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障害者は経済活動の邪魔?ホリエモンの発言(?)を適当に分析する

どうもこんにちは。
自分の記事の評判を読みすぎて段々吐き気がしてきたMistirです。

……しゃあないやん……
僕、俗物なんやもん……
褒められたら舞い上がるやん……
ボロクソ言われたら悲しいけどそれでも見てまうやん……
単純なんやもん……

さて、調子に乗って「冷静に分析するシリーズ」第二弾。
このシリーズは「確かにおかしいのはなんとなくわかるけど、もしかすると冷静に考える必要があるんじゃないか?」ってテーマについて考えます。


……と言いたいところでしたが。真剣に考えるとあまりにも難しかったため、適当に考えます。
いや、本当に難しいんだよ……
本気で踏み込むと、この問題は絶対に哲学や政治の領域に踏み込むことになります。
ってことで、この記事、「結論は出ていません」
だから、「問題提起編」として捉えてください。
そして一緒に考えましょ。

さて、今回のテーマはこちら。
「障害者は働くな!無駄!」と発言したホリエモンの分析です。
さて、こちらの記事をお読みください。

 

yasuyukiarakawa.hatenablog.com

 

……アレ?
そんなこと言ってなくね?

……んー、実はね。僕がこの記事書こうと思ったきっかけって、TL見てたら色んな人がホリエモンの発言に言及してて、しかも「ボロクソに」言ってたんですね。結構感情的に。

僕、俗物ひねくれ者クソ野郎なんで、みんなが感情的になってたら「いや、1から考えてみようぜ!」って思っちゃうんです。
ってことで分析しようって思ったのがこの記事の発端……なんですが。

そもそも、そんな発言をしていませんね。

……うん。

僕の役割終わり!!!!!

 

……いや、それじゃ寂しい!!!

ってことで、「仮にホリエモンじゃなくて誰かが次のような内容の発言をしたと仮定して」分析してみましょう。実際、悪意のあるサイトが「ホリエモンが以下のような趣旨の発言をした」という前提で、噂を広めたんですよね。

「雇っても生産性の低い障害者を雇用するのは経済的損失である」。
「そういった人々、つまり障害者には生活費を与えておいたほうが結果的に良い」。

コレ以降はこのテーマに関してのみ考えましょう。ホリエモンは忘れましょ。

ってことで、さてさて。
……と、書き始めてみたは良いものの。実は……明確に答えが出てるわけじゃないんです。
ただ、確実に言えることは3つ。

①「相当考えるべき議題」で、
②「決して脊髄反射で否定していい話題ではなく」かつ
③「この主張が全面肯定されるべきでもない」

……まあ、無難なことしか言ってない感もありますが、「全否定」も結構見かけたので。「あり得ない!こんなこと言うなんて人間のクズだ!」みたいな?

まあ、ゆーっくり考えてみましょう。
歯切れ良くはないと思うので、みなさんも考えてみてください。一緒に考えましょ。


……。


……いや、この後僕、結構な量書いたんですよ。

書いて、全部消しました。分からなくなってきた……

なので、王道な分析はやめて、逆方向、「そもそも俺はなんでこの発言に引っかかったのか?この発言に脊髄反射している人に対して『それは違うだろ』と思ったんだ?」って方向から分析します。自己分析ですね。

ここで、障害者をMistirに置き換えてみます。
大胆!

「雇っても生産性の低いMistirを雇用するのは経済的損失である」。
「そういった人々、つまりMistirには生活費を与えておいたほうが結果的に良い」。

 

……心がグサッと……なる気もするけど、そうでもないような。
……ん?生活費くれるの!?ちょうだい!!!!

Mistir仕事辞める!!!

THE END。

……と、ここで「あー」と気付く。

そうか……元々の発言にキレる、脊髄反射的にキレるのは、
「全ての人間は仕事をしたがっていて」「全ての人間が自己実現の源泉を仕事に求めている」という前提条件からスタートしている……


言い換えれば、個別の「人間」、つまり障害者当人が不在なんだ。

なんだ、それだけの話じゃん。
「全面肯定されるべきじゃない」のは当たり前。だって働きたい障害者の方もいるんだもん。
でも、否定されるべきじゃないのも当たり前。「働きたくない障害者の方」もいるだろう。
だったら、「働きたくない障害者の方」、否、「働きたくない男」には生活費でもなんでもあげといたほうが、経済的に損失にならない。

……ん?これ、歪曲していないホリエモンの「発言」に戻ってない?
ついでに言えば、これただのベーシック・インカムの話だよね?

ベーシック・インカムを一応説明しておくと、要は「最低限の生活費配ろうぜ!」っていう政策。現実的じゃないから実験的にしか実現してないシステムだけどさ。


なんか、一周しちゃった気がするなぁ。
やっぱり難しい。

じゃあ、もう一つ別の方向から考えてみよう。
「でもやっぱり、怒って当然じゃない?」っていう考え方。

以下のようにまとめよう。
「障害者は働いても無駄!黙ってろ!!」
……なんだろうねえ。この……上手く言えないけど、悪役臭のするこの言葉。
……この言葉の「悪役感」に噛み付いた、っていう滅茶苦茶単純な言い方をしても良いくらい。

じゃあ、以下のように言い換えればどうだろう。
「収益が上げられる人間をこき使っとけば良い。能率が悪いMistirのような人間は、そのおこぼれもらってニートやるから」
言い換えがだいぶ間違ってる気はするけど、矛先がズレたっていう感じはある。

「モノは言いよう」なのかもしれない。

さて。


実は、この記事で語ろうとしていたテーマがあった。
「障害者であるがゆえに特権を享受できる」というテーマだ。
実は、このテーマが一番語りたくて、同時に一番「あー、語ると火傷するなー」って思ってたトコロ。

さて、脊髄反射的に↑の赤字部分に反発したくなっただろうか?
……安心して欲しい、僕ならしたくなるw


でも、事実なんですよ。
「障害者雇用」ってあるでしょ。アレは「特別な権利」だ。どう考えても。
高校を卒業(か、同等の資格があれば)大学を受験する「特別な権利」が与えられるし、20歳を超えると酒が飲めるのも「特別な権利」だ。

で、障害者であるがゆえに特権を享受できる……

僕は、このことが間違っているとは全く思いません。当然とも思いません。
新幹線が走っていることを間違ってるとも当然とも思わないのと同じです。
たまたま、都合としてそういうシステムができた。
そういう認識です。


で、この「権利」の是非を多面的に考えて……みたかったんだけど、諦めました。

絶対このテーマにたどり着くと思ってたんですが、たどり着かない。
それは今僕が疲れているからだろうか……

だから、また別視点から考えてみる。

何故、僕らは「障害者は働いても無駄!黙ってろ!!」に怒りたくなる?
言い換えると、「悪役っぽさ」を感じる?

結構これ、核心を突いてる気がするぞ。
何故「考える」前に「怒りたく」なる?

それは↑の言葉が、暴力だからだ。
個別の「個人」をひとまとめにして、断言する、暴力。
暴力への反逆。

……と言えばスッキリするけど、ちょーっとズレてる気がするんだよなぁ……

となると……いや、やっぱり……あまりこういう結論に至りたくないけど。

……学校教育や、その他の社会的通念が「障害者」について考えることをタブーの領域に押しやっているから、タブーの領域に踏み込む言説を見ると、脊髄反射的に嫌っている?


いや、だって上の「障害者は働いても無駄!黙ってろ!」を「無能は働いても無駄!黙ってろ!」に言い換えるとだれも違和感を覚えないでしょ?

……あ。

そうか。そうだったのか。

「働いても無駄!黙ってろ!」という言葉が。必然的に「無能」という言葉を連想させて、そこが「障害者」と被るから……

ああ、単純に単純に、「障害者は無能!」って言うと誰でも嫌悪感を抱くのと一緒なんだな。
なんだ、考えすぎたか。
ここで、「なんで『障害者は無能!』に嫌悪感を抱く?」まで行くと……絶対歯車が狂う。
だから考えないほうがいい。とりあえず今は。

さあ、最初のテーマに戻ってきた。
僕らが仮に

「雇っても生産性の低い障害者を雇用するのは経済的損失である」。
「そういった人々、つまり障害者には生活費を与えておいたほうが結果的に良い」。

に対して嫌悪感を覚えるとしたら、それは
「障害者は無能!」
に対する嫌悪感と全く同じなんだな。

冷静に考えるとこの二つは、言ってることが全然違う。

だけど、僕らはそう捉えちゃう。

……なんでだろね?

このことはまた改めて深く考えるほうが良さそうだ。
ってことで「問題提起編」でした。

「解決編」はまたいつか。
みなさんが解決してくださっても全然オッケー。悔しいけどねっ!

ではまた次の記事で。
お読みいただきありがとうございます!!

【追記】
以下のようなご感想をいただきました。

 id:aesthetics

ブレンディのCM関連でこちらのブログにたどり着き、それから楽しみに読ませていただいております。
私が思ったことを簡単に述べます。それは、そもそも健常者・障がい者というカテゴライズ自体がナンセンスかもしれないということです。もちろん社会的に、雇用や生活の面で必要なカテゴライズだとは思っています。
しかし、今回の問題の中では、そういう社会的なカテゴライズを個人のカテゴライズに置き換えてしまっているような気がします。そもそも健常者も障がい者も同じ人間です。もしもそれぞれを障害の有無に関係なく見ていれば、障害者うんぬんとは言いださないと思います。健常者障がい者というカテゴライズの眼鏡を外せないと今回のようなおかしな議論になるのでは?と思いました。
問題提起にさらに提起してしまう形になってしまいましたが、こんなことを思いました。長々と失礼しましたm(__)m

そうです、実はこの点ある程度「意識的に」問題として残しておりました。
というのも僕の「信念」に近い、ある感情が僕にはあるのです。それは以下のような感情です。

「障害者を『区別しない』ことは、逆に『区別』になるのではないか?」

本来、障害者であれなんであれ、「平等」な世の中であるべきだ。……その通りです。
ただ、どうしても「区別」は必要になります。

「区別」がなければどうなるか?

誰もスロープを作ろうとしなくなります。
誰も車いすを開発しなかったでしょう。
「障害者雇用」など、それこそ無くなってしまう。

もっと単純に考えても良いです。

「区別するまい」という考え方こそが、逆に区別を生むのではないか?と。

実は、僕の中に以上のような「感覚」があるんですよ。
だからその「感覚」を察知された方は違和感を覚えたかもしれません。
つまり……

僕は、意図的に「区別」しています。
それが自然だと思うからです。

で、その感情、感覚を論理的に説明しろと言われると凄く難しい。
なのでとりあえず、今のところはここで保留させてください。

ご感想、重ね重ねありがとうございます!