでこんな男と結婚しちゃったんだ」って。
僕、それ聞いて腹抱えて笑いました。
夢を追いかける、夢のために自分のために生きることを厭わない、強烈なエゴを持つ男。だからこそ魅力的な男。
だからこそ、結婚したら苦労するに決まってる。だけど仕方ないじゃん、そういう男だからこそ惚れちゃったんだから、と。

うん、考えれば考えるほど、庵野秀明の声、完璧ですね。
夢を追いかける男の、動じない男の、視線がぶれない男の、淡々とした何を考えているのか分からない声。
多分、「夢を追いかけること」に対して「狂気」よりも「美しさ」とか、正の印象を強く抱いてる人は庵野秀明の声「合ってない」って思ったんじゃないですかね。
僕は先述したFateを初めとして、「夢を追いかける」ことに「怖さ」「危うさ」を感じてしまうので、だからこそ庵野秀明の声はぴったりに思えました。

で、菜穂子ちゃん。
やっぱり苦労してますねぇ……
でも、好きで好きでしゃあないんでしょうね。
んで、二郎さんの方も菜穂子ちゃんのことが大好き。ここが非常に面白い。

その点を証明するシーンが、公安に目をつけられた二郎を連れて上司のとっても良い人である黒川さんと課長・服部が車で移動するシーン。
このシーン、この映画の中で3番目くらいの名シーンですかね。
そう考えると名シーン多いなオイ。

このシーンの情報量、すっごいんですよ。
まず、二郎が飛行機以外の「近代国家」っていう価値観を持ちだして語ること。
これがあり得ないことだっていうのを黒川さんも服部さんも解ってる。
そう、この二人にとっても二郎さんは「飛行機キチ」なんですよ。この「キチ」は「釣りキチ三平」のキチであり放送禁止用語ではないと書こうとしたんですが「釣りキチ三平」のキチはまさにその意味だったと知って困惑しました。
余談はさておき。

そう、ここでようやく「二郎さんの世界の観方」が語られる。
で、それに対して「日本が近代国家だと思ってたのか」
黒川さんも服部さんも、当時の日本の歪み、愚かしさをしっかりドライに把握してるんですよね。
で、そこがいまいち把握できていない二郎さんの歪み。
何故把握してないか?飛行機の事しか考えてないんだから把握してるわけないよなぁ、と。
そりゃ子供に食べ物をあげようとしたら拒絶されて……みたいなところで認知はする、だけどそれを「重大に考えて」「鬱々と仕事に影響させる」ような人じゃない、二郎さんは。

「笑い事じゃありません」「当たり前だ」
良いよなぁ、ここ。凄くいい。

「笑い事じゃない」んだよ。
それは。その歪さは。
黒川さんにも服部さんにとっても。

そうだ、笑い事じゃないんだ、だってそのために……近代国家を冒涜する日本の在り方のために、二郎さんは追われてる。
やっぱりここ、歪んでるんだよなぁ、世の中は、って。

ここを説教臭くなくさらっと描くセンス。凄いと思う。名シーンだ。
このシーンで3位。
じゃあ1位、2位はどこ?

話の展開上、1位を先に説明します。
ダントツの1位です。

上の感想まとめ記事から引用します。

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映画史に残るシーンだと僕は思います。

泣くしかないんですよ。彼は夢を追うしかない。夢を追いかけるだけでしか生きられない男だから。夢を追いかけるためには、外せない仕事がある。
たとえ最愛の人が血を吐いていても。
それが二郎さんの生き様、生き方だから。
だからここでも仕事をするしかない。
風が吹いた、生きることを試みなければならない。
彼にとって生きることは夢を追うことなんだ。
でもおかしいじゃないか、こんなの。絶対に。
狂気に足を突っ込んでいる二郎さんの苦悩は、限界を迎えた。
ここでようやく、……本当にようやく、大粒の涙となって表れたわけです。
でも、それだけ。
それだけで終わり。それだけで終わって、仕事を続ける。
ある意味究極の狂気ですよね。

書きながら僕が泣いてます。
いや、マジで泣きました。言葉にすると破壊力凄いな……自分で書いた文章で泣いてる俺やべえな……

さて。
なんか「この映画の全て」を語った感じがあるので、ここで大分すっ飛ばしますがラストシーンに入りましょう。
……さすがに早い?

まあもう一つ重要なシーン、「菜穂子が山に戻るシーン」があるんですけど、結局菜穂子もなんというか純愛に生きてる、強烈なエゴで生きてるよなぁ、と。
他者への最大の愛は、いっそのことエゴに見えるんじゃないか?みたいなものを証明しているシーンでもあるんですが……ここ、さりげなく難しいんですよね。
菜穂子ちゃんのキャラクター性に関して語るのはやめときます。
僕は今回、二郎さんを徹底的に語りたい。

さて、ラストシーン。
言わずもがな、「二番目の名シーン」です。
僕にとって「一点評価不能であることを除けば」完璧なラストシーンです。

厳密に言えば、最高潮なのはラスト直前。
カプローニ伯爵の「我々の夢の王国だ」に対して「地獄かと思いました」と返す二郎さん。
聞き慣れた庵野秀明の声で、淡々と。
全く感情の読み取れない声で
「地獄かと思いました」。
そこに後悔は全く読み取れない。開き直りさえ感じる。「そういう生き方以外あり得なかったんだから」という強い確信を覚えさせる声だ。


夢の果て、そこにあったモノは地獄のような荒野。
だけど妙に美しくて……

またまた話は横道にそれますが、放映当初、この作品は戦争賛美か否か?みたいなのが話題になりましたよね。
一言で言えば、全くのナンセンスです。
だってこれはもっと普遍的な「夢を追うこと、あるいはその狂気、あるいはその美しさ、あるいはその儚さ」の話なんですもん。
戦争があれど無かったとしても全く変わらない、普遍の物語。もちろん戦争が無ければもっと「純粋に」夢を追いかけられていたかもしれない。「機関銃を積んでいなければいけるのに」って劇中で言っているように。
でも逆に言えば「戦争があったからこそ」二郎さんは夢を追いかけられたのも事実。
そう、ただ戦争は「そこにあった」。
序盤の本庄との会話が生きてきます。莫大な金を使って飛行機を作る現状は歪んでいる。だけど、「そこにある」に過ぎない。

多分、戦争を「経済状況」とかそういうのに置き換えても全く変わらないと思うんですよ。
戦争は、ただただ「そこにあった」に過ぎない。


N君はこの映画を「宮﨑駿の私小説ならぬ私映画」って言ってました。多分色んなところで言われてるんでしょうが、僕も同意見です。
これは私小説的を読むような観方をする方が良いと思う。

さて、余談終わり。
ラストシーンの「評価不能な点」を語りましょう。

それは、菜穂子が二郎さんに「生きて」と言うシーンです。

ここで急に「あれ、ここまでドラマ性というか一般的なドラマツルギーを廃した作品なのに、急にドラマとして成立しちゃったな」って思ったんですよ。
明らかに先に死んでるっていう描写で、そこから「生きて」と言う。
菜穂子ちゃんは二郎さんの生き方を「死ぬほど」理解してるので、だから「まだ風は吹いてるんだ」と言ってるってわけです。

テーマを回収してる。
美しい。
でも、それって……うん?
これをN君に相談したところ「ドラマとして成立するかしないかのギリギリだったんじゃないか」とのことでした。

ただし!大学で同じ専修だったKさんから、重大な情報が!
あのラストシーン、改変されたものらしいのです!
N君がそれを知らないはずがないので、おそらく僕が知ってるものとして語ってたんでしょう。僕は君のような映画オタクではないぞ!

最初は「生きて」じゃなくて「来て」だったそうです。

flying-fantasy-garden.blogspot.jp

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完璧に納得しました。
最後のピースが、嵌まりました。

そうか、そういうことか。
皆死んでるんだ。
あのシーンは「風が止んだ後」だったのか。
だったら完璧に納得だ。
あそこは本当に、地獄に繋がっていたのか。

でも、改変した。
「まだ風は止んでいない」になった。
だからこの先も、ワインを飲んで休んでから夢を追いかけ直すことが暗示されている。

最後の涙。
二郎さんが掠れた声で「ありがとう」って言うシーン。
あそこ、迫真の演技だよなぁと思う。これまでずっと淡々とした演技だったからこそ見えるものがある。
先に死んだ菜穂子は、二郎さんの生き方を死んでもなお肯定してくれた。
その奈穂子さんの生き方を肯定した。
別にその辺りは全く不自然じゃない。
だけど、ちょっとそれは肯定的すぎないか?いや、これでいいのか?という疑問はあったんです。
その感覚を書いてくれたのが、またまた引用しますが上に貼った感想記事のこのやり取り。

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この違和感が「来て」だったら完全に解消される。
もう風は止んでいる。やることはお互い全部やった。あとはこっちに来て。
貴方はもう「生きた」。

「生きて」だったら違う。
まだまだ二郎さんは地獄を見続ける。でもそれが二郎さんの生き方なんだから。これからも続く……
ずっとこの「夢の荒野」にたどり着くと判っていながら、それでも生きる。
宮﨑駿の自己満足といえばそれまでだ。
自分自身の肯定に見える。だけど、まあそれはそれでいいんじゃないかっていうのが僕の感想かな。

さて。
ここまでで本編の分析は一通り終えた。
この先は横道なので、せっかちな人は下の方に貼ってるライムスター宇多丸氏の動画まで飛んでください。……と言いたいところですが『風立ちぬ』の解釈の一助となる情報が入っているはずなので、できればこの先も読んでください。

まずは僕の話をしよう。
何故僕がN君にキレたのか(マジでキレたわけじゃないけど)。
あと、何故僕がFateの主人公が大好きなのか。

さて、まずはN君の話。

このN君とは夜通し酒を飲むほど、お互いの悩みやら抱えてる闇を共有してる。
だから彼は僕の悩み(フランス文学を学んだあとに全く違う道を歩んだこと、自分なりに理路整然とした理由で選んだはずの仕事へアツくなりきれないこと、ブログへの取り組み方と評価への悩み、趣味のイラストへの向き合い方云々……)を全部把握してる。
僕はとにかく、僕の中途半端さ、今と向き合えてないこの在り方っていうのを散々悩み、考えてる。

mistclast.hatenablog.com


ここまで断言しなかったことを言おう。
僕にとって、この作品の堀越二郎は「憧れても絶対にたどり着けない、そもそも憧れてはならない」存在なんですよ。
眩しいんです、その生き方が。
だけど冷めた目線でその「生き方」の「ヤバさ」も分かってしまう。
そこに憧れ続けた自分だからこそ。
絶対に手に入らないもの。

だから、N君は僕がどうやってこの映画を観るか、解ってるんですよ。
よーく解った上で勧めてくれたのだ。

でもお前が僕に勧めるなよ。

映画関連会社に就職した大忙しのN、お前が勧めるな!!!!!

……まあ、色んな話聞いてるけどそっちはそっちで色々あるみたいですw
でも僕から見れば十分N君は堀越二郎ルートを歩んでるように見えてね……

僕は本当に「堀越二郎になれなかったorなれない男」だから、例えばこのブログ書きながら自分の文章に泣いちゃって「あ、俺ももしかしたらこの世界に足踏み入れてるやん」って、ちょっとニヤニヤするくらいしかできないんだ。

でも、ハタから見るとやっぱり「全てが噛みあった感」のあるN君がある意味羨ましいし。
でもそれを「羨む」こともまた傲慢かもしれないっていうのがまた苦しいトコロで。
N君は本当に頭の良い奴だから解ってるんだろう。「その先には、夢の王国(地獄のような荒野)が待っている」と。
だから僕は「あーお前は羨ましいわー」なんて言えない。
でもこれくらいは言わせてくれ。

「お前に勧められたことが気に食わねえ!!!!」と。

で、もう一つ……Fateの主人公、衛宮士郎が何故好きなのか。
大分前に書いたので忘れてる人もいるかもしれませんが、こいつです。

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二郎さんと比較にならないくらい「正義の味方になる」「他人を助ける」には矛盾があるわけです。
「それを叶えるためにはまず人を殺さなければならない」とか「自分を殺さなければならない」とか。
別に、このアニメが哲学的な作品だなんて言うつもりはなくて、そういった楽しみ方をする作品じゃないのかもしれません。

でも、なんというか、この「叶い得ない夢をそれでも、無理やりな理屈でも死ぬ気で追いかける」衛宮士郎は、僕の精神にとって究極のヒーローなんです


そういう意味では堀越二郎もヒーローなんですが、この「苦悩」が表現された部分が散々分析の中で「名シーン」って言ってる「電車の中での涙」に凝縮されきってるんですよね。ある意味。
だから地獄の荒野を見てもあの庵野秀明氏の声で「地獄かと思いました」で終わっちゃうんですよ。やっぱり、「叶っちゃった」に重きを置いてる。
Fateというアニメにも非常に似た「夢の荒野」が描かれているんです。
こんな感じです。

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大量の剣が突き刺さった荒野(丘?)。
このモチーフは非常に重大なもので、ネタバレになるので深くは語りませんが、「夢の荒野」をもっともっと重っ苦しく描いてるのがこの作品なんです。

Fateというアニメはそれを約24分✕24話の、どう少なく見積もっても半分は「夢の先」であるとか「夢の矛盾」を追求してます(原作はゲームですが)。

だからFateは『風立ちぬ』より名作なんだ、とかそういうことを言うつもりは全くありません。
『風立ちぬ』のほうがよりまとまっていて、かつ文学的にこの「夢」と向き合う男を描いているし、Fateの方はエンタメアクションバトルファンタジーなので上に書いたような部分はノリで描いてると思われる部分も多々あります。
比べるものじゃないですが、比べたら分かりやすくなるものもある、それだけの話です。

結局両者にとって共通しているのは。
Fateの衛宮士郎も。
堀越二郎も。
僕が憧れる、でも絶対にたどり着けない、ヒーローなんです。
上述したとおりより強く憧れるのは衛宮士郎です。

でも、狂気に憧れちゃダメなんですよね。
それは憧れるものじゃない、持っちゃってるもの。
この記事もよろしければお読みください、似たことが書いてます。

mistclast.hatenablog.com

……さて。
長くなりました。本当に。

ライムスター宇多丸氏の解説を聞いてみましょう。

www.youtube.com



……(聴いてみる)。

うっわー、まとまってる、すげえ。
こう語れるかあ、本当にすげえ人だな宇多丸さん。
うん、全体像を把握するって意味なら僕の感情的な記事よりも余程良い。
だから僕の記事はこの映画の要素の「ひとつ」に関して徹底的に深めた分析だと解釈してくださいね。

はー、長くなったなぁ……
自分の文章で自分で泣きそうになったのは初めてかも。うん。
このレベルじゃ狂気じゃないね。うん。間違いない。

ではまた次の記事でお会いしましょう。
お読み頂き、ありがとうございました。

【極めて重要な追記】
あまりにも素晴らしいコメントを頂きました。

 カエルの王様

 じんわりくる良いエントリでした。
 以下、このエントリを読んで思いついたことを書きます。

 Mistir さんがラストシーンに読み込んだ“だからこの先も、ワインを飲んで休んでから夢を追いかけ直すことが暗示されている”と、まったく正反対の解釈も成り立つと思います。
 ラストシーンで、“ここまでドラマ性というか一般的なドラマツルギーを廃した作品なのに、急にドラマとして成立しちゃった”のなら、それはクオリティの低下にしかならないでしょう。宮崎監督はそのことを分かっていたはずです。菜穂子の最後の言葉を「来て」とすることで大傑作になったのに、わざわざ“「生きて」→「ありがとう」で駄作”に改変したのは、宮崎監督自身があのシーンを切実に必要としていたからではないでしょうか。
 すべてをアニメ制作に捧げる“生き方以外あり得なかった”宮崎監督が、最後の作品のラストシーンで初めてアニメの神を裏切ることになったのです。アニメのクオリティを高めることよりも、菜穂子に「生きて」と言ってもらうことを選択したわけです。
 それは、アニメよりも自分自身の人生を優先させることを許してもらわなければ、宮崎駿は余生を生きることができなかったからでしょう。
 “その「夢」は強烈であればあるほど、「呪い」としても機能し、人生の指針を良くも悪くも強固に決定づける”。
 そのような夢にどっぷりつかって生きてきた男が、その呪縛から解放されて生きるには、そのことをアニメの神に許してもらうことが必要です。だからこそ宮崎駿は、アニメの神の化身であり、美の象徴でもある菜穂子に、『あなた自身の人生を「生きて」』と言ってもらわねばならなかったのでしょう。
 つまり、私見では、このラストシーンには宮崎駿監督の引退が内在化されているわけです。

 後、この作品が純粋な技術者の人生とせず、菜穂子との恋愛を絡めて描いたのは、航空機の美を理解できる人はごく一部にしかいないからだと思います。だからそれを世俗化する必要があったのでしょう。つまり、喀血する菜穂子ときりもみして墜落する航空機をパラレルに描くことで、堀越二郎が見ていた航空機の美を、菜穂子との儚い恋物語に仮託して一般の観客へと伝えているのでしょう。

 ちなみに、私は趣味で小説を書いています。小説はいいですよ、アニメや航空機と違って、まったり夢を追えるので。
 ブログ主さんのこと、この記事以外では、まったく知らないのですが、とても文章お上手ですし、日々の生活に物足りなさがあるのなら、小説を書いてみたらいかがです?

うわー……素晴らしい。
最後のピースのその向こうだ……

僕は二郎さんを「完全な狂人」と解釈していた。
愛は本物だ。人格破綻者ではない
だけど、夢にしか生きられない、と。生きている限りは必ず夢を追いかけるしかない。
でも……もう、風は止んでいたとしたら?

そう、確かに作中でカプローニ伯爵は「君の10年はどうだった?」と言っている。
そうだ。
風は止んでいるのだ。

だから、二郎さんはもう「行って」いいんだ。
だから、奈穂子ちゃんも「来て」って言っても良かった。

だけど「生きて」と言った。
飛行機しか無かった男の、その外側の生を……肯定した。

うん、こう考えたほうがしっくりくる。

本当にありがとうございました。
僕のブログは、本当に恵まれている。
読者の方のご感想によって、記事が一歩前に進むことが本当に多い。
最高にありがたいことです。

さて、残りのご返事を。
小説……ですか。実は私書こうとしたこと何度もあって、短編ならそれこそ何度も書きました。
ただ……原稿用紙50枚を超えるとだんだん無理になってくるんです。根気がそこまで保たなくて……

現時点で、この記事は11000字強。引用もありますが、原稿用紙換算で約25枚強ですかね。
これくらいの長さがちょうど良いのかもしれません。

繰り返しますが、本当にありがとうございました。
最後のピースのその向こうに……たどり着けました。