Minakami Room

旅を続ける。考える。自由である。生きている。

Kindle Unlimitedは読書を変えるか

ども、こんにちは。
Mistirです。

実は私、重度の電子書籍ユーザーなのですが……

ch.nicovideo.jp

最近は紙の本に回帰していました。

上の記事で「電子書籍を使わない癖に『自分は紙派閥だ』という人が多い!けしからん!」と言っていますが……
比較した上で、紙派に傾いていました。

というのも、どんどん一冊の価値が低くなっていく感じがしていたのです。

物理的スペースが増えず、手軽なため、つい気楽に本を買ってしまいます。
そうこうしていると、「安いからとりあえず買っておこう」といったような発想が生まれてきます。
そうすると……変な話ですが、何を買ったかさえ忘れ、「ああ、そんな本も買ってたな!」という現象が多発するのです……

紙の本であれば目移りせず、一冊の手元にある本に集中できます。
結局のところどちらにもメリットがある。だけど、とりあえず今は紙が好きかも……

と、思っていた矢先に。

始まってしまいました。

Kindle Unlimitedが。

電子書籍界の大御所、Amazonが始めた、電子書籍読み放題サービス。
月々たったの1000円、初月無料。

この記事では所感と、「読書は変わるのか」という、少しだけ大きな枠組の話をしてみようと思います。

1.Kindle Unlimitedは契約の価値があるか

今のところ、「物凄くある」が僕の結論です。

例えば、一部でカルト的人気を誇る漫画、『ゆゆ式』……
なんと、7巻まで無料です。

f:id:Mistclast:20160805191428p:plain

ゆゆ式 1巻

ゆゆ式 1巻

 

 もうちょいメジャーなトコロで言えば、デトロイト・メタル・シティ

全巻無料ですね……
あと、手塚治虫作品なんかも一部無料でした。

火の鳥 1

火の鳥 1

 

 
漫画はまあそれなりって印象です。
でも、マニアックなものが多くニヤニヤできます。

ビジネス書はそれよりも充実している印象。 
稀代の名著、『仕事は楽しいかね ?』が無料です。

仕事は楽しいかね?

仕事は楽しいかね?

 

また、雑誌がかなり充実していて、特に僕にとってはバイク雑誌が充実しまくってるのがとても嬉しい。

 

公開期限がないような印象を受けるけれど、詳細は分からない。
もしかしたら、急に消えてしまうかもしれないけれど……

Tarzan (ターザン) 2016年 8月11日号 No.700 [雑誌]

Tarzan (ターザン) 2016年 8月11日号 No.700 [雑誌]

 

ワンピースの映画とコラボしてて、描き下ろしイラストが多数載ってます。
ごく軽い筋トレをするゾロを見るだけで笑えるのでぜひお読み下さい。お前もっとハードトレーニングしてたやろ……


月980円なら余裕で元は取れそうです。

2.Kindle Unlimitedは読書スタイルを変えるか

断言しますが、一部の人に関してはめっちゃ「変わる」と思われます。

先程「電子書籍は一冊の価値を軽くする」と言いましたが……
その最も先鋭化した形を味わうことができます。

Kindle Unlimitedには一応10冊の縛りがあります。
これは「月に10冊しか無料で読めない」という意味ではなく、タブレット端末等に「キープ」できる本が10冊のみであるという意味です。
この仕様は必ずしもデメリットとは言いがたく、無駄に端末の中に本が増えストレージを圧迫することを防いでくれます。読みたくなったら一冊消してもう一冊ダウンロードすればいいわけです。
10冊平行して読まねばならない状況はあまりありそうにないですからね。

……と。
この仕様も相まって。

以下の様なスタイルが生まれます。

一冊読む!
はい消す!
次の本!
読む!
数十ページ読む!
面白くない!
削除!
はい次の本!!

……。
そう。一冊一冊の本の価値を極限まで低める代わりに、圧倒的な多読を重視する、これまでにはお金または時間が有り余っていなければ出来なかった超多読スタイル……

この「多読」スタイルには賛否両論あるでしょう。
ですが、作品を「味わう」ことよりも「摂取する」ことを重視したいビジネス書やビジネス雑誌の場合、このスタイルがもたらす恩恵は計り知れません。

あまりこの本の主張には賛同できないところもあるのですが……
それでも、タブレット一枚あれば好きなだけこのスタイルが実現できる世の中が来ちゃったんだな、と何か感慨深いものがあります。

このスタイル、紙の書籍でやろうとすると先程も述べましたけど、お金も時間もかかり過ぎるんですよ。
本屋で立ち読みして探すのはアリですし、図書館で探すのもアリですけど、どこから探せばいいかわからない。
本屋や図書館に「行って探す」だけでも十分物理的障壁です。
※もちろん、それこそが紙の本の「愉しみ」を形成しているものでもあるのですが、それはまた別の話で


でも、これからは

  1. ネットなどで(今後増えていくであろうKindle Unlimitedを扱った記事から)「どの本を読めばいいか」を調べ、
  2. その本のリンクをクリックして、即座にダウンロード

という流れが、自宅で、ものの数分、数秒でできちゃうわけです。


さらに、そこには「お金がかかる」という心理的・経済的障壁がない……
これは確実に、よくも悪くも読書生活を変えてくれます。

3.懸念点

どう控えめに考えても、これが主流になると「紙の本」はコレクターズ・アイテム的な要素を強めていきますよね。
今で言うトコロのCDです。
一枚のアルバムに3000円を払う人は少なくなった。
これは言い換えると、音楽にそれだけの(資本主義的)価値を見出す人が減った、とも言えます。

それって作者にとって本当にいいことなのか?
とは思いますが……
この辺りは長期的に経過を見守るしかなさそうですね……


ってことでとりあえず。
私は既にぐるぐると色んな本をループしています。

幕張 1 (highstone comic)

幕張 1 (highstone comic)

 

喧嘩商売で有名な木多康昭氏の『幕張』は全巻無料です。
よくもまあこんなモン、ジャンプに連載してたな……って思うくらいひどいです。 

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

 

 「なんか超影響力がある人世界ランキング(正式名称は忘れました)」で選ばれたらしい近藤麻理恵さんの本です。
ある意味ありそうでなかった「感情論的片付け理論」を理路整然と語っています。

読んで部屋を片付けてミニマリストになろう(宣誓)。

ってことで初月無料ですし、試してみてはいかがでしょうか。

www.amazon.co.jp

 

お読みいただき、ありがとうございました。
ではまた次の記事で。

僕がTwitterを辞める理由

ども、こんにちは、Mistirです。

突然ですが、大変長らく続けてきたTwitterをやめることにしました。

今回、色々なことがあり

mistclast.hatenablog.com

非常に疲れた、と言うのは実際にあります。
自分の発言の大きさや、そこから生まれる義務感……それは、あまり僕の望んでいるものではなかった。

とはいえ、それは理由の一部に過ぎなくて、実は前から何度もTwitterは中断してたんですよ。

mistclast.hatenablog.com

mistclast.hatenablog.com

 ↑の記事に至ってはタイトルまで同じです。

でも、このときはアカウントを消していませんでした。
結局のところ、たくさん増えたフォロワーさんだとか繋がりを断ち切ることが怖かったんですね。
だから時折ふらーっと戻ってきてしまっていた。禁煙してる人が一本のタバコに手を伸ばして、そのまま続けてしまうように。

私はどうも距離のとり方が上手くないようで、適度な距離を保つのことができないのです。

さて。
今回の件で疲れたのもありますが、実は決定打になったのは一つの「ツイート」だった。

昔、僕はとても沢山の本を読んでいた。
もちろん本を読むことが面倒になったら読まないことも多かったけど、結局また本を読む生活に戻っていた。

でも、Twitterにハマりこんでるときは露骨に本を読んでいない気がしていた。
その理由が、このツイートで腑に落ちた。

皮肉なもんです。
Twitterを辞める最後のきっかけを、ツイートに教えられるとは。

有名な経営コンサルタント大前研一さんがこう言っています。

人間が変わる方法は3つしかない。
1つ目は時間配分を変えること。
2つ目は住む場所を変えること。
3つ目は付き合う人を変えること。
どれかひとつだけ選ぶとしたら、時間配分を変えることが最も効果的。

systemincome.com

この言葉には心底同意している。
……そういえば、ついでに言っていたような。
「心構えを変えることに、何の意味もない」と。

僕には、もっときっちり本を読んだり勉強する時間が必要だ。
そのために、やっぱりTwitterはちょっと「魅力的すぎる」気がする。

ブログ広報用としてアカウントを残すことも考えていたけど、やっぱり消すことにした。
岡本太郎も言っている。「人生は積み重ねるべきじゃない。すり減らすべきだ」と。

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)

 

一旦、大胆にすり減らそう。
多分そうしないと変われない。

ってことで、今後は言いたいことはブログで語ろうかな―と。
こちらまで辞める気はないので、今後感想などございましたら気楽にお願いしますね。
コメントが非常に多い場合返信が困難なことがありますが、基本的にはお返ししたいと考えておりますので。

ブログ広報用アカウント(誰もフォローしないやつ)はまた作るかもしれないので、そのときは改めてよろしくお願いします。

今後とも、どうぞ宜しくお願いします。
そしてTwitterの皆さん、一度さようなら。今までありがとう。 

ではまた次の記事で。
お読み頂き、ありがとうございました。

【追記】
初稿の内容から一部削っておりますが、考えなおして不要と判断したためです。
ご了承下さい。

 

金魚の放流は、何故あってはならなかったのか

こんにちは、Mistirです。

いつもはブログで語りたいことを語っているのですが、今回はちょっと事情が異なりまして……
結果的にですが、今回私が少なからず原因となり、大阪府泉佐野市が伝統的に続けている「あるイベント」が中止されることとなりました。

以下のような流れです。

  1. 私が7/15(金)に以下のようなツイート

    f:id:Mistclast:20160718135618p:plain

  2. 猛烈な勢いでTwitter上で拡散

    f:id:Mistclast:20160718135714p:plain

  3. 『ねとらぼ』等のニュースサイトやハム速などのまとめサイトでまとめられる

    nlab.itmedia.co.jp

    ※ハム速に関しては後でリンク貼ります。
    正直呆れました。

  4. 泉佐野市に問い合わせが殺到
  5. 泉佐野市が金魚放流イベントを中止し、金魚の配布に変更することをFacebookで報告

……という流れです。
このようなまとめもされており、

togetter.com

様々なトコロで問題にされていたようですが、一連の騒動に私のツイートが大きな影響を与えていたことは間違いないと思われます。

混乱を避けるために泉佐野市が中止を発表した時点で、私は関連する拡散されていたツイートを削除いたしました。
最初のツイートと合わせて、私は以下の様な指摘をしていました。

ごく単純化すると、
1.そもそも金魚は自然界で生きることを想定していないため、自然界に放しても餌にしかならず、虐待でしかない
2.人の手で育てたものがネズミであれ犬であれ金魚であれバッタであれ、自然に放った際の影響は計り知れない
主にこの二点が大問題。

今思うと、問題点の1と問題点の2には非常に大きな差があり、 問題点2の方が問題としては圧倒的に大きいため、このツイートは非常に混乱を招いてしまった気がします。

たくさんの批判がございました。
某大手掲示板では、Twitter民が正義感から暴走して伝統を終焉に追い込んだ」という旨でスレが建てられ、私のツイートも晒されていました。


この記事の目的は、
泉佐野市の金魚放流イベントは、なぜ問題なのか」を、極めて詳細に、誰にでも伝わるようにまとめることです。
また、私自身のツイート自体にもあった問題点や、たくさん寄せられた「疑問」や「批判」にも可能な限り答えることを目的としています。

泉佐野市の非常に賢明なご判断には感謝の極みですが、一方……
「ネットで声の大きな人が騒いだから行政が一つの伝統行事を中止した」
という構図のまま、この問題が収束してしまうことに非常に大きな危惧を抱いております。

私がネットクレーマーと呼ばれるならば、それはそれで構いません。
でも、この問題の「本質」は決してそんなところにはないのです。

結果的にとはいえ、一つの「伝統」を終わらせる引き金を引いたものとして、ここで可能な限り私の認識をお伝えすることが一つの責務であると考えています。
お付き合いいただければ幸いです。

……と。堅苦しく書きましたが……

ある程度気楽に読めるように書きたいと考えています。

ここからはやや砕けた形で書きますが、ご容赦下さい。

……と、その前に。
こちらの記事、

asay.hatenadiary.jp

非常に素晴らしくまとめられておりまして、私が語ることは何もないくらいです。

ここからの内容は上の記事と被る点も非常に多くあります。
ご容赦いただければ。

では、長くなりますがお付き合い下さい。

 

1.金魚の話

さっそく本題……!
とは行かず、まず「金魚って何なの?」っていう話をします。
……知っとるわい!
って言われてしまうかもしれませんが、案外実はコレが難しい。

金魚についてある程度知っていれば、この先の話は大幅に分かりやすくなります。
お約束します。
そのため、できることなら……読み飛ばさず、お願いしますね。

まず、そもそも……
金魚は、フナを改良して「創られた」、自然界に存在しないお魚です。

皆さんが金魚掬いでよく見かける「金魚」は、その中で最も改良元のフナに似ている「和金(ワキン)」と呼ばれる金魚です。

f:id:Mistclast:20160719191208j:plain

※画像は基本的にwikipediaより引用しています

で、フナがこちら。

f:id:Mistclast:20160719191258j:plain

そっくりですよね?

で、金魚掬いですくった金魚を持って帰って、
「俺、和金飼ってるんだ〜」って金魚好きの友達に言ったらダメです。
金魚好きの友達、混乱します。

……というのも、金魚掬いでよくみかける先程の写真の金魚は、「小赤」と呼ばれてホームセンターやペットショップで一匹20円ほどで大安売りされています。

ぶっちゃけ、ペット用というよりも、アロワナみたいな大型魚観賞魚のエサなんです。

「和金」と明確に呼ばれるのは、このようなキレイな柄、特徴的な三尾の尻尾を持ったものに限られることが多いです。

f:id:Mistclast:20160719191708j:plain

※引用元

petomo.net


この「小赤」と呼ばれる金魚は、金魚の中では比較的「強い」金魚です。
一方、皆さんがよくご存知、色々なトコロでイラストとして見たことがあるこんな金魚……

f:id:Mistclast:20160719192135j:plain

琉金(リュウキン)」と呼ばれる金魚ですが、こいつらと比べると小赤は強いです。
一緒に泳がせると、「小赤」の運動能力が高くて、エサを取れなくて弱ったりしちゃいます。

とはいえ、金魚は全体的に「強い魚」ではありません。
こんな真っ赤な生物が自然界にいたら……それこそ、良いエサですよね。
ましてリュウキンのようなずんぐりむっくりの金魚ならなおさらで、逃げることもままならず大きな魚のエサになってしまったり、流れに流されていってしまったり……

要するに、金魚は「ペット専用(エサ専用)」のお魚なんですね。

動物で言えば、ブルドッグなんかに近い。

ブルドッグ - Wikipedia

この時点で「放流」という言葉とは非常に縁遠いお魚であることがお分かり頂けたでしょうか。
……さて、ここまでお付き合い下さりありがとうございました。ここまでの知識があれば、この先のお話が少々しやすくなります。

では、本題に入りましょう。

2.私のツイートと、金魚の放流が「何故いけなかったのか」という話

 さて、私のツイートに戻りましょう。

ごく単純化すると、
1.そもそも金魚は自然界で生きることを想定していないため、自然界に放しても餌にしかならず、虐待でしかない
2.人の手で育てたものがネズミであれ犬であれ金魚であれバッタであれ、自然に放った際の影響は計り知れない
主にこの二点が大問題。

このツイートも非常に多くの方に共有され、問題の中心点となってしまったように思います。

さて、まずは1から。
有名なニュースサイト、ねとらぼのタイトルにもなってしまいました。
nlab.itmedia.co.jpコレを見たとき、私は正直「しまった!!」と思いました。
ツイートをした後既に「問い合わせるならば『問題1はまあ良いとしても、2はどうなんですか?』という論旨で問い合わせよう」と決めていましたが、時既に遅し……


先程言いましたとおり、「順番が逆」でした。
問題の2と1は天と地ほどの隔たりがあります。
1はあくまでも感情的な問題、2はもっと大きな枠組みでの問題です。
ゆっくりと考えていきましょう。

問題1は、問題2とは比較にならないほど小さな問題とはいえ、気持ちの良いものではありません。
説明したとおり、金魚は野生に存在する魚ではありません。
つまり、川なんかに流したら……あとはエサになるのを待つか、流され死を待つだけです。

発端となっていた画像

f:id:Mistclast:20160719193638j:plain

を見る限り、おそらく人の手に捕まえられずに残留するor流される金魚も多々発生していたことと思われます。

私がこの問題を1番に上げてしまったのは、なまじっか私が「金魚好き」であって「金魚を野に放すなんてとんでもない!」という考え方が身に沁みついてしまっていたからでもありました。
その理由に関しては、先程ご説明したとおりです。

そのため、以下の様な疑問(批判)を多く投げかけられました。

Q.じゃあ金魚掬いはどうなんですか?虐待じゃないんですか?

この疑問は非常にまっとうな疑問だと思います。
昔、私も「金魚掬いは虐待じゃないのか?」と思ったことはありました。
ただ、上にあるように……金魚掬いの中心となる金魚、「小赤」は……
そもそも、エサ用なんですね。
ということで、「エサ用になっている金魚が、夏になると変わった経路で家庭に運ばれる」っていうイメージがありまして……
要は個人的に「虐待じゃない」って結論になっちゃってたんです。ナチュラルに。

「じゃあエサ用ならば野に放したら救済になるんじゃないか?」と言われたら、私には反論ができません。
※いや虐待だろう、と思うことは思うのですが、それはペットとして水槽で飼うことが虐待ではないのかという問題に繋がり、滅茶苦茶難解な問題です。
結局のところ、1はある程度感覚的な問題でしかないんですね。

例えば、ペットショップで買った犬を殺す。
これは問答無用の「犯罪行為」ですが、金魚を買って殺そうが「犯罪行為」にはなりません。
結局のところ、人間の感覚として「そんな残酷なことは問題だ!」という形でしか問題にしかならないのです。

「金魚掬いは伝統だからOK、金魚放流はNG」というのは、「金魚の虐待」という観点で切り込むには少々分が悪い気はしています。
まぁこの件は「自然界で育つ前提にないものを自然界に放つのは虐待か?」に対して、その人がどういった印象を持っているかでイメージが大きく異なるものなのかもしれません。

この件に関しては「1番目の問題に持ってきた私に落ち度がある」という事実で終わりにさせてください。
歯切れが悪く、申し訳ございません。


私が「もっと大きな枠組の問題」と考えている2番の問題に入りましょう。
こちらがこの記事のメインになります。

2.人の手で育てたものがネズミであれ犬であれ金魚であれバッタであれ、自然に放った際の影響は計り知れない

どうやら、この「計り知れない」という言葉の認識レベルに、大きな隔たりがあるようでした。

言葉通り、本当に「計り知れない」んです。

有名なところだと、
ブラックバスが日本固有種の魚を食い潰して、生態系が大きく変化した」という辺りが有名な話ですよね。

f:id:Mistclast:20160719195504j:plain

この問題が非常にイメージしやすいのは
「日本に元々いた魚が食べられて、絶滅する!」
という、非常にわかりやすい構図があるからです。

多分、誰でも「日本固有の魚がアメリカの強い魚に食べられて絶滅する!」ってなると、それが「マズい」ってのは薄々感じられると思います。

他にもわかりやすいのは「ハブとマングースの件でしょうか。

マングース、ハブ退治裏目に

↑のページが詳しいですが、ハブを退治するために連れてこられたマングース……
それが、沖縄の固有種を食べまくってるわけですね。
ハブ食べずに。
そりゃそうですよね……怖い蛇となんか派手な鳥の肉だったら鳥の肉食べたいですよね。
こんなこともわからなかったのか!昔の人!
……と言いたいトコロですが、後の祭りです。

さて、ここまでは「固有種を食い潰す」の話をしましたが、他にもわかりやすいのが
「農作物への食害」です。

非常にわかりやすいのが、アライグマですね。

アライグマ - Wikipedia

f:id:Mistclast:20160719200109j:plain

ラス◯ル!!!
可愛い!!

……でも、やっぱり畑の農作物を食べることにより農家の方々に影響を与えているわけです。

……。

……さて。
ここまで。
「わかりやすい例」をご紹介いたしました。

あくまでも、「わかりやすい例」です。

ここで、以下の様な疑問を持たれた方もいるかもしれません。

Q1.金魚みたいな魚は別に問題ないでしょ

Q2.超温和な生き物ならいくら逃がしても大丈夫だね!

 ……これが、全然良くないんですね。

ここまでに例として挙げたものは、あくまでも比較的「短期的な」デメリットが目立つものです。
「固有の種類を食べちゃう、ヤバイ!」
それは非常にわかりやすい一方、「その地域にもともといない生物をその地に放つ」ことの本当の恐ろしさを覆い隠すものでもあります。

この点はいわゆる「生物好き」と「そうではない人たち」の温度差が非常に大きく出るものなんですね。

これを見て目を疑うかどうか。
そこには大きな差が存在する。
でも、知らなければ、知ればいいだけです。
それだけの話なので、この件もゆっくり考えていきましょう。


例えば、以下の様な事例があります。
論文です。

日本の港周辺における遺伝子組換えナタネの野生化と環境への影響 Masaharu Kawata(河田昌東) http://www.ensser.org/uploads/media/2.2-Kawata-JP.pdf

当たり前ですが、遺伝子組み換えナタネは「強い」ですよね。
【追記】
遺伝子組み換えの農薬耐性のあるナタネでも「強い」とは限らないそうです。ただたまたま「混在してしまった」ことが問題の根源であると。訂正いたします。
【追記ここまで】
このナタネが、もともと存在していた日本固有のナタネの居場所を奪ってしまう。

他にも

京都市:第1回 外来種中国産オオサンショウウオ対策検討会の概要

京都を中心として、外来産オオサンショウウオと在来種のオオサンショウウオの交雑について問題にされ、調査されています。

ここで以下のような疑問を抱かれた方がいらっしゃるかもしれません。

Q.別にオオサンショウウオって絶滅危惧種が交尾して増えるなら、良いことなのでは?

例えば、「国産」オオサンショウウオが何代にも渡って「中国産」オオサンショウウオと交わり続けたとします。
さて、「国産」オオサンショウウオはどうなるでしょう。

はっきり言います。
絶滅です。
消え去るんです。
この世から、永遠に失われます。

その点においては「外来種から食べられることにより」消滅することと、何ら変わりがないんですね。

※以下、ほんのちょっとだけ高度な話

Q.でも、トキって中国産のトキと交雑したよね?

はい、その通りです。
……が、これはいわば「抜き差しならない状況で、人間が意図的に生態系に介入した」一例なんですよ。
いい機会なのでこのまま語ってしまうと、たまにあった

Q.金魚の放流に文句は言うのに蛍の放流や鮎の放流には文句は言わないのか!

という問いには、同じ解答が出来ます。
抜き差しならないかどうかは別として、蛍の放流は「減った蛍を(観光資源としてorその他の目的として)補充する」という、いわば「積極的な生態系への介入」なんですね。
また、鮎の放流も同じ。「経済活動を目的とした積極的な生態系への介入」です。
この話は難しいので、後で丁寧に触れますね。

……さて、話を戻しましょう。

「この世から永遠に失われる」。
この時点で「ヤバイ!」って思われる方がほとんどなのですが、たまにこういうことを言う人もいます。

Q.それの何が問題なの?弱肉強食だし、そもそも人間が外来種(大陸から渡ってきた)だし、どうせ滅びるんだから守ったトコロでメリットないんじゃない?

白状しましょう。
僕も、一時期コレに似た考え方を持っていたことがあります。
でも、この理屈に関しては2つの観点から反論できるんですよ。

1.リアルな「人間の問題として」の観点
多分上のような疑問を抱かれる方は「理屈派」な方が多いと思います。
なので、「理屈として」「実際的に」何がマズイかのお話をしましょう。

さて、「生態系」というものは本当に不思議なもので、絶妙なバランスの上に成り立っています。
その中には「お前何か間違ってるだろ!!!」という生物がたくさんいるんですね。
例えば、初めて聞いた時笑っちゃったこのウミヘビ。

クロッカーウミヘビ - Wikipedia

食性は動物食で、ハゼのみを食べる。
分布が極めて限定的でハゼ1種のみを食べることから、環境の変化による絶滅が懸念されている。

……お前、バカなのか!?
そう言いたくなっちゃいますね。

そう、世の中には「ハゼしか食べない」ような生き物がいて、そのような「人間の想像もつかないような食生活を基盤とした」生物が、絶妙なバランスを取って生きているわけです。

少しだけ、想像してみましょう。
このクロッカーウミヘビが絶滅したら……海はハゼまみれになってしまうかもしれませんよね。
そして、ハゼという奴らはなんでも食べるお魚です。
ここである事実が判明します。
クロッカーウミヘビの生息するソロモン諸島は……なんと、ウナギの稚魚の産地だったのです!

こうしてウナギもクロッカーウミヘビの絶滅後まもなく絶滅し、我々の食卓に登ることは永遠になくなり、我々はアナゴを食べるしかなくなりました。
そしてアナゴもまた、日本人のアホな漁獲によって絶滅したのです……

と。
このように妄想トーク(全てフィクションです)をしてみましたが……何が言いたいって、「ホントに何が起こるか分からない」んですよ。生態系へ介入することで、めぐりめぐってどんな影響があるか本当にわからない。

私の妄想に現実味がなければ、以下の記事を読んでみてください。
サンゴが「絶滅」することでどれだけの損失が生まれるか計算されています。

www.from-ishigaki.jp

誰も「生活排水が海に流れ込む」→「サンゴをエサにするオニヒトデが大量発生」なんて、想像つかなかったハズです。

以下の様な疑問(批判)が非常に多かったのですが、

Q.批判するならデータを出せ。統計を取れ。

この批判に関しては、最初に引用させていただいた素晴らしい記事で、ズバリ解答があります。

asay.hatenadiary.jp

→検証の主体が逆です。本来は、放流する側が、調査結果や有識者への相談などの根拠を揃えて「影響がないと思われる」と検証しなければなりません。また「金魚の放流」という点で既に悪影響は容易に予測されるため、なお放流しようと思うのであれば、これら指摘に対して答えるべきでしょう。

素晴らしく明確な解答です。
……が、別方向から少々語らせて下さい。

この批判……つまり、「データを出せ」という類の批判に関しては、「生態系」に関しては的外れと考えています。
ここで言うデータとは「ある地域である種が帰化して、在来種に影響している」といった、生物学者の方々が様々な調査で残した大きな「データ」ではなく、「このイベントがどれだけその生態系に影響を与えたのか」という狭い枠組みでの「データ」です。
で、そのような狭い意味合いでの「データ」は……
「出てから動くのでは、遅い」んです。
もう忘れている方もいらっしゃるかもしれませんが(私も忘れかけていました)、そもそもこの記事は「金魚を放流すると何が起こるか」という話でした。

Q.データとしては育てられた金魚に病原菌も無いことは明らか、それに食われてすぐ死んじゃうんでしょ?

生態系とは、カオス(渾沌)です。
そのカオスの中に新たなる生物を投げ込むことは、どのような形であれ、「リスク」です。

とりわけ金魚の場合ですと、
1.もともと存在していたフナと交雑する恐れがある
2.「たまたま」生き延びちゃって、そこで繁殖しちゃう可能性がある
この二点が大きい。

1の場合、地域固有のフナの遺伝子が汚される恐れが。
2の場合は既存の生物がエサにしていたものを食いつぶしてしまったり、それこそダイナミックに巨大金魚が在来の小魚を食べてしまう可能性があります(金魚は雑食です)。

Q.お前、金魚は野に放してもすぐ死ぬ言うてたやん!!!

ごもっとも。
でも、「いろいろな要素が重なり」、生き延びてしまう可能性は十分にありえます。
とりわけ……
そう、こいつ。

f:id:Mistclast:20160719204907j:plain


「小赤」。大きくなると「姉金」と呼ばれるこいつは……金魚の中でも「最強」のこいつは。
実際、オーストラリアの公園で繁殖しています!

karapaia.livedoor.biz

巨大化した金魚や鯉は、オーストラリアの固有種マーレーコッドやピグミーパーチなどを襲うようになった。 

コレ以上の「データ」は必要ないでしょう。
固有種を襲い始めてからでは、遅いのです。
それからは対策の取りようがないんです。

生態系は、壊すのは一瞬、修復には本当に手間がかかります。

Q.え?でも40年間続いて大丈夫だったわけでしょ?それが大丈夫っていう証拠でしょ

生態系は、ホメオスタシス(恒常性)という性質があり、一定に自分自身を保とうとしています。高校の知識ですね。
……でも、「保とうとしている」ということは……?

そう、ゆっくりと変化しているものなんですね。

当然の話です。
20世紀の河川と21世紀の河川は、全くの別物です。

10年間影響のなかった行為が、11年目に影響が出てしまうかもしれない。

 Q.なんだ、このブログ書いてる人も20世紀と21世紀で『生態系は変わってる』て認めてるじゃん。じゃあ金魚が繁殖しようがいいよね?

私の立場の問題ですが、このグローバル化時代、「変わってしまうものは、仕方ない」と考えています。
現実的に、人間が「生態系破壊」という「毒」を撒き散らすことは避けられないことかもしれません。
でも、「だから幾らでも毒を撒き散らしていいよね!」という話になるでしょうか?
今回の問題の核心はここにあると考えています。

さて、一点目の解答、
1.リアルな「人間の問題として」の観点
に関しては語り尽くした感がありますが、最後に一点だけ。

Q.40年間続いたイベントなら、生態系は再構築されてるんじゃない?ここで金魚放流をやめることで「生態系に逆に影響」するんじゃないの?

正直、考えたことのない発想だったので戸惑いました。
本来自然にいないものを放流し続けた結果生まれたものが、固定した健全な「生態系」となると、そう解釈する発想がありませんでした。
なので、ツイッター上で力をお借りしました。

 すると、非常に納得の行く解答を頂けましたので、そのまま引用いたします。

まず「生態系が安定している」という根拠はあるのか疑問です。生態系の安定の定義も曖昧だと感じます。放流後に安定しているように見えたとしても、金魚が元の生態系に入り込んでいるとしたら、その時点で生態系は改変されたと言えますし、金魚は何かしらの生物のニッチに介入したはずです。安定しているように見えるなら、金魚は侵略的な外来種とは言えないにしても、生態系を改変したわけですから、対策は必要なのではないでしょうか。

最も納得の行く解答でした。
私が語ることは無いくらいなので、次の話題に進みたいと思います。


2.そもそも、「人間の実利」として問題を捉えるだけで良いのか?という観点

とんでもなく長くなりましたが、私が話題にしているのは、以下の疑問に対する解答です。

Q.それ(生き物の絶滅)の何が問題なの?弱肉強食だし、そもそも人間が外来種(大陸から渡ってきた)だし、どうせ滅びるんだから守ったトコロでメリットないんじゃない? 

ここまでは「人間にとって」どれだけヤバイか、という観点から語りました。
でも、そこまで「人間のメリット」だけを考えることそのものに私としては「メリット」が見いだせないのです。
文化を守ること。
伝統を守ること。
自然を守ること。
これは、もちろん「メリット」として捉えることもできます。
言語化することも出来ます。
「この伝統が潰えることによって、職を失う人が……」
でも、本質はそこにあるのでしょうか。

私は、そこに本質は無いと考えています。

結局のところ、そういった「大きなモノ」を守ることには、言葉では表せない何かがあるのです。

Q.でもお前のツイートで伝統が消えたよな?

そうかもしれません。
でも、「伝統を守る」ということは、「何があっても変えない」ことではないはずです。
生態系への関心が増し、環境問題に関して僕らが繊細であることを求められる21世紀に、「金魚の放流」というイベントはたくさんの問題を抱えていました。
あたかも前向きな印象をあたえる「放流」という言葉ですが、決して前向きな印象を持ってはならない行為です。「金魚を野に放つ」ことに大義名分は、何一つありません。
「子供たちに自然と金魚に触れる機会を与えられる」伝統の骨子は、必ず守り抜けると考えています。
※ここまでのことをした私が偉そうに何を言えるのか、という問題は保留させて下さい

一方、生態系にも全く同じことが言えます。
「生態系を守る」ということは「生態系を一切変えない」と同義ではありません。
だからこそホントウの意味合いでの「放流」がある。先程も述べましたように「鮎の放流」は、人間にとって都合の良い生態系に近づかせるための積極的な生態系への介入です。
鮎の放流と言うと良い印象がありますが、実はコレも「手放しで褒められる」ことではありません。
あくまでも「自然の一部を『間借りして』介入『させていただいてる』」わけです。
僕らに必要なのは、その意識です。

変えさせて、頂いている。

そこを忘れた時に……忘れた頃に、しっぺ返しを食らうのが、僕ら自身ってことです。

ガラパゴス諸島の悲劇が分かりやすいですね。

gucchoi.com

もっと分かりやすいのが、まさに日本のトキでしょうか。

kids.gakken.co.jp

しっぺ返しとして、僕たちはもうホントウの、日本だけの「朱鷺色」を見られなくなってしまったわけです。

でも、今の僕らにはこんなこともわからなかったのか!昔の人!」と言われないために身に付けた、知識がある。知恵がある。
そういった知識も知恵も、フル活用することは難しい。
僕らにできるのは「いつか痛い目に会うかもしれないのだ」という認識だけかもしれない。
それは本当に……大事なことなのです。
そんな、ほんのわずかなことが。

3.まとめにかえて

hamusoku.com

コレを読んだとき、正直、ショックでした。
ああ、このような認識の人も多いのか、と。

多くは語る必要はないでしょう。

同時に、怖かった。
自分のツイートにしても、この『ハム速』というサイトにしても……ここまでの影響を及ぼしてしまうものなのか、と。

この件もふまえて、私のツイートの反省点を。

最初に述べましたとおり、「金魚の虐待」を1番目の問題に挙げた私のツイートはたくさんの方に誤解を与えてしまったと思います。
そして同時に、最初に写真を見た時に「コレは問題だ!」と思ってツイートしたわけですが、もしかすると「非常に区切られた区画で限定的に、かつ生態系へ影響が無いように極めて細かい配慮で行っていた」可能性もあったわけです。

一方、最初のツイートが完全に「間違っていた」と思ってしまうことは、大きな決断をしてくださった泉佐野市に対して失礼だと考えています。
なので、私なりの「釈明」としてこの非常に長い記事を書きました。
釈明になっていないかもしれません。
が、今の私には私の行為が正しかったのかどうか判断がつかないのです。
このブログは、そのような自分の態度への「けじめ」です。

長くなりましたが、改めまして、泉佐野市の皆さんに大いなる感謝をいたします。
ありがとうございました。
また、ここまで長い記事をお読みいただいた皆さん、たくさんの情報をくださったフォロワーの皆さんにも感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

また、この記事はあくまでも専門家ではない、一人の魚好きが書いた記事です。
誤りが多数あるかもしれません。その場合は修正いたしますので、ご一報を。

重ね重ね、お読み頂きありがとうございました。

【追記】
再開されましたね。
問題点は上手くメディアでは報道されていなかったように感じます。今は非常に多く思うことがありますが……もう語りきったはずなので私は黙します。

 

僕らの自由は理解されないけれどーー何度でも、これからの「自由」の話をしよう

こんにちは、Mistirです。

久々にがっつり語ります。
今回のテーマは「自由」の話。

時折思っていた。
「会社の上の世代の人たちと、会話が噛み合わない」
同じことについて話してるのに、同じような仕事のことについて話してるのに、何かがすれ違う。上の世代の人たちのアドバイスが、正しいことを言っているのは非常によく分かるんだけど、何かが噛み合っていない……。
わかるのに、わからない。そういった不思議な感覚。
将来の展望だとかそういうことに関して、他人のどんな言葉も腑に落ちない。


そういった現象に関して、自分の中で「急に」整理がつきました。そのことについてお話したいと思います。

実は、過去に「自由」をテーマにがっつり語ったことがある。そしてニコ動の上の黒い部分に流れて読者さんの数が凄く増えたことがある。
でも今回はその記事とは全くの別方向からアプローチしてみようと思う。
気になる人は読んでみてね。要は「どこにもユートピアは存在しないと気付いて途方にくれた瞬間、自由が始まる」っていう話です。長いので暇な時にでも。

「ネトウヨ」の消失――これからの「自由」の話をしよう:MistiRoom - ブロマガ

……さて。
今回語りたい自由についての「仮説」を、先に言ってしまおう。

「ある時期から(あるいはある世代から/ ある時代から)、自由とは『◯◯をする自由』として語られるものじゃなく、『◯◯しなくていい自由』として表現されるものになってしまったのではないか?」

この記事は、この仮説が全てです。
この仮説に対する僕の態度は述べますが、現実的な「解答」は述べません(述べられません)。

ここからはこの仮説について、ひたすらに長く語ります。
本当に、長く。
で、長く語って、長く語って、大事なことは全て後で話します
多分全部話してからじゃないと、その「大事なこと」が伝わらないと思いますので。

最後までお読みいただければ幸いです。
気楽に読めるような記事にしますので、カフェオレでも用意してゆっくり読んでくださいね。
じゃ、語ります。

1.この仮説に至った理由

この仮説について根拠を語る前に、この仮説に至るまでの経緯をお話します。

最近、私バイクに乗りまくってるんですよ。
「自由の象徴」ですね。
……とはいうものの。別に自由を謳歌しようと思ったわけではなく、なんとなく目に留まったバイク雑誌を見て、思い立って免許を取ってしまった、という程度の話です。
※「自由」という言葉の厳密な意味については、後でお話します。

バイクの免許に関してはこちらの記事をお読み下さい。

mistclast.hatenablog.com

さて。
バイクに乗って山梨に行ったり栃木にいったり伊豆半島一周したり、納車2ヶ月にして5000キロも走ったわけですが……

バイクに乗って旅をしていると、物凄くいろんなことを考えます。

例えば伊豆半島の中心付近とか、群馬の西側とか、もう物凄く「ド田舎」なんですよね。
家はあるんだけど、人はたまにしか見かけない。
夕方に走ってると割と本気で「俺異世界に紛れ込んだ!?」と怖くなったりします。

普段僕は埼玉を拠点に首都圏で働いているのですが、伊豆半島なんかに行くと「やべえ本気でこの静かな場所に移住したい」と思ったり、同時に……
「ちょっと待って、このレベルに人が少ない地方でも……家を建てられる程度のお金が動いてるのか?」
「それとも、この家々は過去の遺産?」
「実際にここに住んだ場合、浮上する問題ってなんなんだろう?」
とか、あらゆることを考えます。

一度山道を走ってるとき
「この山道はこんな静かなのに、僕は何故都会の喧騒の中で働いてるんだろ」と何やらよく分からないことを思って泣きそうになったこともありますが……まぁそれは別として。

そうやって走っては考え、走っては考えしているのですが、途中で気付きました。


全然自由じゃないな、と。

たまたま遠くに行く力を手に入れたわけですが、別に「自由」を謳歌している気はしない。
むしろ「休日を待ちわびて、休日になったらいそいそと限られた時間を必死で使って遠くに向かう」自分のことを考えると、働いてることの不自由さが浮き彫りになってくる。
予め言っておくと、仕事が嫌なわけじゃないし、今は残業もしてなくて、気楽にやらせてもらってるから仕事場の人たちには感謝している。
そういう話をすると「何が不満なんだ?」と色んな人に言われます。確かに、不満はない……けれど。
おっと話がそれました。

さて、バイクの話。
バイクは昔から自由の象徴だったわけだけど、同時に(逆説的に)「不自由」の象徴でもあった。

イージー★ライダー コレクターズ・エディション [SPE BEST] [DVD]

イージー★ライダー コレクターズ・エディション [SPE BEST] [DVD]

 

非常に有名なこの映画。
自由を追うライダーの主人公は、自由であるがゆえに迫害される。

この映画に関する詳しい説明は避けるけれど、この映画でテーマにされているのは「アメリカで当時歌われていた『自由』は本当の『自由』だったのか?」というテーマだ。
共同体が掲げる「自由」と、個人が追いかけた「自由」の差異。
奥田民生の『イージュー☆ライダー』は名曲だけど、『イージー☆ライダー』とはある意味対極の作品かもしれない。

www.youtube.com

 『イージー☆ライダー』の解説については他のブログに任せるとして、僕にとっての「自由」の話に戻ろう。

本当の「自由」ってなんだろう?
そんなことを考えても無駄かもしれない。
でも、僕はどうも他人より「自由」に対して粘着質にこだわっているようだ。
それは家庭環境のせいなのか、他の何のせいなのか分からない。
だけど、とにかく「自由」になりたい……と。

そこまで考えて、色々なことが急に繋がった。

「何故僕(あるいは「僕ら」)の言ってることは上の世代の人たちに伝わらないのか?」
「何故上の人たちと、僕がやりたいと思っていることに乖離があるのか?」
「そもそも、僕がやりたいことってなんだ?」
「自分のやりたいことが分からない……」

全てを横断して説明してくれる仮説が、上の仮説だ。

「ある時期から(あるいはある世代から/ ある時代から)、自由とは『◯◯をする自由』として語られるものじゃなく、『◯◯しなくていい自由』として表現されるものになってしまったのではないか?」

上にスクロールするの面倒だと思いますので、何度も繰り返します。

さて、この記事の論旨に薄々予想がついて来た方もいらっしゃるかもしれません。
このまま最後まで突っ切りますが、ご容赦下さい。

2.仮説の地盤

この仮説について語るために、この仮説を「立証」しなければならない。
だけど、あらかじめ言ってしまうと「立証」するつもりはない……というか、できません。
ここで言う「立証」は「あらゆる文献を探して、統計を取って、客観的に確かだと言える領域まで持っていくこと」です。

この仮説は僕の主観的な印象を基盤にしたものだから、徹底的に印象を基盤に話してもいいと思ってます。ブログだし。
……でも、それじゃあ流石に誰も納得出来ないでしょうし、ある程度の「地盤」程度は語りたい。あまり確固としたものは書けませんが、この仮説について基礎の部分を固めていきたいと思います。
※とはいえ、最後は感覚的な話になるのですがそこはご容赦いただければ。

まずは前提として、
「世代に関わらず、ヒトは自由を求めている」
と考えて下さい。その共通認識が無ければ、ここから読み進めるのキツイと思います。
例えば、「結婚して幸せな家庭を築きたい」という人がいたとします。
それには「結婚するだけの自由なお金と、自由に相手を選べる環境」が必要です。
前提として「あらゆるものに自由は関わっている」という認識で読み進めていただきたいです。

さて、何度も繰り返してますこの仮説
「ある時期から(あるいはある世代から/ ある時代から)、自由とは『◯◯をする自由』として語られるものじゃなく、『◯◯しなくていい自由』として表現されるものになってしまったのではないか?」
は、前半と後半に分かれています。

1.ある時代の人にとって、自由とは『◯◯をする自由』として語ることができていた。
2.ある時代から(あるいは少なくとも「僕ら」の時代は)自由とは『◯◯しなくていい自由』として表現されるものになった

この2つです。
まずは前半から

1.ある時代の人にとって、自由とは『◯◯をする自由』として語ることができていた。

……と言いたいことだけど、実はこっちは滅茶苦茶語りにくい。
というのも後半の

2.ある時代から(あるいは少なくとも「僕ら」の時代は)自由とは『◯◯しなくていい自由』として表現されるものになった
が圧倒的に語りやすくて、それを前提に「その対極」として前半を語ったほうが楽なのです。
ということで後半から語ります。

 
さて、何度か
僕ら」 
というワードを強調していますが、このワードには明確な意図があります。

ここでいう「僕ら」は 
「ゆとり(さとり)世代、あるいはその前後の世代」
と考えてください。 

読者の方にその世代と大幅にズレてる方がいらっしゃったら……申し訳ないですが、そう変換してお読み下さい。

「この世代に該当する人は例外なくみんな同じ思想を持っている」って言いたいわけじゃないので、そこらへんも認識いただければ幸いです。
極論、同意できる人に同意していただければそれで十分と考えています(反対意見ももちろんお待ちしています)。

本題に入ります。

思うに「僕ら」の世代は、
「お金によって自由を得ること」
を、根本的に「信じていない」。というか、想像することができないしもっと言えばバカバカしい錯覚だと思っているんじゃないか。
そして、この感覚こそが上の世代との決定的な隔たりなのではないか。

多分、20代の誰も「30代で家族を持って、家を買って……」みたいなかつての「普通」を「普通」だと「思うことすらできない」し、ついでに言えば「憧れすらしない」のではないか。

blog.livedoor.jp

さて、その根拠……というか、地盤になるものを少しずつ並べていこう。

近年、「ミニマリスト」という言葉をよく見かけるようになった。
「持たないこと」を是とする生き方のことだ。
最小限の持ち物で「自由」を追い求めていくという生き方。

で、そういった人たちの出版する本が次々に話題になっている。

20代で隠居 週休5日の快適生活

20代で隠居 週休5日の快適生活

 

 

持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない

持たない幸福論 働きたくない、家族を作らない、お金に縛られない

 

こういった本が話題になり始めたのはそう昔のことではない気がする。
僕は後者の本は読んだんだけど、妙に共感できる内容だった。

この「ミニマリスト」の中高年版というか、「お金のある人版」が「田舎への移住」だったり「スローライフ」だったりするわけだけど、そういった風潮に対して精神科医の斎藤環は『生き延びるためのラカン』で、「全ての欲望は他者に起因する創りだされた欲望である」という文脈の中で、こう指摘する。

たとえば、いま中高年を中心に盛り上がってる「ロハス」や「スローライフ」って言葉があるね。あれ、どう思う?あれは要するに、引き算文化だ。あれもこれもと貪欲に頑張る人生をちょっと降りて、環境に配慮しつつ地域に根ざした、身の丈にあった生活を楽しみましょう、ということだよね。僕なんかすぐ「じゃ、これからはニート・いきこもりLOHAS組ってことで!!」とか提案したくなるけど(実は本気です)、まあ世間は許さないわな。なぜなら引き算部文化は、さんざん足し算をしてくたびれきった勝ち組のみなさんだけが、最後に辿り着く憩いの地なんだから。でもああいう、あえて欲望を抑制する文化も、僕員は「満たされない欲望を持ちたい欲望」の産物に見えるんだけどなぁ。

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

生き延びるためのラカン (ちくま文庫)

 

見事な分析だけど、この本の初出は2006年。
当時は「ミニマリスト」という言葉は流行っていなかった……と思う。


それが今はどうだ。
ピンと来ませんか?
この引用の中で「まあ世間は許さないわな」と言われてる引き算文化……
僕らの世代にとって、全く違和感なく受け入れられるものになっているのではないか」!?

この風潮を先取りし、若いまま実践した人が、一人思いつく。 

 

年収150万円で僕らは自由に生きていく (星海社新書)

年収150万円で僕らは自由に生きていく (星海社新書)

 

そう、言わずと知れたカリスマブロガー、イケダハヤト氏だ。


さて、ここまで精神科医の斎藤環氏を除いて3人の著者を引き合いに出した。

「20代で働く必要性から」自由になった、大原篇理氏。
「持つことのプレッシャーから」自由になったpha氏。
「東京での消耗から」自由になったイケダハヤト氏。(煽ってるみたいだな)
お気付きだろうか、三人の方向性が全て同じであることに。

抑圧からの、自由。
それはテーマとしては古くからある。一々語る必要もないほどに。

だけど、僕らの世代はその思想にあまりにも親和性がありすぎているのではないか。
ここで、先程も少しだけ触れた「さとり世代」に関する記事を読んでみよう。

【追記】
ここで引用してた記事は削除されてました……
別途参考になる記事はこの辺りだろうか。ちょっと表層的に過ぎる感はあるけど……

mayonez.jp


【追記ここまで】

……

まんまじゃないか。

……

さとり世代の元ネタ、ゆとりに関しても色々なことが語られている。

biz-journal.jp

「プライベートを優先する」というのは、ゆとり世代を分析する際によく言われる言葉だ。
でも、変じゃないか?
プライベートが優先されているなら、さぞ現代の若者は趣味が充実してるんですよね?

f:id:Mistclast:20160703191852j:plain


現実は、少なくとも僕の印象では真逆だ。
「プライベートを優先する」ということが「趣味がかつてよりも充実している」を意味しているとは、とても思えない。
むしろ……

結婚だってそうだ。
「結婚とコスパ」論なんて、典型的な「結婚を抑圧」と捉えた考え方だ。

toianna.hatenablog.com

大人世代は1人でも幸せに生きられる選択肢が増えたいま「結婚や子育てはリスクを負っても幸せになれる投資ですよ」と売り込む言葉を持たない。

この言葉は非常に的確で、僕の記事もここに帰結するレベルだ。
そう、大人たちは言葉を持っていない……
結婚について、だけじゃない。
「自分で自由を掴み取ること(あるいはその素晴らしさ)」を売り込むことが、最早誰にもできないのだ!!

ここで仮説に戻ろう。
「ある時期から(あるいはある世代から/ ある時代から)、自由とは『◯◯をする自由』として語られるものじゃなく、『◯◯しなくていい自由』として表現されるものになってしまったのではないか?」

前半部分、
1.ある時代の人にとって、自由とは『◯◯をする自由』として語ることができていた。

ここ。
先程の引用と重ねてみよう。

大人世代は1人でも幸せに生きられる選択肢が増えたいま「結婚や子育てはリスクを負っても幸せになれる投資ですよ」と売り込む言葉を持たない。

大人世代は、
「僕らは働くことで、頑張ることで、自由を掴めるんですよ」と売り込む言葉を持っているのか?
持っていないだろう。

……念のため。あらかじめ言っておくと、この記事はバブリーな時期に生きた世代を非難するものではありません。同時に「良い時代だった日本」の良さを持ち上げて、現状を「どうしようもない」と嘆くだけで止まろうとする記事ではありません。目的は、もっと奥にありますので最後まで付き合っていただきたいです。

さて。
僕らより上の世代の中で、究極の「自由人」として、思いつく人がいる。

www.barks.jp

matome.naver.jp

そう、このブログでたまに引用してる所ジョージ氏。
凄い人だと思う。だけど……同時に思う。

この人は、僕らの世代にとって、自由人のモデルケースにはなり得ない

何故か?

金だ。

そりゃ、キレイ事を言えば、所さんの自由人としての本質は「お金じゃない」のだろう。
キレイ事を言えば。

だが、現実は……?

先程も言ったように、僕はバイクに乗ることが好きだ。
でも、バイクに少し乗るだけでも……とてもお金がかかる。

4年ローンで買ってるので、月々のお金は案外かかっていない。
それでも、お金がかかる趣味であることに違いはないだろう。
で、バイクの平均年齢は51歳らしい。

平均年齢51歳-深刻な若者のバイク離れ-

お金がかかって安全でもない、バイクは僕らの世代にはそぐわない趣味らしい。
が、僕がそういった趣味に身を投じている理由は、後で説明します。

とりあえず所さんに戻ろう。

ああ、男の趣味の世界!──究極の趣味人 所ジョージの超ホビー生活|メンズライフスタイルニュース(インテリア・旅行・レストラン)|GQ JAPAN

こういった趣味の世界観には本当に憧れる。
でも……本当に、「本当に憧れてる?」

「所ジョージ氏のような趣味人になりたいから=そういった趣味の自由を掴み取るために頑張って働こう」と考える人が、今の世代で本当にいる?

いたとしても、絶滅危惧種だと思う。

結局「カネがない問題」に帰結させるのは物凄く嫌なんだけど、ある時代を期に「カネがあれば自由や素晴らしきライフスタイルが買える」、「そしてそれは必死で汗を流した対価として相応しい魅力を有しているし、必死で汗を流せばそれは確実に手に入る
という価値観が消滅したのだと考えている。
この価値観はある時代まではまだ「生きていた」としか思えない。
「上の世代の人たち」と話していると、この価値観のもとに生きているとしか思えないのだ!

ここに来て思いっきり主観であること、ここから主観が増えることを許していただきたい。
だけど、こればっかりは当事者の世代ではないので推測で語るしか無いのだ(当事者の世代の方が読者にいらっしゃればいいのだが……)

僕らの世代は、「頑張って手に入る何か」に期待していない。
強いて言うなら、頑張って手に入る「技術」にはかなり期待しているが、「頑張って収入を増やしてその収入で自由に生きる」的なことには、全く期待していない。
こりゃもう、びっくりするくらい期待していない。

何故なら、そんな理想的な行き方を実現した人が身の回りにいないから。
所ジョージさんレベルの現実離れしたところにはいるけど、身近にはなかなかいないし、強いて言えばお金をがっぽり稼いで夜の街で散財している人がいたとしても……かっこ良くて憧れるなんてことはないのではないだろうか。
スマートにお金を使ってる人の中には「もう日本はダメ!海外に移住!」みたいな人もたくさんいて、結局身近なところから離れちゃってるし……

そろそろこの章のまとめに入ろう。
僕らにとって、イケダハヤト氏や大原篇理氏の語る「幸せ」は、はっきり言ってかなりリアルだ。
一方、頑張った果てに自由を掴むっていう考え方には、全くもってリアリティがない。

実現性を考えれば考える程、僕らにとっての自由は「◯◯しない自由」としてしか現れなくなってくる。

仮説に戻ろう。
「ある時期から(あるいはある世代から/ ある時代から)、自由とは『◯◯をする自由』として語られるものじゃなく、『◯◯しなくていい自由』として表現されるものになってしまったのではないか?」

ある程度、繋がっただろうか?
結局僕が言いたかったのは、僕らの「リアル」は、どうやって「抑圧するものを遠ざけるか」、そこに重点が置かれていて……もっと言ってしまえば。
「抑圧してくるものを一つずつ数え上げて、その要素を一つずつ潰していく生き方」
がメインストリームになっているのではないか。
もっともっと言えば、そういった抑圧してくるものが「消えた」状態こそが幸せだと信じている人が本当にたくさんいるのではないか。

ああ、そういえば。
僕がブログの中で幾度と無く引用している中島義道の理論は、僕の趣旨とは異なるけれど、まさしく僕らの「自由観」を語っている(少々毒があるけれど)。
「結局死んでしまう」という事実に絶望した若者は、こう考えるようになると。

不健康な夢幻空間を膨らますうちに、一条の光が差してくる。それは、哲学や文学あるいは宗教や芸術という名の仕事である。デカルトがすべてを疑いぬいた後疑っていることそれ自体は疑いえないことに気づいたように、仕事に関する悩み自体を仕事にするという道である。
こうした青年たちの多くは、誰にでもできる簡単な仕事によって単にカネを得れば満足するわけではないだろう。むしろ、仕事に多大なほどの期待をしている。負け犬にはなりたくない。あくまでも勝ちたいが、魑魅魍魎のうごめく社会のまっただ中に飛び込んで傷つきたくはない。身を挺して戦いたくはない。あくまでもその外側の安全地帯に留まり、しかも社会から抹殺されたくない。とすると、彼らは人生それ自体を対象とする仕事を模索することになる。哲学者とか作家とか芸術家とか……。
つまり、傲慢至極にも、社会を拒否しつづけながらその社会において承認され尊敬される道を選ぶんだ。社会を拒否する態度そのものによって社会から尊敬をかち得ようとするんだよ。

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

 

ちょっと穿ち過ぎな気もするけど、これはまさに僕の話だったので凄く同意できる。共感できる人は多いのではないか。


そういった「窮屈な世界から脱出したい」思想を、僕らの世代は、ーー必ずしもそう生きていなかったとしてもーーなんとなく、理解できる。
だけど、この思想は上の世代にはどう映るか。

多分、「若さ故の」「甘え」に見えるんじゃないか

違うんだ。あなた達のスタイルはもう……理想ですらなく……
……。

……伝わらないだろうなぁ。

次の章でもう少し考えてみよう。

※余談だけど、行儀よく真面目なんて出来やしなくて夜の校舎の窓ガラスを壊して回る歌(1985年)は、僕がこの記事で述べている「上の世代」の自由観が傾きつつある時代に歌われた歌だと思っている。
少なくとも……尾崎豊的な生き方をしたところで自由になれるわけじゃないと、今の世代はみんな醒めてるんじゃないかなぁとは思う。色々思うことはあるけれど、深く語るのはやめておこう。

3.僕らの自由

この記事で僕は「大事なことを言いたい」と最初に語った。
そろそろ、語っていいと思う。

これだけ長く語って何が言いたかったのか?
上の世代の人たちに、僕らのことを理解して欲しい?違う。
僕らの世代の自由に対する考え方は「間違ってる」?違う。
上の世代の人たちは間違っていた?違う。
上の世代の人たちが悪い?全然違う。
もっともっとお金を使って経済活動に貢献すべき?全然、違う。


僕が言いたいのは、ただひとつ。
僕らが……
「抑圧してくるもの、あらゆる不安から解放された状態」を自由として定義して……
そういった「自由」を求めて生きるとしたら……

 


寂しいよなぁ、ってことだ。
それは、とても寂しい。

世の中は色んな不安に溢れている。
そんな時代に自由もへったくれもないのかもしれない。
自由とか語っているヒマがあったら、現実的に明日メシを食えるように生きるべきなのだろう。
その一つの解として、『20代で隠居』のような「お金がなくても、必死にならなくてもスローに充実した人生は送れるんだぜ」っていう思想は、よく理解できるし納得できる。
でも、ちょっとだけ寂しい。

一方、もういつかの時代のように、必死で働いてその先にある幸せを掴むことはリアリティが全く無い。
……上の世代にもそこにリアリティが無いことを心の底から気付いた人たちがいるのだろう、そういった人たちこそが斎藤環の指摘した「スローライフに目覚める中高年」だ。
悲しいかな、僕たちにとってはそれがリアルになってしまった。

じゃあどうしろと。
どこにも進みようがないじゃないか。

それでも、僕はそこに止まっていたくない。


静かに生きたい。
働きたくない。
頑張りたくない。
疲れた。
東京の満員電車なんて大嫌いだ。
不安まみれだ。
お金もギリギリ。
伊豆半島に移住して、「隠居」してやりたい。

……でも。
本当に、それは僕が求める「自由」か?
そうなのか?

ここで止まりたくない。
僕が求めうる自由は、何かあるはずだ。
どこかに、何かが。

悪あがきをするようにバイクに乗っているのは、そのためかもしれない。
絵を描いたり、ブログを書いたり、何かを伝えたりしているのも、そこに帰結するのかもしれない。
結局、優等生じみたそういったみみっちい抵抗の結果が僕にとって「趣味」として表出しているのかもしれない。
言い換えれば、警察の世話になるのが流石に怖いから、「夜の校舎の窓ガラスを壊す」ことの代替行為としてそうしているだけな気もする。

さっき実はサラッと触れているのだけれど、僕らの世代は「頑張って手に入る『技術』」には結構期待している……気がする。
それは僕らを裏切らないから。

クリエイターに憧れる若者が多いのは、多分
「金で手に入る自由」でもなく「窮屈な世界から逃れる自由」でもない、第三の自由ーー「自らの内面世界を自在に表現する自由」が得られるからじゃないか。
でも、それだけじゃなくやっぱり「社会からの自由を得たい」っていう側面もあるよなぁ。中島義道が指摘したように。

結局、何が正しいのかわからないし、どんな欲求なら寂しい物じゃなくて、どんな欲求なら寂しいものなのか、言ってる僕自身にも答えがあるわけじゃない。

でも、とにかく……寂しいと思うのだ。

バイクで色んな所を旅しては、日本ってキレイだよなぁ、と思う。

f:id:Mistclast:20160703212113j:plain

f:id:Mistclast:20160703212147j:plain

同時に、自分は不自由だとも思う。
自由って何なんだろう?走り回ってたら手に入るのだろうか?
そんなことはないよなぁ、イージー☆ライダー的に言えば不幸にしかならねえぞ。

……わからない。
本当に分からない。

わからないからこそ、探し続ける。
もっともっと楽しく生きるために。

読者さんに言いたい。
「何度でも、僕らの『自由』の話をしよう」
この記事は一万字に渡って「寂しい話だよなぁ」っていうことをお話しただけです。
それじゃダメだよなぁ、って。
「こうしたら寂しくなくなるぜ!」って話は何もしてないです。
がっかりされてしまったかもしれない。

だから、何度でも話をするしかないですよね。
何度でも、話すことはできる。
それが……僕が今見つけた「自由」のカタチです。

長い記事になりました。
お読み頂き、ありがとうございました。
コメント、お待ちしております。

ではまた次の記事で。

 

某バイクアニメが話題だから教習所の選び方とバイク購入までの"現実(リアル)"を語る

ども、"Mistir"です。
バイク買いました。
ってことで、"全力"で
"記事"を書こうと思います。


!?

さて、あまりにも以前の更新から時間が開いているのでまずは自己紹介から。
「"不要(いらねー)"から早くバイクの話をしろよ」って方は"飛ば(スキップ)"して下さいね。
あとこの"ノリ"飽きたのでもうやめます。

なお、この記事はバイクに全く関心のない人にも読めるように書きます。
バイク好きの方にはまどろっこしい部分も多く含まれると思いますが、ご容赦を。

自己紹介

お前誰やねんと思われた方もいると思いますが……
たまにクソ長いブログを書いては「長い」とコメントされることで快感を得る、ただの社会人です。

過去にはこんな記事を書いたり、変にバズったり、プチ炎上したりしていたのですがーー

mistclast.hatenablog.com

mistclast.hatenablog.com

書く意味が無くなっちゃったんですよね。
映画観たりバイクのこと考えるのに忙しかったんだもん!!

でも、かなり長い時間をかけて免許を取得し、義務感が生まれたんですよ。
「語らねば」っていう、かつての義務感が。

「僕みたいな哀れな教習予約難民を出してはいけないーー」
「教習なんてサクッとクリアしなければならないーー」

……そう。
僕みたいに教習に3ヶ月もかけちゃダメなんです!

最短2週間でいけるはずなんです!!
……とはいえ、現実的にどうすべきかーー?

ここから語られるのは、ある一人の社会人がバイク免許を取得を志してから、バイクを購入するまでの「記録」です。

4月に入り、協賛企業のバイクを河にふっ飛ばしたり協賛企業のバイクを「いつもどこかが壊れてるからエンジンがかからない」とこき下ろし愛をこめて語ったり、バイク相手にソーププレイを洗車したりするアニメが始まりました。

 

 Amazonプライム会員は無料で観ることもできます。

このアニメを観てバイクに興味を持たれたオタクの方々もいらっしゃると思います。


ここからリアルに「結局どれくらいお金かかるの?」「期間は?」ってことを語っていければと思いますので、長くなりますがお聞きいただければ。

第一章:立志編

動機はあっさり書きます。
年始に「あー何かしてーなー退屈だな―とりあえず本屋行こっとおっとバイク雑誌やんけそういえばワイも社会人一年目やしクソ頑張ったらバイク買えるんちゃうん」って思ったんですよ。
学生時代に原付二種※の免許取ろうと思ったこともあったんですが、極貧学生だったのでやめておきました。
※原付二種……高速には乗れないけど車と似たような感じで運転できるバイク

そこからは深く考えず、……否、やっぱり怖いので色々考えましたが、それでも魅力に逆らえず教習所に通うことにしました。
バイクは怖いから免許を取らない、という人がいますし僕もその一人でした。
でも、最後の「決め手」はやっぱり……

ただの勢いです。

……さて、教習の話に入りましょう。
早速ですが覚えておいて下さい。

貴方の運命は、ここから決まっています。
この記事を読んでいる免許を取りたいと思っている貴方が、一体どれくらいの期間で免許を取得できるのか……

普通自動二輪の免許は、普通自動車の免許を持っていたら最速で17時間+学科1時間+卒検で取れてしまいます。
普通自動二輪……いわゆる中型バイク。400ccまで。高速道路も走れます。


第一段階は一日2時間、第二段階は一日3時間乗ることが出来ます。
第一段階は9時間、第二段階は8時間+学科1時間です。

ってことは、ごく単純な理屈では……
9/2(第一段階)+9/3(第二段階)+1(卒検) =9
……つまり、9日間で免許は取れるのです。

にも関わらず。
私は免許取得に、3ヶ月かかりました。

社会人だから?
いいえ、それだけではありません。
それだけではないのです……

私の教習所の選び方は至極単純。
「安さ」と「通いやすさ」でした。
関西人の私にとってチープイズベター、ロープライスイズゴッドなのです。
安くてお得な買い物をすることによって惨めな自尊心を満たすのです。
必死でアウトレットを探し一級遮光カーテンを3桁の値段で買うような僕は意地でも安いところを探しました。
覚えておきましょう。関西人は「高そうなものをごく安い額で買う」ことが三度の飯より好きです。

そんなこんなで。
都心からそう遠くなく、駅から近く、かつ安い、そんな教習所を選びました。
まぁ、お得!!
僕凄い!
ゴッド!アイムゴッド!!!!

……ええ。
そうですよ。

そこには大いなる「罠」があったのです……。
二重に仕組まれた「罠」が。

まずひとつ目の罠。
それは「人の多さ」です。

これだけの好条件、人が少ないはずがありません。
当然ですが、その代償はあまりにも大きく……

結果として中々予約が取れない事態に陥ります。

そして、もうひとつの大いなる……あまりにも大きすぎる「罠」。
それは……
予約システムに関して書かれた、この一文でした。

「予約は二週間先まで、2時間まで可能」


この教習所に通われた他の方も別のブログでその苦労を語っていたのですが、この縛りは……あまりにも、凶悪です。

どういう意味か。

私の当初の想定は以下の通りです。
「週末は基本通って、早く帰れそうなときは夜間(夜8時から)も教習入れて、毎週ちまちま通ってたらすぐ終わるでしょ☆」



実際に夜間に予約を入れられたのは、17時間のうち、たったの1時間でした。

理屈はこうです。
※言葉にすると異様にややこしいので、よく分からないって方は「とにかく二週間に二コマしか消化できないのは現実的に全然予約を入れられない」って考えて読み飛ばして下さい。

こんな感じでした。

僕「さて、予約入れるか!」
(夜間は一週間後まで一時間たりとも予約できるコマがない。木曜の午前とかは微妙に空いてる)
僕「……仕方ない、一週間後以降は……」
(夜間、平日にポツポツ、二週間後手前の休日まで行けばさすがに開いている)
僕「ってことは……待てよ。夜間に二コマ分入れたらその予約を消化するまで新しい予約は取れない……つまり、『夜間に一コマ入れると延々と夜間のみ予約を入れるか、または相当先の週末に予約を入れることになる』。だとすると、『二週間ごとに週末に二コマを予約するのが最適解になる』……」

……案の定、非常にややこしいですが……
例えば、水曜の夜と木曜の夜に予約を入れたとします。
そうすると、「その水曜(木曜)の夜の教習を消化するまで」次の予約は入れられません。
その夜の教習を消化後に予約を入れたくても、流石に二週間後には開いていますが、週末に予約を入れられる可能性は低いです。
だったら、週末のみにコンスタントに予約を入れたほうがいいという結論になり、結果的に全く平日に教習を受けられませんでした。

ついでに言えば、期間も非常に悪かった。
就職前、就学前に免許を取ろう!って方が多いようで……
1〜3月は非常に教習所が混むらしいです。

実際、4月を超えると「一週間に2時間は」取ることができるようになりました。
……それでも、所詮「一週間に2時間」であることをよく覚えておいて下さい。
……「一週間に2時間」ですよ!?
全然練習した気分になりません。

話は横に逸れますが、そういった全然「連続的に練習できない」ものを無理やり期間を空けて練習させて、「失敗したら補修分の予約もいつ取れるか分からない状況」で試験を受けさせて、合格したら「やったね免許が取れますよ」っていう制度……
なんだかなぁ、って感じです。
試験の対策なんて練習しかないのに、その練習が自由にできないのってどうなのかなぁ、と。
まぁカネと時間があれば「自由教習」という形で教習を受けることができますが……

……制度に文句を言っても仕方ないので。
どう考えても……
他の教習所より数万円レベルで高くても。
少々通いにくくても。
「予約をしっかりたくさんまとめて取れる」ところで取って、スムーズに卒業した方がいいです。
これはくどいくらい何度も何度も言っておきます。
「予約がしっかり取れるところで、スムーズに卒業する」

5万円余分にかかっても、そっちのほうが良かったとさえ今は思います。
まぁ卒業できたため結果オーライなのですが……

とりあえず今から免許を取られる方は参考にして下さいね。

では第二章に入ります。 

第二章:教習編・バイクが欲しくなる編

実際に教習が始まりました。2月の話です。
一言で言って、「高い金を払って免許を取ろうと思ったことを後悔」しました。

重い。
怖い。

200キロの鉄の塊って想像を遥かに超えてます。
びっくりします。

時速30キロでさえ恐ろしく、そして自動車の免許はAT限定の僕にはクラッチ云々という教官の説明があまりよくわかりません。
怖いだけで、楽しくない。
ましてこんな恐ろしい物体で公道を走る。

ーーあり得ない。

3、4回目くらいまで苦痛で仕方なく、また……指導教官もあまり……控えめに言ってよろしくない方がいて……
「もうさっさとやめちまおうかな」と思いました。

そんな僕でしたが、転機が何度か訪れます。
一度目は、AT教習
これはよく町中で見かけるビッグスクーター、つまりAT車を運転する教習です。

matome.naver.jp


僕はAT車の体験を、こう思っています。
……「やべえ、MTのバイクってすっげぇ運転しやすいんだ」と思うために行う教習であると。

これは乗ってもらうしかないのですが、ビッグスクーターはその見た目とは裏腹に、膝で挟む(ニーグリップ)ことが出来ないため非常に不安定で、かつ非常に重く、また曲がらないし発進の安定性もない、低速で運転するためにはブレーキをかけながらアクセルを回す必要がある、……もうなんというか、とんでもねぇのです。

町中で乗ってる人は非常によく見かけますが、ぶっちゃけ理解不能です。
乗ってる人たちはマジですげえと思います。
絶対に乗りたくないです。

まぁ、慣れたら町中で乗る分には問題ないのかもしれませんが……
大体の人がここで「バイクはATよりMTの方が運転簡単」の意味を心から理解し、そしてMT車の素直な曲がり方に滂沱の涙を流し、バイクの神に祈ることになります(偏見)。

ああ、MT車はなんと素晴らしいのだろうか、とーー(偏見)。

まぁ、ビッグスクーターにもたくさんのメリットが有ると思います。
荷物が滅茶苦茶たっぷり積めたり、荷物が滅茶苦茶たっぷり積めたり、荷物が滅茶苦茶たっぷり積めたりする辺り。
あと、荷物が滅茶苦茶たっぷり積めたりする辺り

……ごめんなさい。
マジでビッグスクーターのメリットがそこしか分からないくらい、怖かったんです。AT教習。
僕が下手くそなだけかもしれない。

たまにネットで「AT車なので運転楽だよ」とか聞くと「嘘つけ!!」って思います。
慣れると楽なのかな……それにしたって乗りたくないけど……

まぁこき下ろしてるわけじゃなく、僕にはどうしても理解できなかったって話です。

話が明後日の方向に進みましたが、この教習で僕は「MT車の素晴らしさ」に気付きます。

そして。
バイク教習中、私は大きな買い物をします。

ロードバイクの購入です。

とはいえ、型落ちのフラットバーロード(一応SCOTTのヤツ)を5万円台で買うというケチった買い物なのですが……
遠くに行きたいという欲求と無視できなくなった腹の脂肪のプレッシャーに押され、買ってしまったのです。
そのときはバイクに対する欲求が非常に薄れていましたし。

ロードバイク購入といい、バイク教習といい、やたらカネを使っていますが決して私は高給取りではありません。
むしろ住宅補助もないので、カッツカツです。
買い物をするたびにこんな感じです。

f:id:Mistclast:20160504203724j:plain 

鋼の錬金術師全27巻 完結セット (ガンガンコミックス)

鋼の錬金術師全27巻 完結セット (ガンガンコミックス)

 

ですが、お金を使うたびに頭から変な汁が出るのでやめられないクズなのです。

f:id:Mistclast:20160504204141j:plain 

※いちいちアフィリエイトを貼り付けているのはお金への執着を表現しています
※ついでに言えば以前気楽に有名な漫画の一コマをブログに貼り付けたところ「無断転載だ」と言われ、「確かに作者と作品名明記してなかったら引用にならないな……」と思ったためその意味も込めてます


なお、大事な教習料金ですが、約10万円を分割払いです。
月々9000円程度+ボーナス月に4万円弱の支払いで半年強での完済です。


今思うとロードバイクはバイクを買う以上アホな買い物だったのですが、腹の肉を焼き尽くすためたまには乗ろうと思ってます。

閑話休題

ロードバイクを買った私は雑に夜の六本木を走りながら思いました。

ああ、これ夜にバイクで走ったら泣いちゃうな、と。

実はとても好きな動画がありまして。
著作権的にグレーなのでここには貼りませんが、僕のとても好きな曲(しっとりした曲です)に合わせて夜の街をドライブする動画を流すという、それだけの動画です。
夜のドライブには、何か特別な意味があるのです。少なくとも僕にとっては……

何故自転車じゃ泣けないのか?
簡単な話です。

クッソ疲れていたのです。
必死なのです。

ロードバイクは情熱には近くとも、センチメンタルには最も遠い乗り物です。
いや、楽しいんですけど……肉体的疲弊は全てを超越します。
心地よい疲労感は、夜の哀愁を爽やかな汗に全て変換します。

そんなこんなで、バイク欲がまた上がりました。

また別の日。
ロードバイクで50キロほど走りに出かけました。
夕方の国道1号線を時速40キロ以上の速度で走りながら「あかん下手にスピード落としたら逆に危ない、ってか道の安定性悪い!!死ぬ!!!気抜いたら死ぬ!!!」
と死の恐怖を味わいながら神奈川を縦断しました。

その次の教習から、Mistirは教習場内で時速40キロを超えることに何の躊躇いも抱かなくなったようです。
また、運転も楽しくなってきました。

奇妙な話ですが、ロードバイクの購入が私のバイク欲を上げてくれたわけです。
恐怖が消えたら、後は欲しか残りません。

そして。
バイクに対する負の印象が消え果てた頃……
また、教習も残り少しに差し掛かった頃……

黒船がやって来ました。

bakuon-anime.com


認めたくない……
認めたくない……が!!!

ただでさえバイク乗りたいって思ってる中、こんなん見せられたら……ッ!!

f:id:Mistclast:20160504210655p:plain

指数関数 - Wikipedia

x軸:時間
y軸:バイク欲


なお、このアニメに関してはバイクの免許を取り始める際に色々調べてると情報が入ってくるため「うわ、免許取り始める辺りでこんなんアニメ化されるんだ……タイミング良いな(笑)」とか思ってました。

実際は最高にして最悪のタイミングで……


ぼく「バイクの免許もうそろそろ取れるねん」
友人「ああ、ばくおんに影響された?


教習所に二ヶ月以上前から通い続けている負の思念を集めた一撃でひき肉にしてやろうと思いましたが、なまじっか影響されているのは事実のため今回は許してあげました。
そしてこのやりとりを複数の友人とやることになります。
この場を借りて言っておきますが、君たちがひき肉になっていないのは僕が優しかったからです。感謝して下さい。

閑話休題(二度目)。

ここからだんだん「バイクが欲しすぎて体調に支障をきたす」という頭のおかしい現象が起こり始めます。
狂気の領域に達していますが、ガチです。
小学校の頃以来の出来事でした。

まず、空腹を感じるのですが食欲がわかないのです。
そしてどのバイクを買うのかだけを延々考え始め、他のことが手に付かなくなります。

そんなバイク選びの実態を描く第三章に行ってみましょう。

第三章:バイク選び編

さあ、バイク選びの時間ですよ。
最初、懐古厨の僕の眼鏡にかなった素晴らしいデザインのこちらのバイクを買おうと考えていました。

f:id:Mistclast:20160504212316j:plain

ESTRELLA・ESTRELLA Special Edition | 株式会社カワサキモータースジャパン

いわゆるクラシックタイプのデザイン。
カッコいい……
250ccなので、車検もない。

でも、このバイクはどうやらパワーが弱いらしい。
じゃあ……

f:id:Mistclast:20160504212427j:plain

SR400 - バイク スクーター | ヤマハ発動機株式会社

カッコいい……
さすがに400ccあるしパワーあるよね!!!
検索検索!!

srfan.jp

……やだ、どこ検索しても「高速道路は不向き」って出てくる……

僕はたまには地元の関西まで東京から帰りたいんですよ!
バイクで!!

そして実際にバイク屋を回ってると、クラシックタイプのバイクがカッコいいのかそれ以外もカッコいいのか、だんだんよく分からなくなってきました。
っていうか、ネイキッドのバイクなら全部かっこ良くね?(ゲシュタルト崩壊
※ネイキッド……知らない方は、なんとなくメカメカしいバイクって思って下さい。

ていうかCB400SBの限定色とかヤバくね??
カッコ良すぎね???

f:id:Mistclast:20160504212951j:plain

超かっこいいっすわ。
もうこれ以外マジであり得ねえ。














f:id:Mistclast:20160504213057p:plain

f:id:Mistclast:20160504213247p:plain

※参考価格
さっき貼ったバイクが新車価格大体45〜55万円

f:id:Mistclast:20160504213519j:plain

参考→
出版社とアンチによって打ち切られた生きる伝説の漫画!ポプテピピックは面白いんだぞ! |


さて、CB400SBを心の墓場に葬り去り、色々と探します。
せっかく「パワーが弱い」って言う理由でクラシックタイプのバイクを諦めるのであれば、パワーのあるモデルを買いたい。

この記事を読んでみると……

kojintekibikematome.blog.jp

結論:R25やべえ。

でも、このタイプは見た目がなぁ……好みじゃなくて……

……え?
R25はネイキッドタイプも存在する?

f:id:Mistclast:20160504213910j:plain

MT-03/MT-25 - バイク スクーター | ヤマハ発動機株式会社

MT-25……
なんだこれは……
なんだこのバイクは!!

しかも……"MT-03"も存在するだと……
250ccの中でも最強格の馬力を誇るMT-25を、見た目はほぼ変えず、さらにエンジンだけ強化したモデルがある...…だと!!??(唐突な説明口調)

しかも、値段は55万円程度。
十分に射程圏内。


車検?
※バイクは250ccを超えると車検が必要なので、250ccを選ぶ人も多いです。
わずかなパワーアップのためだけに、高い車検代金を払う、か……

フッ……
僕の大事にしているものを教えてやろう……
それは、「美学」だ……
ここで妥協するのは、僕の「美学」に反するッ!!!
じゃあCB400SB買えよと言ったそこの貴様、後で屋上に来い

実際は散々悩んだり、最初ダサいと思ってスズキのグラディウスがカッコよく見えてきたり、色々とありましたが……結局、MT-03を契約しました。

4年ローン。大体月々8000円+ボーナス月に30000円。
さらに、ここに任意保険が月々おおよそ5000円。
駐車場料金が月々5000円。
合計、月々2万円弱+教習料金の残額……


f:id:Mistclast:20160504215008j:plain

dic.nicovideo.jp



……大丈夫だ。
人間に必要なのは、カネじゃない。
生きる意志だ!意志力だ!そして美学ッ!

意志さえあれば……生きる希望さえあれば……僕は生きていけるッ……
そう、MT-03(愛車)とともに……!!!

ってことで、勢いです。
では、そろそろまとめに入りましょう。

終章:まとめ

ゴールデンウィーク突入と同時に、卒検を受けました。
もし合格できればゴールデンウィーク中に挟まれる平日に免許の書き換え(併記)ができるようになり、気持よく帰省することができるわけです。
もしできなければ?
バイクに頭を支配された状況でビクビクしながら長期休暇を挟むことになります。
いつ補修を受けようか、いつ卒検の二度目を受けようか、その後免許書き換えのために有給取らないと……
この懸念が、ゴールデンウィーク突入時に合格できていれば全て解消されるのです。
結果として、人生最大のプレッシャーに襲われながら卒検を受けました。
保証(オプションで約8000円)をかけていたため、二度ほど落ちても懐はノーダメージです。
にも関わらず、プレッシャーのあまり吐きそうでした。
現に食事は一切喉を通りません。

が。
なんとか、受かりました。

そして私は友人を引き連れ夜の上のでひたすら飲み、ひたすら食べ、ひたすら飲みました。





f:id:Mistclast:20160504215008j:plain


dic.nicovideo.jp

死に体で帰省し、……初めての「帰省が終わる瞬間に最後の楽しみを残したゴールデンウィーク」を迎えています。
で、今なかなか退屈なので、ブログを更新している次第です。

結局言いたいのは、「ワクワクしすぎて吐き気催すとツライから、さっさと卒業できるところで教習を受けてくれ!!!」ってだけです。
可能ならば、学生のうちに。
社会人ならば、少し不便でも確実に予約できるところを探して。

本当に……「二週間、二時間まで」の縛りは恐ろしく僕の精神を苛みました。
結果オーライで済ませられないくらいのプレッシャーでした。
大学受験をヘタしたら超えている……
社会人にとっての「長期休暇を精神的に緊張した状態で迎えないといけない」ことの地獄っぷりは察して頂けると思います。

帰省から戻ったら、バイクに乗って海沿いの道をゆっくり走ってみようと思っています。
色んな思いを載せて。
使ったお金のことなど、忘れて……。

この長文のことは、一切忘れていただいて結構です。
ただひとつ……

「予約をしっかり取れるところで教習を受けろ!!!!」

これだけです。
本当に、これだけです。

……僕にやり残したことはない。
あとは……
乗るだけだヒャッハアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!


さて、後は昔から読んでくださっていた読者さんにご挨拶を。
今後の更新はどうなるか、正直全く考えておりません!
でも、やっぱりルールなど決めず好きなように書こうかなと思っております。
バイクブログになる可能性もゼロではございませんが、私の「気分次第」にもう少しだけお付き合いいただければ幸いです。

お読みいただきありがとうございました。
それでは、また次の記事で。

 

一冊の「体験」……『嫌われる勇気』続編、『幸せになる勇気』

こんにちは、Mistirです。

びっくりしました。
まさか、あの本の続編が出るとは……

岸見一郎、古賀史健ーー
『幸せになる勇気』

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

あまりにも圧倒的な……少々異常な売れ方をしていたあの本。
評価が割れて当然な「書籍」にも関わらず、2016年2月の段階で1200件近くのレビュー。
そして驚愕の平均値、4.3。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

あまりにも胡散臭いそのタイトルと裏腹に、理詰めを突き詰めたようなその内容……

止まらない納得。

そして、ギャグに近いキレッキレの演劇じみた対話。

と、僕はこの本が大好きで何度も読み返しているのです。
基本的に「流行ってるものは批判する」、ダメな中学生的精神をこじらせた傾向のある僕ですが、それでもこの本は大好きなんです。
詳しくはこっちのブログで読書録を書いてます。

mistir-library.hatenadiary.jp


で、まさかその本の続編が出るとは!
さっそく買いました。
そしてさっそく読破いたしました。

結論を言うと……
「時間が経って、冷静に考えたらおかしくね?……と、そろそろ批判したくなった辺り」を丁寧に拾い上げ、そして解説する純粋な「続編」です。

相変わらず平易なコトバで語られるその思想は本当にテンポが良い。
だけど……

難解になってます。

なんせメインテーマが「愛」ですよ。
「自立」ですよ。

「え、それって宗教じゃね?」
と思うでしょ?
思ったでしょ?
一章のタイトルが、アドラー心理学は宗教なのか」だからね。こっちの気持ちを読んでやがるぜ……
しかも、「アドラー心理学は宗教ではない」の根拠に「物語の有無」を持ち出してくる。やっぱり、普通じゃない。


しかも、「自分で仕事を選んで突き進んでても自立してるとは限らない」って断言してんすよ。

そんな思想がするっと理解できるわけがない。
平易なそのコトバを、僕は何度も読み返さないと噛み砕けないだろう。

今後どんどん、そういった方向性での書評は出てくるでしょう。
だから僕は……あまり語りません。

その代わり……
前回よりキレを増した対話の「聞き役」、青年の過激さが増していて、「ギャグに近い何か」どころかもう完全に「ギャグ」です。

青年
はっはっはっ 、これはお笑いだ !言うに事欠いて 、愛ですって ?ほんとうのアドラ ーを知りたければ 、愛を知れと ?
哲人この言葉を笑えるあなたは 、まだ愛を理解されていない 。アドラ ーの語る愛ほど厳しく 、勇気を試される課題はありません 。
青年
ぺっ ! !どうせ説教じみた隣人愛を語るのでしょう 。聞きたくもありませんね !
 

ぺって……お前、ぺって……

青年
(……)われわれは自分に自信が持てないからこそ 、他者からの承認を必要としているのですよ !
哲人
おそらくそれは 、 「普通であることの勇気 」が足りていないのでしょう 。ありのままでいいのです 。 「特別 」な存在にならずとも 、優れていなくとも 、あなたの居場所はそこにあります 。平凡なる自分を 、 「その他大勢 」としての自分を受け入れましょう 。
青年
… …わたしはなんら優れたところのない 、平凡な 「その他大勢 」だと ?
哲人
違いますか ?
青年
… …ふっふっふ 。よくもぬけぬけと 、そんな侮辱を口にできたものだ 。 … …いまわたしは 、人生で最大の侮辱に出遭いましたよ 。
哲人
侮辱ではありません 。わたしだって普通の人間です 。そして 「普通であること 」は 、なんら恥ずべきところのない 、ひとつの個性です 。
青年
軽口を叩くな 、このサディストめ ! 「お前はどこにでもいる平凡な人間だ 」などと言われて 、侮辱を覚えない現代人がどこにいる ! ! 「それも個性だ 」などと慰めを受けて 、真に受ける人間がどこにいる !

口に出して言ってみたい日本語
「軽口を叩くな 、このサディストめ !」

 青年
… …いや先生 、あなたはわたしの自制心に感謝しなきゃなりませんよ 。もしもわたしがあと 1 0歳 、いや 5歳でも若く 、これだけの自制心が備わっていなければ 、いまごろあなたの鼻骨はこの拳でへし折られていたことでしょう 。

ここ読んで笑わなかった人いるのか。
まさか電車で読めねえレベルとは……

 ……これは……この対話で笑っちゃうのは……アレだ。
彼岸島とかグラップラー刃牙(厳密に言えば範馬刃牙)で笑っちゃうアレだ。

matome.naver.jp


でも、バカにしてるわけじゃない。
この自己啓発本が『嫌われる勇気』から凄まじいのは、「物語として面白い」って点だと思う。
小説として、読めるんです。

僕らが潜在的に抱えている「疑問」という伏線が青年の手によって洗い出され、解き暴かれる快感。

全てが一点に収束する、感動。

そういった意味合いで、この本は本当に贅沢な一冊の「体験」なのだと思います。

是非とも前作を読んでからお読みいただきたいですね。
そしてじっくりこの本について語り合いましょう。

最後に、キレッキレな青年の名言を引用してこの記事を終わりましょう。

青年
要するに 「恋に落ちること 」は 、物欲に取り憑かれるようなものだと ?
哲人
もちろん相手は生きた人間ですから 、ロマンティックな物語を付与しやすいでしょう 。しかし 、本質的には物欲と同じです 。
青年
… …くっくっく 、これは傑作だ 。
哲人
どうされました ?
青年
… …人間とはわからないものですね !まさか隣人愛を説くあなたから 、こんな愚かしいニヒリズムの煮汁が染み出てくるとは ! !なにが 「人間の愛 」だ !なにが常識へのアンチテ ーゼだ !そんな思想など 、汚水をすするドブネズミにでも食わせておくがいい !

 さあ、みなさんご一緒に!

……くっくっく、これは傑作だ。

お読みいただきありがとうございました。
ではまた次の記事で。

備えよ、「一億総『真に受け』社会」に!そして真に受けるな!

ども、Mistirです。
人生模索中です。ってことでブログの更新は非常に久しぶりですがみなさんいかがお過ごしでしょうか。

最近色々なことを考えてます。
なるべく政治のこと、マスコミのことは考えないようにしてたんだけど、丸山さんの発言をNHKが編集したってのは久々に「酷い」話題だなあと思った。

agora-web.jp

 

失言云々でグダグダすることがそもそも嫌いなのに、その上マスコミの恣意的報道云々も加わって、最早地獄絵図でしたね。

……なんで失言云々でグダグダするのが嫌いなのか?
それで政治議論が進まなくなるから……とか、綺麗なことは言えるけど実はそんな綺麗な理由じゃない。

「みんな、人のコトバをよくそこまで信用できるなぁ」っていう。
「コトバなんかどうでもいいよ……どうせんなもんはどうでもいいんだ」という謎の諦めがあるのだ。僕には。

現に「マスコミの報道」は「真に受け」じゃダメなものだったし、第一口八丁手八丁でナンボの政治家が言ってることにどうしてそうはしゃぐ暇があるのか。与党も野党も、あるいは国民も。
……まぁ、百歩譲って中島義道も言ってるように「つい口がスベってしまうことが信用出来ない」と、そういった明晰な論理で批判するのならまあ分かるけれど。

人生に生きる価値はない (新潮文庫)

人生に生きる価値はない (新潮文庫)

 

この本で語られてるから、みんな読もうな!


……まぁ、なんとなく、バカバカしいのである。
で、僕は考えました。
「なんかみんな、『真に受け力』が上がってないか?」と。
そしてこうも考えました。
「世間は僕らに全力で『真に受けさせようと』してないか?」と。

 

単純化するとさ、ネット世界の文章を「ネットリテラシーの低い人たちが信じこむようになった」で済んじゃうかもしれないけど、もう一歩だけ踏み込みたい。

ネットだけじゃない。
全てだ。

就活一つとってもそう。
グローバル人材で、コミュニケーション能力があって、なんたらかんたら。
斜に構えて「はいはいバーカバーカ」って言ってるような人たちも、どこかで真に受けていないか?
なんせ、世間サイドは全力で……ホント恐ろしいほどの勢いで「真に受けさせようと」するから。
絶対昔はこんなこと無かったよなぁ。絶対。いや、さすがにここまで酷くはなかったはず。
なんせ、そもそもの「情報の総量」が少ないんだから。

よくよく考えると、俗に言う「要領の良い」人たちはそういったあらゆる「世間さんサイド」の「正論」を「真に受けない」人で……俗に言う「真面目な」人たちはそういったことを「真に受けちゃう」人なのではないか。
そういった考えが浮かんだ。

なんでこんな考えが浮かんだかって……

僕は非常に、非常に……
物事を真に受けやすい人間なのである。
真面目かどうかはさておき。

言い換えると、影響を受けやすい人間だと言っても良い。

基本的にものごとを酷く疑ってかかるひねくれ者ではあるのだが、その反動故か、少しでも筋が通ってると一気に「真に受けて」しまう。

あなたたち、私を笑いますか!豚だと笑いますか!(ドストエフスキー風)


少なくとも、丸山さんの発言をNHKが編集したってことを「真に受けた」人たちは……僕と同類です。仲良くしようね(地獄への誘い)。

と、前置きはここまで。

僕はこれからの世界、「ある力」を身につける必要があることを感じている。
それは「真に受けない力」だ。


世間が何をうるさく言おうとも、世間がいかに正論でも、それを黙れうるさいやかましいボケとねじ伏せる力だ。

それはあまりにもひねくれた考え方かもしれない。
でも、確実に必要だと思う。

世の中は、『正論』で飽和している。

それぞれの意見が正論で、それぞれの意見がある程度以上の「真理」を含んでいる。
理想は「その全てを高いリテラシーで分離し、分析し、吸収する」ことなのだろう。
だけどこの「理想」は、ある欠陥を孕んでいる。

僕らにはそんな体力が残っていないことだ。

本気でこの理想を追求してもいいと思う。
だけど。絶対にこの理想に近付こうとした結果、……力尽きちゃった人は、絶対に、絶対にいる。
疲弊し、疲弊し、全てがどうでもよくなり……

……僕のことじゃないですよ?……違いますよ?

さて。
僕らが欲しているのは「現実的な解」だ。
それは「正論」でもなんでもない。
むしろ……

「正論を意志だけでねじ伏せる、圧倒的な『真に受けない力』」じゃないのだろうか。
っつーか、そういうのがなければ一生「ネット世代の不幸な人間」で終わっちゃうのではないだろうか。よほど「リテラシーと体力が高い」人じゃない限り。

もっと具体的なことを言おう。
「酒は健康に悪いです」というコトバが僕らを助けてくれるか?
世の中の正論なんて全部そういうことなんですよ(暴論)
 

と、そういうことを切実に語って、みなさんの予想通りのオチでこの記事を終わりましょうか。




みなさん、僕の言ってることは何も真に受けないで下さい!!!!
以上!!!!

やっぱり、久々にブログ書くと疲れますね……
今後はどうしましょうかね。精力的に更新しましょうか。

真に受けますか?受けませんか?

ではまた次の記事で。

 

1000円の腕時計、チープカシオの思い出

ども、Mistirです。

さて、タイトルにある1000円の腕時計「チープカシオ」が今流行みたいですね。
実は、その腕時計に関して少し語りたい思い出だとか思いだとかがある。
ほんの少し、お付き合い願いたい。


社会人になって多少自分の使える金が増えると、余計なものが欲しくなる。
例えば、こんな時計。

実は、僕はシンプル至上主義だ。
モノトーン、無機質、そういったものが大好きだ。
余計なものは要らない。
ただただ洗練されたシンプルさを愛している。
スカーゲンという会社は、なんというかどストライクなのである。

余談だが、そんな僕は無印良品とか大好きなのだ。

……にも関わらず、無印良品の時計はこんな感じである。

f:id:Mistclast:20160115230523j:plain

かなり惜しい!文字盤が小さくてなんか洗練されてない!
針の感じがちょっと(悪い意味で)チープ!

f:id:Mistclast:20160115230533j:plain

惜しい!シンプルだけど文字がでかすぎて少しだけダサい!

f:id:Mistclast:20160115230549j:plain

ああもはや惜しいとさえ思わない!ぜんぜん違う!シンプルといえばシンプルかもしれんけど!

f:id:Mistclast:20160115230605j:plain

お前は確かにシンプルかもしれんが何もかもが違う!!

……と、そんな感じで。
無印の時計はちょっと違うんです。

ちなみに、5年以上使っている時計がこんな時計だ。

f:id:Mistclast:20160115231022j:plain

5000円程度の時計なのだが、これはこれでかなり気に入ってて非常に良い買い物をしたと思っている。
人生で買ったものの中でもベストに入る買い物の一つだ。
あの頃は5000円も相当な大金だった……いや、今でも安くはないが……
※5000円は調子に乗っていると酒で吹っ飛ぶ額なのはご愛嬌


さて。
先程貼った、この時計。

ぶっちゃけ、どストレートに好きである。
欲しい。
だが、さすがに27000円は気楽に出せる額ではない。
それに、先述の通り今の時計でも十分使えるし気に入っている。
ってことで忘れかけていた。

そんな頃、ある記事を見かけた。

www.lifehacker.jp

サムネイルに表示されている時計だが、確かにカッコいい。
かなり僕のツボだ(無印良品の時計よりも)

リンクから、Amazonのページを見てみる。
「へぇ、色々あるじゃん」と、色々と見てみる……
と。
その中の、ある商品の写真に、目が止まった。

……待て。ちょっと待て。
俺、これ持ってたぞ。

……そうか、お前か。
このシリーズだったのか。
厳密にはこのモデルじゃなかったかもしれないが、この時計のことはよく覚えていた。

僕は高校の頃、いろいろな時計を買っていた。
文具や時計には妙にこだわるヤツだったのだ。
かといって、お金はないからドン・キホーテあたりで2000円くらいで買えるような時計を時折(年に3,4回とかだろうか?もっとだったか?)買っていた。
H市をふらふら歩きながら、なけなしのお金で買っていた(もちろん、大抵のものは買えなかった)。

デジタルの時計にこだわっていた。
ストップウォッチがあって、見やすいもの。

……はっきり言って、高校生に腕時計なんて、それほど必要な物じゃない。
だけど何故か僕は時計に……ほんの少し、こだわっていたのだ。
多分、そこで背伸びをしていたのだと思う。
時計にこだわる僕自身にこだわるというか、なんというか。
ヤンキーがピアス付けたりとかワケの分からない服を着たりするのと同じだったのだ、多分。

……で。
デジタルウォッチの最後にたどり着いたのが、これだった。

薄い。
超薄い。
付けてる感じがしない。
にも関わらず、謎の高い視認性。
そして、壊れない。
雑に扱っても全然問題がない。
海なんかに持って行ったことも何度もあったと思う。

……なんだかよくわからない。
よくわからないが、良い時計だった。

……が。
その時計に関しては、せいぜい1年程度しか使わなかったように思う。
正確な期間に関しては、正直全く覚えていない。

何故使わなくなったか?
この時計に出会ったからだ。

f:id:Mistclast:20160115231022j:plain


少しだけ良い時計が欲しかったのだ、どうしても。
この時計を買った頃、僕は日常生活で使うありとあらゆるモノを変えようとしていた。
モノを変えることで、何かが変わると信じていた。
それは錯覚かもしれないが、実は未だにその幻想(のような何か)に取り憑かれている。

……まあ、とにかく。
この時計は非常に良いモノで、値段不相応な高級感があった。
結果的に長いことこの時計を使うことになり、先程貼り付けた1年程度(?)使っていたカシオの安い時計は引き出しの奥に仕舞われた。

そして、先程の記事に戻る。

先程の記事を見てから、色々と調べてみた。
どうやらこのカシオの安い時計、流行っているらしい。
それも「チープカシオ」と呼ばれて。
サブカル系女子たちがこぞってサブカル界の新宿歌舞伎町であるInstagramにアップしているそうなのだ。けしからん。
けしからん。


ーー僕が引き出しの奥に仕舞い込んだその時計が、何故か今頃流行っている。
不思議な話だ。

もちろん、僕がその時計を買った頃はネットでその時計について調べるなんて思いもよらなかった。

不思議な事もあるもんだなぁ、などと思いながら。
欲しくなったが、それでもAmazonで買うのはなんとなくやめといた。
まぁ、なんとなくである。
1000円の時計をポチるのが、なんとなくアホらしく感じてしまったのだ。
というかどの時計が欲しいのかよくわからなくなった。

……が。
先日、上野で仕事帰りにとんかつ食べてからゲーセン寄って、その後ふらりと立ち寄ったヨドバシで……見つけてしまった。

壁に大量に陳列された「チープカシオ」を。

……考えた。
考えた、が。
それほど深く考えることはなかった。
3桁の数字がかかれた値札の貼られたその時計を、僕はレジに持って行った。

多分、実家の引き出しに今も仕舞われている。


……妙な高揚感があった。
本当に妙だった。
1000円の時計で、僕はこんなにワクワクしている。
イメージ的には高校の頃の250円くらいの価値だ。いや、もっと安いかも。

着けてみる。

f:id:Mistclast:20160115233648j:plain

社会人がスーツと合わせるデザインではない。

だけど、薄い。
見やすい。
そしてレトロさがワクワク感を醸し出す、このフォルム。
ストップウォッチもアラームも付いている。
そして、何より。

昔身に着けていた、あの感覚。

……不思議な話だ。
安っぽいから、アナログが使いたいからと机の奥に仕舞い込んだ時計。
その過去の時計を流行に踊らされて、買ってみて、そして流行に踊らされた割にワクワクしてる。1000円で。
……やっぱり、不思議な話だ。

ここのところ、何かモノを買うときは常にネットで調べて、常に最高のものを買っている。
満足のいくものを。
レビューの値が高いものを。
あとは、昔からモノにこだわってきた僕なりの直感で。
そして「予想通り」いいものが手に入る。
……でも、そのワクワク感と、このワクワク感は全く違う……
根本的に質が違う。

それは僕がおっさん臭くなって、昔の思い出に浸ってるが故のワクワク感なのか。
それとも、昔の「自分だけのセンス」を追求していた頃の自分を思い出した快感なのか。
……でも、結局色々ネットで調べて買ったんだよな、この「チープカシオ」でさえも。
仕方ないじゃん。チープカシオ、調べてると面白すぎるんだよ。
なんだよテロ組織のア◯カイダが使ってたって。
なんなんだよある組織では入隊の証明にこの時計が授与されるって。
面白すぎんだろ。

……とにかく。
モノを買うにせよ、何にせよ、しょうもない「自分のセンス」を愛してた頃、安いものにワクワクしてた頃ってのが必ずあって。
で、いつかそこに「戻る」かもしれなくて……

このちょっとワクワクして、同時にモヤモヤしてる感覚にひとつの折り合いを付けるためにも、ドン・キホーテにでも行って雑な安物を雑に買ってみようかな、とか考える今日このごろです。

今日の記事はここまで。
少なくとも、もうしばらくこの「チープカシオ」と付き合ってみます。

お読み下さりありがとうございました。
ではまた次の記事で。

当ブログ "MistiRoom" について

ども、Mistirです。

かなり今更ですが、現時点での当ブログのご紹介を兼ねまして、現状の方針に関して改めまして一度整理させていただきます。随時変更、更新は致しますが、現段階での方針は以下の通りです。

・基本的に「作品分析」を中心とする

これまで、「書きたいことを書く」をテーマに様々なことを語ってきました。
移転前の記事も含めると、以下のような記事が結構話題になりました。

mistclast.hatenablog.com

ch.nicovideo.jp

そんなこんなでやってきましたが、だんだん「書きたいことを書く」と「ウケそうだから書く」の境界線が甘くなってくるんですよね。
ウケそうだから書いてると、だんだんウケることが目的になり、書いてるこっちがつまらなくなり、死にたくなります
ってことで基本姿勢は「作品(映画・小説等の創作を中心とし、ビジネス書やテレビ番組も含む)分析」を中心としようかなと思います。
大学で専門にやってきたこともそれですしね。
当方、まだ学生気分の抜けない社会人でございますので。

・あとは緩くやる

あとは緩くやります。
「作品分析」からズレることでも書きたくなったら書きますし、ご要望にはなるべく(気が向いたら)答えます。
現在記事作成をご要望頂いてる映画が一本あるのですが、近所のTSUTAYAで見つからず、どーしよっかなーって考えてるところです。

・登場人物

このブログの登場人物をご紹介します。

・僕
→Mistirです。大学でフランス文学学んでました。色々なモヤモヤと常に戦ってます。
・N君
→映画関連会社社員の社畜。僕より映画は詳しいが大分危ない路線で生きてる。頑張れN君。
以下の記事で初登場

mistclast.hatenablog.com

 ・渡邉◯樹
→かなり特殊なメンタリティを持った人として僕がたまに例に出します。

それくらいですかね。
ま、後は随時適当に。

では、引き続き語らせていただきます。
お読みいただき、ありがとうございます!

映画『ロッキー』は案外「オタク的」な映画なのかもしれない

ども、Mistirです。

今更ながら、映画『ロッキー』を初めて真剣に観た。 

ロッキー (字幕版)

ロッキー (字幕版)

 

 

ある程度ストーリーは知っていたつもりだったけれど、想像以上に「オタク的」な映画だった。
それも「現代的」な。

もう少しスポ根系かと思ってたけど、……否、実際にスポ根系ではあったんだけど、少し「ズレて」いた。

最初から語ってみたいと思う。
あ、ネタバレは気にせず語りますね。


この映画、主人公(ロッキー)の内面を観てる人間に理解させるまでの過程が非常に上手い。
茶番にも似た試合から始まって、素人目からしても「安すぎる」ファイトマネーが示される。
そこから流れるような「借金取り立て」へのシーンの移動。
命令に「忠実には」従わないロッキー(良心があるから?)。
この時点で、ロッキーが社会の波に飲まれながら、そこに抗ってる(抗いきれない中途半端な)タイプの主人公だってことが分かる。
……分かるよ(同意の涙)。


非常によくできてるな、って思ったのが12歳の子供に説教するシーン。
これ、見事なものですよ。
このシーンがあることでロッキーのキャラクター性っていうのが明確になるんです。
他人、それも「まだ未来があって」「自分より立場の弱い」子供に説教してるわけですけど、自分はヤクザの取り立て屋ですからね。
そういった自分の立場をすっげー本人も理解してるんだけど、「良心」に従って説教しちゃうわけです。
この「良心」っていうのはなんというか非常にフクザツ極まりないもので……
こういった説教、ついやっちゃうんだよね。なんというか。
子供の目線から見ると「ウゼェ大人」なんだけど、大人の目線からしたら「良心」。
でも本当のところは……?
ーー自分自身が解決できない「正論」を子供にぶつけてるだけじゃないか?
だから、説教のシーンで一気に僕みたいな人間は感情移入しちゃうわけです。
「お前、良い奴なんだよな……分かるよ……絶対にウザがられるタイプだけど……そう、自分で解決できないから人にぶつけちゃうんだ……」

で、ヒロインのエイドリアン。
素晴らしいキャスティングですよね。
はっきり言って、明らかに似合ってない眼鏡付けてるペットショップで働いてる内気な女の子なんて、オタクの好みどストレートじゃないですか(それが「オタク的映画」の理由じゃないですけど)。
で、そのエイドリアンに謎の激しいアタックかましてモノにするわけですけど、このシーンよくわからないですよね、冷静に考えると。
はっきり言って「男慣れしてないヒロインをゴリ押し褒め落としでオトした」ようにしか見えない。
だって、エイドリアンが落ちるシーンまで主人公、「猛烈なアタック」しかしてないですよね。
……いや、その何が不自然かって言うと難しいんですけど。
想像以上に物語のテーマに関わってないじゃないですか
ボクシングのサクセス・ストーリーっていう流れに。

ストイックにトレーニングしたり、アポロへ闘争心を燃やすロッキーにエイドリアンは惚れたわけじゃない。
外に連れ出してくれて、ゴリゴリ褒めてくれて、ゴリゴリ押してくるロッキーにやられちゃったわけです。
これは「良い」とか「悪い」とか、そういう問題じゃなく……通常考えられる「ヒロインとくっつく流れ」とはちょっと違いますよね。
まぁ、もちろん「ロッキーという孤独な男」「孤独のメタファーとしての亀」「ロッキーと亀を結びつける架け橋のペットショップ」「ペットショップの内気な娘エイドリアン」……という流れでエイドリアンの存在を読み解くことって可能なんですが、それは重要じゃない気がする。

僕がなんでこの部分にこだわってるかっつーと、
「最初からヒロインを手に入れちゃってる」
ってことがすっげぇでかいと思ってて。

もうはっきり言っちゃえばさ、この映画観た時の最大の驚きはここだったのよ。
「お前、ベテランに素質認められて、女もいて、宝くじレベルのチャンス与えられてもなおウジウジしてんのか!!!??……あ、ベテラン指導者も乗って来た…………お前またウジウジしてんのか!!!???
だったんですよ。

想像以上にウジウジウジウジしてるんですよ。
びっくりしちゃって。
ロッキーって強い男の象徴みたいなイメージで、もうちょいストイックでシビアに自分鍛えてるイメージあるんですけど。
これだけ「状況が揃って」ようやく動き出せるんです。

で、指導者(ミッキー)に言うじゃないですか。
「そんなこと昔言ってくれなかっただろ!!」って。
お前、日本の会社でそれ言ったらクソみたいなコンサルにぼろくそ言われるぞ???
逆に言えばクソみたいなコンサルには「ロッキーのメンタリティどう思います?」って聞いてみましょう。冗談ですが。

さて。
ここまで考えて、「似てる」って思っちゃったんだよね。

以下、赤字がロッキーの特徴です。
さて、青字はなんでしょうか?

才能、素質があって才能、素質があって
社会の厳しさに揉まれていて世界のシステム的に最弱のレッテルを背負わされてて
女に恵まれてハーレム形成の鍵が随所に転がっていて
突如偶然舞い込んだアメリカンドリームのチャンスがあって偶然異世界に転生して
それでもなおわりとウジウジしててそれでもなおわりとウジウジしてて
根はいいやつで根はいいやつで
良き年長者に恵まれる:良き年長者に恵まれる

右側、大分作為的な面もありますけど……
要は「少し前に批判されがちだったラノベや漫画の固定パターンじゃねえか!」って思っちゃったんです。
もっともっと「王道スポ根」だと思ってたら、ロッキーは思ったより人間臭くて、かつ運ゲーの世界を生きてて、もっと言っちゃうと結構クズだ、と。

もし熱い少年漫画で、これだけ条件背負っててウジウジしてたら、間違いなく主人公として人気出ませんよ普通は。
……でも、そういった「クズ」だからこそ凄く感情移入しちゃうわけで。
別世界の思考の人間じゃないからこそ。
だからこそ、ミッキーとの言い争い〜和解のシーンがすごく良い。
そうそう、人間の喧嘩と和解ってあんな感じだよなって。
人を恨むときって本当に複合的な理由が絡みすぎてて。
全部を吐き出さないと上手く回らないことって本当に多くて……。
そしてラストシーン、そういった人間的な部分、色々なクズさも抱えて、「克服して」、全力で戦い、決して倒れないロッキーに観てる人間は全力で感情移入しちゃうわけですね。上手いなぁ。


で、この記事のオチなんですけど……

映画を観終わった直後の、映画関連会社社員N君の会話を載せておきます。


僕「ここまで条件揃わねえと動かねえって意外だったんだよね。もうちょい王道熱血系主人公だと思ってたし」
N君「アメリカって格差半端ないからそれ反映してるのかも。これくらい条件揃わねえと成功できないって」
僕「なんかな、SA◯とかみたいなライトノベルと凄く被るものを感じたんだよ」












 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

N君「日本も00年代以降は格差社会やからな」



 

THE END


お読みいただきありがとうございました。
ではまた次の記事で。
今公開してるスピンオフ観に行こうかな……