MistiRoom

旅することと語ること。自由であること。

『「まずは3年間働いてスキルを身につけてから起業!」とか言ってる人間はマジで無能だと思う』への違和感

こんにちは、Mistirです。

tokunoriben.hatenablog.com

っていう記事を見つけました。
口悪いなぁ、っていう印象はさておき。
違和感を覚える部分と同意できる部分が混在していたので、そこらへん自分のためってのも含めて文章にしてみようと思います。

まず、この記事が対象にしてる『「まずは三年間働いてスキルを身につけてから起業!」とか言ってる人』は、言い換えれば『起業を目的にしながら、三年間働くことを決心した人々』ってことになると思う。
で、こういった人たちが無能であるかどうかを断じる権利も経験も、僕には無い。
だからひたすら、僕は自分の思うことを書くしかできない。

僕が考えるのは、「起業って目標にすることなの?」っていう疑問だ。
起業って目標じゃなくて、結果じゃないか?いやいや、言葉遊びじゃなく。

↑の記事でまずちょっとした違和感を覚えたのが、以下の部分。

例えば、写真好きなあなたが、「誰でもスマートフォンで綺麗で美しい写真を手軽に撮れることを実現するようなビジネスをしたい!」というときに、あなたがすべきことは何だろうか?

顧客の大切さ、顧客の課題の大切さを説いてるのに、スタート地点が「自分の欲求」ってのはそれそもそもアリなの?
まぁこれは一応「アリ」なのかもしれない。大抵、自分が欲するものは誰かも欲してるものだから。

もうちょっと大きな違和感は、ここにある。

本当に誰でも綺麗で美しい写真を手軽に撮れるような世界を実現するようなビジネスをしたい!という確固たる動機があるのなれば、自分ができるできないとい う前にそれを実現するための手段はいくつもあるはずなのだ。そうそれがあなた自身が今の力量で顧客に提供できることの中にそれは必ず存在する。

必ずって、何故そう言い切れるのだろう?
……いや、こう書くと何かこの記事に無理矢理噛み付いてるようだが、同意できる部分も多いのだ。方向性が違うだけで。

僕は、「どこの誰でも、現状の自分の力量で起業して、課題を解決できる」とは思わないのだ。
現にこの人も「ある特定の考え方を持った人々」を「無能」って断じてるわけだし。

ん?論理が一周してるような……
「三年間働いてスキル身につけてから起業って言ってる人は無能」→「無能な人でも現状の能力で課題解決できるんだからすぐ起業すべきなのだ」なのか?
それとも、「無能」→「無能なんだから社畜やってろ」なのか?

……。揚げ足取りじみてきたが、単純に僕が書きながらだんだん分からなくなってきただけである。

あと、コメントでも触れられてたけど

まぁそして何より、起業家だなんて、大それたことを言っているけれど、どんなクズでも法務局に20万かそこらをもっていけば誰でも社長になれるのだ。

20万ポンと出すのはなかなかきついね。20万ポンと出すために3年間働くって人もいるんじゃない?
まぁそんなことは些細なこと、どうでもいいや。

ここからは、もうちょいスッキリしたことを書こうと思う。なんならここまで書いた内容は忘れていただいて構わない。

この部分。

そうやって、できないならできないなりに別の方法を探っていく、それが起業家という役割であって、自分ができる、できないの能力軸に判断基準をおいている時点で、

それは単なるエゴじゃん。

自分ができるようになる、自分が優秀になれば、きっとまわりが評価してくれてうまくいくという発想自体がビジネスにおいて、最も不毛な発想だと思う。

ここなんだけど、「顧客にとって最大のメリットとなる行動をしたい!」って欲求は単なるエゴにならないのかな?
この「単なるエゴ」って言い方は、実はすっげー難しい。極端な話でもなんでもなく、「究極的に顧客のためになるような運営」をやった結果、スゴイことになった会社がある。

ワタミ株式会社である。
あの社長のインタビューとか読んでると、まさに「単なるエゴ」じゃね?って思うこと多いのだけれど。

まあこういった「表現」の領域で議論してても、どうしようもない。ここはフワッとした部分で終わらせておけばいいのだろう。

ここからは、自分にとって、自分が会社に勤めると決めた中で見出した「単なるエゴ」を語ってみようと思う。
ビジネスで「単なるエゴ」は不要だ、不毛だ。……僕は、その発想に真っ向から異議を唱えたい。

 

「マネジメント的人間」という言葉を聞いたことがある。
経営者的な視点を持てる人間のことだ。某ライトノベルの知識だけど……
大工に何をやっているか聞いた。「この仕事で暮らしを立てている」「日本一の大工になるために頑張っている」「家を建てている」と応える三人の人間がいた。
三人目の人間、「家を建てている」と応えた人間の発想が、「マネジメント的人間」、いわば「経営者」の考え方である、と。

この話自体は凄く納得がいくし、違和感もない。
「行動心理学的に言えばwhatで答えたかwhyで答えたか、近い目標で答えたか大きな目標で答えたかってだけの話だよね〜」っていう野暮なツッコミはおいといて。

で、僕は……というか、これは誰でも思うことだろうけど、誰もが経営者になる必要は無いと、そう思ってる。

特に、僕なんて絶対に経営者には向いていない。
自分の技術を「エゴイスティックに」磨きながら、「俺は日本一の技術者になる」と言ってるのが関の山だ。基本的にエゴイストだもん、僕は。経営者的な視点は欠けていると思う。少なくとも今は。

……だけど、うっすら「企業する『必要性』が生まれるんじゃないか?」っていう予感はある。このままじゃ満足できない、やりたいことができない……と、そう感じたとき、どうする?
要は「この感じ」が必要なのだ。そのときは、嫌でも企業するしかない。「自分で会社起こしてまでやりたいことがない」なら、既存の会社でやりたいことやってればいい。それができないときに、やむなく起業するしかないときがやってくるかもしれない。


だからこそ、僕は「起業は目的じゃなく、結果だ」と言うのだ。

もし「企業する」となったとき……僕は間違いなく、トップには立たない。だが。
「僕の代わりにトップに立ってもらえる」人間なら、想像がつく。僕はそいつの下に就くのだ。
僕は技術者として、「そいつの」課題を解決する。「そいつ」は顧客に近いところで顧客の課題を発見できる、マネジメント的な思考のあるヤツだ。そいつなら、「顧客の課題」を発見できる。僕はそいつのために「エゴイスティックに」技術力を使う。

どうだろう、このビジョンは。稚拙だろうか。
……これはあくまで「ビジョン」であり、目標じゃない。むしろ、「災害で今の家に住めなくなったらどうする?」→「こうする」というような、そういった「こうするしかないよね」って話なのだ。
もっと分かりやすく言おう。
起業は社長になりたくてするもんじゃない。やりたいことがあるからするものだ。
やりたいことが会社の中でできるなら、起業なんてする必要無いじゃん。

 

だから、会社の中でやりたいことができるなら、もしそれが見つかるならば、僕は一生会社にいていいと思っている。
人生もビジネスも、「やりたいことができるかどうか」が全てじゃないか?あ、もちろん「収入も大事じゃねーか!」とかいう意見もあると思いますが、それも「やりたいこと」の中に入ってると考えて。

僕はこんな考え方だから、「まずは3年間働いてスキルを身につけてから起業!」とかいう人の気持ちは僕にはいまいち分からんのである。……だから、元記事への違和感もへったくれも無い気がする。

でもやっぱり違和感が拭えないのは……
元記事の口が悪いからですかねぇ?(笑)

あとは、「スキルが身につけば課題解決の能力も上がる」っていうある種当然の発想を

自分ができるようになる、自分が優秀になれば、きっとまわりが評価してくれてうまくいくという発想 

っていう風に書き換えるのは、さすがにちょっと悪意があるんじゃないか、ってところとか?それはちょっと意味が違う。

極端な話、3年も働けば例えば電話対応くらいは身につくでしょう。そういう「(一応の)スキル」を身につけながら、貯金ができるわけです。ココ大事。電話対応もできない人が企業してもダメでしょ。基本的に。


だから……元記事の言い方を逆手に取れば。
無能が起業してもいいんじゃね?それこそ20万円あれば起業できるなら。
ってことになります。

まあ要は、『「誰かを無能と断言する記事」って何の意味があるの?』って疑問に収束する気がします。誰かを無能と断言することで、自分の優越性を感じたいの?それとも、そういう人たちの考え方が間違ってることを指摘したいの?前者はちょっと皮肉すぎるから後者だとして……ここまで考えて、ちょっとアホらしくなっちゃった。ある文章に対して「何の意味があるの?」って疑問は愚問です。これは僕が悪い。それこそこの記事にも多分、「意味は無い」と言えるからね。
僕にとっての意味はあったけどね。思考が明晰になった。

さて、この記事は何の意味もない記事でしょうか?
あなたにとって「意味がなかった」なら残念、そりゃ運が悪かった。
「意味があった」ならラッキー、僕もあなたもハッピーです。

それでは、また次の記事で。